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07+皇子の不調

 離宮へ帰り着くなり、ハンスがわたしに飛び込んできた。熱烈な出迎えに頬をゆるめていると、彼の様子がおかしいことに気がつく。こまかくだけど、震えている。


「ハンス、どうかした?」


 ハンスはわたしの背中に回した腕に力を込めて、更に額をこすりつけてきた。


「今日、皇帝が来たんだ」


 わたしは愕然とした。今もまだ、おられるんだろうか、走り出して探しにいきたいけど、ハンスを放ってはおけない。もんもんしていると、キース隊長の言葉に落胆した。


「皇帝陛下は、さきほどお帰りになりました」


 すれ違ってしまったようだ。そしてハンスを、ひとりで皇帝に会わせてしまった。


「頑張ったね、ハンス」


 わたしは頭を撫でてやる。いつもなら喜ぶのに、ハンスは首を振って否定した。


「頑張れてなんかない。一言も、話せなかった」


 キース隊長曰く、皇帝はわたしが出かけた数刻後にやってきたらしい。そのときハンスはユリア先生とお勉強中で、皇帝は授業を静かに傍観していたそうだ。他の授業も、剣術の稽古もそうやって見守ったあと、ハンスにねぎらいの言葉をかけて帰って行ったらしい。


「何をどうすればいいのか、ぜんぜんわからなかった」


 それはきっと、皇帝も同じだったんじゃないかな。だからこそわたしが傍にいて、なにがしかの手助けができたらよかったのにと悔やまれる。

 ハンスは『皇帝』と言った。この呼び方を『お父さん』に変えるだけでよかったのに、それすら教えてあげられなかった。


「ねえハンス、今度は手紙を書こうか。もちろん、心が落ち着いてからでいい。面と向かって言うのは勇気がいるけど、文章にすればきっといろいろなことを伝えられるよ」

「うん、でも、怖いんだ。今日も、怖かったんだよ」


 皇帝に、何を言われるかわからないからか。それとも、来なかった日々、一度だってハンスのことを思い出してくれたことがあっただろうかと、そんなふうに考えて、怖くなったのだろう。

 ぐぬぬ、どうしてわたしは、この最愛の息子の傍にいてやれなかったんだ!

 そうか、仕事か。それは皇帝と同じことを、この子に強いてしまったことになるわけだ。甘やかし要員失格である。

 でも、今日わたしがしてきたことは、間違いじゃないとはっきり言い張れる。皇帝もきっと同じ思いだ。かわいいからって、いつも選んであげられるわけじゃないのだ。皇族であるということは、つまりそういうことなのだろう。皇后は難しいな。皇帝も、自分の責務をそう思ってくれているといいなと思う。


「急がなくていいよ。ハンスが頑張れるときに書いてみよう」


 ハンスはわかりにくく、小さく頷いた。


 わたしは早々にお風呂に入り、寝巻きに着替えた。ハンスはやっぱりわたしを自分のベッドへ引っ張っていく。

 しばらく癒しの術をかけてやってから、今日は疲れたので早めに寝る態勢へ入る。するとハンスは無意識なのか、初めて一緒に寝たときみたいに身体を小さく丸めて横になった。

 わたしを十人は横にできそうな広いベッドで、なんでこんなにハンスは控えめに寝てるのか、はじめは理解できなかった。一緒に寝るうちに、ちゃんと全身を伸ばして寝るようになったから聞き咎めなかったけど、今ならわかる気がする。

 こんなに広いのに、自分しかいないからだ。どうしたって埋まらない空虚さが、孤独を煽るのだ。自分だけなら、自分さえ感じながら眠らないと、長い夜を越えられなかったのだろう。


「ハンス、おいでおいで」


 こいこいと手招きする。ハンスは嬉しそうに寄ってきた。


「今日はくっついて寝よう!」

「うん!」


 こりゃ明日、どっか痺れてるんだろうな。でもかわいい息子には替えられないでしょ。

 わたしは孤児院であったことを包み隠さず、できる限りすべて話して聞かせてやった。ハンスは始終、羨ましそうに聞いていた。僕だったらこうしたのに、とか、それは直に見てみたかったなあ、なんて熱心に返してくれる。だから今度は一緒にいきたいね、いつかぜったい行こうねと約束した。

 うとうとして、もう寝てしまうという寸前、わたしは皇帝に会いたかったなあとたしかにそう思った。


+ + +


 ハンスの教師陣から涙の訴えを聞き、わたしは頭を悩ませていた。というのも、わたしもそのことには気がついていたからだ。

 ハンスの調子が、すこぶる悪い。

 授業中、同じことを何回も聞き返したり、どこか上の空だったり、いままでにないミスをしたりするようになったのだ。

 これが普通の十一歳だとしても、ハンスは普通とは違ったから、誰の眼から見ても不調のようだった。原因はやっぱり、皇帝の訪問のせいなのかもしれない。

 ユリア先生は。


「最近の殿下は、以前にも増して自信を失しているようですわ」


 さすが行儀作法の先生。そう、実はハンスってば劣等感がすさまじい子供だった。それというのもやはり皇子という重圧のせいであり、親に顧みられない子供という意識が根強いせいもあるのだと思う。

 皇帝の訪問は嬉しかったようだが、ろくに話せなかったせいでさらに自分への関心を下げてしまったのではないかと、勝手に自爆している節がある。

 キース隊長は。


「ちょっと手を抜くべきだったかもしれません」


 とかなり自己嫌悪に陥っていた。皇帝がいる前でも普段の稽古どおりだったなら、そりゃあ一方的に子供をいたぶってるように見えたかもしれないね。でも隊長いわく、手を抜いたらぜったい皇帝にバレるし、武人としてありえないとのたまった。これだから男って生きものは! プライドだけで生きていけると思うなよ! まあハンス自身もそのプライドに苦しんでるんだから、隊長ばかり悪くも言えないか。

 ハンスは自分に自信がないくせに、プライドだけはめちゃくちゃ高いのだ。

 もうちょっと身の丈にあったのを築いておけよと思うが、皇子というものは求められるものも高いので、周りが勝手にする期待に合わせてそびえ立ってしまったのだろう。ハンスは優しいから、期待に応えなきゃっていう責任感も手伝ってどんどん高く構築していったにちがいない。

 他の歴史や経済、算術の先生方からも、悲鳴が上がっている。どれもがハンスを心配する言葉とともに、『普段の殿下なら、もっとできるはずなんです』ってのが透けて見えて胸が痛かった。わたしなんかは、不調なんてそう続くものでもないし、いいじゃんって思っちゃうんだけど、それではダメらしい。ハンスは皇子だから。

 思い描く理想に、ぜんぜん届かない非力な自分。ハンスはそれを直視し続けるあまり、このままではいつか折れる。それが今まさに秒読みなのかもしれない。

 うーむ、よし、決めた!


「ライバルを作ろう!」


 相変わらず、容赦なくキース隊長にたたきのめされたハンスの傷を癒しながら、わたしは言った。


「レナ、それってどういう意味?」


 傷が粗方治し終えたので、ハンスには向こうでちょっと素振りでもやって時間を潰しておいてもらうことにする。

 わたしはマーシャを呼び、キース隊長に尋ねた。


「隊長、ハンスの腕ってどのくらいですか?」

「一般成人男性なら叩き伏せます」


 めちゃくちゃつえーじゃねえか。誕生日まだ来てないから、十一歳だぞ?

 でもハンスはキース隊長しか相手にしたことないから、自分の実力を正しく捉えられていないのだと思うのだ。なので同年代の相手を招けば拮抗した、あるいは圧倒した闘いになるので自信もつくんじゃないだろうか。

 これには二人とも賛成してくれた。


「許可はわたくしが取ってまいります。しかし殿下のことは明るみにはできませんから、信用できる者でなくてはいけまん」


 マーシャの言う通りだ。ハンスって隠し子だもんね。

 実は成人の十五歳には、ハンスをお披露目するつもりではあるらしい。危ないから隠して守っていたっていうのは、皇族では珍しいことじゃないから。でもさすがに、皇帝の十六歳のときの子供って言うのは体裁が悪いので(だって皇帝が結婚したの、十八歳だし)、具体的には二年サバを読んで、ハンスが十七歳になってから十五歳として公表することになっているらしい。これが宮廷の闇か。成長期だけど、大丈夫か?

 話を戻す。

 だからライバル認定する子は、わたしたちと一緒になって黙っててくれる、信用のあるひとじゃないとダメなわけだ。


「それでしたら、わたしの弟ではどうでしょうか」

「隊長、弟さんがいたんだ?」

「キースさまのご実家はアベル侯爵家、ですね。それなら身元もはっきりしていますし、家柄も申し分ありません。許可も取りやすくなりますわ」


 そしてまさかの侯爵位! すごい!

 って近衛騎士なんだから、身分もそうなってくるよね。やっぱりキース隊長ってただ者じゃなかったんだなあ。

 ちなみに弟さんはハンスと同い年らしい。すっごくピッタリじゃん。

 ハンスには歳の近いお友達もいなかったので、ちょうどよさそうだ。なんでかわたしの方が楽しみになってきた。

 わたしは隅っこの方で、ひとりさびしく素振りしているハンスを見る。はっとなって彼に飛びついた。ごめんよひとりにして!


「もう、レナ。僕汗かいてるよ?」


 そんなことを言いながらわたしを振りほどかない。汗なんて気にしません。

 わたしはさっそく部屋に戻るなり、ハンスがお風呂に入っているうちに手紙を書いた。内容はお願いという名の勅命状だ。逃がしてたまるもんかい! ぜったい、ハンスのライバル兼友達にしてみせるぞ。

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