第1話(その5)
ザンッ!――それはまるで疾風の刃。荒れ狂う黒い暴風が閃光となってわずかに気の緩んだ少女に襲いかかった。
「アリエステルさんっ!!」
ぼくの目の前でゆっくりと、スローモーションのように倒れる少女。その肩から赤いものが飛び散らばる。
ドサッ!――銀色の髪が大地に大きく広がった。
「柊、なぜ私を庇った!?」
アルスラ先輩はアリエステルさんの元に駆け寄ると、彼女の身体を抱き起こした。
アリエステルさんは――自分だけなら今の奇襲は避けられた。でも彼女はむしろ自ら暴風の前に飛び出した。あのままだと攻撃はアルスラ先輩をも巻き込んでいたからだ――だから彼女はあえて間に入って盾になった。
「……だ、大丈夫…です」
アリエステルさんは苦痛に顔を一瞬歪めたが、少しよろけただけですぐに立ち上がる。
右肩を左手で押さえながら虚空を睨みつける。
慌ててぼくも周囲を見渡した。襲撃者の姿はどこにもない。
「怪我は……傷は大丈夫か?」
アルスラ先輩が尋ねた。
「ええ。斬撃は辛うじて皮膚表面で防げましたので。でも衝撃そのものは吸収し切れませんでした。それに……」
アリエステルさんは少し恨めしそうな表情で肩口に開いた裂傷を見た。
大きく切り裂かれた制服の上着。珍しくアリエステルさんが不機嫌そうな表情になる。
どうやら身体へのダメージは大したことなかったみたい。でもアリエステルさんはお気に入りの服――聖之杜学園の制服を傷つけられたのがショックなようだ。
斬りつけられて飛び散ったのは、あの赤いのは上着の切れ端だったみたい。ぼくは少しだけホッとして胸を撫で下ろした。
「全く頑丈な奴だな」
アルスラ先輩は呆れたように呟いた。
でも良かった。アリエステルさんの肉体――素肌は相当に頑丈な魔力保護で守られているらしい。
「そんなことよりアルスラさん、マユリさんたちを連れて今すぐここから離れてください、早く!」
「何を言っている!? 柊を置いて自分一人だけ逃げられるものか!!」
アリエステルさんの警告にアルスラ先輩は激しく首を振った。
「今の一撃、この通り犯人は私の魔力防壁の第一層を貫いています。つまり――」
その言葉にアルスラ先輩はハッと厳しい表情になる。
「つまり奴は対魔力闘法を知っている、という訳だな」
ぼくは周囲を見渡し犯人の姿を追った。
すっかり日が沈み植物園内――辺りは完全に暗くなっている。空は半分曇り月明かりもない。街灯の薄明かりがわずかな頼りだ。
地上をぐるりと見渡したものの木陰とあいまって闇は濃く、どこにもあいつの気配は感じられない。
そういえばあいつは飛んできた――つまり今もこの空のどこかにいる?――ということだろうか?
しかし一体どこに潜んでいたというのか? この身を隠しようもない空の上で?
ぼくはあいつが隣に来るまで、気配すら感じ取れなかった。
でも一つ覚えていることがある。
隣をすれ違った時に感じた、あの凄まじいまでの殺気――間違いなくあいつはアリエステルさんだけを狙っていた。
ぼくは全神経を闇夜の捜索に集中した。
この空のどこかにあいつはいる――そう信じて。
「あの影に心当たりはあるのか?」
アリエステルと背中合わせに立ったアルスラが尋ねる。
逃げろと言われたからといって、命の恩人を置いておめおめと逃げられる訳がない。それは大英帝国陸軍情報総局第0課、別名『国教魔術騎士団』団員の誇りでもある。
それに二人協力して背中合わせに立っていれば、最悪死角からの奇襲攻撃は避けられるはずだ。
「……あるといえばありますが、ないといえばないですね」
「はっきりしない奴だな」
「すみません。ですが多分……さっきのマンション事故の犯人は彼でしょうね」
「……なるほど。そういうことか」
アルスラは感心したように頷くと、腰から聖剣を引き抜き構えた。
しかし表情は未だ強張ったままだ。無理もない、先ほど彼女が一切効果的なダメージを与えることが出来なかったアリエステルを奇襲とはいえ、一撃喰らわせた敵が相手なのだ。
しかも相手は気配を完全に断つことができ、未だに姿を一切見せていない。完璧な隠形の術を使える、そういった能力の持ち主という可能性もある。
対魔力闘法を熟知した玄人が相手となれば、対抗出来る能力を持たないアルスラでは危険極まりない相手と言えよう。獅子に赤ん坊が立ち向かうようなものだ。
手加減してくれていたアリエステルと違い、もし強力な一撃を受けたら魔力回路、つまり魂を粉砕されかねない――そうすれば間違いなく待ち受けるのは死あるのみだ。
「策はあるか?」アルスラが尋ねた。
「残念ながら……」アリエステルは正直に答える。
「未来を視るという能力とやらは使えんのか?」
「あれは直近の戦闘に役立つような便利な能力じゃありませんよ。『視る』のにも、『演算する』にもそれなりの手間と魔力を要します。貴女がたを含め、まさかこのタイミングで襲って来るとは思っていませんでしたしね。本当に迂闊でした」
そう呟いてアリエステルは小さく苦笑いした。
マユリの言う通りだ。もう少し先まで因果線の彼方を視ておくべきだった。真琴のことばかりに気を取られすぎていた――今さら悔やんでも仕方ないのだが。
だが同時にマユリは勘違いをしている。真琴が今日下校時に死亡する可能性は7回あった。マンション崩落を選んだのはその後にも起こるかもしれない全ての可能性を考慮しても、あれが一番最も周囲への被害、人的損耗が少なく出来る『イベント』だったからだ。
マンション崩落なら落下物を除去するだけで被害を抑えられる。
全ての死亡イベントを回避するルートを演算出来なくはなかったが、アリエステルはそれを避けた。犯人を誘い出そうと欲をかいたせいもある。飛び上がったのは実行犯の姿を確認するためだったが――残念ながらそれには失敗した。
そして結果犯人どころか六華姫を招き寄せてしまった訳で――なかなか上手く結果を思いのようにコントロール出来ない。
実際のところアリエステル自身この『未来史編纂能力』を積極的に未来改竄に使うのは今回が初めてだ。だからもうこれは仕方のない話である。圧倒的に経験不足なのだから。
『未来史編纂』とは対象が持つ固定運命因子と、数ある変動選択肢の中から可能性の分岐点を導き出し、その先の因果を先導演算し、数ある『物語』の結末へ至る選択肢を自由に選ぶことが出来る能力だ。
言い換えれば個人の運命という名のフラグを操り、未来を変える――しかしこの操るという言い方も正確ではない。どちらかといえば線路のポイント修正に近い作業だからだ。
運命という名のレールの上を走る列車が個人とすれば、この能力はそのレールのポイントを切り替える。途中通過する駅は大体決まっているし、運命の復元力は駅へ戻ろうと進路を変える。
この能力でいつでもどこでもポイントが切り替えられるとは限らない。ましてやそのレールの先がどうなっているのか、どこへ行くのか、時にはやってみなければ分からないことだってある。
それに――多数の人間の全ての運命を同時に操れるという便利な能力ではない。特定の人間の未来を変えるということは、同時にその周辺にいる誰かの未来を勝手に編纂してしまうということでもある。
それはバタフライ効果によって思いもしない効果を、予想外の結末を導き出してしまう可能性だってある。
運命特異点――アリエステルがそう呼んでいる世界の運命、世界の行く末に影響を及ぼすような人間が対象になると、その効果は時に計り知れないものとなるだろう。
現に本来ここで戦うはずではなかった六華姫とアリエステルは戦う羽目になってしまった。事故の先、もうわずか先まで未来視していれば今回の六華姫強襲や犯人の再襲撃は防げたのかもしれない。
ただそれを今さら後悔しても遅い。過去はけして変えられない。たとえそれがどんなに強力な魔法であってもだ。
しかし未来は変えられる。未来には可能性という名のチャンスが、分岐点が用意されているのだから。
こんなピンチどうということはない。アリエステルはポケットの中の黒棒を握り締めた。
今から3年後に破滅する魔界の未来――6年前、その結末を初めて視た時の絶望に比べたら。
それからの2年間――彼女は18万6245回、昼も夜も未来史編纂を行いあらゆる可能性を模索した。
しかし全ての可能性において未来は破滅しか映さなかった。その時の絶望と言ったら――しばらくは夜も眠れない日々が続いたほどだ。
その破滅の未来にたった一筋の希望が見えたのは4年前。
一人の人物との出会いがアリエステルの運命を変える切っ掛けとなった。
わずかに生まれた可能性――それは地上界を滅ぼしにやって来る災禍の王の到来を防ぐこと。
それが唯一無二、魔界を――いや、地上界を取り巻く全ての世界を破滅から回避する手段であることをアリエステルは知った。
そのためにアリエステルは4年の歳月をかけて地上界にやってきたのだ。
日本語を学び、日本の風習を勉強し、日本のカルチャーを覚え、日本で生活するために。家事も料理も必死で覚えた。
だからこんなところで挫ける訳にはいかないのだ――柊真琴を守り、彼と共に生きることで彼女の願いは達成出来るのだから。
それにしてもまさかマンション崩壊の襲撃犯がこうもあっさり再襲撃して来るとは――正直アリエステルは予想していなかった。
常識的に考えればあんな大騒ぎを起こせば相手も警戒して以降手を出しにくくなる。てっきり一度撤退して様子を伺い、日を改めて襲って来るものとばかり思っていた。
恐らく襲撃者はアリエステルと六華姫との戦いをどこかで観察していたのだろう。そして六華姫の実力を判断し、彼女たちが自分の行動の障害にならない――つまり敵ではないと判断した。
アリエステルが六華姫に勝利し、わずかでも疲労し、隙が出来る一瞬を狙ったのだろう。
地上界不介入。地上に住む一般庶民に迷惑をかけないのがサクラ条約、つまり異世界から訪れる来訪者の常識だ。しかしそれを遵守せよという決まりもまた無い。
特にサクラ条約の違反者、つまり無許可で地上界に侵入した異世界人は最初から極刑の対象となりうる。
三千世界を救うための勇者育成計画が推進中の今、管理局の目も厳しい。計画反対の一派が地上界にそうそうやって来れるとは思えない。つまり襲撃者は最初から死を覚悟している可能性も高い――魔界の造反者か、他世界の敵対者か。
「多分我らと対戦した柊が勝利して気の緩む一瞬を――その隙をどこかで伺っていたのだろうな。我らも都合良く利用されたということか」
周囲に気配を配りながらアルスラがくそっと歯噛みする。
どうやら同じ答えに辿り着いたらしい。アリエステルは心の中で感心した。たしかにマユリの言う通り彼女の直感力は素晴らしい。
ちゃんとした魔術の師に学べば、きっといい魔法闘士になれる。
「とりあえず少しでもこの場を離れましょう。他の皆さんを巻き込むわけにもいきません」
アリエステルが気になったのは空の上の真琴だ。一応魔法で保護してあるが完全に丸見えの状態である。
襲撃者の狙いが自分である以上、彼が狙われる可能性は少ないはずだが。
後は地面に倒れたま5人の六華姫だ。彼女たちが身動き取れないのは自分の責任でもある。
「我々に気を使いすぎた柊」
アルスラは呆れたような声をあげた。とはいえこの短い時間でアリエステルの性格も承知している。
彼女の性分では身動きの取れない5人を気遣うのも無理ないだろう。バカ正直なくらい心根の優しい娘だ。アルスラは改めてアリエステルに好感を抱いた。
「アリエステルさん、ぼくの右前方上空!!」
その時、上空にいた真琴が叫んだ。慌てて空を見上げるアリエステルとアルスラ。
「なんだ?」
「あれは非実体結界――なるほどそういうことでしたかっ!!」
アリエステルは真琴の意図を一瞬で見抜くと、黒棒を変形させた。
まばゆい光を放ち瞬時に変化する黒棒。白い輝きに包まれたそれは一瞬で刃渡り2m近い巨大なV字形――黒いブーメランへと姿を変える。
「たぁぁぁぁぁっ!!」
アリエステルは勢いをつけるとサイドスローから一気に放り投げた。
投擲する瞬間、魔力で全身の筋力を増幅。
ドン!――空気を震わす衝撃波を放ち、黒刃が闇夜を切り裂いた。
ぼくの遙か上空にそれはあった。
最初に気付いたのは空気の歪みだ。後ろの景色との何気ない微妙なズレ。見えない何かがそこにある。
その違和感に気付けばあとは簡単だった。あの殺気の臭いみたいなもの――残り香みたいなものは一度認識すると忘れることはない。強く感じる。
だからぼくは迷うことなく叫んだ。
「アリエステルさん、ぼくの右前方上空!!」
大丈夫、それだけで伝わる。
ぼくは信じた。
アリエステルさんは空を見上げると――すぐにぼくの発言の意図を理解した。
厳しい表情だったのがパァッと明るくなり、ぼくに向かって笑顔を向ける。
アリエステルさんが巨大なブーメランを投げた。
ズバババッ!!――まるで破裂するような衝撃音が闇空の一画に炸裂し、次の瞬間空が爆発した。
中から黒い影が飛び出す。間違いない、あいつだ。
やはり『見えない封印』の中に隠れていたんだ――黒い影はまるで獣のように4本足で虚空を疾走すると、地面へ向かって駆け下りる。
「フッ、ようやくお出ましか。貴様……何奴だ!?」
アルスラ先輩は剣を構え叫んだ。
だが黒い影はその様子に反応すらしない。地面に降り立った黒い影は立ち上がると――身長は1m70cmくらいだろうか。アリエステルさんやアルスラ先輩と同じくらいの背丈だろう。
全身を黒い巨大なローブで包み、頭もすっぽりフードに覆っている。そのためそいつの中身が人間なのか、それともそれ以外の何かなのかまるで見当が付かない。
どんな表情をしているのか、そもそも感情があるのかさえ伺い知れない。全く不気味な存在だ。
一つだけ分かるのは、あの黒い影が凄まじい殺気を放っているということだけだ。今も影はアリエステルさんを睨んでいるみたい。まるで憎しみの権化だ。
だからあいつに感情があることだけは確かだ――でもなぜそこまでアリエステルさんを憎んでいるのか、ぼくには分からない。
「アルスラさんは下がってください!」
戻ってきたブーメランを手にしたアリエステルさんは再び黒刀に変化させ構える。
「来るぞ、気をつけろ!!」
アルスラ先輩の警告とほぼ同時に黒い影は飛び出した。凄まじい速さで大地を駆ける。
六華姫も相当な速さだったけど黒い影は比較にならないくらい速い。さっき奇襲して来た時よりもさらに速いんじゃないか――空を飛ぶより地面の上の方が本気を出せるってことか。
恐らく魔法の力で筋力を強化しているのだ。圧倒的な常人離れした速度――それこそ注意していないと、あっという間に目を離されてしまう。まさに目にも留まらぬとはこのことだ。
ザンッ!!――黒い影は移動しながらすれ違いざまに斬撃を放つ。
アリエステルさんは魔力障壁を展開して斬撃を逸らすと返す刀で攻撃した。だが相手の動きが速すぎて完全に空振り。
アリエステルさんの剣捌きも驚くほど鋭い。だがそれでも圧倒的なスピードの差。
それにやっかいなのは超神速の移動から繰り出される斬撃だ。あれはその威力もさることながら同時に発生する衝撃波が幅広い。
つまり斬撃はおろか衝撃波も避けないと大きなダメージを受けてしまう。そのためどうしても回避マージンを大目に取らなければならない。二人はなんとかギリギリのところで――辛うじて影の攻撃を避けつつ、ジリジリと後退していく。
ぼくは上空から戦況を見つめ、アリエステルさんたちの思惑に気付いた。
慌てて周りを確認し――決意を固める。
ぼくに与えられた選択肢はそんなにない。だけどアリエステルさんの戦いのフォローをすることくらいなら出来る。
空中の透明ブロックの範囲は把握してる。少し下がったぼくは短い助走から勢いをつけて一気に加速――飛び出した。
えいっ!――ジャンプしたぼくは落下しながらも一気に数mを飛び越えて目の前の大木に飛び移る。
手を伸ばして枝を掴む。まるでサーカスの曲芸師のように逆上がりでクルリと1回転、ぼくはそのまま次々と枝を飛び越え地面に向かう。
うわっ、怖ぇぇぇっ!!――でも意外にやってみれば出来るもんだ。なんとか地面に降り立ったぼくは身を低くしながら地面に倒れていた六華姫の元へと向う。
「動けますか先輩?」
ぼくは倒れていたマユリ先輩を助け起こした。エキゾチックな先輩の黒髪は網目が解け、ちょっとなんだか色っぽい。
ぼくが最初に彼女を選んだのは、上から見てて彼女のダメージが一番軽微そうに見えたからだ。他の4人は打ち所が悪かったのだろう、起き上がることすらままならない状態だ。
「は、はい大丈夫です。なんとか……うっ」
痛むのか肩口を押さえるマユリ先輩。気丈にも彼女はぼくに優しく微笑むと、槍を支えに立ち上がる。
「アルスラとアリエステルさんは?」
「戦っています。今は襲撃犯を引きつけてあっちの方へ」
ぼくは植物園の奥を指差した。
キンキンと激しい鍔迫り合いの音が闇の中から聞こえて来る。
「でしたら、今のうちに全員を安全な場所まで避難させましょう」
マユリ先輩は頷いた。どうやら彼女もアルスラ先輩の思惑に気付いていたらしい。流石だ。
ぼくらは手分けして他の先輩の救出に向かうことにした。ぼくは赤髪先輩と金髪ショート髪先輩。マユリ先輩が茶髪先輩の元へ走る。この3人ははまだ打ち身程度で済んでいたから良かったけど、栗毛先輩のダメージは結構深刻だ。もちろん命に別状はない。だけどあの大噴火の攻撃で彼女は全身魔法によるダメージを受けていて、立つ事もままならなかった。ちょっとやりすぎだよアリエステルさん。
ぼくとマユリ先輩の二人で肩を貸し、なんとか安全そうな木陰まで栗毛先輩を運んだ。これでアリエステルさんたちが周囲を気にせず安心して戦えるといいんだけど。
ガギン!ガギン!ガギン!――闇の中、遠くから聞こえて来るのは激しくぶつかり合う戦いのメロディー。
ぼくは気が気でならない。あの黒い影――奴は並の力量じゃないことがすぐに分かった。一体何者なんだ?
「あの動き。恐らく彼は人間ではありませんね」
マユリ先輩が小さく呟いた。
「人間じゃ……ない?」
「ええ。間違いなく祓魔士や討魔士以上の魔力使い、魔力を使って戦うことに長けたプロフェッショナルでしょう。しかも基礎体力は並みの人間以上――つまり単なる魔属ではない、ということです」
「はぁ……」
ごめんなさい。正直半分も分かりません。
「さっきアリエステルさんが言ってたのを覚えていませんか? 魔力を使った高度な戦法が彼には出来る、そういうことです」
だとするとアリエステルさんはともかくアルスラ先輩はかなりヤバい状況なんじゃないか?
マユリ先輩が不安そうに闇を見つめているのはそのせいだろう。
「くそっ、なんて動きだ。こいつは獣かっ!?」
アルスラは弱音を吐いた――とまではいかないものの、さすがにこうも圧倒的な戦闘力の差を見せつけられると気弱にもなる。
実際のところアリエステルの足手纏いにしかなっていないような気もする。彼女のフォローを受けてようやく立っていられる有様だ。
「当たらずとも遠からじ、ってところでしょうね。これだけの運動量、恐らくただの一般人ではありません。魔属――それも多分獣人族でしょう」
アリエステルは黒刀を鞭≪ウィップ≫形態に変形させていた。
刀形態では至近距離まで近づかなければこちらの攻撃も当たらない。ただ相手の動きが速すぎるのだ。イニシアチブが取れない戦いでは圧倒的に追い込まれ易い。
そこで鞭だ。ウィップであれば中距離からの牽制が可能になる。しかもにアリエステルは魔力で運動制御し、鞭の軌道を自在に操ることが出来た。
近接に潜り込まれたらアルスラに一任する。
「アルスラさん、一撃でも敵の攻撃を受けたら全身の魔力波長を変調してください」
「出来るか、そんなこと!!」
「やらなければ死にますよ。近接魔力闘法の基本です」
「……くっ!!」
そういってる間にこちらの攻撃を避わした影が反撃に打って出る。斬撃がアルスラの防御魔方陣をガリガリと削る。
影は高速移動で一度離れると大きく弧を描くように回り込んで来た。再び影の斬撃が炸裂する。今度は魔方陣が半分ほど一気に砕かれた。さっきの攻撃でアルスラの魔力を奪い、同調して来たのだ。
こうなるとアルスラの魔力障壁はもう薄皮みたいなものだ。
「くそっ!」
アルスラは必死に精神を集中し、魔力の波長の変調を試みた。出来るかどうかは分からない。だが今はやらなければ死ぬだけだ。
目の前に再度影が迫る。
「はぁッ!!」
そこに鋭い風の刃が炸裂した。
アリエステルのウイップ攻撃だ。魔力付与されたウィップの先端は音速をも超える。たとえ鞭の攻撃は避けられたとしても、空気の壁を破った衝撃波――その追加攻撃が黒い影の軌道を逸らす。
アルスラはその隙に間合いを取り、体勢を整える。
「すまん柊、助かった!!」
アルスラはすっかり肩で息をしていた。ようやく立ってる状態だ。
未だ大きな、致命的なダメージを喰らっていないのが不幸中の幸いといえた。だが魔力回路が少しずつ削られていることに違いはない。
「もう少しだけ頑張ってください。真琴くんとマユリさんが全員を運び終えるまでの辛抱です」
「ああ……いや、何を言っている! 私は最後まで付き合うぞ!!」
そう言ってアルスラは気丈に笑みを浮べた。
根性だけは据わっている、空元気でも頼もしい。
「そうですか。まぁそうですね。そろそろあちらさんも辛抱たまらなくなって来る頃でしょうし」
そう呟くとアリエステルは鞭で地面をピシャリと叩く。
「そ、そうなのか?」
「獣人族はおしなべて長期戦が苦手です。彼らには早い段階で力を誇示し、決着をつけたがる習性があります。そこは突け込み易いでしょう――そういうことです」
「柊、お前意外と性格悪いな……」
ちょっと意外そうにアルスラは笑った。
「あら、作戦と言ってください。楽して勝つのは兵法の基本ですよ?」
そういってアリエステルはウイップを再び黒刀に戻す。
「私も飽きてきました――そろそろいい加減、決着をつけませんか!?」
そうアリエステルは叫んだ。その言葉に突然黒い影の足が止まる。
あいつが何を考えているのかは分からないが――たしかにアリエステルの言にも一理ありそうだ。
「ショウブヲ……ツケルゾ……」
機械的な合成音声が聞こえた、と同時に黒い影は地面に四つんばいになり――身体が一回り大きく膨れ上がった。
「獣身変≪ビーストチェンジ≫、やはり獣人か!!」
「アルスラさん、囮役、お願い出来ますか?」
「任せろ!」
アルスラは剣を真横に構えて突進した。続いてアリエステルも背後にピタリついて走る。
黒い影も走り出した。四本足で走る影の速度はさらにも増して速い。
「合図したら全力で真琴くんのところに避難してください。さもなければ私の広域攻撃に巻き込まれちゃいますよ!」
「心得た!!」
走る二人、突っ込む黒い獣。
「今です!」
アリエステルの合図でアルスラは飛んだ。全力でその場を離れる。
獣は一瞬アルスラの動きに反応し――だが背後にいたアリエステルの方へと牙を突き立てるべく突進する。
繰り出された鋭い爪の一撃がアリエステルを襲う――だがその姿はまるで幻影のようにかき消えた。
いや、幻だったのだ。
「こっちですっ!」
全く反対の位置からアリエステルが姿を現した。アルスラが飛んだ背後に、死角の位置に本物のアリエステルが忍んでいたのだ。
アリエステルは一気に勝負に出た。
黒刀を倍の長さに伸長させたアリエステルは宙を蹴って飛び上がると一気に接近、横殴り気味に刀を振り回す。むしろバットを振り回すと呼んだ方が似合いそうなモーションだ。
だが速い。その閃光のような鋭い一撃をさらに黒い影は加速して避けた。だがその攻撃も囮だったのだ。アリエステルはかわされた直後もう1回転、刀を元のサイズに戻すと同時に反対の手を逆手から抉りこむように繰り出す。
掌をまるで獣の牙のように開き、鋭く伸びた爪がギラリと閃く。
抉り込むような一撃が獣のどてっ腹に炸裂した。
ギャギャギャギャンッ!!――生身ではなく、何かを削り取るような甲高い奇音が上がる。
「……クッ、オノレ!! ……剣の攻撃はフェイント、本命は『キラーバイト』で魔力を削ることだったのねっ!?」
黒い影が悲鳴を上げた。くもぐったような合成された音声が途中で途絶え、可憐な女の子の声に変わる。
「悪いですね。あなたの魔力、少々頂かせて貰いました」
黒いローブを引き裂かれ、影ははっと頭上を見上げる。
アリエステルはそこにいた。上空高く舞い上がった彼女は黒い影を見下ろしながら手を翳し――パチンと指を鳴らす。
幸いなことに効果範囲内に他の者はいない。真琴くんのお陰で避難は完了している。
ゴゥっと炎が周囲の地面から吹き上がり、辺りの空間を埋め尽くす。
「ちっ!!」
黒い影は動こうとしたが炎は圧倒的な勢いで大きく膨れ上がり、影はたちまち逃げ場を失った。密閉灼熱地獄――封鎖結界の応用だ。動きの素早い対獣人向けの広域殲滅魔法。
「はぁっ!!」
空から舞い降りたアリエステルは黒刀を一気に振り下ろした。
黒い影の魔力障壁を切断し一気に詰め寄るアリエステル。だが次の瞬間影が消滅した。そちらも幻影だったのだ。
灼熱結界の外には術者を倒さねば出られない。この場でケリをつけるしか脱出する方法はない。
獣は再び人型形態になると両方の爪を大きく伸ばして剣形態にした。
対するアリエステルも黒刀を正眼に構える。
「これが……本当の魔法決闘か!!」
なんというハイレベルな攻防だろう。強力な魔力使い同士のバトルは最終的には互いの魔力の削り合い、奪い合いになる。
互いに大技を決める隙など一切与えないからだ。
そしてその戦闘は互いに魔法障壁に傷を付けるたび、魔力の波長を変え次の破壊を防ぐ。一瞬でも油断すれば魔力回路を破壊され待つのは死だ。常にギリギリの攻防。
炎や雷をぶつけ合う戦闘はたしかに一見派手だが、魔力のロスも大きく互いに高い魔力障壁を持つ魔力使い同士のバトルでは効果的なダメージを望めない。
勇者の闘法――対神魔戦闘術はこの魔力使い同士の戦いの延長上にある。上位高等生命体である神魔は肉体を持たない魂だけの存在であることが多い。それを打ち滅ぼすには相手の魔力回路、つまり魂を直接破壊するしかない。
無限の回復力を持った悪魔でも、肉体を持たない神々でも、魂を消滅させられては滅びるしかないのだから。
だが高位の術者ほど一撃で魔力回路を破壊出来るほど甘くはない。相手の魔力を奪い、魔力障壁を削り、いかに魂の耐久力を削るか――それが戦いの大きなポイントだ。
そしてそれは魔属相手でも同じだ。たとえどんなに強力な魔獣、魔神や天使といえども魔力を失えば後に残るのは生身の体だ。それは人間とそう大差はない。
ビリッ!――黒い影の一撃がアリエステルの上着をかすめ袖を引き千切った。彼女の魔力障壁を貫いたのだ。
素肌が、肩の柔肌が露になる。
「なんだあれは!?」
アルスラの上げた悲鳴に真琴もそれを見た。
そこに刻まれていたのは聖紋――天使たちによる封印紋章だ。
「……積層型聖魔封印結界の聖紋だと!? そんな馬鹿な!?」
アルスラは驚愕した。
有り得ない。魔の力を封じる結界を生身の身体に施すなど魂を擦り減らすような――自殺行為だ。
しかも積層型――複数の天使による術式。聖魔封印結界、封魔結界とも呼ばれるそれは魔力を天使の力によって封じる術式だ。
積層型と呼ばれるこれは参加する天使の数が増えるごとに威力が二乗して強くなる。天使が二人なら本来の4分の1、天使が三人なら魔力は本来の8分の1に大きく低減される。
アリエステルの肩の聖紋に刻まれた天使の徴印の数は16。つまりあれは天使16人による積層封印ということだ。
これは2の16乗、つまり彼女の魔力は現在元の6万5536分の1になっているということに他ならない。
アルスラはこの時全てを理解した。
「……やはり、あなただったんですね……」
アリエステルは小さく溜息を漏らした。
フードが破け、炎に照らされ襲撃者の顔が露になる――そこにあったのは彼女が良く見知った顔だった。
声と奪った魔力で分かってはいたのだが、改めて顔を見ると――やはりショックだ。
黒い影はほとんどボロ布同然になったローブを破り捨てた。そこから現れたのは黒いボディスーツを身に纏った女性――若く美しい、アリエステルと同年代の少女だ。
金色の髪が炎に赤く照らされ風に靡く。まるで16世紀の貴族のようなクラシックスタイルの金髪縦ロール。紫色の鋭い目をしたお嬢様風の若い娘は厳しい視線をアリエステルに向けた。
「お久しぶりですねザーラローズ」
アリエステルの言葉に反応し、彼女の狐耳がピンと立つ。
そう、彼女は獣人だ。
狐系の獣人。彼女の父親は虎系の獣人だったが彼女は母親に似たのだろう。彼女は獣人と妖狐のハーフだった。
「なぜあなたが地上界にいるんです?」
「父様が死んだわ」
ザーラローズはキッとアリエステルを睨みつけた。
「……そうですか。西方将軍がお亡くなりになりましたか。それは残念です。惜しい方を亡くしました」
「なにが残念よ!! 貴女知ってたんでしょう!? 知ってて父様を見殺しにしたんでしょう!」
激昂する狐少女。
「それは……っ!!」
アリエステルは瞳を伏せた。そう、彼女は知っていた。
彼女の未来視能力は、身近であればあるほどその人の未来を細部まで知ることが出来る。
それは辛いことだ。彼女はより良き可能性を選ぶ能力を持っていたが、それは同時に知り合いの残酷な――無慈悲な未来の結末を知ることに他ならない。
彼女は全ての者を同時に、より良き未来に導くことは出来ないのだから。
誰かが幸せになる陰で必ず誰かが不幸になる、それが現実という名のバランスシステムだ。
「陛下を信じた父は戦場で……私達の国を、陛下の国を守るために死んでいったわ……なのになぜ貴女は、こんなところにいるの!!」
アメジスト色の瞳に燃えるのは憎しみの炎。
「答えなさいよ、魔王ヴァルヴリード24世!!」
ザーラローズはアリエステルに向かってそう叫んだ。
「ま、魔王!?」
ぼくは金色の狐少女の台詞に驚きの悲鳴を上げた――
【つづく】




