3.変わった鴉
今日、王宮の鴉として舞踏会に出ているのは私を含めて三人だけ。ひとりは来年引退予定の老魔法士。たぶん、半分以上休憩に時間を割いている。……まあ、それは仕方がないと思う。
それから、もうひとりは若き魔法士だけど、こっちのほうが曲者。『面倒くさい』が口癖のうえ有言実行な人なのだ。
数時間前、彼は舞踏会に足を踏み入れるなり『見世物になるなんて面倒くさい』とぼやいていた。
交代がバレないように四隅にいた私が言うのも烏滸がましいけれど、彼はさぼっている可能性が非常に高い。
今晩は王宮の鴉の姿がどこにもなかったと、後で上からお小言を言われるなんて御免である。
さあ、仕事しましょっと。
気持ちを切り替えて広間を歩き始めた。ルートなどは指定されていないので、人集りを避けながら進んでいく。マーコック公爵家の人達はいつも人に囲まれている。彼らと鉢合わせしないように気をつけているのだ。
キョロキョロしていたら”王宮の鳩”になってしまうので、私は慎重に視線だけを動かす。
右に人集りあるわね。はい、回れ左っと。
婚約の話を辞退する旨を伝えていたし、マーコック公爵邸を出た後は自然と疎遠になると思っていた。
だけど、彼らは私に会いたいと頻繁に手紙を送ってくる。魔法士の仕事が忙しいと無難な言い訳を返していると、最近はドレスを贈ってきて舞踏会への参加を促してきた。
私のために仕立てられた高級なドレス。手紙には要らなかったら処分していいとも書いてあった。要らない。
でも、送り返したら傷つくだろうと思ったから、クローゼットの奥に仕舞ってある。
――彼らが何を考えているのか分からない。
私は長い間里親のもとで暮らしていた。国からの給付金目当ての家だったので、子供の入れ替わりは激しかった。
働ける年齢になったら追い出し、新たな金蔓を迎え入れる。小さな孤児院といった感じで、当然、そこには家族という概念など一切ない。
ずっと家族というものに憧れていた。……なのに、私は上手くやれなかった。
シャロンの存在だけでなく、育ちの違いも大いに関係していると思う。お互いに心労が重った結果、許容範囲を越えてしまった――本音を漏らした母と、それを許せなかった私。
でも、最近では私が家族というものを理解出来ていなかったのも一因かと思い始めている。
家族ならどこまで許されるのか、どんなふうに甘えていいのか、私は学んでこなかった。
例えるなら、ずっと欲しかった髪飾りを買ったはいいが髪が結えずに使えなかったというところか。
結い方を聞けば良かったのかもしれないけど、あの環境でその勇気は持てなかった。誰だってそうなる。
歩きながら腕を組んで、顔を上に向ける。
うーん、私ったらまた考えちゃってるな。
私は弱くないけど強くもない。前向きなほうだと思っているけど、こんなふうに過ぎたことを引きずりもする。そんな自分は嫌いじゃないけど、大きく息を吐いて気持ちを切り替える。
今は仕事中だ、考えるのは明日でもいい。
いいえ、明後日。ううん、一ヶ月後でもいいかな……。
「たぶんね」
自分に優しい答えを呟く。
これは幼い頃からの癖でもある。養い親は最低限の世話をしてくれる人で、親ではなかった。ひとりひとりに寄り添って声を掛けることもない。
だからだろう、こうしてほどほどの答えを自分で用意し、自分自身を安心させるようになった。
我ながら単純な子で良かったと苦笑していると、どこからか聞き慣れた声が耳に届いた。
「ごめんなさい、ちょっと外しますわね」
声が聞こえた方角を見れば、社交を中断してこちらに向かってくるシャロンの姿が人垣の隙間から見えた。この距離では目当てが私ではない可能性もある。もし私ならば――急いで逃げたほうがいい。素早く進行方向を変え背を向ける。
「待ってくださいませ」
すかさず声が聞こえたけど、聞こえないふりをして歩調を速めた。
「シャロンお姉様、待ってくださいませ。私です、シャロンです。すぐにそちらに参りますから」
名指しによって周りの視線が私に注がれる。
社交界で二人のシャロン・マーコックは有名である。もう観念するしかない。
「あら、シャロン? 気づかなかったわ、こんな近くにいたなんて………」
「お義姉様、今日は非番だったはずでは? なぜドレスではなく、そのお姿なのですか?」
「急な交代があって……」
今日この言い訳を口にするのは二度目。アクセルには見透かされたけど、シャロンは素直に信じてくれた。「お仕事お疲れ様です」と労いに言葉を口にしながら残念そうな顔をする。
「お母様が贈ったドレス、とても素敵でしたでしょ。お父様はそれを着たお姉様と踊るのを楽しみにしていました。ケイレブもです。ねっ?」
「シャロン嬢、今日は踊れなくて残念でした。次の機会を楽しみにしていますよ」
シャロンを追いかけるようにやって来たケイレブは、話を振られ礼儀正しく社交辞令を口にする。
なぜかシャロンと彼の婚約は進んでいない。
だから、ホワイト伯爵令息の婚約者候補が二人――どちらもシャロン・マーコック――という状況が継続されている。
新たな噂の種を求め、一言も聞き漏らすまいという顔をしている紳士淑女に、あっという間に私達は囲まれてしまう。
「次なんて待つ必要はないわ、ケイレブ。今、踊ればいいもの。ね? お姉様」
王宮の鴉は男女とも同じ制服で、漆黒のフロックコートに同色のトラウザーだ。もし彼と私が踊ったら、それこそもの笑いの種となってしまうだろう。踊らないという不文律以前の問題だ。
ケイレブは困ったような顔をして、助けを求めるように私を見てくる。
シャロンと彼は幼馴染みでもあるが、公爵令嬢の言葉を否定するのはよろしくないと判断したのだろう。その弁えた態度は良くも悪くも貴族らしい。
「シャロン、私は魔法士としてこの場にいるから踊るのは無理だわ」
「でも、少しだけならバレないと思います。お姉様とケイレブは《《婚約者同士》》ですもの、告げ口なんて無粋な真似は誰もいたしませんわ」
周囲の人達はシャロンの言葉に笑みを返して同意を示す。
もちろん、親切心からではなく明日話せる話題を期待しているだけ。貴族社会で生きてきたシャロンに、それが分からないはずはない。
婚約者同士という先ほどの言い間違いといい、なんだか彼女らしくない。
「お姉様、せっかくですから」
シャロンに突然腕を引っ張られた私はバランスを崩し、ケイレブのほうによろけてしまう。彼は私を受け止めようと、反射的に両腕を広げる。
――ポスンッ。
私が飛び込んだのは、予想に反して漆黒のフロックコートの胸の中だった。
顔を上げると、紫銀の髪を緩く結んで左胸に垂らしている人物と目が合う。直前で私の体を引き寄せてくれたのだ。
「ありがとう、ルーク兄さ――」
「リディア、今はそう呼ぶな」
彼は自分の唇の前で人差し指を立ててみせる。彼の名はルークライ・ディンセン。今日、王宮の鴉として舞踏会に参加しているひとり。どうやらさぼっていなかったみたいだ。