作戦本部より
奥村泰三を捕縛する部隊が遊園地へ侵入を開始した頃、無人機や偵察班などから送られてくる映像が映し出されたモニターの前で、数名の男女が右往左往していた。
彼らは、部隊がいる地点から百三十キロほど離れた、東京の大都会の地下に建設された『組織』の極秘施設の指令室にいる。
彼らのほかにも、機器を操作している人員達がせわしなくモニターを見つめながら仕事に励んでいる。
彼らのいる指令室は後方が段差となっており、そこはガラス張りの見学室になっている。
見学室からは指令室全体が見渡せるような構造になっており、そこにも数人の男女が座っていた。
ただ、こちらの方は指令室で働いている男女よりもだいぶ年齢層が高い。
それもそうだろう。彼らはいわゆる上層部……『組織』の中枢を担う者達だ。
だが、本来ならそんな彼らがこのような場所に来ることはありえない。
では、なぜここに実際にいるかというと、その理由には奥村が関係している。
彼は組織にとって非常に価値ある人材である一方、その強権的で強欲な性格が時折組織の秘匿性を危険に晒すことがあった。
そして、とうとう恐れていた事態が起きてしまった。奥村は組織に研究成果の完成を報告した後、自らが所長を務める研究施設に立て籠もったのだ。
だが、それだけなら上層部もたいして慌てることはなかった。そのような奥村の身勝手さは、今までにも何度か経験している。
実際、彼の配下にある研究員達はみんな無事であることが確認された。しかし……一週間経っても施設からは何の応答も無い。不審に思った上層部は対策部隊を派遣するが、誰一人帰還することはなかった。
そこで、かの部隊に声が掛かったのである。彼らには、基本的に奥村を捕縛するように命令してある。
だが、やむおえないようなら射殺せよという、矛盾した命令を出していることも事実だ。
それはひとえに、奥村の才能の高さ故である。
これまで、組織の暗部に関わるほどの研究開発を行ってきた彼が組織を抜ければ、何をするか分かったものではない……故に、捕まえられないようなら殺せというわけである。
「しかし……なんだな」
見学室で、一人の男性が口を開く。
皺の刻まれた岩のような肌に分厚い筋肉……独特のしゃがれ声は強く印象に残るが、聞く者にとっては不快な音だ。
「まさか、奴の部隊を動かすとは……少し、過剰じゃないのか?」
そう言って、男は眉を吊り上げて向かいにいる女性を見た。
彼女はこのメンバーの中ではかなり若く見えるが、実際はそれ相応に年をとっている。
「問題ありません。彼らなら大丈夫ですよ、柏木さん」
「ふん、どうだかな……」
柏木と呼ばれた男性は、ふんぞり返って正面の大型モニターに視線を移した。
「おやおや……随分と落ち着きがないのぅ? 自分の部隊が行方不明だからと言って、そのような態度はよろしくないぞ? ほっほっほっ!」
男性の隣に座る老人が、心の底から愉快そうに笑う。
それと同時に床を叩くステッキは、シンプルなデザインでありながらもさりげなく高級品だ。
「でも、あの人はどうしてあの施設に立て籠もってるのかしら? そんなに幽霊の研究が好きだったわけ?」
その老人のもう一方の隣に座る、初老で太めの体型をした女性が誰に言うでもなく口を開く。
しかし、その視線は若い女性に向けられており、彼女もそれを察知したのか、太めの女性の方を見る。
「その点については不明です、佐藤さん」
穏やかな笑みを浮かべ、なるべく優しく言ったつもりだったのだが、佐藤と呼ばれた女性は回答に納得がいかなかったらしく、荒々しい鼻息をしてふんぞり返る。
他にも部屋には数人の上層部に属する幹部がいるのだが、皆口を挟もうとしない……皆、目の前にいる男女の、いわゆる政争に巻き込まれたくはないのだ。
組織のトップには立ちたいが、争いはなるべく避けたい……そのような考えだろう。
そして、遊園地に派遣された部隊のヘッドセットに取り付けられたカメラから送られてくる映像が、彼らが遊園地の門の前で戦闘態勢をとっていることを知らせる。
「ただいまより、作戦開始となります」
指令室で部下達に命令する指揮官の男性が、わざわざマイクを使って後方の幹部達が座っている見学室に連絡する。その報告を受けて、柏木がマイクを取る。
「よし、続けろ」
本来であれば、遊園地に派遣されている部隊は若い女性の部下であるため、彼女が作戦に関する音頭を取るべきなのだが、その役目は柏木に譲っている。
彼は、自分の部下である部隊が未だに誰一人として帰ってこないことに関して――とりわけ、その事実に関する責任という部分を追及されて――、現在は『組織』の中でも崖っぷちの地位にある。
その時、若い女性が『自分の部下を使っていい、指揮権も譲る』と言って、この作戦が発動されたのである。
そのことに関して、本来なら柏木は感謝するべきなのだが、本人にはその気はないらしい。
「はっ!」
上司の男性は威勢よく返事をするとマイクを置き、部下達に指示を出す。
そして、部隊が遊園地に突入しようとした瞬間、レイチェルが車両の方に戻っていくのが見えた。
映像からは当然音声も聞こえてくるため、指令室にいる者達は冷や汗をかいているが、見学室にいる幹部達からは失笑が聞こえてきた。
「ほっほっほっ! 君んとこの若いのはせわしないのぅっ!」
「ええ、まったくです」
「なに、それ? ちょっとは反省しなさいよっ! ったく、これだから若い子は……」
若い女性は散々な言われようだが、柔和な笑みをほとんど崩すことなく、大型モニターの方を見ている。
やがてレイチェルが戻って来て再び施設への突入を開始すると、例の高周波が流れるのだが、指令室や見学室にいる者達には何が起こっているのか分からない。
慌てて上司の男性が部下に指示を出すが、画面からは苦しみもがく部隊員の映像しか送られてこない。
やがて高周波が止まり、部隊が前進を始めると、本部にいる者達も一応安堵する。
しかし、見学室では幹部達の激しいやり取りが繰り広げられていた。
「ちょっとっ! なんなの、あれっ!? どうなってんのよっ!?」
佐藤はヒステリックに叫ぶ。見学室にいる者達全員がその態度に辟易しているが、誰も抗議したりはしない。
もしそんなことをすれば、後が面倒なことになるのはこれまでにも何度も、彼女自身が証明している。
「おいっ! 本当にお前の部隊は大丈夫なんだろうなっ!?」
一番奥の席に座る柏木が立ち上がり、出入り口に近い席に座る若い女性を指差して叫ぶ。
だが、若い女性はうろたえる様子もなく、淡々と答える。
「はい、問題ありません」
「しかし――」
「まぁまぁ、いいじゃないか。目的は奥村君の捕縛にあるんじゃから」
「……ふんっ!」
柏木はドカッとこれ見よがしに席に座り、再びモニターを眺める。
画面では、ヨーゼフとドミトリーが見張り、主任達が遊園地内に侵入する映像が見える。
「ほう……なるほど、門の前に人を立たせて退路を断ったか。あそこで見張りをすれば、例え正門から逃げようとも捕まえられる……」
「ええ、そのようですね」
若い女性がそう言うと、佐藤と柏木は歯軋りをする。まるで、若い女性が良い意味で目立つことを快く思っていないかのようだ。
それもそうだろう。そもそも、上層部の幹部達は自分の手柄こそがすべてであり、隙あらば誰かを失脚させてやろうというのが本音だ。
特にこの作戦は、組織を科学分野で長く支えてくれた人材を奪還する内容であるから、当然この作戦を成功させた実行部隊、そしてその上司には組織内での確実な昇進が待っている。
それに加えて、研究部門を統括する幹部に恩を売る事にもなる。
実行部隊の面々は管理職、若い女性は幹部会での発言力が大幅に増大するだろう。
それが、佐藤や柏木には気に入らない……だが、彼らはただ単に自身の感情が表情に出やすいだけで、他の幹部達も同じような心境である。
実際のところ、若い女性の年齢は他の幹部達と同じく妙齢か初老に差し掛かっているのだが、見た目が二十代半ばぐらいのせいで舐められて見られるのだ。
だが、若い女性はそんな幹部達の視線など気にも留めず、大型モニターをジッと見つめている。
そして、しばらくスピーカーから流れる音とモニターの映像を眺めていると、ヨーゼフが持ち場を離れるのが見えた。
それから、突如点灯するミラーハウスの前で彼がマイクの無線に快く応えているところも……。
「ふ~む……いったい、どういう事なのかのぅ……」
それなりの月日を闇社会で生きてきた老人も、ミラーハウスが突然点灯した理由が分からない様子だった。他の幹部も同じで、後ろにいる者達などは隣の者とヒソヒソ話をする。
やがてヨーゼフがミラーハウス内に侵入すると、指揮官の男性が部下に命じて、ヨーゼフのヘッドセットに取り付けられたカメラを大型モニターの片隅に大きく映し出させた。
そして、ヨーゼフがミラーハウスの一階を歩いていると、突然横を振り向いたと思ったら絶叫してメチャクチャに小銃を乱射し、二階へと駆け上がっていった。
「な、なんだ今のはっ!? 何が起こったっ!?」
柏木が疑問を口にすると、タイミングよく上司の男性がマイクを取って話し出す。
「すみません、どうやらヨーゼフが錯乱したようなんですが……」
「ほら、見なさい。やっぱりアンタには任せちゃいれないわ。私の部隊を出すわよ、いいわねっ!?」
「……ええ、どうぞお好きなように」
若い女性は努めて柔和な姿勢を崩さずに発言したのだが、佐藤には若い女性が悔しそうにしているように見えるのか、勝ち誇ったような笑みを浮かべて見学室から出ていった。
そして、ヨーゼフが二階を進んでいると突然周囲を見渡し、全速力で鏡の間を走り抜けて振り返る映像が見えると、またもや作戦本部はざわついた。
そして、上司の男性がマイクを取る。
「すみません、少しお話ししたいことが……」
「なんだっ!?」
柏木がイラついた様子で訊ねると、上司の男性はおどおどした調子で答えた。
「その……先程から部隊の無線通信がおかしいのです。ある者にはハッキリと通話することが可能なようなんですが、ある者にはまったく聞こえていないようで……」
「はっ!? だったらなんだっ! なんとかしろっ!」
「は、はっ!」
上司の男性が作業に移ると、柏木はマイクを置いて腕組みと足組みをしてイスに身体を預けた。
そして、ヨーゼフがハイドレーションを使って水を補給して三階に上り、周辺を捜索した後、その広間にある大きな鏡の前に立つ映像が流れる……そして、決定的な瞬間が映し出された。
鏡を覗き見るヨーゼフの顔に、突如三人の少女の顔を映し出されたのだ。
作戦本部はヨーゼフとほぼ同じタイミングで恐れおののき、しばらく指令室は沈黙に包まれる。
やがてヨーゼフが非常口から出ていく映像が見えると、柏木が声を荒げた。
「な、なんだ今のはっ!? おいっ! どうなってるっ!?」
大声でマイクに向かって話すので、ハウリングが起きる……しばらくその音が鳴り響いた後、柏木は少し声のボリュームを下げて話し出す。
「いったい、なんなんだ、今のは?」
上司の男性も、マイクを持って答える。
「分かりません……現在、部下に確認させてますが……」
上司の男性がそう言うと、柏木はマイクを置いて溜息をついてイスにもたれた。
その後も映像は流れ続けるが、ヨーゼフが階段を降りている間に、ミラーハウスの照明が消えたことが遊園地上空を旋回する無人機から送られてくる映像から分かった。
その映像を見て、後ろにいる幹部連中はああでもないこうでもないと議論するが、答えが出る気配はない。
そして、佐藤が戻ってきた。
彼女は席に座ると、周りを見て何が起きたのか気になった。
「なんだい? どうかしたのかい?」
「お前……幽霊を信じるか?」
「はっ!? 何言ってんのっ!?」
「……なんでもねぇ」
柏木がふて腐れて眠るふりをするので、佐藤は隣の若い女性を見た。
彼女はまったく変わらない様子で、モニターを見続けている。
「ちょっと、あんたっ! 何が起きたのっ!?」
「……さぁ?」
「ぐっ! あんたねぇっ!」
「まぁまぁ! それぐらいで……」
老人に止められ、佐藤は仕方なくイスに座る。
そして、ヨーゼフの画像が縮小され、今度はドミトリーの映像に変わった。
上空の無人機から送られてくる映像からは、メリーゴーランドが点灯して駆動しているのが見える。
そして、映像にはドミトリーが観葉植物エリアを進んで行く場面が流れた。
「これは……観葉植物じゃな……随分と慎重に進んどるのぅ……罠を警戒しておるのか?」
「おそらく」
若い女性がそう答えると、他の幹部連中はまた談議を始めるが、結末は一つだ。結論は出ない。
やがてドミトリーが観葉植物エリアを抜けてメリーゴーランドの土台まで疾走して隠れる場面が映ると、ほどなくして彼の映像が乱れた。
作戦本部の人員も、慌ただしくなる。
エンジニアが全力で復旧しようとするが、一向に映像は良くならない。
やがて、ドミトリーのヘッドセットからの映像は、彼がメリーゴーランドに乗って映像の片隅に子供達の姿を映したところで完全に途切れてしまった。
「お、おい、どうするんだっ!?」
「しょ、少々お待ちくださいっ!」
そう言って上司の男性は部下を激しく叱責するが、映像が回復することはなかった。
見かねたように、若い女性が手元のマイクを持ってスイッチを入れる。
「偵察用の小型ドローンを付近に待機させていましたね? それらを起動して現場付近に向かわせて下さい」
「は、はっ! 了解しましたっ!」
そして、若い女性に言われた通りに上司の男性が指示を出すと、大型画面に、待機していた小型ドローンの映像が映った。
作戦本部にいるすべての面々が感嘆の声を漏らすのを聞いて、佐藤と柏木はまたもや若い女性を見て歯軋りをする。
やがて小型ドローンがメリーゴーランド付近まで近づくと、そこには驚くべき光景が映し出されていた。
「お、おい、ベリーゴーランドが止まってるぞっ!?」
「メリーゴーランドだよ、アホッ!」
「なんだとぅっ!」
「いい加減にしないか、二人共……」
老人がそう言ってため息を漏らすと、佐藤と柏木は互いに『ふんっ!』と言ってモニターに視線を移した。
実際、画面に映っているメリーゴーランドは明かりが消滅し、回転も止まっている。
そして、小型ドローンがメリーゴーランドにさらに接近すると、一同は息を飲んだ。
「おい……あれ……」
「う~む……」
「ちょっと、どういうこと……?」
「……」
彼らあるいは彼女らは、画面を見たまま思い思いの言葉を口にし、モニターに釘付けになっていた。
大型モニターには、不可解な光景が映し出されていた。
メリーゴーランドは完全に停止し、ドローンから送られてくる映像は暗視映像なのだが、そこにはドミトリーの姿が見えなかったのだ。
上司の男性がヒステリックに叫んで部下達にドミトリーを見つけるように命令するが、いくら部下達がドローンやそれ以外の偵察手段を駆使して――あるいは偵察班に連絡して――も、まるで初めからいなかったかのように、ドミトリーの姿は完全に消えていたのだ。
「まさか……」
そこで、老人が珍しく表情を曇らせる。
すかさず、両脇にいる佐藤と柏木が口を開く。
「なんだよ、爺さん……心当たりがあんのかよ?」
「もったいぶってないで、早く教えな」
「……前、奥村が人を瞬間移動させる装置を開発していると言ったのを覚えているか?」
「あぁ、あれ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれっ! まさか、あれがそうだってのかっ!?」
柏木の言葉に、老人は考え込む。
「う~む……どうなのかのぅ……わしらもその時は彼の話を真剣に聞いておらなんだし……じゃが」
そこまで話して、老人はいったん深呼吸をする。
「奴は他にも突飛な研究をしておると言っておった。もし、それらの研究が実を結び、それらの技術を組織に流さずに自分のモノにしようと考えたならば……今回の事案もだいぶ納得がいく部分が出てくる」
「つまり、研究成果を組織に流すのが嫌になったってわけかい?」
「ふむ、その通りじゃ」
「待てよ。いくら奴が天才でも、その技術を金に換えることはできねぇ。誰か協力者がいねぇと……」
「ふふ、お主らもまだまだ青いのぅ……」
そう言って笑う老人を見て、佐藤と柏木は閃いた。
「ま、まさかっ!」
「アタシらの中に裏切者がいるってのかいっ!?」
「ほっほっほっ、それはどうかのぅ……」
老人は意味深な笑みを浮かべるだけで、二人の質問には答えようとしない。その様子が、佐藤と柏木には気にくわなかった。
「けっ、ボケ老人がっ!」
「ちょっと……まさかアンタじゃないだろうね、裏切者ってのはっ!?」
「いいえ、違います」
「ふんっ! どうだかねっ!」
若い女性に自分から聞いておいて、太めの女性はふんぞり返ってモニターを見る。
他の面々も正面の大型モニターに視線を移す頃には、すでに事態は大きく動き始めていた。