第1話
決まった時間に起きて、決まった時間の電車に乗り、決まった時間に仕事を始め、決まらない時間に帰宅する。
そんな生活をしていたのは、ほんの2か月前まで。今の私は、決まらない時間に起きて、決まらない時間にご飯を食べ、決まらない時間に眠る。そんな生活をしている。
「ふあ…」
寝ぼけ眼で、現在の時間をスマホで確認。13時24分。ちょっと寝すぎたかな。
重たい体を起こし、グーーッと背伸びをする。
「お腹すいた…」
誰に聞こえるわけもない独り言。前の仕事をする為に、無理やり田舎から都会へ出てきた為、今は一人暮らしだ。前職の貯金で生活している。
自炊ももう慣れたものだ。どういうわけか、働いていた時よりも回数は増えた。やっぱり料理が出来る女って素敵!男にモテる事間違いなしだな。と自画自賛しつつ、米を炊き、昨日買ってきた野菜を調理する。
「20代後半の無職の男性が増えています。こう言った人々は巷ではSNEPと呼ばれ…」
SNEP…そんな単語、聞いた事ないや。流れてくるテレビの音を聞きつつ、私、岡井千佐都は野菜の大きさを調整。無職の男性というのは、本当に気の毒だと思う。皆それぞれ辛い思いをした事や色々な事があって無職なのだろう。女は家事手伝いやら婚活中やら専業主婦狙いやらで、比較的世間の目は穏やかだ。実際に私の両親がそうだった。最初こそ心配されたものの、
「結婚する気になったの!?」
などと、してもいない話を切り出された。ごめんねお母さん、彼氏はいないよ。
付き合った経験はある。というか、私くらいの年齢の女で恋の経験がないとか、アイドルでもしてない限りほぼないと思う。そこから結婚まで至った人はもっといないと思うけど。
転職する!と豪語し、仕事を辞めたはいいものの、なかなか採用には至らなかった。失敗した…という思いが強かった為、職選びには慎重になっていたが、こうもなかなか決まらないと自暴自棄になってくるものだ。
私はこの2週間、就職活動を一切していなかった。
私がこうなったのも、それなりに理由がある。長い社会経験を経た人が聞くと、
「この程度で。根性がない。」
と笑われるかもしれないが。
大学生の時、私は飲食店でアルバイトをしていた。その時、人と接する事が楽しいと感じた私は、営業になる事を志望した。普通の大学だったが、何社かからその熱意を買われ、前の会社に就職した。
大きな希望を胸に入社した私を待ち受けていたのは、様々な「常識」だった。朝礼で意味不明な言葉を叫ぶ社員、社長の演説に目を輝かせる営業課長、椅子を蹴られるうだつのあがらない社員。
社会とはこうも厳しいものなのか、と、何も知らなかった私はその光景に戦慄したものだ。
同期は私の他に4名いたが、現在は1人しか残っていない。私が辞めると言った時の最後の同期の顔は、今でも強く記憶に残っている。
研修を終え、晴れて営業となった私だったが、経験を積ませる為、という理由で、来る日も来る日も飛び込み営業だった。社用車に乗り、知らない土地と知らない建物を訪問し、受注を取る。仕事と呼べるものの大半がそれだった。
勿論社内での書類作成やメール、電話対応もあったが、業務時間中のほとんどは外での活動だった。
既存顧客は、私のような新卒が持たせてもらえるのはまだまだ先だった。新人の粗相で取引関係が壊れたら困る為だ。
最初こそやる気に満ち溢れていた私だが、飛び込みでそう簡単に受注が取れるわけがない。
殆どの場合は、受付で断られる。受付を乗り越えても、担当者にバッサリ。中には体を見て
「君の態度次第では話を聞いてあげてもいいけど」
などとのたまう者も居た。
私は次第に疲弊に、鬱ぎ込むようになっていった。
ある日、営業会議が行われた。月1で開かれるお説教会みたいなものだ。
そこで一人一人、今月の受注目標数、達成数を報告し、上長の説教を受ける。
その時の事だった。
「岡井よおめえよ、取れないんだったらもっと頭使えよぉ!!体使うとかさあ!!!」
私はキレた。同期の話によると、そいつ(営業係長)のアレを蹴り、顔を思い切りグーで殴ったらしい。
頭に血が上りすぎて、何をしたかまではあまり覚えていない。
その事件を機に、私は退職を決意した。こんな会社でやってられるか、と。辞めたいと言った時、同期を除く全員が
「ああ、そりゃそうだよね。」
みたいな顔をしていた。
そういう訳で、今日に至るわけだ。やりすぎちゃったかな。今は反省している。
軽い気持ちで、職選びはしない方がいい。私は自身に強くそう言い聞かせ、新しい仕事を探している。
家事手伝いをしているわけでもないので、絶賛無職というわけだ。てへぺろ。
とは言うものの、この国は短期離職をした者への風当たりが強い。根性がない、すぐ辞めてしまう人という烙印を押されてしまうからだ。
「そろそろ就活再開すっかなぁ…」
もちゃもちゃご飯を食べつつ、テレビを見ながら、パソコンを立ち上げる。よし、今日こそはニヤ動は見ないぞ。
「なんかいい仕事あるかなぁ…」
転職サイトを見て探すのが、今日の転職スタンダードだ。と思う。ハローワークも訪ねたが、数が膨大すぎてなかなか選べなかった為、この方法オンリーに切り替えた。
そんないい仕事が頻繁に載るわけもなく、載っていて応募したとしても、殆どが書類選考で落とされてしまう為、面接までたどり着けることは少なかった。
「…うーん、ないなぁ…」
案の定、今日もめぼしい仕事はなかったようだ。気持ちを切り替え、遊びモードになる。
「…よっし!今日は猫カッフェに行こう!」
私は結構アウトドアな方だ。学生時代も、運動部に入っていた。最も、定収入がない為、最近は自粛しているが、ずっと家に篭っていると体もおかしくなってくる。
最寄りの猫カフェは、電車で5駅くらい離れた所にある。今日はそこに行く事に決めた。普通の格好に着替え、化粧をし、身支度を整える。
「誰に見られるわけでもないけど、いちいち化粧するのって面倒だよなぁ…」
化粧は、女の最低限の礼儀であるらしい。運動していた頃はすっぴんで出掛ける事もあったが、社会に出て、それは辞めた。
小1時間の身支度を終え、私は猫カフェに向かって外に出る。
「行ってきまーす…」
返事の無い挨拶というのは、寂しいものだ。彼氏の一人でも、いや、むしろ旦那が欲しい。あ、私は待つ側がいいかな。などと妄想しつつ、駅までの道程を歩いた。
さほど田舎というわけでも無いが、1分単位で電車が来るわけでも無い。少々の時間待ち、私は電車に乗った。
「この前行ったのいつだっけ?半年前くらいだったかな」
最後に行ったのは同期の一人(女の子)とである。お互い動物好きだった為、とても楽しかった。
前行った時は休日だったけど、今日は平日だし、空いてたらいいな。
と、つい先ほどまでは考えていた。
「ここ、どこ…?」
駅名のアナウンスはあったはずだ。いや、思い出せない。あまりの事に頭がついていかない。
確かに、あまり頻繁に訪れる場所というわけでもない。しかし、こんな奇異な光景は広がっていなかった筈だ。夢かな?
駅を出た私は、とても混乱していた。
そこにあったのは、見慣れた日本の道路や商店街ではなく、竜の頭をした男性や、背の異常に小さい男性、蛇のような体をした女性。そんな異常が闊歩する光景だった。