第一話「神様からのお願い」
それは彼にとってひどく不思議な夢だった――。
彼は覚えのあるでっぷりとした男を組み伏せ、握りしめた何かを男の頭に一心不乱に叩きつけていた。その度に、液体のようなものが男の頭から飛び出した。
覚えがあるはずなのに、肥えた男の名前は出てこない。ただ、男が自分に関係ある人物だということは確かに覚えていた。
それを俯瞰するように彼は眺めていた。何故か自分が行っていることを異なる視点で自分が見ている。だからこそ、ここは現の世界ではないと彼は感じていた。
それは彼にとってひどく恐ろしい夢だった――。
肥えた男の頭部がひしゃげ、液体ではない何かが漏れ出ていた。男の抵抗はそれに伴って弱まり、ピクリともしなくなった。何の反応も返さなくなったそれに、それでも彼は叩きつけるのは止めなかった。体力の限界まで腕を振り下ろし続けた。
しばらくして、男の頭部のシルエットが人間のそれとは判別つかなくなった頃、彼の手は止まった。
何かを振り下ろしていた彼が、荒々しい息をつきながら、上を仰ぎ見る。俯瞰していた自分と目が合った。お互いの表情はなぜか、黒いシルエットで覆われていた。
――だが、どんな形相を浮かべているかは手に取るように理解していた。
それは彼にとってひどく心地の良い夢だった――。
――――――――――――
「うああっ!!」
歳は20を過ぎた頃、ボサボサ頭の男が飛び跳ねるように起きた。はぁはぁと息せき切って、まるで悪夢を観ていたかのようだ。
彼が長い前髪に隠れた鋭い目つきで周りを見渡すと、辺り一面真っ白な空間に彼と同じように、今起きたばかりか、まだ眠っている人が何十人もいた。
「なんだ、今の夢……それにここは? 確か、車に……ッ!」
彼は意識を失う直前のことを必死に思い出そうとした。
目の前にトラックが迫っていたことまでは覚えている。だが、前後の記憶を思い出せなかった。なにが原因で引かれたのか、そしてその後のことも……。
だが、分かる範囲で自分の現状を把握しなければならない。そう考えた彼は、とりあえず夢のことは置いておき、事故の状況を鮮明に思い出そうとした。
4トントラックだった。
彼の記憶が確かであれば、4トントラックに横から激突されたはずだった。それもかなりの速度だったように思う。
普通の人間であれば、死ぬには十分なはずだ。
(もしかして俺は……もう死んでいる? だからあんな変な夢を?)
呼吸が荒くなる。
焦燥感にも似た何かが彼の心を掻きむしり、万力で締めあげられたように痛んだ。
決して彼は己が死んでいるかもしれないから恐れているのではない。彼が心配しているのはたった一つ。この世でただ一人の肉親である、歳の離れた高校生になったばかりの妹の存在だった。
もし自分が死んでいるのであれば、妹はどうなるのだろうか?
妹が幼い頃に両親は死んでしまった。母親は病で、父親は事故だった。
妹に両親の記憶はない。俺は両親に愛してもらった記憶があるが、妹にはないのだ。だから俺が親の代わりに妹を存分に愛した。頼りなかったかもしれないが、妹のために俺は必死になったし、どんなことでもした。
妹に幸せになって貰いたかった。
親がいないからなんだって言うんだ。
施設で暮らしているからってなんだって言うんだ。
幼い頃から共に過ごした妹。一緒に遊び、おかずを分けあい、喧嘩もして、勉強も教えてあげた。夜寝れないからと言って一緒に寝ることもあった。社会に出た後も、妹のための大学資金も少しずつ貯めていた。
そんな妹を一人残して逝くなんて、そんなことはできない。何としてでも、妹の元に帰らないといけない!
たとえ死んでいたとしても!
そう彼は決意を固めた。
(そういえばあのとき、近くに誰かがいたような……だめだ、事故のショックのせいか思い出せない)
これ以上何も思い出せないと見切りを付けた彼はボサボサ頭を左右に振り、再び周りの様子を確かめた。
先ほどとは違い、横になっているものはもう誰もいなかった。だが、彼のように現状を把握しようとしているものはごく僅かであった。
「おい、どうなってるんだ! 責任者でてこい!」
意味がわからなくて喚き立てるもの。
「なんで……どうして……うぅっ」
さめざめと泣くもの。
「ああ、もう。このあと予定があるのに!」
苛立ちを隠せないもの。
「おーい! ここはどこ? なんかのイベント?」
脳天気に誰かに訴えかけるもの。
「はは……僕もう……死んでるんだよな」
死んでいることを確信して絶望しているもの……反応は様々だ。
だが、一概に共通していることがある。全ての人間の顔が白いモヤに覆われ、更に声にノイズが走ったかのように変声されているのだ。
(どういうことだ……? 俺の頭がおかしくなったのか、それとも誰かの仕業か?)
彼はこういうときでも冷静になり、思考を回転させ続けた。
――心が死んでも思考は止めるな。
彼の持論だった。
幼い時から寄る辺のない彼は、多くのことを自分で処理し、そして妹を守らねばならなかった。
幼い彼が唯一常に自力で妹のためにできたことといえば、考えることだ。
どうしたら妹にとって良い結果になるか。
どうしたら妹が笑顔になってくれるか。
常にそれだけを彼は考えていた。
彼は妹を両親と同じ、いやそれ以上に愛すると決めたのだ。その点において手を抜くことは許されることではなかった。それは妹を裏切るのと彼の中では同義であるのだから。
(恐らく、ここにいる全員の共通点は……)
死者だということだろうと彼は推測を立てた。
自らの記憶。そして周囲の反応を見るに、病死や事故、自殺、他殺までは分からないが、死んだことを受け止めている人たちがちらほらといる。ショックで忘れている人もいるようだが。
その推測は彼自身の心を恐怖で震えさせるには十分だった。やはり妹の心配を一番に考える彼とて、この状況に恐れを抱かずにはいられないのだ。
「さて、これが死後の世界なのかそうじゃないのか。それが問題だ」
彼はボサボサの髪の奥で、眉間にしわを寄せた。刺すような目がさらに険しくなる。
ざっと見て百人。なぜこの百人がここに集められたのか。そこに意図はあるのか。あるとしたらどんなものか。
(……ダメだ、情報が足りないな。これ以上は主催者が出てきてもらわないと)
彼はふと自分の口元に手をやった。広角が上がっていることに気づいた。
この異常な状況下の中彼は、恐怖に支配されながらも、一人だけ笑っていたのだ。
(なんで俺、笑ってるんだ? 死んでるかもしれないってのに……あれ、そういえば……)
何かを思い出せそうだった。
彼にとって一番大切なこと。
妹という絶対存在を覆すもの。
彼にとって決定的となる生きる指針。
彼の心臓がしきりに跳ね上がった。再びそれを手に入れることへの歓喜、思い出すことへの狂喜。それに支配されそうだった。
「なんだ……こ、れ……ぐぅッ、ああぁっ……」
良心や倫理、道徳と呼ばれるものがそれに反発した。
立っていられなくなり崩れ落ちる。
もう彼の思考はマグマのように煮えたち、翻弄されるだけだった。
しかしその時――。
「はい、ちゅうーーーもーーーーく!!」
甲高い子供のような声が頭上から響き渡った。
彼を含めた周囲の人達が頭上へと視線を向ける。
何時からそこにいたのか、白いローブを頭から纏った人物が現れていた。ふよふよと浮いていて、顔はローブの影になって見えなかった。
「おい、はやくここから出してくれ! このあと予定が詰まってんだよ!」
「そうだ、そうだ」
「てめえが責任者か! どういう落とし前をつけてくれるんだ?」
「そうだ、そうだ」
「すっげー、なにそれワイヤーアクション? やっぱイベントだったんじゃーん。楽しませてもらうね」
「そうだ、そうだ」
「なあっ! 俺たち死んでんのか? 死んでるんだろ? そうならそうと言ってくれ!?」
「そうだ、そう……え、まじ?」
がやがやとノイズの走った声がローブの人物へと次々にぶつけられる。
それを鷹揚に頷きながらローブの人物は聞き流していた。
そして、彼らの声が静まった直後にこう切り出した。
「キミたちは地球での生の終わりを迎えました」
一瞬の静寂の後、怒号や悲鳴、うめき、叫び、あらゆる負の声が真っ白い空間を盛大に震わせた。
彼の混迷した思考は、妹のことに焦点を合わせ始めた。第三者から死を突きつけられ、半信半疑でいた事実を明確にされたことにより、妹を思う気持ちがことさら強くなったのだ。混迷していた彼の思考がクリアなものへとなっていく。
決定的な何かは記憶の奥底へ埋もれてしまった。
彼はホッとする反面、何故か惜しいと思ってしまった。それが何かもわからないのに。
それよりもこの状況を把握しなければならない。
彼は口を開き、ローブの人物へと尋ねた。
「それで、あんたは俺達をどうしたいんだ?」
「あれ? キミは意外と冷静なんだね。いつもなら『はいみんなが静かになるまでに一人死にました』ってアホみたいな教師の真似をしながら見せしめに殺して黙らすんだけど。いやまあ、キミたちは死者なんだけどね。いや正確には死者と生者の境目……ってこんなことはどうでもいいか」
その言葉を聞いて、喚いていた人たちは口をつぐみ、恐怖に頬をひきつらせた。
(いつもなら……? この人にとっては初めてのことじゃないってことか。そして見せしめに殺す……俺達には生き延びるチャンスがあるってことか?)
彼は脳内でいくつもの可能性をすぐさま洗いだした。なによりもまずは情報なのだ。
「白いもやにノイズのある声、この真っ白いどこまでも続く空間、そして多くの人達が自分の死の光景を覚えている。外的要因によりこの状況が作り出されているとしたならば、一般的な組織によるものや事象では説明がつかない。これは超常的な現象、言うなれば神のような存在が創りだした状況だと言える。まあ、内的要因……俺の頭がイジられていたり、催眠に掛けられていなければだけど」
彼は自分が知りうる常識を強く信じている反面、どのようなことでも可能性は存在するという思想を持っていた。だからこそ有り得ない前提から有り得ない存在を導き出すことに成功していた。
「ピンポーン! いいねいいよキミ! 大正解さ! ボクは神様。と言ってもキミたちの世界の神様じゃないんだけど、ボクは第八世界の……ってそんなことはどうでもいいよね。キミたちに手伝ってほしいことがあってね」
顔はみえないもののひどく幼い印象を彼は受けた。
「あ、そうだ。断っておきたいんだけど、ボクがキミたちを殺したわけじゃないからね。記憶がある人にはわかると思うけど、キミたちは病死、自殺、他殺、事故、寿命……死因はわからないけど、キッチリと地球での生を終えた存在なわけ。あ、正確には地球の日本。神様でもキミたちの人生に介入するには、すっごく面倒な手続きを踏まなきゃいなけないわけ。本当なら、このまま天国か地獄かへの振り分けがなされるんだけど……」
そこでローブの人物は言葉を区切り、
「おめでとう! キミたちはボクの世界に転生することになりました!」
ローブの人物が両腕を広げ、その言葉を放った途端、彼らの頭上に幾つものくす玉が出現し、開かれ、紙吹雪とともに垂れ幕が降りてきた。
――祝、転生! 剣と魔法のファンタジー、第八世界へようこそ!!
垂れ幕にはそう書かれていた。
「ちゃんとキミたちの世界の神様には、キミたちを転生させることについて許可をもらってるからね。ほらこれ書類!」
ローブの人物が用紙をぺらぺらと振りかざしている。その用紙には第三世界神と書かれた判子が受領印として押されていた。
「こういう手続きしっかりしとかないと、あとで事務がうるさいからね。それに、責任の所在は明確にしないと。謂れのない責任までふっかけられたらたまんないからね」
(神様の世界も大変なんだなあ……)
彼は社会人として神様に親近感を覚えたが、社会のしがらみに囚われている神様には少し抵抗も感じた。
彼だけでなく周囲の人たちもそうなのか、顔はモヤでわからないものの、すこし和んでいるようだった。
今すぐどうにかされるわけではない。転生ということは人生をリセットしてもう一度生きられるということだ。それに関しては人によって賛否両論あるだろうが、なによりも再び生き返られることが重要であった。
降って湧いたような希望が彼らの心を弛緩させていた。
「キミたちをこれから異世界、というかボクが神様をしてる第八世界の赤子として転生させます。正確には意識を生まれたての赤ちゃんに植えつけます。もちろん地球で生きた記憶を残したまま! ゲームでいうところの強くてニューゲームみたいなもんだね。あ、転生するタイミングはちょっと時間差が生まれるかもしれないけど」
その話を聞いて、まるでラノベのような話だと喜ぶものもいれば、地球に残してきた人を想い、後ろ髪引かれているものもいた。だが全員の心の根底にはひとつの思いがあった。死ななくて済む、ということだ。
「話がうますぎだ……それで、俺達に何をして欲しいんだ?」
彼は落ち着いた声で訝しげにローブの人物に尋ねた。だが内心は悦びに満ちていた。他の人のように安堵ではなく、悦びだった。しかし、彼自身その悦びが何に対してなのか理解しておらず、戸惑いを抱いていた。ただ、背徳を秘めた暗い悦びなのは確かだった。
「またキミか、壊れ……いや失礼。それにしても、キミは鋭いね」
自称神を名乗る人物が興味深げに彼を見つめた。そして、全員をぐるりと見渡す。
「もちろん転生する代わりに、キミたちにしてもらいたいことがあるんだ。それは『案内人』と呼ばれる妖精みたいな存在と、各自ペアとなってちょっとしたゲームに参加してもらいたんだ」
「ゲーム?」
「そ、ゲーム。そのゲームに勝利したペアの『案内人』は、神様になって自分の世界を持てるんだ。まあ、このゲームは言ってみたら神様選定試験みたいなもんさ。この白いもやとか声が変わってるのも、ゲーム参加者のクセとか先入観をわからなくするためなんだ」
ローブの神はそのまま続ける。
「もちろん、転生者にも特典はある。優勝者は神になったばかりの『案内人』に願いを一つだけ叶えてもらえるんだ!」
その言葉に周りがざわつく。
「そ、それは不老不死もか!?」
「もちろん」
「元の……地球に戻ることは!?」
「もちろん」
「誰かを生きかえらせるのは!?」
「もちろん」
「買いそびれた『魔女っ子☆ヒスイちゃん、スク水バージョン』のフィギュアを入手することも!?」
「え、あ、うん……キミが望むんだったら」
周囲の人達は矢継ぎ早に自分の望みをローブの神へとぶつけた。その全てに神は肯定的な答えを返した。
彼も周囲の人達と同じく、叶えたい願いがあった。
(このゲームに勝てば妹にまた会える……)
小さな光かもしれないが、彼にはそこ以外に進む道はなかった。それほど、彼は妹を愛してやまないのだ。
「それでゲームの内容は?」
彼は神に尋ねた。
「いやー、キミがいると話が早くて助かるよ。えっとね、ゲームっていうのは、まあ簡単に言うと……」
――ちょっとキミたちに殺し合いをしてもらおうかなって。
弛緩していた空気が冷水を浴びせかけられたように一気に引き締まる。誰も言葉を発することができなかった。
「ルールその一、百の『案内人』と転生者のペアで争って、最後のペアとなれば勝利である」
そんな雰囲気を意に介さず、神はルール説明を推し進めた。
「ルールそのニ、キミたちにはランダムで『生まれ』を振り分けられ、それに応じた『アビリティ』が与えられる」
「ルールその三、キミたちには一人につき一つ、『ユニークスキル』を与えられる」
ここにきてやっと、周囲の人達から叫声や怒号の声が上げられた。死を経験したと思ったら、今度は死者を生み出せと言われたのだ。反発するのは当たり前である。
だが目付きの鋭い彼は違った。辺りの喧騒を無視して、自称神である人物の一言一句聞き漏らさないように耳を傾けた。もう既にゲームは始まっている。聞き逃しなどあってはならない。
これは妹に再び合うためなのだ。
「ルールその四、キミたち各個人に『案内人』がつく」
神も喧騒を無視して、自分の言いたいことだけを言っていく。
「ルールその五、最後のペアの『案内人』は神となり、転生者は神となった元『案内人』に願いを一つ叶えてもらえる」
「ま、これ以上の細かいことは『案内人』に聞いてね。それじゃあ、いってらっしゃーい!」
神は最後まで周囲の人達の喧々囂々とした文句には取り合わず、急ぎ足で説明を終えた。
その瞬間、神を中心としたまばゆい光の波が、彼らを包み込んだ。
そして転生する直前――。
「あ、そうだ。キミはなかなかいい読みをしてたし、説明の進行を促してくれたから、特別な『生まれ』を与えてあげるね」
子供のような甲高い神の声が彼の耳元でそう囁いた。その声は、いたずらを仕掛ける子供のように意地の悪い響きを含んでいた。
しかし、彼はそれに対して何を思う間もなく意識を失ってしまった。
そして、光の波が収束すると、そのどこまでも、どこまでも真っ白い空間には、白いローブを頭から羽織った神だけがぽつんと残された。
騒がしかった百人の人々はもうそこにはいない。
「さてさて、今回はどんなドラマがみられるのかな」
新しい玩具を買い与えられた幼子のように、彼の声は弾んでいた。
――――――――――――
(うぅ……ここ、は?)
彼が次に覚醒したとき、何もかもが不自由になっていた。
まず、彼の身体は何かに嵌っているのか、思うように動かせなかった。視力も薄ぼんやりとしか見えず、明暗が分かる程度だ。そして耳も何かが詰まっているのか聞こえづらかった。口に至っては呂律がうまく回らなく、意味のある言葉を紡げなかった。
(これが赤子の身体なのか?)
人であるならば誰もが経験してるはずだが、そのような時期の記憶などあるはずもない。
再びの初めての経験に彼は戸惑いと不安を覚えた。今の状態では自力で何一つ解決など出来ないからだ。
(転生はすんでいるということか、そういえば、新生児は嗅覚が発達していると読んだな)
図書館通いをしていた頃、そういう本を読んだことがあった。あの頃は本であるならば何でも読んだ。彼は自分の知らない世界を知ることに楽しみを覚えるのだ。
それを使って、彼は今自分がどんな状況に置かれているかを確認しようとした。
耳が聞こえにくいとしても、人の声が全く聞こえないのはおかしい。赤子であるならば、母親がつきっきりで世話をしなくてはならない。だが、周りには母親の、いや、人の気配が全くないのだ。
赤子の鋭い嗅覚は様々なものを感じ取った
木材の甘い匂い。
乾ききった土の匂い。
さらさらとした雪の匂い。
凍てついた夜の空気の匂い。
そして――
むせ返るような血の匂い。
(な、なんだこれは!?)
彼はそこで赤子は触覚も発達していることを思い出し、手当たりしだいに短い手足を伸ばす。すると、柔らかな感触に当たった。
そこで彼は気づいた、自分が何かに嵌っていると感じたものが何なのかを。この優しい柔らかな感触。彼はどこかに嵌っているのではない。誰かに抱かれているのだ。
しかし、その腕からは体温というものが全くと言っていいほど感じられなかった。
つまり――
(もしかして俺は今、夜の雪の降る外で、死人に抱かれているのか!?)
彼の予想は的中していた。
雪がふるほど凍てついた夜の街の路地裏で、ぼろを血で真っ赤に染めた女性が、赤子を身体で抱くようにして切りだされた木材に背中から寄りかかっていたのだ。
このままでは、彼は一日を待たずして、死んでしまうだろう。