20.血の繋がらない鴉――家族
「……っ!」
問題ないどころか、問題しかない。
鏡を見なくとも、自分の顔から一瞬で血の気が引くのが分かった。
警護対象者の身分は総じて高い。バレたら命の保証はないだろう。もし彼が一服盛った中に王族がいたとしたら、保証どころではなく確実に絞首刑だ。私はルークライの腕を両手で掴んで引っ張る。
「一緒に逃げましょう、ルーク兄さん。バレる前に!」
すると、彼はしてやったりという顔になる。騙されたと分かった私は頬を膨らませそっぽを向く。本気で心配したんだから……。
拗ねる私の額に彼は自分の額をコツンと合わせると、ごめんなと優しく囁く。こんなふうに宥められたら、もう怒れない。本当に彼は、私の機嫌を直す方法を心得ている。
私の頬が元に戻ったのを確認すると、彼は話を戻す。
「放棄も一服盛ってもいないから安心しろ。確かに一服盛ろうと本気で考えた。俺にはリディのほうが大切だからな。だが、それを実行に移す前に争奪戦が起こったんだ」
「……??」
私は首を傾げて考える。話の流れから考えれば、腹下し薬の奪い合いが起きたという意味だろう。でも、そんなに大勢の人が便秘になって医務室に押し寄せるだろうか。
彼は路地の壁にもたれ掛かったまま、くくっと忍び笑う。
「リディ、軌道修正しようか。奪い合ったのは俺の仕事だよ」
先に言って欲しかった。無駄に頭を悩ませてしまったと思いながら、また新たな悩みに直面する。彼の仕事を奪い合うって、いったいどんな状況だろうか。全然ピンとこない。
魔法士達は誰もが忙しい。だから、誰かの穴を埋める場合も、自ら手を挙げることは殆どない。本当に余裕がないのだ。だから、魔法士長に指名された人がげんなりしながら引き受けるのが普通だった。
私が答えを求めてルークライを見ると、彼は私が部屋を出た後に起きたことを話し始める。
――それは信じられないような出来事だった。
『ルークライ、仕事を儂に寄こせ。たまには動かんと腰に悪いんじゃ』
老魔法士が口火を切ると、次々に他の魔法士達も同じようなことを言い出したという。結果、希望者多数となり揉めに揉めたそうだ。
『儂の出番を奪うでない。可愛い孫娘のために一肌脱がせるんじゃ』
『そんなの狡いですよ。それなら同期の僕はいとこです!』
『なら、私は伯父だ。それもイケオジのな』
『何言っているの。私みたいな綺麗な姉がいたほうが喜ぶに決まっているでしょ!』
老魔法士、ローマン、壮年の魔法士、それから美魔女魔法士が主張したらしい。
全員分の台詞は流石に覚えきれなかったと、ルークライは笑った。そして、みな一歩も譲らなかったので最後はくじで決めたという。
みんなの気持ちを知って胸が熱くなる。
仲間達からは可愛がって貰っていた自覚はある。失敗した時はちゃんと叱ってくれたし、教えを請うたら嫌な顔ひとつせず教えてくれた。
でも、でも、……こんなふうに想ってくれているなんて思ってもみなかった……。
マーコック公爵邸を出た理由を誰も聞いて来なかったけど、相当な理由があると思って案じてくれていたのだ。
だから、ルークライの午後の仕事を引き受け、彼の身を自由にした。彼だったら、妹のもとに駆けつけると分かっていたのだろう。
嬉しすぎて、照れくさくて、今にも叫び出してしまいそうだ。私は口元を押さえてポロポロと涙を零す。
「みんなから愛されているんだよ、リディは。もちろん、一番愛しているのは兄である俺だけど。ふっ、それにしても大家族だな」
「う……ん……」
涙声で言えたのは一言だけ。だって、この気持ちをどう表現していいか知らない。生まれて初めてだったから。
「泣き虫なのは変わらないな」
私はこくりと頷きながら、自分の腕で自分の体を抱きしめる。そうしたら、泣きやめるかもしれないと思ったから。 彼は私の髪をクシャッと撫でてから「俺がいるのに……」と小さく呟き、そして、私の体を優しく引き寄せた。
「悲しい時だけじゃなくて、嬉しい時も俺の胸で泣いていいんだ。妹の特権だろ? リディ」
「……うん」
私は彼の腕の中で思いっきり嬉し涙を流す。今だけは妹だったことに感謝しながら……。




