弱者の彼岸
自分用に書いてるエッセーから抜粋しました。
創作をしていると、現実という壁にぶち当たり、つい葛藤をしてしまいます。そんな気持ちをなんとか形にしたくて、勢いだけでつくりました。
そのため、内容も文章も絵も稚拙なことこの上ないですが、よろしくお願いします。
※あらすじと同文
心は鋼のような強度を持ちえない。むしろ、不定形であり、広がる世界観という型によって、ひろがり、凝縮され、ちぎれ、分散する。
やりたいことをやれ。しかし、義務は果たせ。もっともな言葉。もう私は疲れた。お前たちは次にこう言う。
「そんな歳でそんなことを言うのは早い」
心に響かない言葉。まったく面白くない。心に響かないので、受け止めきれずにもらったボールと共に倒れる。起き上がるのに必要なのは、他の言葉なので、結局堂々巡りする。
そして、そういった他の言葉は、強さや英雄的なところからもっとも縁遠いところから生じる。
貧弱、脆弱、醜い本質。この世の悪と呼べるものから、生きる糧を得るというのはなんと皮肉なことか。
「弱いままでいい。だが、君は知ってしまった。この世界に正解はなく、混沌であることに。否応なしに共存をしなければならないことを。醜くても、生きたもの勝ちなのだと。誰かに悪だと言われても、それでも君は涙を流しながら生きて行くのだと。そして、その涙に気づいてくれる人が必ずいることを、君は知るだろう。起き上がるのに充分な弱さを、君は受け入れたら、思い切り地面を踏みつけてやれ」
タイトルはニーチェの善悪の彼岸がモデルですが、なるほどルサンチマン的なところがあったのかもしれないと今になって気づきました。まぁニーチェはツァラトゥストラしか読んだことないんですがね(キリッ)
文章も絵もツッコミどころはたくさんあると思いますが、とりあえず画質が悪いのは作者の種々の配慮不足によるものです。
文章も絵もまともなものが作れるよう努力していく所存です。
ともあれ、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。