11.傷
血を夢中で啜っていたハイドは女が気を失って倒れるとハッとする。
「俺は何を……」
ハイドは目の前で崩れ落ちた女をまじまじと見る。
月明かりに照らし出された虚ろな表情をしているその女の顔は酷く美しく見える。
しかし、ハイドはそんなことには全く関心がない……。
ハイドがゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと目を開けると女の姿は部屋から消える。
神格と人間との混ざった血……不味くなかった。
いつもハイドに血を提供する女たちはハイドの城の者たちが血の美味そうな人間を選んで声をかける。
女たちは喜んでハイド専属の補血材となるのだ。
それはハイドが小さい頃から普通に行われていることで魔族の世界では一般的なことである。
そのためか、ハイドは女たちの血を何の悪気もなく啜る。
女たちも嫌がるどころかたいへん喜んでハイドに血を差し出す。
しかし、さすがのハイドも半分とはいえ神格の血が混じっている女の血を飲んだことに罪悪感を抱く。
そういえば、ユウリと一緒に暮らすようになってから一度も血を口にしていなかった……。
それに、この城……魔族にとっては危険な場所だ。
魔族の力を吸い取るようにできている。
おそらくハイドが急に眠たくなったのはこのせいであろう。
その証拠にユウリはこの城から力を受け取っていたからいつもより元気になっていた。
ハイドが寝ているとどこからともなく血の香りが立ち込めてきた。
ぼんやり目を覚ますと隣で寝ているユウリを起こさないようにゆっくり部屋から抜け出した。
血の匂いがする方へ導かれるように歩いて行くとそこには一人の人影……。
その人物の腕からは血が流れ出ている。
ハイドは近寄ると本能的にその血を少し舐めてみる…。
途端に目の色が赤に変わると理性を完全に手放した妖怪になる。
首筋に牙をたてると夢中で血を啜る。
女は妖しく麗しい声を出しハイドの気をひこうとするもハイドは血にしか関心がないのか女の顔すら見ようとしない。
そのうち女の体内の血がどんどん減っていき、ついには意識を失い倒れた。
口元についた血を手の甲で拭う。
いくら力を吸い取られ、貧血状態になっていたとしても純血の吸血鬼たるもの……簡単に理性を失ってしまったハイドは自分を責めた。
神格……ユウリの血もこんな味なのか……。
ふいにそんな考えが頭をよぎる。
そう考えると胸の高鳴りが大きくなり先ほど血をたっぷりと飲んだのにもかかわらず再び喉の渇きがひどくなる。
体中がほてり熱くなりユウリの血を求めんとする。
ハイドは本能的に作り出されたその思考を打ち消す。
「何考えてるんだ……」
ハイドは小さく呟くと頭を抱えて目をぎゅっと強く閉じた。
瞼の裏には無垢な笑顔を…真白で眩しい笑顔をハイドに向けるユウリがいる。
「ユウリ……」
窓から差し込む温かで柔かな太陽がユウリの瞼をくすぐる。
それでも、瞼を開けずにベッドの中で温かな太陽光を浴びていると誰かの手が伸びてくる。
大きい手……。
その手はゆっくりとユウリの額に置かれる。
ユウリはそれが心地よく感じて目を閉じたままでいる。
誰の手であろう……大きくて骨ばっている。
あっ……この手は。
「ハイド……」
ユウリは呟く。
すると、ユウリの額から手が離れると足音がベッドから遠ざかり扉が閉まる音がした。
ユウリはゆっくりと目を開ける。
先ほどまでそこにいた人物はもういなくなってしまっていてユウリはもう一度瞳を閉じた。
「昨日の女はお前が仕組んだのか?」
大広間に入るなり優雅に足を組んでいるファーレンにハイドが迫る。
ファーレンは最初、わけが分からないといったようすで首を傾げて見せるがハイドの顔を見て真剣な表情を目にするとニコッと微笑んだ。
「ああ、君だってそろそろ血が足りない頃だったんじゃないかな?聞けば、ユウリと暮らすようになってから血を飲んでいなかったんだろう。あり がたいことだけど、ユウリの血を吸われたりなんかしたら大変だから、今のうちにね…。僕からのプレゼントだよ、気に入ってくれたかな?」
涼しい笑顔で言うファーレンに対してハイドは目を見開きファーレンを睨みつける。
「プレゼント?ふざけるな……あの女は神格の血が混ざっていた。何を考えている」
「さすが純血種の吸血鬼……ばれてしまったね。あ、でも心配なく神格の血を吸ったところで君には何の害のないから」
ファーレンは紅茶のカップを手にするとカップの中を覗き込む。
「ユウリは……なぜお前の部屋で寝ている」
「うん。ユウリはだいぶショックだったらしくてね、気を失うようにして倒れてしまったんだよ……僕がそれを部屋へ運んだんだ」
ファーレンはカップから目を離すと深い青色の目でハイドを見据える。
「……ショック?」
ハイドは片眉をつり上げる。
「ユウリはね、無垢で心が誰よりも優しくて……その分、繊細なんだよ。そんな彼女が吸血行為を目にしてしまったら、どんなにその行為を軽蔑し恐れるだろうね」
ハイドはそれを聞くなり目を見開き体が固まったように動かなくなる。
「君には悪いことをしたけど、どうせいつかはこうなるんだ…。分かるだろう?その時期は早い方がいい」
「……お前っ」
ハイドは瞳をカッと赤色にするとハイドの真後ろにあった掛け時計が派手な音をたてて崩れ落ちた。
時計の文字盤が床に落ち、くるくると円を描きながら回り指針がばらばらになる。
「ん?本当は感謝してほしいくらいだよ、ユウリは君が吸血鬼だと頭の中では理解していても本能的にはやっぱり拒絶してしまうんだよ……神格なんだから」
「それでも、方法は他にもあった……」
「他に?馬鹿か……。君はユウリを見くびりすぎているよ、彼女はね神格の代々トップの家系に産まれてきたんだよ。君がもしこっそり血を吸いにいったとしても彼女がそれに気づかないとでも?それに、彼女の見ていないところで血を飲んだとしても、飲んだことに違いはない。ユウリはね、君が血を飲む行為自体が拒絶の対象なんだよ」
ファーレンの口調はいつも通りで優しいがその内には恐ろしいほどの怒気を含んでいる。
「……」
ハイドは瞳の色を元の色に戻すと黙り込んだ。
「やっと理解したようだね、いいかな?君に選択肢は残されていないんだよ。今すぐすべきことが何か分かっているね?ユウリをこれ以上、傷つけたら許さないからね」
ファーレンは言い終わり、ハイドの顔をもう一度見ると溜息をつき部屋から出て行った。
残されたハイドは少しの間、瞳を伏せていた。
しかし、自分の頭の中で決断が出たのか急に勢いよく立ちあがるとフードを深く被った。
フードから覗く長い睫毛は少し伏せ気味で瞳は悲しみの色を帯びている。
そして窓に向かって歩き、そこから見える景色を眺めた後ハイドは姿を変えると果てしなく広がっているようにも見える青空に飛び立った。
一羽の鳥は眩しいのであろう、少しよろめきながら飛んでいる。
昼間に外に出るのも嫌がる吸血鬼が昼間の青空の中を飛ぶなど自殺行為であろう。
しかし、そのままあの城にいれば大切な人を傷つけるかもしれない……それは何があってもしたくはなかった。
――一羽の鳥は城の窓から見えなくなるくらい遠くに飛んでいった
ベッドで寝ていたユウリは何かを感じ取るとベッドから起き上がった。
何かとてつもなく大きく大切な存在がこの城からいなくなったことに気づいたのだ。
寝起きで頭が働かないユウリはその大切なものが何なのか思い出そうとするも頭が上手く働かない。
そうこうしているうちに部屋にファーレンが入ってきた。
「ユウリ……起きたんだね。朝ごはんにしようか」
ファーレンは優しく微笑むと目をパチパチ瞬かしているユウリに手を差し出す。
ユウリは兄の姿を視野に入れると先ほど考えていたことも忘れ微笑みながらその手を取った。