02+鍛練とぬくもり
皇子付き近衛騎士隊のキース隊長に、手ずから稽古をつけてもらえる剣術指南の時間は、争いとは無縁の世界で生きてきたわたしにはちょっとハードだ。
高い剣戟が、一向に止まないのだ。それを聞いてるだけで、わたしは悲鳴を上げそうになるけど、口を両手で塞いでなんとかしのいでいる。
離宮の裏側には、騎士の稽古場が設けられていた。離宮の土地の三ぶんの一を使って整備されたここでは、専ら近衛隊のみなさんのホームのような場所だ。寮もすぐそばにあるんだよ。馬にも乗れるし、決闘場もあるのだ。かなり力入ってるよなあ。
ちなみにわたしはVIP用の観覧席から見学させてもらっている。近衛隊が、訓練姿を見せること前提のつくりになっているのだから面白いと思う。
ハンスはいつもこの稽古場で、キース隊長にしごいてもらっている。
キース隊長はかなり背の高い人で、金髪碧眼、クセのない短髪の精悍なイケメンだ。
これ冗談じゃなくて、近衛騎士は顔審査あるから。あと年齢制限(十八歳から三十五歳まで)もあるし、身長審査もある。背は高すぎても低くてもダメなのだ。お揃い感、じゃなくて統一感を出すためらしい。たしかに式典などで彼らが並ぶと、きっと圧巻である。見たことないけど。
まあつまり、近衛隊は、皇族や役者さんばりにお嬢さんたちの胸をときめかせる、実力の伴った花形職務なのだ。
キース隊長はもちろん手加減してくれてはいるんだろうけど、たまにハンスが吹っ飛ぶ。比喩じゃない。組み手場の真ん中から、他の施設への仕切りの壁まで吹き飛ばされる。
初めてのときは思わず、悲鳴を上げながら駆け寄ってしまったのだが、隊長に叱られて以降はなんとか食いしばって、足が向かいそうになるのを堪える。
曰く。
『皇后陛下、男児に恥をかかせないでいただきたい』
なんでも男ってのは、プライドで生きている繊細な生き物らしい。
そのときのハンスも、強い眼差しでこくりと頷いて一人でよろめきながらも立ち上がったものだから、わたしはいろいろとこみあげた。
剣術指南だけはわたしの心が擦り減るから外させてもらいたいんだけど、やっぱり心配なんで眼が離せずついつい同席させてもらっている。
「よし、今日はここまでにしましょう」
「ありがとう、ござっ、ましたっ」
返事とともにハンスがぶっ倒れる。わたしはソッコーで駆け寄って彼の服をまくり、癒しの術を施す。うう、青痣が痛々しい。教会出身でよかったと、心から思える。巫女には癒しの術を使えるやつもいるのだよ。わたしもそのひとりだった。
ハンスがよろよろと片手を挙げるので、反射の域でその手を掴む。
「ハンス、どうかした?」
「僕は、大丈夫、だから。そんな表情しないで」
どんな表情だ。わからないから、とりあえず零れそうな涙を乱暴に拭ってから深呼吸した。
汗で張り付いた前髪を流してやる。
「ハンスが痛いのは、嫌だよ」
「レナが痛いわけじゃないよ?」
「見てるだけで痛いの!」
こんなにわたしが嫌がって心配しても、ハンスはちっとも悪びれない。苛烈な稽古を緩めようとはしないのだ。
「フッ、まるでわたしが悪者ですね」
キース隊長が、やれやれと首を振って稽古場の仕切から出て行こうとする。彼はわたしたちに、よく気を遣ってくれる。待たせるのも悪いので、わたしは急いでハンスを立たせた。
「お疲れさまでした!」
二人で頭を下げる。キース隊長はちょっと困ったように笑ってから、同じ言葉を返してくれた。
「ハンス、大丈夫? 歩ける?」
「大丈夫だよ」
「続きは部屋へ帰ってからにしようか」
「レナは大袈裟だね」
わたしより年下の男の子がこんなになるまでがんばってると、わたしも仕事に手は抜けないなって思うわけよ。柄じゃないってわかってるけどね。
稽古場の外では、キース隊長が姿勢を正して立っていた。
「お部屋までお送りします」
申し出にいつもどおりお礼を言い、わたしたちはハンスの部屋へ向かった。
+ + +
部屋ではマーシャがすでに、お風呂の準備をしてくれていた。痣だらけの身体でお湯を浴びるのは、あまりよくないと思う。けど汗でベタベタなのが嫌だし、わたしが来る前までは、毎日のようになされてきたことだったとハンスが言い張って聞かず、とっとと行ってしまう。
椅子がない部屋なので、わたしは例の円錐の天蓋付きベッドへ浅く腰掛けて彼を待つ。
マーシャとおしゃべり、というかわたしが一方的に話しかけていると、ハンスが髪も乾かさないままわたしの胸へ飛び込んできた。よってよりベッドの中央へ身体ごと持っていかれて横になってしまう。
ハンスと出会った初日のことだった。
実は親に甘えたことがないという彼に、わたしが一般的な親子の触れ合いをこんこんと説けば、実践したいと言った。なので、じゃあハグから始めようかってことになった。それ以来、日々の課題を終わらせた自由時間は、ほとんどハンスとくっついていることになった。わたしも五歳のときに教会に入れられたこともあって、あんまり人肌を知らなかったものだから、こうしてくっついているとそれだけで癒される、なんてことは初めて知った。変なの。癒しの術も、使っていないのに。
マーシャからタオルを受け取り、ハンスの髪から水気を取ってやる。
「レナはあったかいよね」
「あ、それわたしも思ってた。ハンスこそめちゃくちゃあったかいよ」
え、あったかいのはそっちだよ。ううん、ハンスでしょ。そうやって問答していると、マーシャがたんたんと会話に入ってきた。
「おそれながら。触れ合っている部分の熱をお互いに逃がさないため、その部位の体温が上昇するためかと思われます」
「そっか。くっつくとあったかいのはそういうことなんだね」
あれか。寒いときに正座して、くっついた膝裏に手を挟むとあったかいのと同じ原理か。ただ正座のやつは全部自分で成立してたから、それが別の人間とも起こるりうることだなんて、わたしたちは知らなかったんだな。
ハンスがぎゅうっと力を込めてくるから、わたしも返してみる。腕にすっぽり収まる存在が、どうしようもなく愛おしい。喜んでくすくすと笑ってくれるのがうれしくて、わたしはハンスの頭を撫でた。まだちょっと銀の髪が水気を含んでいるけど、かわいい息子のものだから嫌悪感なんてまるで湧かない。
「レナ、それ!」
「うわ、びっくりした。急に顔上げないでよ」
ハンスがごめん、と謝ってくれる。でもその青い瞳の、らんらんとした輝きは止まない。
「今の、すっごくうれしい!」
「頭を撫でるの?」
「うん!」
ハンスがにこにこして、鎖骨のあたりに頬を擦り寄せてくる。か、かわいすぎる……!
こうなったらいくらでも撫でてやんよ! とわたしも上機嫌で撫でていると、マーシャがまた口を挟んだ。
「レナさま、それはとっておきです」
「え、どういうこと?」
「頭を撫でるのは、安売りしてはいけません」
ハンスが愕然としたので、ちょっと気の毒になる。
「じゃあ、二日に一回とかでいい?」
「そういう問題ではありません」
なんでもったいぶらないといけないのかわからないが、マーシャが大事なことを言ってるのはわかる。というかマーシャは重要なことしか言わない。ほんとよくできた侍女である。
「頭を撫でるというのは、レナさまがほんとうに殿下を褒めたいときだけにしていただきます」
「だってさ、ハンス」
ハンスがこの世の終わりみたいな顔をしている。そんなにうれしいものなのか。
もういちどマーシャを見てみる。こちらは涼しい顔をしている。
こうして比べると、どうしたってハンスのほうの肩を持ちたくなってしまうので、もうちょっとお話を聞いてみないといけないと思う。
「マーシャ、頭を撫でるのってそこまで重要なことなの?」
聞けば。
子供の頭をなでるのには、その子が普段できなかったことができるようになったとか、一定の成果をあげたご褒美として最大限の称賛の意味があるらしい。
平民や恋人同士の間だと、甘やかす一環でおたがいにそんなスキンシップをとることもあるらしい。しかし、皇后から皇子へ与えるなら、圧倒的に前者の意味が強くなるらしい。そういう習慣なら、皇族として則ったほうがいいよね。ハンスもちょっと渋い顔をしているが、納得したようだ。
「レナ、僕明日キースから一本取るよ」
「ええ!? それはまだちょっと無理なんじゃ?」
毎日あんなにこてんぱんにやられているのに、またどうして。
「だから、それができたら頭を撫でてほしい」
「なるほど! わかった、期待してるね」
それなら問題ないよね、って二人でマーシャを見る。マーシャはこくりと頷いてくれた。
わたしたちは舞い上がって、キース隊長をやっつけるための作戦を練りはじめた。
+ + +
でも翌日、いつものように手も足も出ないままやられちゃったもんだから、ハンスが悔しさのあまり泣き出してしまった。
だから目つぶしに砂を撒けとあれほど言ったのに、男は小手先で戦ってはいけないんだって。特に騎士って生き物は。
逆にわたしが、それでも女神の使徒だったのかと疑われた。失敬な。わたしは正真正銘、巫女でした!
でもハンスが声を殺して静かに泣くものだから、子供らしくなくてなんとなく嫌だった。
「もう! 泣くなら潔く泣く!」
無理矢理胸に閉じ込めたら、ようやく声を上げてくれて安堵した。
そうなると今度は泣き止んでほしくなるのが人情で、どうしていいかわからないまま、とりあえずわたしはハンスの額へキスをした。
「レ、ナ?」
そうするとピタッと泣き止んだ。おいおい、そんなに衝撃的だったか?
「レナさま。負けたのにご褒美与えてどうするんですか」
マーシャに叱られてしまった。なんかわからんがごめん。