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一部 その一 春花部優夜

 目に差し込む夕日は、腹に入れられたつま先と同等な鋭さがあった。なぜ優夜はこうも惨めに地に這いつくばっているのか? それもこれもあの日から始まったのだ……

 日は(こうべ)を垂れ、ひぐらしの鳴く声がはるばる聞こえてくる。草木(くさき)の擦れる音がして、風の走る音がして、照らされた緑が煌々として目に痛かった。


 大きく(そび)え立つコンクリートの壁。その辺りに幾人か、学生服姿があった。

 

 ――鈍い音がした。よろめいて、一人の少年が後退(あとずさ)りする。そして、壁面に(もた)れた。

 西陽(にしび)は奴らの陰を春花部優夜(はるかべゆうや)の寄り掛かる壁に活版印刷のごとく押し付ける。恰幅(かっぷく)のいい巨漢が新島一太(にいじまかずた)。その他には取り柄のない少年が五人ほど佇んでた。


 (――こんなことになるんなら……傍観していた方がマシだったな……)

 優夜は口内の血の味を、舌で馴染(なじ)ませながら思う……


 ――優夜は地に転げながら思い出す、春の面影を薄く残した、六月初旬を。

 春が過ぎて、湿気が充満する。夜の農道ではカエルの声が(ひしめ)き、蛍が飛び交う。電灯のないこの道では蛍がよく映えた。

 十字路に差し掛かり、前から歩いてくる女がいた。薄い雲が、夜の暗さに拍車をかける。

 (……高畠夏(たかばなつ)だ)

 この夜闇でなぜ気づけたのか、思い至るのに苦労はしなかった。

 彼女の左頬が急激に明るみだす。エンジン音が迫ってきた。

 気づけば優夜は地面を蹴っていた。が、バイクの姿がもうすでに見えていたのだ。


 ――体が(そら)に踊った。


 バイクのスリップする音が聞こえて、静寂が訪れた。顔を上げようにも体が動かない。

 遅れて体に激痛が走る。吐血した。道路のタイヤ跡に並んで血痕が見えた。血溜まりは優夜に続く。

 (…………熱い)

 朦朧(もうろう)とする意識の中で痛覚が鈍化していくのを感じる。

 (夏はどうなったのだろうか?)

 不意に浮かんだ考えに、苦笑した。

 (死に際に他人の心配なんて……俺らしくないな)

 体を翻して、(――命をかけたんだ。せめて最後に顔は拝ましてもらう)と、起きあがろうとする。

 砕けた左腕を地面に突き立てる。なんとか()って夏の元までいけそうだ。茂みに突き飛ばした(はず)の夏のところへ。


 ……夏は眠っていた。(死んだのか?)――死んだわけではない。息はしている。にもかかわらず、目を覚さない。ショックで倒れたのだろうか?

 触診しようとして左腕の傷が治りかけているのを認めた。

 (これは……)

 優夜は直感で感じた。この常軌を逸した回復速度は……

 (俺の……能力……)

 一瞬、優夜の顔に喜びの色がにじみ出たが、我に帰り、慣れない触診を始める。……なるほど、後頭部に(こぶ)ができている。他に目立った外傷はないようだ。脳震盪(のうしんとう)だろうか? もしそうなら救急車を呼ばなくては。

 あいにく、上着のポケットに入れていたスマホはどこかに飛んで行ってしまったらしい。

 バイクの運転手の方へと、立ち上がり歩き出す。もちろん、助けを呼ぶためだったが、アドレナリンのせいか、優夜は歩けることに何の違和感も覚えなかった。

 

 (うずくま)るバイカーの方へ駆けていく。が、救急車に連絡してくれ、という言葉は胸の途中でつかえた。

 (おまえは――)

 

「新島……」


 ――腹部への痛みが意識を現実に引き戻した。このまま意識を失っていたら、どれほどよかっただろうか……


 夕日の赤さが絶え、肌に触る夜風は冷えて皮膚に突き刺すようだった。(とばり)の降りた夜闇は、すでにひぐらしの鳴く声は死んでいて、草木の擦れる音だけが今日に取り残されている。

 すでに新島たちは帰ってしまった。五時ちょうどに町に広がるお決まりの音楽が、いじめの終わりを告げた。

 奴らの、クズのくせして時間に律儀なところが、余計に神経を逆撫でする。

 蝶や虻が飛び交う電灯に焦点を合わせる。体を捻って寝そべり、空を見上げた。

 薄く引き伸ばされた雲は月にブラーをかけていた。

 そんな(かす)れた空を唖然(あぜん)と眺めながら、優夜は物思いに(ふけ)る。

 

 異能なんてモノが世に出回ってからか、人が人を力でねじ伏せ屈服させることが多くなったのは。能力の強い方が偉くて、弱い奴は(ごみ)同然、無能力者は人ですらない。

 (……クソみたいな世界だ)

 優夜は、呆然と電灯を眺めたのち、立ちあがろうとする。体の節々が悲鳴を上げた。口はじ、(まぶた)は切れ、至る所に青あざがある。

 

 別段、いじめられるのは無能力者だけではなかった。能力者にも二種類いる、覚醒後か覚醒前。加えてその能力が強いか弱いか……

 人には評価が付与される。能力発現者はS、A、B、Cのどれか、優夜はC、つまるところ最弱だ。(ちな)みに新島はBだった。次いで能力未発現者はD、無能力者はNと評価される。

 能力者かどうかの有無は産まれた一年後の検査で発覚する。脊髄液に異能の因子が含まれるかどうか、その些細な違いが人生を左右する。

 (……本当に……くだらない)

 

「――ひどい顔だな」

 小馬鹿にするよな声がした。気づけば、草むらから(えら)くがたいのいい影がのぞいている。

「いるんなら肩貸してくれよ」

 優夜は口に残る血を吐き捨てて、愚痴気味に言った。

 この図体がデカくて丸坊主(まるぼうず)で強面な男、氷室磊ひむろらいは優夜と幼馴染、しかも仲が良く相棒のようだった。

 磊はコンクリートの斜面を、靴底の削れる音を響かせながら滑って降りてくる。

「……そんだけがたいがいいなら、おれのボディーガードしてくれてもいいんじゃないか?」

 優夜はニヒルな微笑を浮かべている。

「バカ言え。お前が無能力だったらともかく、能力あるだろ?」

 磊がメロンほどの手で小突く。

「――あっても対抗できる能力じゃなきゃ意味ねぇって」

 言って、優夜は歩き始める。溝に捨てられた鞄を取りに行くためだ。

「……微妙にキモい能力だな、それ」

 磊は、歩く優夜を目で追って、苦笑する。

「『微妙』は余計だ。そもそもキモくねぇよ、便利だろ?」

 自嘲するような声色で微笑を浮かべる優夜は、すでに傷が塞がっている。が、不思議なことに髪が腰ほどまで伸び、爪は五、六センチほどになっていた。


 ――優夜も磊も、他の誰もが優夜の異能の本質を知り得なかったのだ……

 何よりも早く全てを超えて……

 ──時代は加速する。

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