103話 スエモリ強襲作戦
ショバタ城の全ての兵を率いて、スエモリ城を強襲することに決めたサブロー・ハインリッヒ。
それは、ショバタ城をもう一度手放すことを意味していた。
これに対し、ロー・レイヴァンドが守りの兵を置くべきだと進言する。
「若、やはりショバタキャッスルを守る兵をおくべきかと」
「必要ない。この城は守る程の要地でもない。それに母上がゼンショウジ砦から動くとなれば、兵力を分散できて、好都合でもある」
「若様の言っている通りにマーガレット様が動くでしょうか?」
マリーが不安げにサブロー・ハインリッヒに問う。
「母上の狙いがワシの考える通りであれば、というのが大前提となるが。間違いなく動くであろう」
「動かなかった場合でも若としては、何も問題がないと?」
サブロー・ハインリッヒの言葉を聞きロー・レイヴァンドが疑問を投げかける。
「空の城が無傷のまま返ってくるだけでなく、スエモリまで取れるなら儲けものであろうよ」
「成程。ですが若。これは強行軍であると同時に奇襲でもある。気付かれずにスエモリキャッスルに向かう道など何処に?」
「火を使うのだ」
まさか、この世界でも末森城に火を放つこととなろうとは。
日の本において、我が父が築城した末森城は平山城であり、我が弟の信勝が父から譲り受け本拠地としていた城であり、秀貞や権六と共に、ワシに対して反旗を翻した城でもある。
つくづく、ワシの世界と違うようでいて、所々に同じような城があるのだから不思議なものだ。
秀貞の奴には、迷惑をかけてかけられての仲であった。
ワシが信盛の怠慢について、相談した時、アイツは。
『古参であっても厳格な姿勢で対処せねばなりませんと言ったな。
そして、今や信長様は、一線を引かれて、信忠様を補佐する側となられました。徐々に移行する過程で、信忠様にとって、自分は邪魔となるでしょう。信長様に反旗を翻したこともあります。遠慮なくお切りください。その方が世界を広く旅できますから』
などと申して、信盛を切ることを決めかねていたワシに、それならこの際、信忠に新たな家老を選ばせる過程で切れば良いと言ってのけた。
どれほど救われたかわからん。
追放の前日、このような訳のわからない罪で追放することを酒を交わしながら謝ったのを昨日のことのように思い出す。
その時もアイツは。
『今にして思えば、信長様のことを信じていた平手殿は、正しかったと言える。
貴方様は、織田家を天下を狙える大名へと育てなされた。
きっと、平手殿も喜んでおられよう。
その側で、この歳まで裏切った自分が奉公できたこと感謝しかない。
それに自分は老いた。
息子の我儘のために共に追放されるのもやぶさかではありませんよ殿』
とな。
秀貞の三男坊である勝吉は、一豊と先に領主となった方に仕えると約束していたらしくてな。
ワシの元を離れたいと。
出奔ではなく追放の方が一豊も安く勝吉を雇えるだろうと。
そのための追放の文句がまさか24年も前の謀反についてなどとおかしな文言になってしまったことは、申し訳ないとしか言えん。
それ以外で秀貞のことを追放するような理由が全く無かったのだからな。
アイツは、ようワシのために尽くしてくれた。
老いたなどと言っておったが息子の願いを叶えるために追放という方法を選んだのだろう。
ワシは、信盛という厄介者と共に秀貞という有能な家臣を失ったのだ。
だが今にして思えば、アイツは病を患っていたのかもしれん。
旅先で亡くなったと勝吉から聞いた時、そう確信したのだ。
アイツは、ワシに迷惑をかけさせないように猫のように人知れず去ったのだと。
アイツは、最後までワシのことを裏切った自分のことが許せなかったのであろう。
秀貞、ワシは何やら知らぬ世界で再び天下人を目指しておる。
そちらはどうじゃ?
爺に誇らしげにワシのことを話されて、迷惑しておらんと良いが。
さて、長話もここまでぞ。
スエモリに火を放って、爺様のことを驚かしてやるとしようぞ。
ここで説明しよう。
秀貞とは、林秀貞のことであり、信長の父信秀の代から家老を務め、信長の家老を任されていながら信長から権六と呼ばれた柴田勝家を巻き込み、信勝を担いで、謀反を起こした。
信勝、切腹に伴い信長の元に帰参すると人が変わったかのように、仕事に打ち込み内政において、信長を大いに助けた。
晩年、24年前の謀反、即ち信勝を担いだ罪で、追放という信長にしては、珍しく多くを語らなかったことから、その行動に対して論争がある。
権六とは、織田四天王の1人と言われる柴田勝家のことであり、鬼柴田という異名の猛将として知られている。
信長死後は、同じく織田四天王の1人である豊臣秀吉と争い、信長の妹である市と共に北庄城にて、自刃した。
勝吉とは、林勝吉のことであり、林秀貞の三男坊であり、山内一豊と親しく、どちらか先に領主となった方に仕えるという約束をしていたとされる。
一豊とは、山内一豊のことであり、元々は信長と敵対している主家に仕えていたのだが姉川の戦いの2年前に、織田信長の家臣に加わり、豊臣秀吉の家人となる。
信長死後、秀吉に仕え、関ヶ原の戦いにおいては、豊臣恩顧の諸大名の中で、1番最初に徳川家康に付くことを宣言するなど先を読む力が高かったとされる。
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