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第二話「絶体絶命」

(おいおい……いきなり赤子の状態で絶体絶命の状況かよ。ニューヨーク市警察の巡査部長だって、もっとマシな状況に遭遇してるってのに……)


 彼は禿頭がキラリと光る、不死身の男の名を冠する映画の主人公を何故か思い出した。

 外気は凍てつき、彼の体温をどんどん奪っていく。


(やばい……冗談を言ってる場合じゃない。どうにかしないと)


 だが、ハイハイもできない赤子である彼が自力でこの状況を打破できるはずがなかった。


(ここを通りがかった誰かに救い出してもらうしかない……それが出来なければ、ここで凍死する)


 彼はブルリと震えた。死を明確に思い描いたことにより、危機意識が高まる。運が悪ければ誰もここを通らず、彼は人知れず死ぬことになるのだ。

 妹の再開をみすみす逃すことになる。それだけは避けなければならなかった。

 全ての機会を逃さないよう彼は神経を研ぎ澄ました。

 するとしばらくして、遠くからゆらゆらと光が近づいてくるのに気づいた。


「お前がいてくれて助かったぞ、アントニオ。さっきの取引、もう少しで金貨2枚分ほどちょろまかされるところだった」


 発光する石を中心に据えた、ランタンのようなものを片手に持った男がそう言った。太いまゆに大きな口、顎には髭が生えていて、なんとも濃ゆい顔だ。縦にも横にも広い体型であるが、肥満というわけではなく、鍛えぬかれた筋肉が彼の身体をおおっている。年の頃は20半ばといったところだろうか。


「あのよぉベルナルド。いつも言ってることだが、あんたは金に無頓着すぎるんだ。ここがエイレイ皇国だったらあんたは今頃、すかんぴん……いや、臓器をいくつか失って奴隷になってるかもな。そしてこういうんだ、おお神よ、これは試練なのですかってな」


 アントニオと呼ばれた男は、ランタンを持っているベルナルドにそう返した。アントニオはベルナルドとは対照的に痩せこけた男で、全体的に幸の薄そうな容貌をしており、癖になっているのか常に眉間にシワを寄せていた。


「そのセリフはエイレイ人の専売特許だろうが。俺たちデメテル人ならこう言うはずだ。おい神よ、とりあえず一発殴らせろ」

「おいおい、それはデメテル人がじゃなくて、あんたがだろ」


 年齢も近いため、二人の関係は気が置けない仲だった。難しい仕事を終えたばかりなのか、弛緩した雰囲気が二人から漂っていた。


(誰かが近くにいる……!)


 ベルナルドとアントニオのやりとりは、もちろん赤子の彼には聞こえていないしこの世界の言葉を覚えていないため、聞こえていたとしても理解は出来ない。ただ、人の声とぼんやりとした光を彼の感覚がとらえたのだ。


(どうする……! 考えろ、考えるんだ!)


 考えた末、彼はなにもしないことに決めた。

 普通ならここで泣き声を上げ、注意を向けさせようとするのかもしれない。だが、彼は一切泣き声を上げなかった。そのほうが受けがいいと彼は考えたのだ。

 女性の死体が転がっているため、何もせずとも赤子の元へと彼らは近づいてくる。そして、自分は発見されると考えた。

 その時、自分に興味を持ってもらえるかが、生死の境目となるのだ。


「おい、アントニオ。あそこに誰か倒れてないか?」

「ん? ああ、ほんとだな」


 二人は深々とため息を付いた。アントニオが面倒臭げに切り出した。


「ちゃんと確認するか? 俺は嫌な予感しかしねえんだがなあ。こんなスラムのような路地裏で人が倒れてる? 答えはひとつしかねえ」

「そんなこと言っても仕方ないだろ。ここは俺たちの縄張りだ。死体の処分もしないといけない。それにさっさと片付けないと病の元になるかもしれない」

「悪名高きリッジョファミリーの幹部、ベルナルド・バリアーニ様が直々に死体を処分するなんてな。明日にでも部下にやらせりゃいいものを」

「んなこといってないではやくこっちに来い。一緒にやったら早く終わるだろ」


 アントニオとベルナルドが女性の死体のもとへとやってきた。彼女を中心に真っ赤な血が広がっている。腹部に刺されたナイフが痛々しかった。


「脈を取るまでもねえな。死んでるよ」

「アントニオ。今日殺る予定のあったターゲットか? 俺の記憶が確かなら、ここ当分の暗殺の予定はなかったはずだが」

「あんたの記憶通りだ。そもそも、こんなぼろを着てるんだから『無能者』だろうよ。『無能者』がターゲットにされるなんて有り得ねえ。おそらく痴情のもつれとかそんなところじゃねえのか」

「ん? この女、何か抱きかかえてるな」


 ベルナルドがしゃがみこんで、彼女が死に際まで抱いていたものを確認する。


(きた。ここが勝負どころだ!)


 彼は薄ぼんやりとした視界で、僅かな光を頼りに、ベルナルドの顔をじっと見続けた。この状況下で泣かぬ赤子など存在しない。彼は赤子らしからぬ反応を見せることで興味をもたせようとしたのだ。

 だが、彼自身これが五分五分の賭けだということは感じていた。気味悪がって放置されるかもしれないのだ。それに、この世界において、人の命というものは軽いのかもしれない。面倒臭がって、放置される可能性もある。


「アントニオ、見てみろよ。スラムに横たわるのは死体だけじゃないみたいだぞ」


 呼ばれたアントニオが覗きこむように、顔を赤子に近づける。


「へえ……これは驚いた。まさか生まれたばかりの赤子がこんなところにいるなんてな。にしても、薄気味悪い赤ちゃんだな。泣きもせず無表情にじっとこっちを見つめてくるなんて」

「そうか? 面白いだろうが。血まみれの赤子だぞ。泊が付くってもんだ」

「そうかねえ……母親が死んでるってのに泣きもしねえんだぞ。俺は薄ら寒く感じるがな」

「逆にすごくないか。普通なら泣くだろこんな状況……よし。連れて帰って育ててみるか」

「は?」


 ベルナルドのその言葉にアントニオがぽかんと口を開ける。


「死体の処理は後回しだ。はやく暖かいところにこの赤ちゃんを連れて行かないと」


 ベルナルドは母親の両腕から赤子をそっと抱き寄せ、慣れた手つきで両手に優しく抱えた。


(なんだ? 俺は助かるのか?)


 言葉をうまく聞き取れず理解も出来ない彼には今の状況がわからなかった。しかし、ここからどこかに連れて行ってくれるのは確かなようだと感じた。


「いやいやいや、あんたが育てることねえだろ! そこらの教会や孤児院にでも押し付けちまえはいいじゃねえか。この赤ちゃんにとってみれば、それだけで十分なはずだぜ。ここで凍え死ぬ運命だったんだから」


 アントニオは首を振りながら、ベルナルドを必死になだめた。


「その運命をこの赤子は自ら覆したんだよ。俺はこの赤子に興味を持っちまったんだから。それが偶然の産物だとしてもな。こいつがどんな風に成長していくのか、それが見たい。そう思っちまったんだ……ま、細かいことはいいんだよ」


 ベルナルドはニヤリと笑いながら、赤子を見つめた。

 赤子の彼の賭けは成功した。濃ゆい顔の男の心を掴み、なんとか危機を脱することに成功したのだ。


「細かいことねえ……はあ、あんたの二言目はいつもそれだ。それを言い始めたら、神父の説法でも考えを変えないのは長い付き合いで分かってるが……はあ」


 アントニオは言葉を続ける。


「おそらく『無能者』だぞ。母親がアレなんだから。『無能者』は上には立てない」

「わかってる」

「マリーナさんにはどう説明するんだ? 子供がいきなり一人増えるんだぞ」

「あいつなら大丈夫だ」

「ああ、あとアレだ……そう、名前がわからない!」

「名前ならエリオって言うらしいな」


 ベルナルドは赤子の首にかけられた銀盤のペンダントに書かれてあった文字を読み上げた。

 アントニオは眉間の皺を更に深め言葉を続けようとする。


「それに、あとは……ええ……んー、特に、ないな……」

「そうか、それじゃあ連れて帰るか」

「はあ、もう勝手にしてくれ。あんたのために反対してるってのに」


 降参だと言った具合にひょろ長い男は両手を上げた。そして先立って歩き始めたベルナルドの後を追っていく。


(助かった、のか?)


 筋肉の詰まった暖かい両腕にがっしりと抱かれた赤子の彼、いや、エリオは安堵の気持ちを吐き出した。

 このまま何処に連れて行かれるかは分からないが、とりあえず、凍死の危険はなくなったのだろう。

 それよりもこれからどうやって生きていくのか。どうやって選定試験を勝ち進んでいくか、考えていかなければならない。 エリオが思索に耽ろうとしたその時、意味がわかる言葉で声を掛けられた。


「あんたがあたしのパートナーね。ごめんねちょっと道に迷っちゃって」


 エリオは声の主の方へと首を向けようとしたが、新生児であるためまだ動かせなかった。目だけをできるだけ声の方へと向けた。

 そこにいたのは空中にフワフワと浮いている小さな女の子であった。髪の毛はゆるいくせっ毛のようで、ウェーブを描きながらあちこちに髪の毛が向かっている。少し勝ち気な雰囲気が表情に浮かんでおり、快活そうな女の子だった。

 まだ目が見えないはずのエリオであったが、その姿がはっきりと視界に映し出された。まるで妖精のようだった。


(妖精……もしかして『案内人』?)

「そう、あたしがあんたの『案内人』のリリーよ! これからペアとしてやっていくんだからよろしくね!」


 リリーは朗らかな笑みを浮かべた。

 言葉を紡いでいないのに、返答があったことにエリオは驚いた。


「パートナーの転生者と『案内人』は念話ができるのよ。便利でしょ。慣れたら念話のオンオフも勝手に出来るようになるから心配しないでね」


 神が言っていた転生者のパートナーとなる『案内人』とは彼女のことなのだろう。今のエリオにとって唯一の絶対的な味方なのだ。


「それで……どういう状況? 逞しい男に抱きかかえられてるけど……お母さん?」

(んなわけないだろ!? というか、いま俺そんな状況なの!?)

「うん。なんかあんたを育てるみたいよ。この大男」


 未だ目の見えていないエリオにとっては衝撃的な事実だった。判断を誤ったか、と考えそうになるが、あれがベストだったと思い直す。そして、ここまでのことを『案内人』に話す。


「……えと、つまり、あたしはパートナーさえ組めずに神様選定試験に落ちるところだったってこと?」

(まあ、そういうことだな)

「あぶなッーー!! このチャンス逃したらまた数百年後まで待たなくちゃいけないところだった!」


 リリーは今更ながら冷や汗をダラダラと流した。


(まあ、それはもういいとして、これからだ。いろいろ聞きたいことがある)

「まあそうくるわよね。いいわよ。なんでも聞いてちょうだい。ルールの確認は大切だものね」


 リリーはどんとこいといった具合に薄い胸を小さな拳で叩いた。


(それじゃあまずリリーの存在についてだけど俺以外からはどういうふうに見えているのかまた見えないのだとしたら偵察として用いることができるのか他の転生者からはどのようにみえるのかそれとリリーはこのゲームにどういうスタンスをもって臨むのかも聞いておきたい他にも聞きたいことがあってそもそも転生者をどうやって見分けるのかも疑問だあと神が言っていたいくつかのワードについても教えてほしい『生まれ』や『ユニークスキル』、『アビリティ』とは何のことなのかそれだけじゃなく――)

「うるさーい!! そんな一辺にきかれても答えられるわけないでしょ!」


 エリオは溜め込んでいた疑問を一気に爆発させ、リリーはその疑問の塊を一喝で蹴り飛ばした。


(そりゃそうだ。すまん、一つ一つ聞いていく)


 エリオは改めて質問をした。まずは『案内人』についてだ。


「『案内人』ってのはこの第八世界を運営するスタッフみたいなものでね、管理や調整を行って滞り無く世界の営みが回るようにしてるの。世界を会社に見立てるなら、神様が決定を下す社長で私たちがそれに従って動く従業員ね」


 そして、今回の選定試験を勝ち抜けば、あたらしい会社で社長(神)となることができるのであった。

 リリーは『案内人』の特性について話を続ける。


「あたし達『案内人』はパートナーの転生者にしか姿が見えないわ。もちろん他の『案内人』からも見えないわよ。例外として、転生者と『案内人』両方の同意があれば、他の人にも姿を見せることができるけどね。それと一度出会ったペアの転生者と『案内人』は離れることが出来ない。だから斥候とかは出来ないからね。まあ、基本的に『案内人』は相談役みたいなものね。あとはゲームのルールやらこの世界の一般的な知識を教えてあげることができるわ」

(なるほど。それじゃあ俺たちはもう離れることが出来ないわけだ。俺が排泄物や性欲を処理しているときも)

「なんでそこをチョイスするのよ! そういう時は消えてるわよ!」


 顔を真赤にして手足をじたばたさせながら怒る姿は愛らしいものがあった。


(それで他の転生者をどうやって見つけるんだ?)

「『案内人』は他の転生者を感じ取ることができるのよ。あたしの場合、距離にして100メートルくらいから感知できるかな? でもそれぐらい遠いと、的確な方角まではわからないから過信しないでね」

(あたしの場合? もしかして個人差があるのか? あるんなら、リリーの察知能力はどの程度のものになるんだ?)

「……さ、三番目くらいね! ……ドベから」


 リリーは後半の言葉をボソリと呟いた。


(マジか……いやまあ配られた手札で勝負しなくちゃいけないのは分かってるけどな)

「し、仕方ないでしょ! あたしまだ新人『案内人』なんだから!」

(新人……それじゃあトップクラスの『案内人』はどれくらいの力があるんだ?)

「ん~と確か、街1つ分を覆えるくらいの感知能力だったかな」

(雲泥の差じゃないか)

「うるっさいわね! やる気なら誰よりもあるんだからいいでしょ! それに熟練の『案内人』だって結局は視認しないと転生者かどうか判別できないんだから一緒よ!」


 近くにいるかどうか分かるだけでもだいぶ違うが、それを言うと火に油を注ぐだけなだとエリオは考え、他のことを口にした。

 何よりも大事なこと、彼女のスタンスだ。


(それで……やる気はあるようだけど、それは俺に人を殺せということか?)


 それを言葉にした途端、エリオの心からドロリとした黒い塊が湧き出てきた。それが何なのかはわからなかったが、不快ではなかった。ただ、それを不快に感じなかった自分にひどく嫌悪感を抱いた。

 リリーはうーんと唸った後、ため息をつくように答えた。


「別に殺したくなければ殺さなくてもいいわよ。最後まで残ればいいんだから、他の転生者が寿命で死ぬまで逃げ続けてもいいわけだし。まあそこら辺はあんたに任せるわ。どうせそれに関してはあたしは何も出来ないし」


 エリオは肩透かしを食らった気分だった。

 もっと駆り立てるようなことをのたまうのかと思っていたが、そうでもないらしい。


(でも、リリーだっって神になりたいんだろ?)

「なりたいわよ。世界を創りたいわよ。だけど……誰かの気持ちを折り曲げてまで創った世界に意味なんてないわ。ま、あんたが乗り気なら別にそれはそれで構わないわよ。それであんたはこのゲーム……神様選定試験をどう思ってるの?」


 リリーの言葉に嘘が含まれてる様子はなかった。真実を語っているのだ。


(俺は……元の世界に帰りたい。肉親を待たせているんだ。だけど、人を能動的に殺すなんてことはできない……)


 なんとも偽善的な答えであった。エリオは受動的ならば、降りかかる火の粉があるならば、殺すと暗に言ってるのだ。今はまだ殺人というものに忌避意識を持っているが、それがいつ覆るのかはわからない。


「そっか。それじゃあ、逃げ続けないとね。まあなんとかなるでしょ。前回の勝者も逃げてたらしいし」


 リリーはそれに気づかず話を進める。


(前回の? そういえば神も初めてじゃないようなことを言っていたな)

「そそ、今回が第三回目だったかな。九百年前に第一回、三百年前に第二回があったのよね。転生者が人魔決戦とか引き起こして大変だったらしいわよ。歴史に名前を刻む人だってごろごろいたみたいだし。まあその頃はあたしまだ生まれてなかったんだけど」

(もしかして『案内人』の中には第一回から参加してる奴もいるのか?)

「そうそう。そういう人たちって自慢話が鬱陶しいのよね。あの時私はああしたこうしたって。それで最後には、今の若いもんは。バッカみたい」


 そんな愚痴を言われてもとエリオは思った。しかしそれより、前回や前々回の選定試験の知識があるのは圧倒的なアドバンテージだ。この部分においても、エリオたちにとって不利な戦いだった。


「あ、そういえば『生まれ』とかについても聞いてたっけ。パパっと説明しちゃうわね」

(ああ頼む)

「『生まれ』っていうのは転生者のみに与えられる記号みたいなもので、『生まれ』によって『アビリティ』が方向付けられるの。盗賊の『生まれ』なら盗賊らしい『アビリティ』が、魔術師の『生まれ』なら魔術師らしい『アビリティ』が身につくってわけ。『生まれ』はある程度血筋にも作用されるけど、基本的にランダムよ。転生した赤子の親が剣士向きの『アビリティ』を多く持ってたからって、必ず『生まれ』が剣士になるわけではないわ。可能性としては十分にあるけどね」


 エリオは転生する直前の神の言葉を思い出す。特別な『生まれ』を与えると言っていた。このゲームに有利になるものなのだろうか。最初から絶体絶命の状況や新人『案内人』と、今のところ不安要素しかない。

 せめて『生まれ』だけでも良いものが欲しいと考えるのが人情だろう。


(『生まれ』はどうやって判断するんだ? リリーが知ってるのか?)

「ううん。『生まれ』はどんな『アビリティ』を持ってるかで決まるから、とりあえず五歳になるまではわからないわ」

(五歳?)

「この世界の一般的風習で、五歳になった子供には『アビリティ』判定を受けさせることになってるの。子供の成長を祝うってことでね。どんな『アビリティ』を持ってるかで『生まれ』が確定するわ」


 結局『アビリティ』から判断するため、『生まれ』というものに特に意味は無いということだ。本当に転生者の特徴を端的に表しただけのものなのだ。記号という表現にエリオは納得した。


(それで、さっきから言ってる『アビリティ』ってのはなんだ?)

「『アビリティ』は言葉どおり、能力や才能のことよ。『短剣アビリティレベル2』だとか『幸運アビリティレベル5』と言った感じで十段階で表わされて、レベルが高ければ高いほどその技能に精通しているのよ」


 リリーは人にものを教えるのが楽しいのか、上機嫌でそのまま言葉を続ける。


「適性のある『アビリティ』は五歳までには何もしなくても発現するわ。しかもそういう『アビリティ』は伸びもいいの。だから、子供の将来のためにも五歳に『アビリティ』判定を受けさせるってわけ。向き不向きがわかるからね。転生者なら天才といえるほどの適正をもった『アビリティ』が必ずあるはずよ。それをうまく使って立ち回っていかないとね」


 神の言葉を文字通りに受け取るなら、特別な『生まれ』とやらに期待してもいいのかもしれない。エリオに希望がわいた。


(『アビリティ』ねえ……ま、それは後のお楽しみか。それで『ユニークスキル』ってのは?)

「これは転生者のみに許された、この第八世界の理を覆す超レアスキルよ。これも『アビリティ』判定でわかるわ。転生者同士の戦いはこのユニークスキルをいかに使うかといっても過言じゃない……って先輩が言ってた」


 なんとも心もとない言葉であった。


(なるほどな、とりあえず、今の俺は『アビリティ』も『生まれ』も『ユニークスキル』もわからないただの赤ちゃんってことだな?)

「そういうことになるわね」

(それじゃあ当分の方針としては、生活の基盤を確保して、この世界の知識を詰め込みながら、適性のある『アビリティ』や『ユニークスキル』を確認するってところか)


 エリオは即座に今後の方針を固めた。


(それよりも気になることがあるんだけど)

「なによ」

(どうしてこんなにゲーム的なんだ? 『アビリティ』とか『スキル』とか)


 リリーは深々と溜息を付いた。


「第八世界神、つまりこの世界の神様ね……その神様が世界を創造するとき、どうにも第三世界の日本っていうところの文化にかぶれててね。その影響がもろに出ちゃったみたい。あの人って面白ければオールオッケーなところがあるから……」


 部下にあの人と呼ばれる神様も珍しいなとエリオは呆れた。


 そうこう『案内人』と話しているうちに、ベルナルドたちは路地裏から表通りへ抜け、周囲の住居とくらべても立派な木造建築の家の前へと立っていた。

 


「おう、帰ったぞー!」


 ベルナルドが野太い声を発しながらガチャリとドアを開け、赤子を抱いた大男と細身の男が家の中へと入った。そのまま彼らはずんずんと進み、居間の扉を開けた。

 大きなテーブルに椅子、鍋などが置かれた生活味あふれる台所に、薪を石の口内でパチパチと小気味よい音をさせながら燃やす暖炉があった。エリオの身体が暖炉の温かみに包まれる。


「あら、おかえりなさいあなた。夕飯の準備はできてるわ。冷めないうちに食べてね。アントニオさんの分もありますよ」


 しっとりとした上品な声でベルナルドたちを出迎えたのはなんとも母性的な女性であった。たおやかな長髪は見るものを癒やし、目尻の下がった瞳は優しげで全てを委ねたくなるような魅力があった。

 彼らの帰りを待っていたようで、テーブルの上には編みかけの編み物が置いてある。


「いやあ、いつもすみませんねマリーナさん」


 アントニオは相好を崩し、テーブルへとつく。マリーナの手料理がお世辞を抜きにしても美味しいと、長い付き合いからわかっているのだ。

 そしてベルナルドの方をチラリと窺う。エリオのことをどうやって切り出すか気になっているのだ。


「マリーナ、新しい家族だ。さっきそこで拾った。名前はエリオだ」


 直球ドストレートであった。ベルナルドはむんずと血まみれの赤子を掴んで、マリーナへと突き出した。


「アホか! ベルナルド、もっと言い方ってもんがあるだろうよ! ゴブリンだってもっとマシな言い訳をジェスチャーで表現するぞ! だいたいさっきまで運命がどうたらこうたら言ってたじゃねえか!」

「ああ? 俺、そんなこと言ってたか? んー、言ってたような気がせんでもないな……ま、細かいことは気にするな」

「気にするっつーの! そんなんじゃマリーナさんも納得いかねえだろうが。家族が増えて大変になるってえんだぜ!? 急には受け入れられないだろ!」


 アントニオの言い分はもっともであった。普通の女性ならこれは受け入れがたい現実だろう。夫が急に子供を拾ってきたのだ。将来設計もクソもない。それどころか隠し子の可能性だってあるのだ。しかし、マリーナはベルナルドへ絶対の信頼を置いていた。


「あらあらどうしましょう~。新しい赤ちゃん用のベッドを買ってこなくちゃいけないわ。その前にお湯で血を洗い落とさくちゃいけないわね。ほ~らこっちでお風呂に入りましょうね」


 マリーナは台所で鍋に水を張り温め始めた。横には湯を受けるための木桶も用意してある。

 アントニオの心配も虚しく、彼女は既にエリオの存在を受け入れたのだ。


「な、マリーナなら大丈夫って言っただろ?」

「……そこは覚えてんのかよ」


 ベルナルドの声はどこか誇らしげであった。

 アントニオは一人相撲をしていたと気付き、やってられない思いで席に座り直した。ベルナルドも向かいの席に座る。

 しばらくのあいだ彼らが雑談をしていると、エリオの洗体が終わった。


「はーい、綺麗になりまちたねぇ~」

(何このプレイ)


 相変わらず言葉を理解してないものの、異常なまでの恥ずかしさをエリオは何故か覚え、羞恥心の限界を迎えるところであった。


「まあ、仕方ないでしょ、あんた今赤ちゃんなんだから」


 リリーに見られていた。そう思うと、なおさらエリオは羞恥心に苛まれ、何かに目覚めそうになった。


(いやそんな冗談は置いておいて、なんとか生活の基盤は確保できそうだ)


 エリオはほっと胸をなでおろす。

 今のエリオは眼と耳を使えないが、リリーに状況の推移を確認してもらっていたのだ。

 マリーナがエリオの身体をタオルで包み、暖炉の前に歩いて行く。


「それじゃあエリオ、ちょっとの間だけ、今日からあなたのお姉ちゃん、エミリアと一緒のベッドにいてね。あなた用のベッドはまた今度買ってくるからね」


 エリオはベビーベッドの上に寝かされた。マリーナは離れ、ベルナルドたちの食事の準備を始める。

 そこには先客がいた。生後半年を過ぎた女の子の赤子であった。


「ああ……エリオ、ひとつ言い忘れたことがあったわ」


 リリーの声は震えていた。緊張が声を通して伝わってくるほどだ。その様子を感じ取ったエリオはすぐさま聞き返す。


(どうした?)

「『案内人』の感知能力でもなかなか察知できない転生者がいるのよ」

(……ほう、それで?)

「実は……赤子の転生者は至近距離で視認しないと判別つかないの……」

(つまり……?)


 エリオは嫌な予感をひしひしと感じ取り、頬が引きつりそうになった。


「今あんたのとなりにいる生後半年ほどの赤ちゃんは、転生者よ!!」

(また絶体絶命かよ!)


 エリオはすぐさま思考を回す。この危機から逃れるため。妹との再開を実現するため。

 相手は生後半年の赤子、早ければ腹ばいもできるだろうし、転生者ならば、手足もいくらか自由に動かせるだろう。反して、エリオは新生児である。ろくに神経が発達していないため、手足を自由に動かせず、まだ視覚も聴覚も定かでない。抵抗する術は皆無に等しい。あるとするなら大声で泣くことぐらいだろう。だが、口と鼻を塞がれたらどうする。それだけで泣くという行動を封じられ、窒息させられる。半年の赤子といえど、転生者ならばそれぐらいのことをやってのけるだろう。目を潰して無力化するというのもひとつの手だ。

 神は転生するタイミングは時間差が生まれると言っていたが、こういうことだったのだ。

 半年早く生まれたというだけで、相手はありえないほどのアドバテージを手に入れていた。


「どうすんのどうすんのどうすんのよー!! これじゃあ逃げることも出来ないじゃない! エリオ、どうにかしないと殺されるわよ!」


 リリーはくせっ毛をわしゃわしゃかき乱し、更に髪先をあらぬ方向へと向けていた。


(そんなこと言われても、俺はどこぞの脳改造されて超能力を使えるような赤ちゃんじゃないぞ! 誰かに助けてもらうしか……うぅっ……)

「ど、どうしたのよこんなときに!?」


 大声で泣こうとしたその時、エリオに急激な睡魔が襲いかかった。

 無理もない。精神は成熟していたとしても、彼の身体はあくまで赤子なのだ。これ以上のエリオの思考に、体がついていかなかった。エリオの意思を無視して、強制的なシャットダウンにはいった。


(う、ああ……睡魔が……くそ、こんなところで、死ぬのか……! 妹に会えず、死ぬのか……! くぅ……そんなのいや……だ……)

「うわああ!! 寝るな寝るな寝るな! 寝たら死んじゃうわよ! いやあああっ! あたしもこんなところで終わりたくないいぃ!」


 リリーはエリオの意識を覚醒させるため叫声を上げ続けたが、その努力は意味をなさなかった。

 エリオは意識を手放してしまったのだ。

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