正しいかたちで流れていける
「はっ!?、何してるの!!」
一見遠浅に見える河川敷は、途中からいきなり深くなっていく。
ボールを追いかけて川の中へ走った子供は、突然足がつかなくなりバシャバシャと飛沫をあげて浮き沈みしていた。
雪解けの水が流れているのか、いつもよりかさが増す川の水は、流れも早い。
やばい、誰か…!
こんな時に限って人通りがない。橋の脇から階段で河川敷へ降りられる。
今から行けば、ちょうどあの子がここまで流れついて、間に合って助けられるかもしれない。
早く!早く!
全速力で橋から階段下へ、川へ急ぐ。
橋の下辺りからは浅瀬は短くなり、岸辺に生える木の数が多くなっていく。
上手く行けば、木を利用してつかまって、助かるのではないか。
流される子供がどんどん近づいてくるが、川の中ほどまでは結構距離がある。
ぼくは川へ飛び込んだ。
「うっ!!」
3月の川の水は、まるで体を刺すかのように痛い。
冷たいなんてものじゃない。
服が水を含んで、ずん、と重くなる。
子供が近づいてきた。抱き寄せるにはまだ遠い距離だ。
手を伸ばすが、届かない。
その間にもぼくたちはどんどん流されていく。
無我夢中で水をかき分けて、子供がいる方へ進もうとするが、なかなか近づけない。
頼むから、どうか。神様。
神なんていないんだと、つらさから呪ったこともあったけれど。
ごめんなさい神様。どうか、どうか今だけは、あの子を助けたいです。神様、あの子を助ける力をください。
そう祈りながら大きく手足で水を掻いた。
川の水の冷たさに、手の感覚がなくなってくる。
それでも、前へ、もっと近くへ。
子供の顔が青白い。
「頑張って!もう少しだから!」
あと少し。渾身の力で水を掻きわけて手を伸ばす。
がっしりと子供を掴んだ。
「よく頑張ったね、大丈夫だよ」
体温が下がっているのだろう、子供の唇は紫色で、歯がガチガチ鳴っている。
早く岸に上がらなければ。しかし、子供を抱き抱えて岸まで泳げるだろうか。
増えた重さと残された体力に、気持ちが焦る。正直もう、長く泳ぎきれなそうだ。
岸をめざすが、川の流れが阻んで許さない。
どうしたらいい。その間にもどんどん流されていく。
と、そのとき、流れの先に川の真ん中近くに生える木を見つけた。
「あれに捕まろう。」
このまま流されたら、ちょうど木の近くを通る。
そう子供に話す間に、目標の木が迫ってきた。必死で幹に抱きつくように腕を回す。足もなんとか幹をホールドする。
「掴んで!」
冷えや疲労のせいか、子供の手にうまく力が入らない。このままではまた流されてしまう。
なんとか水から引き上げたい。子供だけなら、木の枝まで登れないだろうか。
「一緒に頑張ろう、お兄ちゃんを踏んづけていいから、木に登るんだ」
抱き抱える腕で子供を押し上げ、その脚を掴み、自分の肩を踏み台にして、枝まで登らせる。
「頑張って!絶対に助かるから!」
口の中に土臭い川の水が入るが、どうなってもいい。アドレナリンが出ている。もう痛さも冷たさも感じない。
力を振り絞って子供を支え、下から押し上げる。
たくさん枝分かれしているのが幸いし、枝を掴みながらもたれかかる形で、やっと子供は川の水すれすれの上の枝まで登ることができた。
「やった、よかった…」
子供の体重なら、枝は折れることがないだろう。救助が来るまでこの場所で持ち堪えて欲しい。
自分はもう、限界だ。子供が枝に登れた安堵に、一気に体が緩む。
「お兄ちゃん…!」
子供の声が一気に遠くなる。ぼくは再び川の流れに飲み込まれた。
全ての腕力を使ってしまった。足ももう、動かせない。ジタバタともがくが、もはや泳ぎではなかった。
頭が朦朧とする。鼻からも口からも水が入ってくる。飲み込む。ひどく冷たい。苦しい。
いじめられて水バケツへ頭を押さえ込まれたことを思い出す。
ぼく、死ぬのか。
でも、あの子供が助かるなら、いいんだよ。
これがきっと、正しいかたちの、ぼくの終わり方だ。
ありがとう神様…
水の中で流した涙に、目の周りが少しだけ暖かく感じた。