01+皇子さまとご対面
帝国の皇后になるってことで、わたしは自国からはるばる嫁いできたわけよ。
そうしたら、皇帝さまには隠し子がいて、その皇子の面倒係を言い渡された。子供はすきだからいいんだけど、ちょっと物申したい。
乳母でいいじゃん。
それってわたしじゃなくてもよくないかな。若いやり手のイケメン皇帝に嫁げるって話だったけど、子供までいるなんて思わないじゃないか。
なんでも皇子は前皇后の忘れ形見で、皇帝は彼女以外を愛する予定はないらしい。うん、これは聞いてた。ロマンス小説とかでよく聞く、ありふれた話だよね。でもなんで隠し子なんだ。正妃のお子なんだから、別に隠す必要ないだろ。
まあそれは置いといて。
わたしは臣下を安心させるために娶った、おかざりの皇后ってところだろう。余計なことはされたくない、でも仕事させないのもアレなんで子守でもさせようかって、そういうことだったのかな。露骨すぎる気がするけど、あんまりこまかいことは気にしない。
皇子との顔合わせに、わたしは離宮へ案内された。尖塔がたちならぶ、由緒正しいお城のような宮殿だ。てっぺんに乗ってみたいなあ、とか思っている間もなく中へ案内された。
真ん中の尖塔の最上階が子供部屋のようで、ずいぶんと歩かされた。移動めんどいな。きっと引きこもらせる気マンマンだろう。のぞむところだ。わたしはインドアな女なのだ。
扉をくぐると、中はドーム状になっていて、天井にはまるいステンドグラスがとりつけられていた。その中心から円錐のように幕が下りていて、これが天蓋なのだと気がつくのにちょっと時間がかかった。円錐の幕の中にはもちろん、かなり大きなサイズのベッドが置かれてあって一瞬泡を食った。そのベッドの上には、男の子が横になっていた。
近づいてみると、なんか大きいんですけど。
「ねえマーシャ。皇子ってこの子のこと?」
「さようでございます」
マーシャはわたし付きの侍女だ。
しかし寝ている人物に、わたしは思わず眉を寄せてしまった。どう見たって十一、二歳だ。子守すらいらねえじゃねえか。
皇帝が今二十八歳だと聞いていたので、逆算すると十六、七歳くらいのときのお子ということになる。今のわたしとそう変わらない。いや、女は若ければ若いほど喜ばれるけどさ。皇帝は男なんだから、もうちょっと遊んでもよかったのよ? 運命の后妃さまに早くに出会えたんだから、本人はそれでよかったんだろうけども。
でもたしか皇帝、結婚されたの十八歳でしたよね?
つまりその時点で隠し子だったというわけか。宮廷の闇を垣間見た気がする。
「起こして大丈夫なの?」
「わかりかねます」
そりゃ決定権はこっちにあるよね。なんたってわたし、皇后さまだもんね。
ちょっと考えた末、先に自分の部屋を見ておくことにした。寝る子は育つよ。
マーシャに案内されたのは続きの部屋で、どう見ても寝泊まりすることだけを追求した、使用人用の宿直室だった。ベッドはある。入って左にすぐ置かれているのだ。部屋はそれをふたつ並べられるくらいの広さしかない。ポジティブに考えると、ベッドにいながら部屋のどこにでも手が届く快適空間だ。
クローゼットは右にあるけど、厚みがない。開けてみると案の定、奥行きはなかった。申し訳程度にランプがあるのは救いかもしれない。わたしは真っ暗じゃ寝られないんだよ。
皇后って、質素なんだね。
「故国へ帰っていいですか?」
マーシャがここにきて初めて、泣きそうな顔で縋り付いてきた。ごめん、出来心で言ってしまっただけだから! 本気にとらないで。
皮肉なことに、わたしの持ってきた荷物はめちゃくちゃ少ないので、この小さなクローゼットでも持て余すレベルだった。皇帝はこれを見越していたのだろうか。
荷解きが済んだので、再び皇子の部屋へ戻ってみる。
なんと、皇子が起きていた。挨拶しとかないと。
「お初にお目にかかります。わたくしはマグダレナと申します。レナとお呼びください」
いかつい印象を与える自分の名前が気にくわなくて、わたしはいつもこういうふうに自己紹介している。
皇子は小首をかしげた。肩で揃えられた銀の髪が流れる。さらっさらかよ、うらやましい!
「わたしはヨハネス・マテュー・トラウゴット・リーデルシュタイン。あなたはわたしの新しい侍女ですか? シスターさまに見えますが」
やばい、めっちゃくちゃかわいい。アイスブルーの瞳が、好奇心に揺れている。声も、聖歌隊のボーイソプラノのように清らかだ。しかし言ってることはいただけない。
確かに今のわたしはきっちりベールもつけた法衣姿だし、シスターに見えてもおかしくない。これでも自国では巫女でした。でも現在は。
「いいえ。貴方の義母です」
正確に言うと、まだ婚約中らしいけどね。わたしが今年末に十六歳になるから、それを待って結婚することになっている。
「え、おかあ、さま?」
「はい。でもあんまりにも歳が近いので、抵抗があるなら姉くらいに思っていただければと思います」
「ねえさま、ですか?」
「……レナでかまいません」
こうして、わたしと皇子は親子になった。
+ + +
皇子のことは、愛称でハンスと呼ぶことになった。
ハンスは子守なんていらないくらい、よくできた子供だった。なのでわたしの仕事は、もっぱら彼の話し相手だ。勉強のときも、剣のお稽古のときも伴っていつも一緒なので、かなり気安い仲になった。
今日は外交の行儀作法についての勉強だった。勉強室へ移動して授業を受けるのだ。
ハンスはユリア先生といっしょに、真剣に取り組んでいる。
「自国の宣伝って、どう言ったらいいんだろう」
「さあさ殿下! 以前お勉強した内容を思い出してくださいまし!」
これが正常な授業風景なのだろうが、なんと皇子はすぐわたしへ話を振るのだ。
「レナはどう思う?」
「わたしはこっちの国のことは、よくわかんないからなあ」
ユリア先生にジロリと睨まれる。いつものことなので気にしない。ハンスは参考にもならなかったわたしの言葉を聞いて、顎に手を当てて考え込んだ。
「この国のいいところとか、特産品なんかを言うんだよね?」
「おっしゃるとおりでございます、殿下!」
こんな感じで、呼ばれている教師陣は、ハンスを持ち上げるような言動ばかりで、実は彼の不信感を煽っている。どれが正しいのかを見極める力を養うって意味では、いいスパルタだと思う。ほんと宮廷学って侮れない。これはもちろん皮肉です。
「レナなら、どうやって相手に自分を売り込む?」
「参考にならないと思うんだよね。わたし、皇帝には『あらゆる条件を課されても困ります。ただ一言が許されるなら、わたしを皇后に選んでください』って迫ったから」
ユリア先生が顔を引き攣らせている。うん、わたしもどうかと思ったよ。でもまさか、選ばれるなんて思わなかった。
「……わたしには、父がわからない」
ハンスがめちゃくちゃ深刻そうに俯いてしまった。
わたし的考察を述べさせてもらうと、なんにもできないアピールがよかったのだと思う。
余計な知恵など働かせず、放置しても問題ない。万が一謀に利用されようが、それをとてもじゃないが遂行できそうもない。危険因子とは程遠い人材。それがわたしだ。
言っちゃなんだが、わたしが胸を張れることといえば、あらゆる事柄に寛容なことと、朝晩かかさずお祈りしている敬虔さくらいのものである。わたしのモットーは『人生これ神頼み』だ。
教会出身なので礼儀作法は問題ない、まさに、おかざり皇后に最適な無能だったのさ!
こんなのが義母なんてハンスは知りたくないだろうから、わざわざ説明してやらんがな。父子の亀裂に気の済むまで喘ぐがいい。
「なら、ハンスはどうなの?」
「わたし?」
「うん。今から自分を売り込んでみてよ」
ユリア先生が、やるじゃんって顔をしてこっちを見た。たしかにこの振りは、勉強になるかもね。自己紹介って、自信がないと相手の関心を引けないからなあ。
「どうしよう、自分のいいところがわからない……」
「そんな! 殿下はとても魅力的な方ですわ!」
「例えば?」
「それはっ」
先生なんだから、そこで詰まっちゃダメでしょ。わたしは間髪入れずにこたえる。
「顔」
「ええ!?」
「ちょっと! 露骨すぎますわ!」
「流れる髪の、手入れが行き届いていて綺麗。毎日最初に会う人に、ぜったい挨拶する。花瓶の水を毎朝かえる。人と話すとき、不自然にならない程度にきちんと眼を合わせる。卑怯なことが嫌いで、嘘をつけない。段差があると教えてくれる。宮殿内で迷子にならない。剣の手入れを自分でする。さりげなく、わたしの嫌いな食べ物を取ってくれる――」
「もういい!」
ハンスが真っ赤な顔をして、わたしの口を塞いだ。おかしいな、なんかダブったか?
ああ、そうか。
「ごめん、わたしの主観多かったかな」
「そうじゃないよ」
頬を染めてゆるゆると首を振るたびに揺れる髪が、やっぱり綺麗だなあと思った。
ハンスに手を引っ張られて、呆けたままのユリア先生に挨拶をして、わたしたちは部屋を出た。ちょうど時間だったらしい。
「ねえハンス、このまま休憩に入ろっか。次は剣術の稽古だし、しっかり休んどかないと――」
「レナのいいところは」
お、なんだ? 普段は喋っているひとにかぶせてくるような真似しないのに。よっぽど動揺してるってことだろうか?
「僕をちゃんと見てくれるところだね」
ぽろっと、心をこぼしてしまったように言われた。くすぐったく感じるのは、なんでだろう。
「ハンス、それ主観的すぎると思うよ」
「いいんだ。別にだれかに伝える必要ないから」
「なるほど」
お互い照れくささを隠すのに必死で、いつの間にか休憩室を通り過ぎてしまい、マーシャに呼び止められてしまった。