21.心からの祝福を
たくさんの嬉し涙を流したあと、私達はまた並んで歩き始めた。
露店に並ぶものはどれも美味しそうなものばかりで目移りしてしまう。全部食べてみたいけれど、流石にそれは難しい。どれにしようかと行ったり来たりしていると、ルークライは少し離れた噴水の近くにあるベンチに私を座らせた。
「リディ、ここで待ってろ。すぐに戻って来るから」
「待って、どこに行くの?」
彼の背中に向かって叫んだけど、彼は手を振って行ってしまった。
そして、十分後。彼は私が興味を示したものすべて買って戻ってきたのだ。
「ひとつずつ買ったから、半分ずつしよう。それなら、食べられるだろ?」
「ありがとう、ルーク兄さん!」
彼は私の隣に腰を下ろすと、手で器用に半分にして渡してくれる。ふたりで同じものを食べながら、味はどうとか、大きさはどうとか、会話が弾む。
「なんか懐かしいな、この感じ」
「人数分おやつがなかった時、ルーク兄さんはこうして分けてくれたよね。そして、絶対に大きい方を私にくれるの」
「はっはは、不器用だっただけだ」
彼は否定したけど、私は知っている。
ある日、林檎ジャムが真ん中にのったクッキーがおやつとして出された。その時も数が足りなくて、ふたりでひとつを分けるように言われた。みなは早く食べたくてさっさと割っていたけど、彼だけは慎重に割っていた。
『リディ、お待たせ』
『あれ? お舟の形してるー』
『ごめんな、上手く割れなくて』
『ううん、大丈夫だよ。ありがとう、ルーク兄さん』
みんなはお月様を半分にした形だったのに、私のだけは違った。ジャムの部分が半分になっていなかったからだ。
幼かった私は分からなかったけど、今なら分かる。林檎ジャムを私が大好きだったから、全部くれたのだ。
本当に妹思いの優しい人。
食べながらルークライの横顔をちらりと見ると、彼は楽しそうに笑っていた。
妹である私といて、こんな素敵な笑顔を浮かべているのなら、大切な人にはどんな顔を見せるのだろうか。決まっている、もっと、もっと幸せそうな顔を向けるのだ。
ザラ王女が羨ましくて仕方がない――それが素直な私の気持ち。
私には向けられなくとも、彼のそんな顔を見てみたい――これも嘘偽りない私の気持ち。
ずっと言えずにいた祝福の言葉を、今なら、言えそうな気がした。飲み物で喉を潤してから、私は勇気を出して話し掛ける。
「ねえ、ルーク兄さん。今の時点で答えられないなら答えなくともいいから、聞いてもいい?」
「なんだ、いきなり意味深なことを言って」
彼は視線で先を促してくる。
「あのね、叙爵を受けるって本当なの?」
「タイアン魔法士長から聞いたんだな、まったく」
彼は眉間に皺を寄せて、ここにいないタイアンを睨みつける。正確には先にシャロンから聞いたのだけど、訂正するほど重要なことではないので言わなかった。
「本当だ。いつとは決まっていないが近いうちにな」
「ルーク兄さんはどうして受ける気になったの? 何度も断っていたって聞いたわ。……貴族になりたかったの?」
答えがわかっているのに質問したのは、答える時の彼の表情を見たかったから。
彼はきっと大切な人を頭に想い浮かべて答えるだろう。そうしたら諦めがついて、素直に『おめでとう』と言える気がする。
ふっ、諦めがつくって我ながらおかしな言い方ね……。
妹のくせにと心のなかで自嘲した。
「貴族には興味ない。だが、その地位が――いや、違うな。大切な人を守るための力がもっと欲しくなったんだ。剣術を学んだのもそれが理由だ。誰よりも側にいるのに、守れなかったら意味がないからな」
目の前には私しかいないのに、まるでここにザラ王女がいるような――愛おしいという想いを宿した目をしていた。彼の心に彼女の存在が深く刻まれていると思い知らされる。
弱虫な私の背中を、トンッと彼の言葉が押してくれた。
「おめでとう、ルーク兄さん」
大切な人と結ばれて良かったね、とは言わなかった。それはまだ秘密だろうから『おめでとう』だけにした。
「ありがとう。リディに喜んでもらえるのがなによりも嬉しいよ」
「どうして……」
咄嗟に聞き返してしまったのは、『ザラ王女に』と言うべきだと知っているから。そして、たぶん、心の奥底に諦めが悪い私が残っているから。
「えっ、ああ、大切な妹だからに決まってるだろ」
彼は嘘偽りない返事をした。突き放してくれてありがとうと、心のなかで呟いた。これでもう、諦めが悪い私は出てこれない。
「嬉しいな、そう思ってくれて。もう一度言わせて。おめでとう、ルーク兄さん」
私は思いっきり声を弾ませてそう告げた。無理はしているけど嘘はついていない。
その日、ルークライは日が沈む前に私を寮まで送り届けてくれた。最後まで私は笑っていられたと思う。だから、きっと明日も大丈夫……。明後日も明々後日も、時には湿布を貼りながら、笑っていよう。
いつか心から祝福できるその日まで。
◆ ◆ ◆
リディが寮に入るのを見届けると、俺――ルークライの肩に白が降りてくる。 ツンツンと嘴で肩を突つき催促してきた。俺はトラウザーの後ろポケットから常に持ち歩いている餌を取り出し、白の口に放り込む。
「ありがとうな、教えてくれて」
「カァー、カァー」
店の前にリディアがまだいると教えてくれた礼ではない。あの分はもう済んでいる。これは俺達を付けてくる奴がいると、教えてくれた礼だ。
リディアを怯えさせたくなかったから黙っていたが、露店を見ている途中でなんとなく気配に気づいた。白が頭上を旋回して合図を送ってくれたから、それが確証に変わったのだ。
そいつは距離を置いて上手く付けていた。もし白がいなかったら、俺はそいつ――ノア・マーコックの目的に気づけなかっただろう。
彼については調べても、裏でシャロンと繋がっている様子もなく、まっさらのままだった。叩いても塵ひとつ出てこないそんな人物。だから、最初は兄として妹に悪い虫がつくのを案じているのかと思った。
だが、今日奴の目を一瞬見て分かった。俺と奴は同じ穴のムジナ――兄のくせに妹に惚れている。
ノアとリディアは血の繋がった兄妹だが、一緒に暮らしていた期間は短い。成長していきなり戻ってきた妹を、妹として見られなかった。世間一般の感覚では気持ちが悪いと言われる類の感情だ。
だが、俺は奴に心底同情している。
血が繋がってないが、俺はリディアから兄と慕われている。なのに、俺は彼女を妹として見てやれない。
はっ、最低なのはどちらも同じ。
俺と奴の恋情はリディアにとって害でしかない。だから、俺は完璧に隠している。それは奴も一緒だ。
そうだ、ずっと隠し通せ。良き兄の仮面を被り続けろ、俺のようにな。
奴は理性で必死に己を押さえている。十分ほどで尾行が終わったのも、我に返ったからだろう。この状態を保ち続けるのなら見逃してやる。
リディアにとっては血の繋がった、たったひとりの兄。奴の本当の気持ちなど知りたくもないだろう。彼女は家族に強い憧れを持っている。その家族像をこれ以上壊したくない。
もし奴がリディアの兄であることをやめたら――その時は、俺が奴の息の根を止めよう。
リディア、お前は一生知らなくていい。俺達の想いなんて。




