穢すほどに美しくなるもの
「私、彼氏が出来たの!」
正月、親戚中が我が家に集結したむさ苦しい新年会の席で、隣にいた従妹の木部透子が言った。透子の顔は酒も飲んでいないのに仄赤くて、陽気に俺の肩を叩いた。箸で黒豆を摘んでいた俺は、その勢いで豆を滑らせた。黒豆は胡座をかいていた俺の足を打って、座布団に落ちる。何してるの、と透子がそれを指先で取り上げて口に入れた。お前のせいだろ、と言いかけて、踏み留まる。俺の正面にいた親父は、透子の親父と酒豪対決をしていたため、俺たちの一部始終は誰にも見られていなかった。
「一つ上の三年生でね、サッカー部のキャプテンだったの。大学もサッカーで推薦もらったんだよ。ね、凄くない!?」
「はいはい、凄い凄い」
「ちょっと、あからさまに興味なさそうにしないでよ」
俺の叔母に当たる透子の母親は料理上手で、二十人を超えるこの会の食事をほぼ一手に引き受けていた。俺の母さんやその他連中は叔母の手伝いだが、台所からは和気藹々とした声が聞こえてくる。お膳の上には新たな酒の肴として、山盛りの唐揚げが追加された。
「ははん、分かった。槙人、私に先に彼氏出来たのが悔しいんでしょ」
「んなわけあるか」
「えー。だったらもう少しくらいちゃんと聞いてくれてもいいじゃないのよう」
透子は俺の首に腕を巻きつけて、媚びるような猫撫で声を漏らした。俺はそれを振り払ってサイダーを呷る。炭酸が俺の喉を通り抜け弾けたが、その爽快感をもってしても、俺の襟首に残る熱は消えなかった。透子はそんな俺のことなど何も知らずに、左隣の親戚と無邪気な雑談を始めた。
透子は、俺の親父の妹である叔母の娘だ。透子たち家族は県外に住んでいるが、年齢が俺と同い年だったこともあり、幼い頃から度々の交流を持ってきた。昔から俺は、馬鹿で鈍感で世間知らずな透子のお守り役だったのだ。透子の方もいつも俺の後にくっついてきて、だんだん生意気になると今度は俺を利用して、べったりと甘えてきた。それは、高校二年になった今でも変わらない。
「透子ちゃん彼氏出来たのかい! まあ透子ちゃんはべっぴんさんだからなあ、男がほっとかねえだろうなあ。俺もあと三十若かったら口説いてたな、はははっ」
「い、嫌ですよもうべっぴんさんなんて! ねえ槙人聞いた? 私がべっぴんさんだって」
俺の左腕を激しく揺らした透子は、笑いながら親戚との会話に戻っていった。放り出された俺は箸を置いて、透子に掴まれた箇所をそっと手で押さえた。透子から、蜂蜜みたいな香りがした。
「手!? 手ですか? 手ならその……も、もう繋ぎましたよ」
透子が照れたような声色で言うと、その周囲で冷やかしの歓声が上がった。俺は、唇を噛み締めた。世界の音の何もかも、消滅すればいいと思った。
透子の浮かれた声は、俺の胸に突き刺さって心臓をぐちゃぐちゃに抉った。そして、隠し続けてきた醜悪な感情とか、欲望とか、全てを日のもとに晒すようだった。
「キス!? もう、そんなこと聞かないで下さいよう。してませんから!」
透子はそう言って、ジンジャーエールの入ったグラスを勢い良く傾けた。透子の唇がグラスに密着し、セミロングが背中に流れた。ジンジャーエールを飲み干した薄桃の唇は、水滴に艶めく。
透子は知らない。俺が能天気で警戒心のない透子を前にして、何を考えているか。何に耐えているか。十七年間、お守りの名のもとに透子のそばにいて守ってきたものを、全部ぶち壊してやりたくなる衝動は、幾度となく襲ってくる。
「しっかし透子ちゃんに先を越されちまって、負けてらんねえぞ槙人」
親父は焼酎を飲みながら、すっかり出来上がった様子で大笑った。
「ぼんくらの透子にだって出来るんだから、二枚目の槙人くんにだってすぐに出来るさ」
「ちょっとお父さん、ぼんくらは余計だってば!」
ほとんどただの宴会である新年会会場は、透子の発言によって笑いに包まれた。それでも、俺が誰を見ているのか、それが知れ渡れば流石のこの場も恐らくは、凍りつくだろう。
今、肩が触れ合うほどの距離にいる透子は、遥か遠くに行ってしまったのだ。保護者という名目を利用してそばにい続けようとした、俺を置いて。
「でも言わねえだけで槙人くんにもいるかもしれねえぞ。槙人くんは透子みたいにあけすけな阿呆じゃねえからなあ」
「え、そうなの槙人。彼女いるの?」
透子が俺を覗き込む。その、何も知らない純粋な瞳が濁ってしまえばと願う俺がいて、そんな自分がたまらなく恐ろしいと思う。ねえねえ、と俺の肩を揺さぶる透子の両手は白くて、手首は折れそうなほどに細い。俺は壊さないように透子から逃れて、席を立った。
彼女なんて――女なんていらない。透子がいれば、それで良かった。それなのにいつの間にか透子は女になっていて、俺の手が届かない場所で笑っている。
……いや、いつの間にか、ではない。透子がどんどん女としての魅力を身に付けていくことに、俺は気付いていた。初めは似たような身長だったのに、今は俺よりも頭一つ分も低くて、体つきも華奢で丸くなった。声は蕩けるような独特の音色を持っていて、いつも蜂蜜のような甘い芳香を纏っている。そういった事実に気付いていて俺は、知らないふりをした。それに向き合ってしまえば欲しくなって、触れたくなるから。俺のものにしたいと、ならないなら壊してしまえと、そう思ってしまうから。
午後六時過ぎ、新年会が終了すると、親戚はそれぞれ散り散りになって帰っていった。その様を二階の自室の窓から見守った俺は、透子の家族だけが今日この家に宿泊すると言っていたことを思い出した。紺青のカーテンで景色を遮り、ベッドに横になる。頭の下で腕を組んで、白い天井を見上げた。
「槙人、いるー?」
ノックの音とともに、ドアの向こうから透子の声がした。俺がドアを開けるまでもなく、透子は部屋に入ってくる。俺の姿を見て、寝るの早いよ、と笑った透子は、レース生地のショートパンツにガウンを羽織っていた。透子は頬を上気させ、俺の寝転がるベッドに腰掛けた。
「うわあ、槙人の部屋入るのって一年ぶりくらい? 相変わらず殺風景だなあ」
「余計なお世話だっつうの。てか、ずかずか入ってきておいてその言い草かよ」
ベッドとデスク以外何もない俺の部屋を見渡して、透子は肩を竦めていた。俺が毒づいても透子は何も気にした様子なく、俺に振り返って笑った。
「えへへ。お風呂、一番に使わせてもらっちゃった」
俺の家のシャンプーを使ったはずなのに、透子からは相変わらず蜂蜜の匂いがした。
「何しに来たんだよ」
「もう、そうやってすぐ冷たい言い方するんだから。確かに槙人はかっこいいけどね、つれない男はモテないんだからね!」
「……どうでもいい」
かっこいいとかモテるとか、それはプラスの要素になり得るかもしれない。でもそんな要素だって、最も効いてほしい相手に効果がないなら、何の意味もない。馬鹿な透子は、そんなことすら分からないのだ。
「あ、そういえばお父さんがごめんって言ってたよ。槙人急にいなくなっちゃったから、自分が怒らせたんじゃないかって心配してた」
「別に。怒ってねえよ」
「だよねえ。槙人、恥ずかしかっただけなんでしょ? 彼女がどうのって言われて」
透子がにやにやとして、上半身を起こした俺に寄ってきた。思い切り顔を近付けられて、思わずその額を手で押し返す。透子の香りが急激に強くなって、眩暈がした。
「槙人ってば、好きな人くらいいるんでしょ。教えてくれてもいいじゃない!」
「いねえよ。つうか、言ったってお前は知らないだろ」
「名前なんか言わなくてもいいの。どんな子かくらい教えてくれたっていいでしょ。ね、下条槙人くん」
透子は、俺が目を背けても体を逸らしても、しつこく俺に寄ってきた。風呂上がりの透子は普段に増して無邪気で艶っぽくて、俺は必死になって透子を視界から外そうとしていた。
俺の好きな人。そんなもの、透子は知らない方が良い。知ったらお前は、少なからず罪悪感に苛まれるだろうから。透子は純朴な分、世の中の黒い感情に対して無知で、優しすぎる。
「うるせえうるせえ。お前来年受験だろ、彼氏がどうとかって浮かれてんじゃねえよバーカ」
「それは槙人だって同じだし! ……まあでも、そうだよねえ。先輩と同じ東京の大学に行きたいけど、今から死に物狂いで勉強しても間に合うか分からないし……でも遠距離恋愛なんて耐えられないし……」
透子はそう呟くと、真剣に考え出したようで顎を指先でなぞっていた。これまでの透子はあっけらかんとして勉強にも熱心でなかったのに、その先輩とやらは簡単に透子を変えてしまったのだった。俺が何度勉強しろと言っても、聞く耳を持たなかったのに。
「あ。さっき推薦って言ったけど、先輩ちゃんと頭も良いんだからね。今は先輩にみっちり数学教えてもらってるんだから」
透子の勉強を見てやれる人間は、どんなに離れていたって俺だけだったのに。
「でも先輩、すっごく優しいの。大学に行ったら勉強も部活も絶対忙しくなるはずなのに、休みの日はこっちに帰ってきてくれるって言うし。寮じゃなくて一人暮らしだからいつでも遊びに来いって言ってくれたし」
透子は惚気話を展開しながら、両手を頬に添えて嬉しげに笑っていた。その笑顔は無垢でありながらどこか妖艶で、俺や親戚には決して向けられない性質を孕んでいた。その表情が、透子の惚気よりも鮮烈に俺に刻み込まれた。
それは、透子が他の男のものである証拠だったのだ。十七年間、俺が与えられなかったものを、その先輩という男は呆気なく透子に与えたのだ。俺は唇を噛んだ。
「……ふん。どうせそんなの、体目当てだろ」
「ちょっと槙人っ、どうしてそんなこと言うのよ! 先輩はそんな人じゃないし、か、仮にそうだとしたって、先輩は待ってくれるって、言ったもん……」
透子の俺を叱り飛ばす勢いはだんだんと弱くなって、終いには赤面する透子のぼそぼそとした声だけが残った。
「つ、付き合って三ヶ月くらい経つけど、キスだって待っててくれるんだよ。初めての彼氏だから普通がどんなのか分からなかったけど、友達はすっごく良い人だねって言ってたし……」
透子は真っ赤になった顔を持て余したのか、何度も頬を擦っていた。透子の発言は、透子がまだ何にも犯されず、穢されていない証拠だった。だが、今はまだ透明でまっさらな透子も、いつかはその先輩という奴のものになる。透子の全ては、その男に奪われる。
「――って! 今は私の話じゃなくて槙人の話なのっ」
再び俺にぐっと近付いてきた透子の、右腕を反射的に掴んでいた。透子はきょとんとして、俺を見つめた。
「槙人?」
透子は俺の目の前にいる。それなのにあまりにも遠すぎて、抱き締めることさえ出来ない。
「もう、なあに? プロレスごっこでもするの?」
負けないよ、と言って透子は俺の髪に触れた。
「槙人の髪、やっぱり光に透かすと茶色っぽいよね。先輩なんか短くて真っ黒で、固いんだよ」
俺はそのまま透子の右腕を引き寄せ、彼女の体をベッドに押し倒した。透子の上に乗った俺は、上手く状況が呑み込めていない透子を見下ろした。透子の黒髪が白いシーツに散らばって、映える。
俺の方がずっと透子に近しいのに、何故透子は赤の他人である男を見つめるのだろうか。今透子に触れているのは俺なのに、何故、先輩とか言う忌々しい男が透子の意識を独占するのだろうか。
「槙、人?」
小さな厚い唇が、鈴を転がすように俺の名を紡いだ。俺は指先で、透子の額を弾いた。
「痛っ!」
「バーカ。なんだよプロレスって」
俺は透子から退いて、ドアの取っ手に手を掛けた。
「風呂入ってくるから、とっとと出ていけよな」
ぽかんとした透子を一人残して、俺は部屋を後にした。一気に緊張が解けて、ドアに凭れかかり、息を吐く。透子に接触していた部分が嫌に熱を疼かせていて、拳を握り締めてそれを殺そうとした。
理性を上回って襲撃してくる破壊衝動は、どうすれば収まってくれるのだろうか。透子の全てを見知らぬ男に奪われてしまうくらいなら、その前に俺が無理矢理にでも奪ってしまおうというおぞましい思考は、どうすれば消えるのだろうか。
透子を傷付けたくはないのに、先輩とかいう男のための笑顔をぐちゃぐちゃに歪めたいと思ってしまう俺はきっと、最低なのだろう。こんな俺が透子を幸せにするなんて出来るはずがないのに、それでも俺は、透子を自分のものにしたい。
風呂から上がって、二次会状態となっている親父と透子の父親と、紅茶片手に雑談している母さんと叔母のいるリビングに入った。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。リビングの四人は誰も俺に絡んでこなかったので、そのまま二階に上がった。
欠伸をしながら自室のドアを開け放った瞬間、俺は硬直した。出ていったものだと思っていた透子が、俺のベッドで仰向けに眠っていたのだった。漏れかけた叫び声を呑み込んで、俺はドアを閉める。
「おい、透子」
呼びかけても、応答はなかった。俺は透子の枕元に立ち、その額にペットボトルをぶつける。透子は軽く唸るだけで、目を覚まさなかった。
「……アホ」
俺はその場にしゃがみ、溜息を吐いた。安らかすぎる透子の寝顔は、楽しい夢でも見ているのか綻んでいた。俺はミネラルウォーターを呷り、飲み下す。俺には寝るのが早いと言ったくせにこれなのだから、その言葉をそっくりそのまま透子に返してしまいたい。
そういえば以前透子が、俺は女心が分かっていないと言ってぷりぷりと怒っていた。だが俺に言わせてみれば、透子こそ男心が分かっていない。お前の大好きな先輩とやらはお前に触れることを我慢出来るような出来過ぎた奴なのかもしれないが、俺は違うのだから。こんな無防備すぎる透子の隣で平然と寝ろというのであればそれは、拷問だ。
途方に暮れて頭を掻いていると、ベッドの下に見慣れぬスマホを見つけた。サーモンピンクのカバーが付いているので、透子のものらしい。丁度メールを受信したらしく、通知で画面が光った。送り主の名前は、僚先輩と表示されていた。
「……こいつか」
試しに画面をスライドさせると、パスワード入力のステップを踏まずにロックが解除された。本当に透子は無用心以外の何物でもない。呆れながら目を落としたホーム画面に現れたのは、透子とその隣に写る男とのツーショットだった。男は、顔は良いが、いかにも好青年といった感じでスカした雰囲気が気に食わない。尤も、そうやって斜に眺めてしまうのは、俺だけなのかもしれないが。写真の中の透子の微笑みは、意図的に見ないようにした。
なんの躊躇いもなく、新着メールを開く。三通ほど届いていたが、最新のものに僚先輩とあった。
あけましておめでとう。年明けの瞬間にも言ったけど、また改めて。冬休みの課題の話なんだけど、五日に俺の家でいいかな? 五日なら親も家にいるから。数学と英語、頑張ろうか。
彼氏のくせに、色気の欠片もないメールだった。わざわざ親もいるからと書くあたり、余程気を使っていると見える。もしかしてこの男も、親のいる日に透子を呼ぶことによって強引に理性を発動させているのかもしれない。そんなことをしなくても、透子はこいつを拒まないだろうに。与えられた権利を行使しないなんて、心底愚かだ。
スマホを置き、ベッドに肘をついて透子の寝顔を観察した。緩みきった唇が微かに動いていて、その締まりのない顔が透子らしく、俺は苦笑した。ショートパンツから伸びている剥き出しの足は細く、誘うように互いを擦り合わせていた。
その時、もう一度透子のスマホが鳴った。送信主はまた僚先輩という奴だった。二度も盗み見するのは悪趣味にも程があると思いながらも俺は、メールを開いてしまった。
今日は従兄さんの家にいるんだっけ? 前に楽しそうに話してくれたよね。なんだか俺といる時よりも楽しそうだったから、実はちょっと嫉妬してたんだ。従兄さんで、何もあるはずないのにね。こんな面倒臭い奴でごめん。じゃあ、お休み。
それは俺が最も見てはいけない文章だった。俺は透子のスマホの電源を落とし、カーペットに放った。俺の身勝手な行動を知らない透子は、未だ暢気に眠っている。俺はベッドに腰を下ろして、透子の頬を撫でた。
「透子、」
――何もあるはずないのにね。
馬鹿だ、と思う。その確信はどこから来るのか。従兄だなんて、一体それになんの関係があると言うのか。
俺はお前なんかよりずっと前から、ずっと深く透子を見てきたのに。
左耳の裏にある小さな傷だって、口内炎が出来やすいことだって、信じられないほどのお人好しであることだって、俺は知っている。でもお前はきっと、透子の右の内腿にある薄い痣が、かつて俺との喧嘩によって付いたものだとは知らないだろう。
あるはずがないなんて油断するような男には、透子を繋ぎ止めておくことなんて出来ない。
お前は、大切な女を奪われるんだ。その、あるはずのない男に。
「せん、ぱ……」
透子は穏やかな寝顔を見せながら、微かな寝言を呟いていた。夢の中でも僚先輩という男を想いながら、幸福に微笑んでいるのだろう。その幸福も、笑顔も、俺には生み出せない種類のものだ。
生み出せないのならせめて、守らなければならない。でももう、守るだけなんて無理だ。俺は騎士じゃない。透子が手に入るのなら、何者にでもなって全てをかなぐり捨ててでも、得てみせる。
俺は透子の薄紅の頬に右手を添えたまま、覆い被さるようにして顔を寄せていった。俺の毛先が、柔く閉じた透子の瞼を掠める。そんな僅かな接触から、爆発する俺の全身の熱が透子に伝わっていくような気がした。鼓動は痛いほど早まり、俺を駆り立てる。
透子は、俺の気持ちの何も知らないまま他の男のものになった。だから透子は、今でも信じ切っている。俺とはずっと、子供の頃のように他愛ない関係でいられるのだと。
「……本当、馬鹿だな。透子は」
俺たちの距離は零になって、俺は透子にキスをした。瞬刻、重なり合った透子の唇は、異様なほど柔らかく甘く、蜂蜜の味がした。強すぎる電流が急に体中を駆け巡って、益々、透子に囚われる。俺はもう一度唇を重ねて、舌をも使って透子の唇を自分に刻み込んだ。
そんな口付けが済んでも、透子は目を覚まさなかった。透子の淡い唇に俺の唾液が流れ、妖しささえ備えて光る。汚らわしさの結晶のような俺とのキスを終えても、透子はやっぱり綺麗で、俺の全てを受け入れるような優しさを見せていた。俺は左手でシーツを握り締めた。俺の薄っぺらい色では、透子を染めることなんて出来ないとでも言うのだろうか。
それならば、幾度だって俺は透子を穢す。
好きだ、と。そんなたった一言が伝えられない俺には、透子のそばにいる資格なんてない。それでも俺は透子を手放すつもりなどないし、奪って穢して、そうしている間に透子は堕ちて俺のものになる。一人きりになった透子が縋りつく場所は、俺を除いて存在しないのだから。
俺に強奪されても純潔を失わない透子の唇を、何度も何度も、上書きするように穢すのだ。透子が目覚めて、透子の温和な双眸が醜穢な俺を捉えるまではこうして、透子に触れるのだ。
見知らぬ男のための特別な笑顔が消えてくれるなら、透子の悲哀の涙だって俺にとっては眩い笑顔のように、透子への愛しさを加速させるだろう。
目を開けて、俺を見ろ。惨めな俺の想いを、思い知ってしまえばいい。そんなことを考えながら俺は、透子が目覚めるまで永遠に、透子を穢すためのキスをした。