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日本神話シリーズ

諏訪湖の中からこんにちは?

作者: 八島えく

 信濃へ来てしばらく経ったその日、僕――建御名方は、僕の嫁と会うことになっていた。


 諸事情あって出雲からこちらへ渡ってからというものの、信濃の住人達といざこざしていてそれどころではなかった。そのため、嫁となった女神になかなか会いにいくことができなかった。


 でも今となっては彼らと和解しているし、僕も彼らの役に立てていると自負してる。……まあ、僕が出雲を追われたのは大嫌いな雷神のせいなんだけど。それは今重要じゃない。


 ようやく落ち着いて、信濃の人々や神々から嫁をと頂いたのが、和解してすぐのこと。数年以上前には名目のみ夫婦になっていたのだけれど、ちゃんとした儀式も顔合わせもなかった。神々の結婚は人間同士の結婚とはちょっと違うのは認めるけど、これはさすがに神々の常識からも外れている……と思う。


 しばらくはお祀りも神事もないし、離れた社に済む自分の嫁に挨拶へ伺うのは夫として当然のことだ。僕はそう決意して、神職や信濃の神々に取りついて貰いながら、八坂刀売という女神に会いにいくことにした。



 お互い祀られている社は遠くないはずなんだけど、どうしてもっと早く会いに行けなかったんだろう。なし崩し的に決まったようなものである夫婦という縁に実感がわかなかったのか、嫁を貰うという一大事が怖かったのか。


(いや、でも、うーん……。僕が怠け者だったのもあるんだし……)

 彼女の社の前に立ち尽くして、僕はまだ迷う。


 僕の見た目は人間の子供とそれほど変わらない。どれほど良心的に見ても十四か十五くらいにしか見られないだろう。鍛えてはいるから腕っぷしには自信があるし、風の力を借りて簡単な術も使える。武術や戦闘のための訓練は積んできたけど、いまいち慎重は伸びないし筋肉つかないし、しまいには一番嫌いな雷神に気安く頭を撫でられて子ども扱いされるし、父からも一人前の神というより『かわいい子供』としてしか見られていないし……気になり出したら止まらないコンプレックスの山である。


 こんなひょろい僕が婿だなんて、相手はどう思うんだろうか。もう少し大人で女性の扱いにも慣れている男の方が安心したんだろうなあ。その二つに当てはまるのは父なんだけど。……あ、そう考えると僕の方がマシだと思えた。何か複雑だ……。


(悩んでいても仕方がないし、いくか)

 やっと意志を固めた僕は、社の中へと声をかける。


「ごめんください」

 社から返事はない。何度か試しに戸を叩いてみても声かけても、中から返答は貰えなかった。

 女神の住居に入りこむのは気が引けたけど、やむを得ず僕はそっと中へ入った。

 もぬけのからだ。女神どころか神職もいない。


(ま、まさか……いや、やっぱり愛想尽かされて実家に帰った!? いや、ここが実家だよね!? ひょっとしなくても避けられてる……!?)

 嫌な予感や悪い未来しか想像がつかない。僕は自分の社に急いで戻って、神職に八坂刀売という女神の居所を聞いた。

 神職はけろっとした表情で、「八坂様なら諏訪湖ではありませんかね」と言ってのけた。


「す、諏訪湖……?」

「ええ、八坂様は泳ぐのが大好きでしてね、湖が凍ってさえいなければ冬でも泳ぎに行かれます」

「風邪をひかないのか? ちょっと心配になってきた……」

「大丈夫ですよ、八坂様は丈夫ですから」

「そ、そうか……。でも冬はやっぱり凍えてしまうからなあ……。ありがとう、諏訪湖に行ってくる」

「お気をつけて、建御名方様」

 神職は深々と僕に頭を下げてくれる。僕は神職よりも背が低いし子供なのに、大人の神職は僕にこうして礼を尽くしてくれる。こっちこそ頭が下がる思いだった。


 

 さてその諏訪湖。今は春の終わりでそろそろ夏がやってくる季節である。くわえて今日は快晴。水泳にはもってこいの天気だ。

 諏訪湖には僕を除いて誰もいない。多分、信濃の神々が気を利かせて『人払い』してくれたんだろう。ふたりっきりってわかると余計に緊張するんですけど……この行為は好意と受け取っていいんだろうか。


 神の気配はどこから漂っているだろう。八百万の神々は、同族に対して鼻がきく。人間が殺気や敵意を感じ取るのと同じように、神々もまた、お互いの気配を察知する。殺気だ敵意だって言ったけど、そんな物騒なものではない。少なくとも僕が今感じる気配は、とても柔らかくて安心する。


 諏訪湖の周囲を飛びながら回ってみる。まだ近くはない。

 次は少し高い所まで飛んで湖全体を伺う。見つけた。


 神の気配と思しきものは、湖の東側から感じて取れた。高度を下げて、気づいた場所までおりていく。

 そこには澄んだ水面しかない。神の姿は見当たらない。でも気配だけはここにある。


(……まさか、沈んでるんじゃ)

 いくら泳ぐのが好きと言っても、水泳や自然の水というのは馬鹿にできない。海はもちろんだし、湖だって同じことだ。

(た、大変だ。そうだったら引き上げないと!)

 迷っている暇なんてない! そう決めて僕は着物を脱ごうとする。



 その時、神の気がだんだんと近づいてくるのを、わずかに覚えた。水面からぶくぶくと泡が立ち、波が広がる。

 何かがこっちへ上がって来る。



「ばぁーっ!!」


 満面の笑顔の女の子が、両手を広げて、僕を見上げていた。


 なんて言ったらいいのかわからない。溺れていなかったのを喜べばいいの……?


「……あれ?」

 女の子は僕が無反応(というかいきなりすぎて反応できなかっただけなんだけど)なのを奇妙に思ったか首を傾げた。というかその子、着てるのはいわゆるスクール水着って奴なんだけど……!?


「えっと……あなたが、タケミナカタ……で、合ってる、わよね……?」

「う、うん……。合ってる。きみは、ヤサカトメ?」

「そう! よかった、違う神じゃなかったのね。神違いしたかと思って冷や冷やしたわ」

 僕は八坂の手を引いて、湖から引き上げる。うぅ、良い意味で目に毒だ……。水着って体型がもろに出るから、彼女の体のラインとかがしっかりわかっちゃうんだよ。見てられないから申し訳程度に羽衣を貸した。



「おっかしいなぁ……。こうするのがお出迎えだって、父様が言ってたんだけど……」

「その、信濃の婚儀には疎いからどうとも言えないけど……君の父上はたぶん嘘ついてるかも……」


 彼女の社まで送り届けて、僕は八坂から事情を聞いた。今は水着を脱いで、白いワンピースを着た。背中まで届く黒髪が、水にぬれていたためとてもつやつやしてる。

 八坂の父――ワダツミは娘が嫁入りした際、婿に対してこうもてなせと言ったらしい。


 勝負水着を着て諏訪湖へ潜り、おびき寄せて驚かせろと。


 さすがにこれは嘘もりだくさんだろう、と出雲で長く暮らしていた世間知らずの僕でさえわかることだった。八坂は僕以上に箱入りの女の子だったのだ。


「やだ、父様ったら……。わたしをからかったのね、もうっ!!」

 僕がなるべく丁寧に、ワダツミ様を貶めないよう最大限言葉を選びながら、推測を説明した後、八坂は顔を真っ赤にしてふくれた。

「ま、まあまあ……。確かに、ちょっとやりすぎな冗談なのは否めないけど……」

「でしょう!? だってわたし、お婿さんをたくさんもてなしたくて真面目に聞いたのに! 今度から父様には聞かないわ、兄様たちに相談する!」

 兄様、というのは住吉の三兄弟らしい。実の兄の様に慕っているとか。

「ごめんなさいね、父様の冗談を見抜けなかったわたしの失態だわ……。神職から、あなたが来ると聞いていっぱい準備したのに、空回りしてしまったわ……」

「君が気にすることはないよ。そりゃ最初はびっくりしたけど、でもいい出迎えだと思ったし、

 何より、君が僕の為に、真剣に考えてくれてたのがわかって、とても嬉しい」

 今まで忙しさと和睦にかまけて、ろくに会いにいけなかったダメ婿を、こんなにも気づかってくれるできたお嫁さん。社へ正式にお招きしてもらったときは、お茶を入れてくれたりさりげなく風通しのよい場所へ座らせてくれたり、細かい気配りが行き届いている。それにかわいい。


「その、今まで、ちゃんと会いに行けなくてごめんね。こんな僕のために、たくさんもてなしてくれてありがとう。

 今更何をって思うけど、これからなるべく会いに行くから……その、改めて、夫婦として、よろしくお願いしても、いいかな……?」

 照れずに言えたことに満点つけてやりたい。ただ顔が真っ赤なのは間違いない。だって熱いから。おずおずと手を差し伸べて、できる限り彼女から目を逸らさないよう気をつける。恥ずかしさに視線を落としたくなってしまう。


 八坂ははにかみながら、僕の手を取る。


「はい、建御名方。わたしの旦那様」

 彼女も同じように、顔を赤く染めながら、微笑んで応えてくれた。


 気恥ずかしくなるような、僕と八坂の最初の一歩のことである。

建御名方と八坂嬢が初めて顔を合わせるとしたらどんなだろう? という考えからできた産物です。だいたいワダツミ様のせい。

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