水面に見えるもの
「はぁ……思わず了承しちまったが、大丈夫だったかなぁ……」
私の前方を歩くマイクが、不安そうにつぶやく。
先程、私達がアクアツアーというアトラクションへ行くべくカラフルな舗装路を歩いていると、ミラーハウスの辺りから明かりが点いたのを確認したので、真っ先に分隊内通信を行ったのだが、ミラーハウスの捜索はヨーゼフの強い希望によって彼にやってもらうことになった。
私も彼に激励の言葉をかけたが、正直言って不安だ。無事に、彼が戻ってくれば御の字と思っている
その後、私達はヨーゼフとの通信を終え、しばらくカラフルなコンクリートの地面を進み、やがてアクアツアーの入り口まで来た。
ここまでたどり着くまでに、降りしきる雨の勢いは一段と増してきている……そのせいか、整地された地面に接地している両足の踵部分が水溜りに沈んでしまった。もしこの遊園地が営業を続けていたならば、間違いなく客は踵を返すだろう。
私は憂鬱と足全体を襲う痒みに耐えながら、アクアツアーの施設全体を見渡してみた。やはりここも、元々はよく整備されていたであろう草木が伸び放題となっている。
私は端末を取り出し、アクアツアーについての情報を閲覧した。
情報によると、このアクアツアーはつい最近に建設された新しいアトラクションで、人気もかなりあったらしい。
だが、やはり遊園地の閉園が決まる頃には不穏な噂が流れている。
それが、『水面に謎の生き物の影を見た』というものだ。
ただ、この不穏な噂に関しては実際に被害が出たわけではないし、その影の主を直接見た者がいるという話もない。
だが、その頃には他のアトラクションでも不穏な噂が流れており、そちらの方は実害や噂の信憑性を高めるような事態が続いていたため、このアトラクションも徐々に客足が遠のいていった。
私は端末をしまい、前進のハンドサインを出してアクアツアーの施設へと進入を試みる……入り口を進むが、ここのアトラクションはジャングルをイメージしているのか、他の観葉植物があるエリアと違って、かなり鬱蒼としている――しかも整備されていないので、なおひどい。
正直、不快だ。雨がどんどん激しくなるなか、両側から伸びている樹木の枝がかなり鬱陶しい。まるで本物のジャングルのようだ。そして、その気持ちを抱いていたのは私だけではなかった。
「クソッ……ひどいな、ここは……」
「そうねぇ……」
「おい、レイチェル。爆薬は大丈夫なのか? この雨だ……湿って重要な時に使えませんじゃ話にならないぜ?」
「大丈夫よ、マイク。このバックパックには水が入らないような設計が施されているの。それに、爆薬もタッパーに入れてあるしねっ!」
「へっ、そうかよ」
……冗談抜きで、アメリカ人というのは黙って任務に集中できないのだろうか? そんな感情を抱きながらマイクとレイチェルの話に耳を傾けていると、やがてアクアツアーの定番スポットにたどり着いた。
「ここは……艀? あ、見て、あそこ……船があるわ」
「ああ、だいぶ古いタイプの船だな。ま、そこらへんはメルヘン世界を尊重してってヤツか。あの船に乗って、ここら辺の川を見物すんのがこのアトラクションの目的らしいな」
私も、マイクの意見に同意する。
「でも……どうするの、ボス? この船に乗って施設の入り口を探すか……あそこから周囲の偽ジャングルを捜索するか……」
そう言ってレイチェルが親指でクイッと指し示す先には、アトラクション内のジャングルへと続く道があった。
だが、それは一般客が通るような整備された道ではなく、立ち入り禁止を示す看板が張られたフェンスが壊されてできた人工の獣道だった――おそらく、従業員用の出入り口だろう。
正直言って、あの獣道を通って捜索した方が良いと思う。仮に船で川を周回しても、大した発見は期待できないだろう。運が良くても、せいぜい謎の生き物の影が見える程度ではないだろうか? それはそれで大変な事態だが、今回の任務はこの遊園地のどこかにある極秘研究所への入り口の発見と研究所所長である奥村泰三の無力化だ。
やはり、あの獣道を行こうか……私がそんなことを考えていると、私達が歩いてきた道から何者かの気配を感じた。
「ど、どうしたの、ボス?」
「敵かっ!?」
私が素早く振り向いて銃を構えるのを見て、レイチェルは驚き、マイクは素早く反応して同じように銃を構える。
私達の視線の先には、先程まで歩いてきた一本道の大きな道路があり、雨と暗がりのせいで数十メートル先も見ることが出来ない。
私は銃を構えながら、マイクに暗視装置を装着するように言った。
「了解」
そして、マイクは暗視装置をヘッドセットに取り付け、再び銃を構える。
「っ! 誰か来るっ!」
再び視線を前方に向けたマイクはそう叫んだ。
私はより一層、前方の道に意識を集中させ、ただ眺めるだけだったレイチェルも銃を構える。
「ボスッ、どうするっ!? こっちに来るぞっ!」
私はマイクに、その人影の詳細な情報を求めた。
「……分からない。あ、待ってくれ……銃だ、銃を持ってるっ!」
私はマイクがそう報告した瞬間、前方の道に向かって止まるよう叫んだ。マイクやレイチェルも同じように叫ぶ。
そして、暗がりに包まれた私の視界にも、影の輪郭が見えてきた。
「ボス……止まったぞ……」
それは、私の視界からも分かる。私は人影に向かって、何者かと強い口調で訊ねた。
「ボス……僕です……」
激しい雨音に混じって、確かにそう聞こえた。
私はマイクとレイチェルにも、今の声が聞こえたか同意を求めた。
「ああ、聞こえた」
「私もよ」
どうやら、私の幻聴ではなかったらしい……私は人影に向かって、ゆっくりこちらへ来るように言った。
すると、人影が再び動き始めた。
マイクとレイチェル、私はそれぞれ警戒しながら人影の動向を見守った。
そして人影がハッキリと人と認識できる距離まで近づくと、私は自分の労力が無駄だったことを悟った。
「どうも……」
人影の正体は、ヨーゼフだった。彼は少し驚いた様子で我々を見ていた。
「ちょ、ちょっと……なんで僕に銃を向けるんですか?」
「なんだ、お前か……」
「もうっ! ナーバスになって損しちゃったじゃないっ!」
マイクとレイチェルがそれぞれ銃を下ろし、自分達の仲間が無事であることに安堵する。
私も銃を下げ、彼にミラーハウスの捜索結果を訊ねた。
「あの、残念ながら、あそこには奥村も研究所への入り口も見つけられませんでした。ただ……」
そう言って視線をそらす彼に対して、私は何かあったのか訊ねた。
「実は……あそこで妙な体験をしまして……たぶん僕が疲れてるだけなんだと思いますが……」
「なんだ? トラブルか?」
「いや、そうじゃないけど……」
「もう、はっきりしなさいよっ!」
マイクとレイチェルがはやし立てるように言うと、ヨーゼフはしばらく悩んでから口を開いた。
「実は……ミラーハウスで女の子に出会ったんです。でも、そんなことはあり得なくて……」
「……つまり、何か? お前はあり得ない子供に会ったのか?」
「……ジョークとしては、全然笑えないわね」
「違うんだっ! あ、あの子達は……人間じゃないんだ……」
「人間じゃないって……なんで分かんだよ」
マイクがそう聞くと、ヨーゼフはこれ以上ないほど悲痛な表情を浮かべて口を開いた。
「だって……彼女達は鏡の中にいたんだ……僕がいくら探しても、彼女達は鏡の中にしかいなかった……閉じ込められて……一人ぼっちで……」
そこから先、ヨーゼフはうつむいたまま何も発言することはない……ずっと雨に打たれる地面を見るだけだった。
「……ま、なんだ」
マイクは気分を変えようとしたのか、妙に明るい口調で話し出す。
「休む時は休まないとな。この仕事は身体が資本だ。いざって時に狂うようじゃ、どうにもならんぞ?」
「そうね……さ、早く行きましょ。他にも捜索しなくちゃいけない所はあるんだし、私は早く帰りたいわ」
私は二人の意見を尊重したいが、同時にヨーゼフの話も気になった。というのも、私はそういった非科学的な現象に対する捜査も行っているからである……もし、この遊園地でそのような現象が起きているとすれば、無線が復旧次第、本部に報告しておくべきだろう。
私はそう思って作戦本部との通信用無線のスイッチを入れて交信を試みるが、やはりノイズが走るだけだった……いずれにしても、任務は続行しなければならない。
私は三人を見回し、指示を出す。内容としてはこうだ。
班をさらに二つに分け、一隊は例の獣道から、研究所への入り口を探す。もう一隊は船に乗り、全体的な捜索を行う。
もし研究所への入り口や奥村を発見した場合、無線が通じた場合は応援を呼ぶこと、通じない場合は入り口付近に一人を待機させ、もう一人を連絡係としてもう一つの班を呼んでくる。
奥村を発見した場合は、二人で捕縛するというものだ。
「了解」
「了解よ」
「……了解」
三人からの了承をもらったので、私は人員を選別しようとした。
「あ、ボス。 俺はレイチェルと船で行くぜ」
「ええ、あたしも賛成よ」
……ということで、私はヨーゼフと共に獣道へと向かう。
私が号令をかけると、マイクとレイチェルは艀に止めてある船に乗り、船を発進させる。
船は大型の客船のようだが、マイクの操船技術のおかげで順調に艀を離れる。
その様子を見届けた後に私はヨーゼフに声をかけ、獣道に入る……が、思っていた通り、フェンスを抜ければ、そこは完全なジャングルのようだった。
私がヨーゼフに気を付けるように言うと、彼はニコリと笑った。
そのまま、トラップを警戒しながら私達は捜索を開始する……コンクリートで整地されていない剥き出しの地面のため、雨のせいで地面は緩み、雨音は木々の葉に当たって聴覚を麻痺させる。
私は一時停止のハンドサインを出してその場に停止し、ヨーゼフに暗視装置を着けるように言って、私も暗視装置を頭部に装着する……やはり、このような時には役に立つ。
私が今まで見ていた暗黒の景色が、濃い緑色の鮮明なビジョンに変わる。雨のせいで時折画面にノイズが走るが、装着しないよりは遥かにマシだろう。
私達はそのままジャングルを周回するように捜索するが、どこにも研究所への入り口らしいものも、奥村も発見できない。
そして、私達はジャングルを抜けて川に出た。どうやら、ここはちょうどアトラクション内を半分ほど進んだ場所のようだ。
左側の向こうには、薄っすらとジェットコースターの施設の影が見える。
そして、右側にはアトラクション施設にすっぽりと収まる人工的な山が見えた――あくまで自然の山に見せかけたような、人口的な山である。
しばらくここで待っているが、マイクとレイチェルを乗せた船は一向に現れない……私達よりも先に行ってしまったのだろうか? それも当然か……こちらは徒歩、向こうは機械仕掛けの船だ。
私はヨーゼフに声をかけ、先に進む。
しばらく進んで人工的に作られた山まで来ると、私はヨーゼフと二人で山を捜索した。
このアトラクションで一番怪しい場所と言えば、この山だろう……やはり山だけあって、急斜面はきつい。
しかも、この山は岩山ではなく土を盛って作られた山なのか、妙に柔らかく滑りやすい……それほど大きな山でないことは幸いだ。
だが、私は装備を泥で汚しながらなんとか研究所への入り口を見つけようとしたが、痕跡一つ見つけること出来ずに反対側に降りてしまった。
しばらくして、ヨーゼフも山を下りてくる。私が何か見つけたか訊ねると、
「いえ、なにも……」
と、彼は首を横に振った。
私は短く返事をして、再び捜索を開始した……が、とうとう何も見つけられずに、私とヨーゼフは再び艀に戻ってきた。
艀にはすでに船が横付けされており、その前ではマイクがせわしなく歩き続けている。
彼は私達の姿を見つけると、急いだ様子で走り寄ってきた。
「ボ、ボスッ! 大変だっ!」
私がなにかあったのか訊ねると、彼は肩で息をしながら口を開いた。
「レ、レイチェルが……消えちまったっ!」
……え?
「ボスッ! あんた、レイチェルがどこにいったか、見なかったのかっ!? おいっ!」
「ボス……大丈夫ですか……?」
……私はしばらく呆然としてしまったが、やっと思考が元に戻ってきた。
レイチェルが消えた……その言葉の意味は、私にあらゆる最悪の状況を思い浮かばせる。
私はマイクに、レイチェルの姿は見ていないと告げた。すると、彼はあからさまに落胆し、崩れ落ちる。
「クソッ! 俺が……俺が目を離さなければ……うぅ……」
降りしきる雨のせいで詳しくは分からないが、おそらく彼は今泣いているのだろう。彼はその経歴からして、とても仲間想いの性格をしていることは容易に想像できた。
私が彼の気持ちが落ち着くまで待つと、マイクはゆっくりと立ち上がった。
「……すまねぇ」
彼がポツリとそう言うと、私は何があったのか訊ねた。
「……あんた達と別れてしばらく、俺とレイチェルは船内で周囲を見渡していたんだ。ところが、少し経ってからレイチェルが船の別の場所で監視してみるって出ていったんだ。俺もその方が効率がいいと思ってあいつの言うことを了承してしばらく船を操艦してたら、いきなり彼女の悲鳴が聞こえたんだ。
すぐにでも様子を見に行きたかったけど、ちょうどカーブに差し掛かって舵から手が離せなくてな……しばらく操艦して艀についてから、船の中を捜索したんだが……もう彼女の姿はなかった……ちょっと来てくれ」
私とヨーゼフは、マイクの言う通りに付いて行った。
彼は船に乗り込み、後方の船尾まで行って船の左側にたどり着いた。
「ほら……ここを見てくれ」
そう言ってマイクの指差す先には、船の柵が無残に壊されており、船の床にはアサルトライフルが落ちている。
「たぶん……この場所で彼女に何かあったんだ」
マイクは微動だにせず、その場所を見つめていった。
そして、私はあることを思い出した。
『水面に浮かぶ巨大な影』……このアトラクションにまつわる不穏な噂の源……もし、この川になにか得体のしれない巨大な生物が存在しているとしたら……もし、その生物がレイチェルを襲って川に引きずり込んだとしたら……マイクには悪いが、彼女はもう助からないだろう……。
私は彼の肩をポンと叩いた。少しでも、彼を奮い立たせたかったのだ。
まだ任務は終わっていない……任務が終わるまでは、命令が優先される。彼もその事を悟ってくれたのか、コクッと頷く。
私はマイクとヨーゼフの二人に、ジェットコースターへ向かうと伝えた。
『……了解』
二人は、意気消沈した様子で返事をした……正直、私の心も折れかけている。まさか、この任務で死傷者が出るとは思わなかった……。
もちろん、死傷者を出さないように万全の準備をしたうえでこの任務に臨んだし、少しも油断などしていない。
それでも、こうして行方不明者を出した……おそらく、もう亡くなっているだろう。
作戦本部に連絡をしようとしても、ヘッドセットからは相変わらずノイズが聞こえる……ここまで考えて、私はあることを悟った。
私の部隊は、孤立しているのかもしれない……。
作戦本部では、監視兼状況把握のために無数の偵察手段を遊園地周辺に配備しているらしいが、その偵察手段も正常に駆動しているかどうかも分からない。
それでも……任務は続行しなければならないのだ。
私は自分自身を奮い立たせ、二人の部下と共にジェットコースターのある施設へと向かっていった……。
※
「まったく、どうなってやがんだよ……」
「うるさいねぇ、口を閉じてなっ!」
「へいへい、分かりやしたよ……」
はぁ……どうして私がこのような方達と一緒に……出来れば主任の傍で働きたかったのに……。
まぁ、これも仕事と思えば我慢できるからいいけどね。
私達は今、主任達と別れてメリーゴーランドを通り過ぎて観覧車付近にいる。
主任達と合流するつもりで少し早足で捜索をしていたのだけど、初めにミラーハウスの明かりが点いたことを無線の交信で知り、次はメリーゴーランドの方に明かりが点いたのが見えた。
幸い、メリーゴーランドの方はドミトリーさんが調査してくれるというので、私達はこのままジェットコースターの方まで行こうかと悩んだのだけれど……少し考えを変えた方がよさそうね。
あたしはそう思って、二人にある提案を行った。
「すみません、二人共。メリーゴーランドはドミトリーさんに捜索してもらうとして、我々は観覧車の方を捜索しませんか? このようなことが立て続けに起こる以上、念には念を入れませんと……」
あたしがそう話すと、スコットさんが一瞬顔を強張らせた後に急に笑顔になった。
「お、おおっ! 俺もたった今、そう言おうとしたところだぜっ!」
「ハッ……どうだか……」
よかった……あたし、この人達苦手なのよね。むさいし、怖いし……アビゲイルさんって、元麻薬カルテルの女ボスなんでしょ? 大丈夫なのかしら? ま、心の中で愚痴ってもしょうがないから、先に進むとしましょう。
あたし達はその後は観覧者目指して、周囲を警戒しながら前進した……のだけれど、正直この天気は頂けない。いくらなんでも、ひどすぎる。
傾斜のない地面にまで水溜りが溜まるほどの豪雨の中、私の前を歩く二人はズンズンッと前に進んでいく……ああいうバイタリティだけは、私も見習うべきね。
しばらくすると、あたし達は観覧車のエリアにたどり着いた。
「それで……どこから始めるのさ?」
「そうですね……とりあえず、観覧車の周辺を手分けして捜索してみましょう」
「オーケー」
そして、あたしはスコットさんと一緒に観覧車付近を捜索することになった。
アビゲイルさんは、観覧車周辺の軽食エリアや観葉植物エリアだ。
早速、スコットさんは観覧車へと続く階段を上り、手早く観覧車の操作室などを捜索していく……でも、有用な手掛かりは見つからなかったみたい。
「……特に何もないな」
「そのようですね……」
ま、こんな開けた場所に研究所への入り口があるわけないか……となると、怪しいのはアビゲイルさんが捜索している軽食エリアか観葉植物エリアね。
「スコットさん――」
私がスコットさんに声を掛けた瞬間、彼は人差し指を口元に当てるジェスチャーをした。はいはい、静かにしろってことね。
「……聞こえたか?」
彼は真剣な眼差しで、あたしを見て問いかけた。
あたしは首を横に振ったが、よく耳を澄ませる……激しい雨音しか聞こえないように思えるけど……。
『……出して……』
「っ! スコットさんっ!」
「聞こえたなっ!?」
「はいっ! 『出して』って……」
どうしよう……頭が混乱する……今の声はハッキリと聞こえた。
それこそ、耳元で普通に言われたぐらいに……でも、どこから……?
「待て、確か……」
そう言って、スコットさんは端末を取り出してなにやら操作する。
「どうかしたんですか?」
「いや……ちょっとな……」
スコットさんはそう言って、何かを読んでいる……やがて彼は端末の画面から視線を外し、観覧車を見上げた。
「……見てみな」
そう言って、彼はあたしに端末を手渡してきた。
あたしは端末を受け取り、画面を見てみる。
そこにはこの裏野ドリームランドの観覧車にまつわる情報が表示されていた。
なんでも、この観覧車は昔から曰くつきだったらしく、観覧車の中に入った親子が、戻ってくる頃には消えていたとか、観覧車の中で人が燃えたとか、とんでもないような事が起きていたらしい。
ただ、あたし自身、そんな話は聞いたこともない。ということは、組織が事件をもみ消したのだろう。
でも、あたしが何より気になったのは最後の噂……それが、観覧車の近くを通ると、『出して……』という声が聞こえるという噂。
これって……今、まさにあたし達が経験していることだと思うんだけど、どうしたらいいのっ!?
「ヘイ、ジャパニーズ」
あたしが誰にも悟られることなく混乱していると、スコットさんが声をかけてきた。
彼は観覧車のゴンドラに足を踏み入れている。
「俺が観覧車に入って確かめてみる。あんたは援護してくれ」
「……わかりました」
……大丈夫なの? 絶対、危ないと思うんですけど……。
でも、あたしのそんな心配をよそに、スコットさんはズカズカとゴンドラに入り、扉を閉める。
そして、スコットさんは身振り手振りであたしに観覧車を操作するように伝えてきた。
私は近くにある操作盤に近づき、起動スイッチと思われるボタンを押した。
すると、観覧車の照明に光が宿り、ゴンドラが動き出した。
あたしはすぐに操作盤を離れて、ゴンドラにいるスコットさんの元へ駆けつけた。
彼はあたしの姿を見ると、余裕の笑みを浮かべて片手で『いいねっ!』のポーズをとった。
彼を乗せたゴンドラは右回りに進んでいき、やがて四分の一ほどの高さまでゴンドラが上がると後ろから肩を叩かれた。
「っ!」
「おぉっとっ! アタシだよっ!」
あたしの肩を叩いたのは、アビゲイルさんだった。
彼女は観覧車が駆動している様子を見て、しかめっ面をする。
「こりゃ……いったいどういうことだい? なんで観覧車が動いてんのさ?」
「実は――」
あたしは自分とスコットさんの身に起きた出来事を、アビゲイルさんに話した。
「ほ~ん……ま、何かあるんだったら、徹底的に調べた方がいいだろうね。あとから面倒になるのは嫌だし……」
「そうですね……」
アビゲイルさんとそんなことを話しながらゴンドラを見ていると、突然ゴンドラが激しく揺れ始めた。
続いて、アサルトライフルの発射音も聞こえてくる。
「な、なんでしょうっ!?」
「さぁ……分かんないよ」
あたしと違って、アビゲイルさんはいたって冷静みたい。そりゃそっか……いちいち驚いてたら女ボスなんて務まらないだろうし……それよりも、大事なのは目の前で何が起きているのかね。
見た感じ、ゴンドラの高さは頂上付近……にも関わらず、スコットさんの乗ったゴンドラは激しく揺れている。
彼の乗っているゴンドラだけが揺れていることから考えて、あの高さに強風が吹いているということはないわ。
だとしたら、スコットさんが自分でゴンドラを揺らしていることになる。
なぜ……そのような言葉が、自然と頭に浮かんだ。
「あっ!!」
隣で、アビゲイルさんが驚愕の声を上げる。あたしも、同じ気持ち……。
あたし達の視線の先……さっきまで激しく揺れていたスコットさんの乗るゴンドラから、火の手が上がった……そして、観覧車の照明に照らされて……こちらになにか降ってくる光る物が見えた。
「危ないっ!」
あたしの隣から、凄まじい力がぶつけられる。
あたしは床に叩き付けられて……アビゲイルさんの後姿を見て必死で走って……後ろから轟音が聞こえて……気付いたら観葉植物エリアの茂みの中に隠れていた。
あたしの隣には、少し息切れしたアビゲイルさんがしゃがみこんでいる。
そこで初めて、あたしも自分が息切れしていることに気が付いた。
「だ、大丈夫かい……?」
アビゲイルさんはあたしの顔を見て、そう問いかけてきた。
「は、はい、なんとか……」
「そうかい……」
そして、アビゲイルさんは視線を前に向ける。
あたしも彼女の見ている方向を見ると、
「ひどい……」
自然と、そのような声が漏れた。
「そうだね……」
隣にいるアビゲイルさんも同意してくれる。
だけど、彼女には悪いがいくら彼女が同意してくれたからといって、目の前に見える光景が少しでも良くなるわけではない。
あたしの目の前には、照明が消えて動かなくなった観覧車と、黒焦げになって地面に転がり、その原型をとどめないほど破壊されたゴンドラがあった。
火は雨によって消されたようだが、まだ少し煙が出ている。
どうしよう……確認した方がいいわよね? ふぅ……よしっ!
あたしが覚悟を決めて茂みから出ようとすると、隣のアビゲイルさんにグッと腕を掴まれた。
「……あんたはここで待ってな」
「……よろしいんですか?」
「ああ……」
なんて優しい人なんだろう……いや、っていうか、あたしが倒れるのを心配してるのかな? そうだったら嬉しいんだけど……。
「分かりました……よろしくお願いします」
「あいよ」
そして、あたしはその場にしゃがみこんで銃を構えてアビゲイルさんを援護する。
彼女は立ち上がり、銃を構えながらも素早くゴンドラの近くにたどり着いた。
彼女はゴンドラの周囲を回り、中をしばらくのぞき込む……そして調査が済んだのか、こちらのほうに戻ってきた。
アビゲイルさんはあたしの近くにしゃがみこんで、大きくため息を吐く。
「……アタシも長いこと惨い場面に出くわしたことはあるけどさ……あれはその中でも五本の指に入るね」
「……一番むごい場面は何だったんですか?」
場を和ませるのと興味本位で聞いたつもりだったけど、アビゲイルさんは意味深に微笑んだ。
その笑顔の、なんと恐ろしいことか……。
「……浮気した彼氏をアレしたことだね……」
「……そうですか……」
……なにっ!? アレってなにっ!? アレって、まさかアレのことっ!? いっそ聞いてみようかな……いやいや、ダメッ! 絶対ダメッ! あたしがアレされちゃうっ!
「どうかしたのかい?」
「はいっ!?」
「うわっ! な、なんだようるさいねぇっ!」
「うわぁっ!? ご、ごめんなさいっ! お願いしますっ! アレするのは勘弁してくださいっ!」
「お、おぉ……なんだかよく分かんないけど、気をつけなよ」
……はぁ……よかった、命が繋がった……っと、こうしてる場合じゃない。このことを本部に連絡しないと。
そう思って主任に無線で連絡をとろうとするも、ノイズしか聞こえてこない。もしかして……壊れたのかしら?
「繋がったかい?」
「いえ、まったく……」
「そうかい……」
まずい……本部どころか主任達とも連絡がとれないなんて、ちょっとした緊急事態じゃないっ! いずれにしても、任務は続けなくちゃいけないし……主任もそう考えているはず。ということは、このままジェットコースターの所まで行くべきよね。
「アビゲイルさん」
「アビー」
「はっ?」
「アタシ、仲のいい奴にはそう呼ばれてんだ……アンタもそう呼びな」
「は、はいっ!」
え、なにっ? なんなのこの展開っ!? 全然予想してなかったんですけどっ!? ま、まぁ、いいか……。
「ア、アビー、主任達と合流するため、ジェットコースターの方まで行きませんか?」
「ああ、いいよ」
アビーはそう言うと、スクッと立ち上がってさっさと歩きだしてしまった。
私も後からついていき、主任達が待っているであろうジェットコースターのある施設まで向かっていった。