06+初仕事は孤児院の慰問
マーシャから突然、近くの孤児院への慰問を言い渡された。
ハンスは一応世間には隠された皇子なので同行は許されず、わたしだけが赴くことになっていた。
わたしは朝一番で着ていた法衣を剥がれ、綺麗な皇后の正装に着替えさせられた。今さら感が漂うけど言わせてほしい。ベールがないと、めちゃくちゃ恥ずかしい。
いや、離宮内のみんなはわたしの感覚的に身内だから、大丈夫なんだけどさ。孤児院は余所さまだから。しかも中庭のときとは、比べものにならないくらいのよそ行きっぷりだ。初コルセットです、おえ。
しかしマーシャいわく、これでもまだ真の正装には程遠いらしい。孤児院に行くのに、そんなきらびやかなのも体裁悪くするからね。でもわたしにとっては十分きらびやかだよ。「これが淑女の最低限の身嗜みです」なんて言われて地味に傷ついた。はいはい、わたしの普段着は淑女未満ですとも。
しかし身につけるアクセサリー類がことごとく琥珀なので、思いきって理由を聞いてみた。
「皇后陛下には、代々イメージストーンがあるのです」
なんじゃそりゃ。どこの宝石商の陰謀だ。
なんでも帝国では、宝石には魔よけの力があると信じられていて、初代皇帝が皇后を守ってくれるようダイアモンドをたくさん与えたのが起源らしい。
いろんな宝石を身につける皇后もいたそうだが、そういうひとはあまりイメージが定着せず人気が出なかったらしい。なんだ人気って。うん、大事だろうけどね、人気。
ちなみにイメージストーンは、三代前までの皇后とは被ってはいけないらしい。帝国って面白国家だな。いや、歴史のある国ほどそういう慣習が細分化されているのはわかるけどさ。
ちなみに歴代で琥珀を身につけていた皇后は、例の中庭を造った方のみらしい。植物を愛したその方らしいよね。別にわたしは特別植物がすきってわけじゃないけど、どうもマーシャはそういう関連でわたしを定着させたがっているようだ。中庭へ行くよう奨めてきたのも、マーシャだしね。
「……綺麗におめかししたレナとお出かけしたい」
ハンスが拗ねてベッドに突っ伏している。うう、わたしだって離れたくないよ。でも初めて与えられた、皇后らしいお仕事なんだよ。
「わたし頑張ってくるよ。だからハンスには応援してもらいたいな」
ハンスはまだちょっと納得してない顔だけど、しぶしぶ頷いてくれた。
まだ皇后付き近衛隊が結成されていないそうなんで、わたしの護衛には皇子付き近衛隊のガイア副隊長と第五位小隊(三人)を貸してもらうことになった。
今回の慰問、そんな急に決まったの? ハンスや隊のみんなに申し訳ないんだけど。だって近衛隊の皆さんはハンスを守るために配属されたのに、わたしに当てられちゃ不満なんじゃないだろうか。
「大丈夫です。近衛隊も納得ずくの割り当てですので」
マーシャは涼しい顔をして、「むしろ残留組の不満を沈静するのに手間取りました」なんて付け加えた。え、どういうことだ?
「中庭の件で、レナさまとお近づきになりたがる輩が増えたのです」
き、きた! これモテ期ってやつだ! わたしの時代か!? むしろ時代がわたしに追いついたんじゃないか!?
「遊んでいるお姿が、それは愛らしかったそうです」
犬猫愛玩レベルですねわかります。がっかりなんてしてないから。ほら、わたしには皇帝がいるからさ!
実は今回の慰問はお忍びらしく、わたしは小さな箱馬車へ乗せられた。こっそりと目立たたないところに、皇族の家紋が彫られてあるらしい。今度探したい。
馬車へ乗り込んだのはわたしとマーシャとガイア副隊長で、あとのふたりのうち、ひとりは御者に扮し、もうひとりは先触れとして一足早く発ったそうだ。
まじで少数精鋭だな。ごちゃごちゃと守るものを増やすのも、得策じゃなかったんだろうな。
ちなみにお見舞いの食料や服は、もうちょっと警備を増やして後から付いて来るらしい。そのとき焼菓子もほしいなって言ったら、料理長のサムがにこにこと『心得ました』って言ってくれた。
さて、わたしは今馬車に揺られているわけなんだが、空気が重苦しい。マーシャに、皇后とはどうあるべきかをこんこんと説かれ、わたしが明るい話題を一方的に喋るのに対し、ふたりが相槌を打ったり、間違った言葉遣いを訂正されたりするばかりだ。
ガイア副隊長は、黒髪黒眼の麗しい御仁だ。奥二重がちょっと眠そうなのもまた、とろんとした印象を与えていて物憂げだ。髪が短いのは、近衛隊で揃えているからだろう。
余談ながら、女神ユスティーナを信仰している国のひとたちは、髪を伸ばす。それは、ひとの部位で女神が一番愛したのが髪だと伝えられているからだ。長い髪を持つことで、女神に愛してもらおうと始まったらしい。
なので騎士は、女神にその髪を捧げることではじめて、女神以外の主へ忠誠を誓うことを許されるのだ。最近は寛容になってきている風習だが、近衛騎士はそれにちゃんと則っているようだ。
話を元に戻す。
ガイアは口数がマーシャなみに少ない。むしろ疑問形で話さないと、返事すらない。窮屈そうに長い足を組んで、ついでに腕も組んで眼を伏せて微動だにしないので、生きてるのか心配になるくらいだ。うーん、仕事人ってのがひしひしとつたわってくる。
「ねえマーシャ。ジャムなら何がすき?」
「わたくしはストロベリージャムがすきです」
おお、マーシャってブルーベリーが似合うから意外だ。
「ガイア副隊長はどうですか?」
「わたしは、マーマレードなら食べられます」
あのピールの苦みが大人っぽいんだよね! わたしはちょっと苦手なんだけど、すきって言ってるひとがいたら考え直してみたくなるんだよねー。今度サムに頼んで出してもらおう。
「マーマレードなら、ってことは、副隊長って甘いものが苦手なの?」
「はい」
……。
会話がほんと続かない!
+ + +
馬車が徐々に速度を落としていく。孤児院に着いたようである。わたしは堪え切れずに即立ち上がろうとしたんだけど、マーシャに全力で止められた。勝手に立っちゃダメなんだってさ。
扉が外から開けられて、日差しが入り込んできた。まぶしい。
先にガイア副隊長が立ち上がり、わたしに手を差し延べてきた。そうなんだよ。乗るときもこうやって乗せてもらって、顔から火が出る思いをしたんだ。
お互い手袋してるから、手汗の心配はない。よし、女は度胸である。わたしがガイア副隊長の手に、自分のそれを乗せた。ぎゅっとしっかり握られて、めちゃくちゃ緊張する。でも行きしなに散々マーシャに言われたとおり、わたしの出来うる渾身の微笑みを顔面に張り付けて外へ降り立った。
わあっと歓声と拍手が起こり、ちょっと面食らう。なんと院長も子供たちも、勢揃いで出迎えてくれていた。おい、お忍びじゃなかったのか。先触れを走らせていた時点で、予測はしてたけどね!
主に女の子たちから、恍惚とした熱い視線をもらっているような気がする。あれか、皇后さまと騎士さまっていうシチュエーションゆえに、相当美化して見てるのか。やめてくれ恥ずかしい。
もちろんガイア副隊長が仕事に手を抜くはずがなく、わたしは丁重に院長の前まで連れて行ってもらった。女の子たちが、口を開けたままこっちを見てるんだよ! いたたまれないよ! うおおお神よ! 今こそわたしに、極上の猫をお与えくださぃいい!
「ごきげんよう、院長先生」
「おお、皇后陛下、お待ちしておりました」
女の子たちが「しゃべったあ!」なんて高い声を上げた。そりゃしゃべりますがな。
「お招きくださり光栄ですわ」
「勿体ないお言葉です」
「是非とも院の中を案内してくださいまし」
院長先生が深々と頭を下げた。教会にいた名残か、反射でわたしも釣られて下げそうになるけどぐっと堪える。皇后は、むやみに頭を下げてはいけないらしいのだ。
しかしわたしは子供がすきなので、いつまでもこんな猫を被ってはいられないぞ。これは確信だ。マーシャにちらりと視線をやってみる。力強く頷かれた。このまま行けということだ。苦しい。
孤児院の中は古いけど、清潔に保たれていた。
ちょっと小さい椅子が足りないかなー、よし手配してもらおうとか、お皿が欠けているものは危ないから取り替えましょうか、みたいな感じでどんどん視察していく。わたしの手際のよさに、院長先生は驚いていた。教会で同じことを毎日やってたからね。慈善活動は板に付いてます。ただしインドアに限る。
そうこうしているうちに、わたしたちの後を追いかけていた荷馬車が到着した。
わっしょいわっしょいと積み荷を孤児院へ運び込み、子供たちへ服などを配ってやる。サムに頼んだ焼き菓子も、大好評でほっとした。
んー、でもぴったりと傍に控えているガイア副隊長が怖いのか、子供たちがわたしを遠巻きに眺めるばかりで、近づいてきてくれないのが非常に寂しい。
なのでいち、にのさん! わたしは走って彼を振り切ることにした。
するとなんとガイア副隊長は、弾かれたようにわたしを追いかけてきた。ええ!? わたしの方が走り出すの、速かったよね? どんな身体能力してるんだ。
「もう! 追いかけてこないでくださいまし!」
「きゃああ! 皇后さまと騎士さまの追いかけっこよ!」
「あれよ! 『うふふ、さあ、わたくしをつかまえてごらんあそばせ』ってやつよ!?」
「スーテーキー!」
なんか勘違いされたが、これを期に鬼ごっこが始まり、みんなでわいわい騒いでなんとか打ち解けた。
子供たちが、こぞってガイア副隊長を囲ってわたしから引きはがしてくれた。
「すまない、これではレナさまの傍に行けない。どいてほしい」
「騎士さま! これは愛の試練なのよ!」
「皇后さまには近づけさせねーぞ!」
あちらがきゃっきゃと盛り上がっているのを遠目に見つつ、わたしはわたしで自己流の舞を披露していた。
「皇后さま、もういっかいまわって!」
「よしきた、それ」
なかなか好評のようで嬉しい。歌も付けたらみんな知ってるやつだったらしく、一緒になって歌って手拍子をくれた。わたしの知ってる歌は、教会の童謡くらいだもんね、そりゃみんな歌えるわ。みんなで声をだすのって楽しい。
横目で確認すると、マーシャが数人と輪になって涼やかにあやとりを教えてあげている。実は彼女が照れていることを、わたしは知っている。
ガイア副隊長は登り棒と化していた。巻き込んですみません。
散々身体を動かして遊んだが、所詮インドア派の体力なんて、すぐに底をつく。わたしは子供たちを集めて、絵本を読んであげることにした。そうすると遊び疲れた子がひとり、またひとりとお昼寝をはじめた。だんだん静かになっていき、しまいにはわたしもちょっとだけ眠ってしまった。大丈夫、マーシャが起こしてくれたので、子供たちにはバレていない。
ついにわたしが帰る時間になって、寂しさから泣き出す子が出てきて、困ったけど嬉しかった。また来ると約束して、後ろ髪を引かれながらも孤児院を後にした。
帰りの馬車で、マーシャにちょっぴりお説教された。はしゃぎすぎた自覚はあります。わかっておりますとも。
でも慰問自体は成功の太鼓判を押してくれたので、胸をなで下ろした。