表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マガツヒの神 ~純酷の葬列~  作者: 印西たかゆき
6/8

本部に流れる不穏な気配

(はぁ……どうやら、だいぶ雲行きが怪しくなってきたわね……)


 相変わらず、指令室にいるあの男性は部下と幹部との板挟みに悩みながら指示を出し続けており、私がいる後方の見学室で事態を見守る他の幹部達は、目の前で起きる不可解な現象に首を傾げながらも、いたって冷静に正面の大型モニターを見つめ続けていた。

 そして、画面にはあの子の部隊から送られてくる映像が流れる……しばらく雑談や周囲の捜索をしていると、突然あの子が銃を構え始めた。

 それと同時に、他の部隊員も援護に入るように銃を構える。

 でも、ヘッドセットに取り付けられたカメラからの映像には何も映っていない。

 それは彼らも同じようで、あの子を援護する部隊員の映像が少しぶれた後、その映像は濃緑色に変化してかなり鮮明に周囲の光景を映し出すようになった。暗視装置ね……良い判断だわ。

 そうすると、画面の奥……長い通路の向こうから人影が来るのが見える。

 あの子達は精一杯声を張り上げて止まるように叫んでも、人影はユラユラと歩き続けた。

 でも……あの子達は怖がっているけど、その影に怯える必要なんてまるでない。なぜなら、その人影はミラーハウスの探索を終えたドイツ人なんだから……中央のモニターに見える、彼のヘッドセットから送信される映像が証明しているわ。

 ふふっ、あの子達には悪いけど、ここからなら多少の物事は理解できるわね――理解できない現象も目の当たりにしてるけど……。

 彼らもしばらくしてそれを理解して、彼と会話を始める。

 彼は何事か呟くような声で話している……どうやら、さっきのミラーハウスでの体験を語っているようね。


『だって……彼女達は鏡の中にいたんだ……僕がいくら探しても、彼女達は鏡の中にしかいなかった……閉じ込められて……一人ぼっちで……』


 彼がそう言った瞬間、ドイツ人のヘッドセットから送られてくる映像が急に乱れ始めた。

 慌てて、指揮官の男性が部下にすぐに映像を復旧させるように叫んでいるけど、映像の乱れはどんどん激しくなっていく。


「お、おいっ! なんだ、あれはっ!?」


 柏木がまた騒ぎ始めた。でも、それは他の幹部達も同じ。

 なぜなら、私達が今見ているドイツ人の映像に……映っているの。


「あれは……女の子じゃな……」


 この幹部会で、一番の古株である田中がそう呟く。

 私も、彼の意見に心の中で同意する。

 しかし、幹部達がざわめくと同時に、徐々に映像の乱れが直っていき、女の子の姿も消えてきた。


「……クソッ! 薄気味わりぃっ!」

「あら? 怖いの?」

「なんだとっ!?」

「あぁ……まぁまぁ、二人共――」


 はぁ……このやり取り、あと何回見なければいけないのかしら? そろそろ飽きてきたのだけれど……しょうがないわよね、私の目的のためには……。

 オス豚とメス豚の双方をなだめすかすと、私は再び中央のモニターに目を向ける。あの子達は再び前進しており、しばらく進んでからアトラクションにたどり着いた。

 ここは……アクアツアーね。

 あの子達はしばらくその場で立ち止まって、何かを考えているみたい……その後に二手に分かれたということは、黒人の男性と白人の女性、あの子とドイツ人で手分けして捜索するつもりなのね。正直、ここに研究所への入り口があるとは思えないけど……。

 そもそも、なんで幹部である私達にも研究所への入り口の情報が回ってこないのかしら? 奥村は裏切者……当然、『組織』はその管理下に置いてあるすべての研究所の詳細な情報を握っているはず。

 なのに、裏切者を始末するにしても捕まえるにしても、その目標が立て籠もっているであろう施設への入り口が不明って……どう考えてもおかしいわ。

 私はこっそり、幹部達の気を探る……。

 その行為は、私がここに座るまでにやってきたすべての活動の裏付けをとる事でもあるのだけれど……やっぱりね、そういうこと……。

 はぁ……やっぱり、こっちでも戦いを始めなくちゃいけないみたいね。

 私は他の幹部達に気づかれないように、こっそり部下と連絡をとる――どうやるかは……ふふ、秘密っ!

 部下との連絡が済んだら、今度はタブレットを取り出して今までの映像をもう一度見直す。

 おかしな点はないか……と、思って映像を確認してみてけど、特に収穫無し……そうしていると、また新たな動きがあったらしい。周りがざわつき始めた。

 私が顔を上げて正面のモニターを見ると、どうやらすでにアクアツアーの探索を終えたらしい。

 でも、送られてくる映像の一つが完全に途絶していた。


「何かあったんですか?」


 もうこの作戦に関するほとんどの事情を把握しているけど……一応、無能のフリをする。


「アンタ、見てなかったのかい?」

「はぁ……すみません」

「まったく……あいつらが施設の入り口を見つけようと捜索してたら、黒人と金髪女から送られてくる映像が突然砂嵐になったのよ。でも、隊長とドイツ人の方の映像は特に異常はなくて、しばらくしたら、黒人の方の映像は直って金髪女の方は通信が切れてたわ」

「通信が切れた?」

「ええ。プッツリとね」


 ふ~ん……ま、予定通りというわけね。


「故障ですか?」

「いいえ、金髪女がいなくなっちゃったみたいなのよ」

「はぁ……」


 私は隣のメス豚に礼を言って、再び画面を眺めた……確かに、白人女性のの姿が消えている。

 ただ、黒人の男性が意気消沈している様子を見て、私は心の中で笑ってしまった。


『……あんた達と別れてしばらく、俺とレイチェルは船内で周囲を見渡していたんだ。ところが、少し経ってからレイチェルが船の別の場所で監視してみるって出ていったんだ。俺もその方が効率がいいと思ってあいつの言うことを了承してしばらく船を操艦してたら、いきなり彼女の悲鳴が聞こえたんだ。

 すぐにでも様子を見に行きたかったけど、ちょうどカーブに差し掛かってかじから手が離せなくてな……しばらく操艦して艀についてから、船の中を捜索したんだが……もう彼女の姿はなかった……ちょっと来てくれ』


 あの子から送られてくる映像に、そう訴える黒人男性の姿があった。まったく……大した役者ね。

 そんなことを考えながら見ていると、黒人はあの子達を船の船尾に連れて行った。

 彼が指差す場所の柵は壊され、破片が辺りに散らばり、銃が床に無造作に置かれている……なるほど、ここが彼女が失踪した場所ってわけね。

 そして、あの子達から送られてくる映像はジェットコースターの方を向いて歩き出すところで、画面が小さくなった。続いて現れたのは……確か、人事部から転向してきた加藤という女性から送られてくる映像。

 う~ん……それにしても、あの指揮官の男性……さすがに毎日あの柏木にどやされているだけあって、的確なカメラワークねっ! 私は心の中で指揮官の男性を称賛して、映像の方に意識を集中させた。

 加藤達はしばらく歩き、やがて観覧車付近にたどり着くと、手分けして周囲を捜索していく。

 アビゲイルは近くの軽食エリア、加藤とスコットは観覧車を重点的に捜索しているみたい……でも、何もなかったみたいね。

 加藤がスコットを呼ぶけど、彼は口元に手を当てて静かにするようなジェスチャーをする。うわっ、キッザー……絶対付き合いたくないタイプね。

 そして、しばらく作戦本部も画面の中も、沈黙が支配する。


『……出して……』


 え? 今の、女の子の声?

 周りの幹部達の様子を探ると、どうやら彼、あるいは彼女達も聞いていたらしい。

 指揮指令室全体がざわつくなか、加藤の画面に映るスコットは何か調べものをした後、観覧車に乗り込んで行った。

 加藤の方は観覧車の操作室に入って、観覧車を動かす。

 それと同時に、暗闇が支配がしていた画面に光が宿った。

 観覧車の照明のようだけど、いきなり明るくなるとちょっときついわね……。

 そして、スコットを乗せた観覧車のゴンドラが順調に上に上がっていくと、突然加藤の画面が激しく揺れた……どうやらただ振り向いたみたいで、彼女の後ろにはアビゲイルがいた。

 彼女は撃たないでくれと言わんばかりに両手を広げ、加藤と雑談する。

 すると、女性二人の画面が揺れて上のゴンドラが映ると同時に、スコットの画面にとんでもない光景が映し出された。


『出してぇぇえええっ!! 出してよーーっ!!』

『うわぁあああっ!!』

『クソッ! なんなんだ、こいつらはっ! やめろっ! 触るんじゃねぇっ!』


 そこには……無数の子供達が映っていた。

 でも、私にはあれが本物の子供だと……少なくとも、生きた人間の子供だとは思えない。

 だってあの子達には……足がないんだもの……体は半透明で、目は真っ黒……そんな子供達は、スコットがアサルトライフルを乱射しても、構わずに巨漢の彼を引きずり回す。

 やがてスコットの腕の肉が裂かれ……子供達が彼のハラワタを掻き出す姿が見えると……スコットから送られてきた映像は途切れた。

 それと同時に、加藤とアビゲイルの画面には、スコットの乗ったゴンドラが突然発火する映像が映し出された。

 それと同時に、ゴンドラの破片が彼女達に降り注いでくる。

 加藤は状況に呆然としているのか、まったく動こうとせず、アビゲイルは素早く対応して加藤を突き飛ばした後、彼女と共に近くの観葉植物エリアに逃げ込んで身を潜めた。

 彼女達から送られてくる映像には、半壊した観覧車と、燃えて黒焦げになり、地面に横たわるゴンドラだけだった。

 彼女達はしばらく話し合った後、アビゲイルがゴンドラの様子を見に行く。

 かなりむごい状況なのか、彼女は顔をしかめるばかりだった。

 でも……あの表情はアビゲイルから送られてくる映像を見る限り、正しい反応ね。正直、私もアビゲイルから送られてくる映像を直視するのはキツイわ。

 そして、彼女達は色々と話し合った後に、ジェットコースターの方面へ向かっていった。

 そこで画面が縮小すると、柏木がまた喚き散らす。


「お、おいっ! なんだったんだ、今のはっ!?」

「知らないよっ!」


 オスとメスの豚を中心に、幹部達が言い争いを始める。

 当然、その声は指令室の方にも聞こえているので、指揮官の男性は戦々恐々とした様子だ。

 私は田中とアイコンタクトをとる。彼とは少し、話したいことがあるのだ。

 彼もそれを察したのか、コクリと頷く。


「すみません、少しトイレに……」

「ほほ、ワシもじゃ。いや~、年を取るとどうも近くなっていかんのぅ……」


 他の幹部達からは色々とはやし立てられたが、気にせずに本部を後にする。

 私は剥き出しのコンクリートで出来た廊下を進んで正面向かい側にあるトイレに行く……と見せかけて、私はトイレの横にある階段を降りてその影に隠れた。

 しばらくして、杖を突く音とゆっくりとした足音が聞こえてきた。


「お~い、おるかぁ?」


 呑気な声色で、田中は辺りを見回す。


「ええ、ここに」


 私が姿を現すと、彼はわざとらしいリアクションをした。


「おお~、そこにおったかっ! すまんのぅ、遅くなってしもうて……」

「いえ、大丈夫ですよ」

「それで……ワシに何の用かのぅ?」


 またまた、とぼけちゃって……。


「実は、奥村の研究内容を教えて頂きたいのですが……」

「ふ~む……さあのぅ……」

「またまた、あなたは組織の研究部門を統括している身じゃありませんか」

「それはそうじゃがのぅ……あやつはワシらに良い思いを抱いてなかったようでな。ワシも、奴と直に会ったのは研究所の視察ぐらいじゃよ?」

「……それは、どこの研究所ですか?」


 思い切って私がそう聞くと、田中はピクッと眉を動かした。

 白眉はくびの奥からギラつく眼光は、まだ彼が現役としてやっていけるほどの気力を兼ね備えていることを容易に示していた。


「……なるほどのぅ……君は、裏切者はワシだと考えておるのかね?」

「いえ、違います」

「ほっ!? そうかいっ!」


 少しだけ、老人は自分の本心をさらけ出した気がする。あともう一息……。


「あなたはわざわざこんな事をしなくても、やろうと思えば奥村の研究成果を強制的に奪い取ることが出来る立場にあります」

「まぁ……確かにそうじゃな」

「ハッキリ言わせて頂きます。今、あなたの管轄の研究所で命を削っている者達……彼らは私の部下です」

「……」

「そして、あなたは今、自分の管轄の研究所で失態を犯している。例え、それが奥村のせいであっても、『あの方』がそう判断するとは限らない……それは、あなたも理解しているはずです」


 老人は一言もしゃべろうとせず、ジッと私の瞳を見つめてくる。

 おそらく、私の腹の内を探ろうとしているのだろう。こういう部分は、本当に抜け目がない。


「ですので、ここはひとつ、私達で協力しませんか? 私が裏切者を見つけます。田中さんはそれを黙認して頂けませんか? 手柄はそちらに回しますので……」

「……おぬしに呼び出されてから、なんとなくそんな予感はしとったわい……」


 老人はふぅと溜息をついて、話を続ける。


「ま、いいじゃろう。裏切者の件、任せたぞ?」

「ええ、ありがとうございます」


 私がそう言うと、老人はいつもの調子に戻って階段を上っていった。

 これでいい……どのみち、部隊があんな状態になっている以上、私の発言力は地に落ちている……。やるなら、作戦が終わる前には決めなきゃ……。

 私は静かな決意を固め、階段を上がって作戦本部へと帰っていく……なんだか随分と騒がしいようだけど……また何かあったのかしら? ま、まさかあの子がっ!?

 一刻も早くモニターを見たくて見学室に入って席に座ると、大型モニターに注目する。

 そこには、現在の部隊の生存者達が勢ぞろいしていた。

 私が画面に意識を集中させていると、隣のメス豚が話しかけてきた。


「アンタ、惜しかったね……もう少し早ければ面白いものが見れたのに……」

「なんですか、面白いものって……」

「ミラーハウスを捜索してたドイツ人を覚えてるかい?」

「ええ」

「そいつの画面にね……映ってたんだよ……金髪の男を殺してた時に映ってた子供達がね……」

「……本当ですか?」

「こんなことで嘘言ってどうすんだいっ!」


 思わずメス豚の隣にいる田中を見たが、彼も心底驚いている様子だった……なるほど……それなら、大いに利用させてもらうわ。

 とにかく、一刻も早く集めた情報をまとめてあの人に一発かましたいところだし……それに、『あの方』にも根回しをしとかないと……まだ報告は来ないのかしら?

 私は部下からの連絡を待っているが、一向に連絡が来ない。それだけ、今回の事件の闇は深いのか、ただ単に情報集めに手間取っているのか……後者なら折檻せっかんね。

 私がそんなことを考えている間に、いつの間にかモニターには二つの拡大された画面が映し出されていた。

 それはどうやら、黒人とあの子のものらしく、なにやら会話している。


『なぁ、ボス……今回の任務、ちょっとおかしくないか?』


 おっ? ひょっとして、この事件の核心に迫っちゃう感じですか?

 他の幹部や作業員達もそれを感じ取ったのか、作戦本部はしばらく機械音と映像から流れてくる様々な音だけの世界になった。


『今回の任務……裏野ドリームランド内にある極秘研究所にいるであろう研究所所長、奥村泰三の捕縛または殺害って内容だが……奴がこの施設にいるっていう情報はどこがネタ元なんだ?』

『……いつもの連絡員からだけど?』

『なるほどな……そして、あんたは作戦本部に出向いて今回の任務を引き受けて、俺達がこうなってると……』

『……ごめん』

『いや、大丈夫だ。あんたのせいじゃない』


 おっ、後ろの雑魚幹部達がざわつき始めた……まぁ、彼らは点数稼ぎのためにここに集まってるだけだから、大したことはないでしょうけどね……。


『それで、このテーマパークが閉園した理由……子供達が失踪したって事実と、それぞれのアトラクションにまつわる不穏な噂……これは偶然だと思うか?』

『私は……偶然じゃないと思う。たぶん、奥村の研究が関わってるんじゃないかな?』

『やっぱり、あんたもそう思うか……俺も同意見だ』


 ま、ここまで起きた事を考えれば当然でしょうね……。ただ、それが意図的に起こしたことなのか偶然起きてしまったことなのかは分からないけど……。

 しばらく画面を眺めていると、黒人の男性が意味深なことを口にした。


『なぁ、ボス……たぶん、俺はここで死ぬ』

『……どうして?』

『へへ、なんとなくさ。けどな……俺の勘を舐めない方が良いぜ? なんたって、俺の血には少しだけネイティブアメリカンの血が入ってんのさ』


 ……彼はなんで、あんなことを言うのかしら? 私はたまらずマイクを持って、指揮官の男性に問いかけた。


「すみません、隊員達とはまだ連絡がつかないんですか?」


 指揮官の男性は慌ててマイクを取る。そんなに慌てなくてもいいのに……。


「は、はい……残念ながら、未だに通信不能な状態です」

「……分かりました、ありがとうございます」


 私はマイクを置いて、黒人男性の言った言葉の意味をよく考えた。

 なんで、彼はあのようなことを言ったのか……そもそも、今あの二人があの施設にいるのは、初めにあの子が一人でジェットコースターの施設に行こうとして、それを黒人男性が引き留めて自分も付いて行くと言ったからだ――しかも、あの子に断られてもついてきた。

 もし……あの黒人があの子の性格を知っていて、あの子と二人きりになれる状況を作ったうえであのようなことを言ったのなら……なんとかして彼を助けてあげたいけど、あの子……できるかしら?

 いずれにしても、これはやっこさんにとっても予想外の出来事のはず……そう思って、私は幹部達を横目で観察すると、案の定思い当たる奴が動揺している。ま、しょうがないわ……彼の覚悟と勇気に、敬意を表しましょう。

 そして、あの子達はコースターに乗って進んで行った。

 しばらくして、コースターは急な坂を上がっていく。


『お、おい、ボスッ! なにしてんだよっ!』

『……私も、君と一緒に捜索する』

『馬鹿なっ! やめろっ! 今すぐ降りるんだっ! クソッ!』


 そう言いながら、黒人男性の画面が激しく揺れる。あの子……大丈夫かしら?


『クソッ! いいか、ボスッ!? なにがあっても、絶対に床から立つんじゃないぞっ!』

『……うん』


 見学室の誰かが、息の飲む音が聞こえた。

 そして、コースターが落下始めようとした時、


『……じゃあな、ボス……』

「……聞こえたかね?」


 後ろにいる紳士が、静かな口調でそう問いかけてくる。


「はい、しっかりと……」


 他の幹部達のざわめきによって、私とその紳士の男との会話は聞こえていないようだった。

 画面では、すでに黒人男性から送られてくる映像にノイズが走り、やがて通信途絶となった。

 でも、あの子から送られてくる映像には、コースターが高速で動いている様子がハッキリと見て取れる……コースターが元の位置に戻って停車してからしばらく、あの子は動けないでいた。

 それを馬鹿にする者はいない……胸の内はどうかは知らないけど、口で非難し合えるような空気ではない。

 やがて、あの子はゆっくりと動き始めた。

 あの子から送られてくる映像も少し乱れているけど、通信が切れるような気配はない。たぶん、ヘッドセットに何かしらの故障があったのかしら?。

 あの子が立ち上がろうとすると、体勢を崩す。

 少し身じろぎをするような動作をした後に画面に映ったのは、真っ赤に染まったあの子の手だった。

 その映像が流れると同時に、作戦本部全体にどよめきが流れる。

 それから、あの子はなんとかコースターから出ることは出来たけど、嘔吐するわふらつくわで、とても戦闘行為が行えるような状態じゃなかった。

 水を飲んで少し落ち着いたようだけど、映像からは荒々しい吐息が聞こえてくる。

 あの子は立ち上がって、ゆっくりとマイクが座っているであろう座席に近づく。

 黒人の男性は……惨たらしい死体になっていた。彼の死体が映った瞬間、作戦本部のどよめきも大きくなる。


「な、なんだあれはっ!? ど、どうなって――」

「うるさいねぇっ! 静かにしなよっ!」


 相変わらず、豚共は騒ぐだけでやかましい。

 私は田中の方を、チラッと横目で見てみた。


「……」


 ……意外だった。

 てっきり、老人は豚共を静かにさせると思ったのに、画面を険しい表情で見つめるだけだった。ということは……。


「……大丈夫ですか?」

「……お、おぉ~っ! あぁ、大丈夫じゃ。いや、この年であのようなものを見るとはなぁ……」

「へっ! もうそろそろ引退の時期じゃねぇのか?」

「そうだね、さっさとイスを寄越しな」

「おお、おお……最近の若いのは世知辛いのぅ……」


 言葉では悲しんでいるが、その表情は笑顔だ。

 でもさっきの顔……画面を見つめていた時の老人の表情は、無残な死体を見て驚いているというよりは、予想外のことが起きて戸惑っているという様子だった……いずれにしても、部下からの連絡を待つしかない。あの子の無事を祈りながら……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ