03+ピクニックの下準備
ハンスもわたしも、根っからの引きこもり体質だということがわかった。毎日毎日勉強室と稽古場を行ったり来たりするだけのわたしたちを、見兼ねたマーシャに進言されたのだ。
「ひなたぼっこは必要ですよ」
稽古場だってれっきとした外だよと、二人してしぶっていたら、強制的スケジュールとして明日離宮の中庭でのピクニックを入れられた。ピクニックって何すればいいの?
礼儀作法のユリア先生に聞いてみた。
「まあ! それは辺りを散策したり、お庭でしたら花を愛でたりすればよろしいのですわ!」
是非ともお供させてくださいまし! と息巻くユリア先生をなんとか落ち着かせて、お礼を言ってから勉強室を後にする。
今度はキース近衛隊長に聞いてみた。
「はい、おいしい弁当などを持ち寄って食べるものだと思います」
さすが肉体派。食い気だね。でもたしかに、おいしいお弁当ってピクニックには必須な気がした。
ハンスがお風呂あがりで、わたしは癒しの術をかけてやってリラックスしているときだった。
「レナ、料理長へ相談しておこうよ」
さすがハンスだ。わたしたちは、普段足を踏み入れない東の尖塔へ向かった。調理場はここにある。ちなみに使用人のほとんどが、この塔に詰めているらしい。たしかに歩いてみると、中央の塔よりも物が少ない気がする。でもところどころに小さな花瓶が置いてあって、カーテンや絨毯、壁にしみもないので清潔感がある。うんうん、職場を綺麗に保ってるってことは、いい仕事をしているってことだと思う。
すれ違うひとたちがハンスを認識するたびに、眼を剥いてひざまずいてくるのがなんだか申し訳なくなって、マーシャを連れてくるべきだったね、とハンスとふたりごちる。使用人たちを抜き打ちで脅かすために来たわけじゃないので、さっさと調理場をめざした。なんとハンスは宮殿内の地図が頭に入っているらしく、行ったことはなくてもぜったい迷わないのだ。すごい。
調理場の入口から、顔を出して覗き込む。忙しいらしく、ひとでごったがえしている。明日のしこみだろうな。これは入って行ったら邪魔そうである。わたしは中でも一番暇そうな男の子と眼が合ったので、ちょいちょいと手招きする。男の子はげんなりした顔で、いかにもめんどくさそうに寄ってきてくれた。
傍までくると、彼は存外背が高かった。まわりの調理人たちのガタイが良すぎただけで、この男の子だってわたしよりは大きかった。
「見てわかんない? こっち忙しいんだけど」
ぶっきらぼうに言い捨てられたので、正直に言う。めちゃくちゃ怖い。わたしは男のひとに、あまり慣れていないのだ。
どうしたもんかと一度引き返す方針で固めていたら、ハンスが冷たく言い放つ。
「控えろ、使用人風情が」
ぎょっとしたのはわたしだけじゃない。男の子は真っ青になって、言葉を無くしている。ハンスってばそんな言葉遣い、わたしには一度だって聞かせたことなかったじゃないか。こっちも怖いよ。
「ハンス、もうちょっと穏便に行こう!?」
「使用人の仕事は、わたしたちの役に立つことです、母上」
うわ、ちょっとお母さんって言われるの嬉しい! じゃなくて!
男の子が震えはじめたのでまずいと思ったわたしは、ハンスの腕を引っつかむ。
「ごめん、ちょっと待ってて!」
男の子にそれだけ言い置いて、わたしは曲がってきた角へ戻ってハンスと向き合う。調理場からは死角だ。
「ねえハンス、頼みに来たんだから、ちゃんとお願いしよう?」
「でも、相手があんな態度で来たから、ついカッとなってしまって……」
たしかにあの男の子も、もうちょっと愛想よく迎えてくれたらもっと穏便にことは済んだだろうけど、こっちまで迎え撃っていたら切りがないじゃないか。
「うん。もうハンスはわかってると思うけど、一応言っとくよ」
人間関係は鏡っていうけど、ハンスはそれじゃダメなのだ。彼は皇子なのだから、いちいち相手に目くじらなんか立てていたら、外交なんて勤まらないだろう。
かつて皇帝がわたしに接してくれたときを思い出す。外国の小娘相手に、まわりの外交官は苛立ちや嘲りをなんとか取り繕って隠してたけど、皇帝だけは始終厳かでありながら心穏やかだったなあ。
わたしはなるべく角が立たないように、ハンスを諭した。
「――わかりました。ごめんなさい」
「よし! 皇后皇子モードおしまい!」
堅苦しいのは長続きしない。わたしたちは気を取り直して調理場へ戻る。男の子はまだ、微動だにせず立ち尽くしていた。うん、真面目なやつなんだろう。ちょっと仕事が大変で、気が立ってただけなんだよね。わかるわあ。
「すみません、料理長を呼んでもらえませんか? それとも出直したほうがいいですか?」
男の子が口ごもって、なかなか答えてくれない。やっぱり、皇子さまが怖いんだろうか。ハンスだけでも、帰ってもらったほうがいいかな。でもお弁当の中身がわたしのすきなものだけだと、不公平だと思うんだよね。
ハンスは相変わらず、無表情で男の子を見つめている。ハンス、それ睨んでるって取られてるよ! 眼を見て話すあなたの美徳は、ここでは当てはまらないと思うな!
ちょっと逸れていたとはいえ、入口付近で話し合って(詰問して)いたからか、わたしたちは目立ったようである。調理場の中のひとがわたしたちに気がついて、血相を変えて料理長を呼んできた。なんかごめん。
入れ違うように、男の子は罰が悪そうに俯いたまま、調理場へ引っ込んでいった。
+ + +
調理場で話すのもなんなので、わたしたちは一度部屋へ帰された。
そして逆に、ハンスの部屋の隣室にある応接間へ料理長を招いた。これまた広いんだ。シャンデリアついてるし。絨毯に足が埋まりそうなくらいふかふかだし。わたしの部屋ここにしようよ。あ、ダメですね、わがまま言ってすみませんでした。
料理長は、サムと名乗った。
「ねえサム。わたしたち明日ピクニックするの」
「聞き及んでおりますよ、皇后陛下さま」
サムは調理人らしく、髪を丸坊主に刈り上げ、髭もすべて剃ってしまっているナイスガイだ。柔和な笑みをうかべてうなずいてくれる。
「わたしと母上は、ピクニックが初めてなんだ。だから、どういった食べ物を出されるのか聞いておきたい。そしてわたしたちのすきなものを、融通してほしい」
「心得ました」
ハンス、単刀直入である。サムはサムでやる気いっぱいだ。いつもはわたしたちの声の届かない場所でご飯を作ってくれているから、反応を聞けるのが嬉しいみたいだ。よかった。
サムは具をパンではさんだ軽食に、ぶどう酒を持たせてくれるつもりだったらしい。なのでわたしたちは、これでもかと具の注文をした。
ハンスはお肉がすきなので、ハムやらベーコンやら肉に粉をつけて揚げたものなど、パワフルな内容をお願いしている。わたしは目一杯フルーツを推した。パンだけだと喉が渇くからね。
あとぶどう酒だけじゃなくてスープもほしい、といったら魔法瓶へ入れてくれることになった。そんなものまであるのか、さすが宮殿!
お茶も飲みたいかもねとつぶやいたら、それはわたくしの仕事です、と
マーシャが名乗り出てくれた。さすがである。
いろいろと話し尽くしてお開きになったあと、わたしは自室へ戻らずハンスのベッドへぐいぐい引っ張られた。
興奮したハンスと明日は楽しみだね! なんて思いを馳せていたら、二人していつの間にか眠ってしまっていた。
+ + +
添い寝ってよく眠れるんだね。相手の体温に安心するからだろうな。ハンスと暮らすようになってから、学ぶことが多くなった気がするよ。
着替えは自室へ戻ってから済ませたけど、一緒に顔を洗ってお互い髪を梳きっこした。
「レナの髪、金色で綺麗だね!」
「ちょ、褒めすぎだって! 本物の金髪っていうのは、キース隊長みたいなのをいうんだよ。わたしのはアッシュブロンド!」
格好つけて言ってみたが、くすんで地味な色合いである。眼もぼんやりとした若葉色なので、本格的に背景へ滲んでいきそうな容姿だと自負している。そういう理由で、個人的には法衣姿が満更でもない。法衣は個を殺すための衣装だから、わたしほどここまで着こなせるやつはそうはいないだろう!
……言ってて悲しくなってきたのでそろそろやめようか。
そのままハンスと朝ごはんも一緒に食べていると、わたしはもう、この子がいなかった日々をどうやって過ごしていたのか思い出せない。
「レナ! 調理場へお弁当を取りに行こう!」
「うん! すっごく楽しみ」
「おそれながらレナさま。すこしお時間をいただきます」
マーシャが言うことには、従っておいたほうがいい。お弁当は、ハンスが取りに行ってくれることになった。
「どうしたの、マーシャ」
「お召し物を替えさせていただきます」
「え?」
わたしはこの離宮へ来てからずっと、自前の法衣だった。ベールも、着替えのときしか外したことはない。
「なんで?」
「中庭はいろんな者の眼に触れます。立場を思えば、それなりのものをまとう必要がございます」
そんなこと考えたことなかったよ。あれか、だから昨日わたしが東の塔へ行っても、ハンスの付き人扱いだったのか。気にならなかったけど、これからは気にしていかないといけないんだろうな。よし、ちょっとずつ慣れていけばいいよね。
「えーと、じゃあよろしくお願いします」
「かしこまりました」
わたしは動きやすいらしい、膝下丈のドレスに着替えさせられた。色はレモンイエローで、ハイウエストのところを小さめのリボンできゅっと絞ってあるのがかわいい。下着もばっちり、ペチコートやら白いストッキングまで装着している。まじでお姫さまみたいだ。これで動きやすいのか? わたしには充分重装備だよ。
ほんのりお化粧もされて、髪も琥珀のバレッタでハーフアップにしてもらった。
手袋をはめて、バレッタとお揃いのネックレスもつけて、同様のイヤリングも耳で揺れている。うん、馬子にも衣装! わたし、しっかり皇后さまじゃないか!?
「マーシャ! どうかな?」
「お似合いでございます、レナさま」
おお、マーシャが口角を持ち上げた。珍しい。いつも鉄面皮の仕事人だったから、びっくりした。でも笑うとかわいいよ。多分、指摘したら引っ込んでしまうだろうから言わないでおくけど。
扇子とパラソルも手渡されて、ほんとお姫さまだ。これずっと持っていないといけないんだろうか。ほんのちょっと踵の高いピンクパールのパンプスのおかげか、自然と背筋が伸びた。
わたしは中庭へ向かうべく、一階のエントランスをめざした。そこでハンスと落ち合う手筈になっている。
エントランスでは、お見送りにサムとユリア先生が来ていた。キース隊長は離れて同行してくれるらしい。
「レナ!」
ハンスが、お弁当が入っているであろうバスケットを放り投げで飛びついてきた。危ういところでキース隊長がキャッチしてくれたのでほっとする。
「ハンス! 食べ物粗末にしちゃ――」
「レナ! すっごくかわいいよ! レナがおめかししてくれるなら、毎日ピクニックしよう!」
「褒めてくれてありがたいけど、それはダメでしょ!」
まあ満更でもないけどね!
……ごめん、嬉しすぎて顔緩みっぱなしだわ。まともに説教できないわ。だからユリア先生、そんな訝しんでこっちを見ないで! ほんと、めちゃくちゃ嬉しいの!
「レナさま、お似合いです。見違えました」
サム、ほんと愛してる。お世辞だとしても、わたしはその褒め言葉を一生忘れないから!
「マーシャの腕に感謝するべきですわ。見られるようになってますのね」
先生、遠回しでも褒めてくれてるから今日は許すよ。ツンデレとはかわいいやつめ。
「では参りましょうか」
おいキース隊長、一言ちょうだいよ! そんな仕事一筋だから君は顔はいいのに恋人いないんだよ! ああ、大きなお世話か。
ハンスと手を繋いで、わたしたちは中庭へ出かけた。