ハッピー学園生活の始まり!?
目を覚ましてから、少しだけ時間が経った。
知らない部屋、知らない家。けれど不思議と、落ち着かない感じはしなかった。記憶が混ざっているせいか、それとも――もう、どうでもよくなっているだけなのか。
「律、大丈夫? 具合悪い?」
声をかけてきたのは、先程俺に「お父さんはいない」と告げた女性だった。
名前はレナ。年齢は二十七歳。
……若すぎないか? という疑問はあるが、今はそれどころじゃない。
「...大丈夫」
短く答えると、レナは少しだけ眉をひそめた。
「今日は高校の入学式でしょ? 本当に平気?」
高校。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。
――また、学校か。
「ちなみに聞きたいんだけどさ」
できるだけ自然を装って、俺は続ける。
「学校って、どうやって行くんだっけ?」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「……律?」
レナは俺の顔をじっと見てから、心配そうに言った。
「やっぱり疲れてるんじゃない? 無理しなくていいのよ。入学式だし、一緒に行く?」
一緒に、か。
その言葉に、少しだけ救われた気がした。
……でも。
ふと、机の上に置かれていたものに目がいった。
スマホ。
見覚えのある形。見慣れた画面。
手に取って操作すると、地図アプリが普通に起動した。
「……大丈夫。思い出した」
俺はそう言って、スマホを置いた。
レナはまだ納得していない顔だったが、それ以上は何も言わなかった。
家を出て、学校へ向かう。
街並みは、前の世界とほとんど変わらない。コンビニもあるし、信号もある。
「……異世界にも、スマホってあるんだな」
思わず、独り言が漏れた。
歩きながらスマホを見る。学校までの道順は、自然と頭に入ってきた。
校門が見えてくる。
大勢の生徒。新しい制服。知らない顔ばかり。
「普通に……異世界の人と、友達なれるんかな」
声に出すと、やけに現実味が増した。
普通に、普通に、か。
誘導に従って校舎に入り、教室へ向かう。
「異世界って言っても、魔法学校みたいな感じじゃないんだな」
拍子抜けするほど、普通の高校だった。
教室に入ると、黒板の代わりに壁一面のホログラムが起動していた。そこに、座席表が表示されている。
自分の名前を探す。
「……窓側の、一番後ろ」
一瞬、ラッキーだと思った。
……でも、すぐに気づく。
「角って、話す人減るよな」
前世の記憶が、嫌な予感を連れてくる。
「下手したら、孤立するんじゃ……」
考えないようにして、席へ向かった。
――はずだった。
俺の席の椅子に、すでに誰かが座っていた。
長い髪。派手めなメイク。姿勢も態度も、見るからに“一軍”。
いわゆる、陽キャ女子。
喉がひくりと鳴る。
「……あの」
声が、思ったより小さかった。
「そこ、俺の席……」
女子がゆっくり振り向いた。
「あ゙?」
低い声。鋭い視線。
心臓が跳ねる。
(怖い……)
でも、ここで引いたら終わりだ。
(ここでちゃんと言わないと、舐められる)
(ただでさえ異世界で、意味わかんないのに……)
頭がぐちゃぐちゃになる。
気づいたら、口が勝手に動いていた。
「......頭も身体も、発育がなってないくせに」
――やってしまった。
教室の空気が、一気に凍りついた。
周囲の視線が、刺さるように集まる。
女子の顔が、みるみる歪む。
「は?」
次の瞬間――
キーン、というチャイムの音が、教室に鳴り響いた。
チャイムの音と同時に、教室のドアが乱暴に開いた。
入ってきたのは、ひと目で分かる大柄な男だった。
肩幅が異常に広く、Yシャツは今にも破れそうなほどピチピチ。腕を動かすたびに、生地が悲鳴を上げている。
「今日からこのクラスの担任の、矢島だ」
低く、ぶっきらぼうな声。
第一声からして、嫌な予感しかしない。
「まず言っておきたいのは――お前らには、1ミリも期待していないということだけだ」
一瞬、教室が静まり返った。
(……いきなりとんでもないのが来たな)
思わず、心の中でツッコむ。
(この世界の教師って、全員こうなのか?)
次の瞬間、ざわざわと声が上がった。
「え、なにあいつ……」 「やばくね?」 「ハズレじゃん」
ヒソヒソ声は、意外と教壇まで届いていたらしい。
矢島は鼻で笑った。
「何がハズレだ。ハズレくじ掴まされたこっちの気持ちにもなってくれ」
その一言で、ざわつきは一気に引っ込んだ。
強い。というか、強すぎる。
「いいか、耳かっぽじって聞いとけ」
「俺は集団から遅れたヤツに救済をするつもりはない」
黒板――いや、ホログラムの前で腕を組み、矢島は続ける。
「努力しないヤツ、結果を出せないヤツ、空気読めないヤツ。全部、自己責任だ」
教室の空気が、重く沈んでいく。
「これが社会だ。学校は、その予行演習にすぎん」
……自己紹介、これで終わりか?
前の世界でも教師は見てきたが、ここまで露骨なのは初めてだ。
(優しさゼロ、フォローなし……)
(前世より、きつくないか?)
その後は淡々とした説明だった。
教科書の配布、今後の予定、注意事項。
気づけば、あっという間に午前は終わっていた。
帰りの準備をしながら、俺は周囲を警戒していた。
(……あの女子、まだ怒ってるよな)
例の一軍女子は、友達に囲まれて大声で笑っている。
視線が合わないように、そっと教室を出ようとした――そのとき。
「おーい」
背後から、軽い声が飛んできた。
心臓が跳ねる。
(まさか……)
恐る恐る振り返ると、そこにいたのは、さっきの女子ではなかった。
ミルクティー色の髪に、毛先だけ少し濃いグラデーション。
制服の着崩し方も、どこかラフ。
「さっきさ、あの一軍女子にあんなこと言うとか、すげー勇気じゃん」
にやっと笑って、そいつは言った。
「普通、黙るでしょ」
「……あ、いや」
どう返せばいいかわからず、言葉に詰まる。
「俺、カイ。よろしく」
軽く手を振られる。
距離感が、妙に近い。
「いやー、マジで見ててヒヤヒヤしたわ。殴られるかと思った」
「俺も、そう思った……」
正直な感想が口をついて出た。
カイは笑った。
「でさ」
少しだけ声を落として、続ける。
「よかったら、一緒に購買行かね? 一人で行くのもダルいし」
……誘われた?
異世界で。
転生して。
入学初日で。
友達、なのか?
頭の中で警戒心が騒ぐ一方で、胸の奥がわずかに温かくなる。
「……いいけど」
そう答えると、カイは満足そうに頷いた。
「よし決まり。あ、言っとくけど俺、ちょっと強引なとこあるからなんかあったらごめん」
「もう、慣れてる」
「それなら安心だわ」
そう言って、カイは歩き出した。
その背中を追いながら、俺は思う。
この世界は、前の人生と同じくらい理不尽だ。
教師も、クラスも、簡単に信用できない。
――でも。
もしかしたら。
本当に、もしかしたら。
ここには、前とは違う何かがあるのかもしれない。




