6,ヒレと足
窓から、太陽の光が差し込んできた。
それと同時に私もやっと、眠くなってきた。
「おはよう、スズラン。朝早いね。…ん?もしかして、寝てない?」
「うん…。」
「そっか、生粋の夜型だね。じゃあ、これからゆっくり寝ててね。僕は、朝稽古に行ってくるよ。」
「稽古?」
「うん。来月この国、アムレリ国の王子として任命されることになった。実は今、隣国モンアと対立しててね。いつ、大きな戦争が起こってもおかしくない。」
「ここは、アムレリ国でモンア国と…。どうして、モンア国と対立しているの?」
彼は、少し険しい顔つきになった。
「…色々あってさ。身内のことが発端なんだ。ごめん、今は言えない。」
「そうなんだね。」
「うん。」
彼は、首元にかけているネックレスを切なそうに見つめた。ネックレスには、青く丸い宝石のようなものがついていた。
宝石を握りしめる。ほんの一瞬、彼の目には悲しみの中に怒りの感情が見えた気がした。
「坊ちゃん!ここにいらっしゃるとは…。探しましたよ。」
扉が開いて、白髭の男性が入ってきた。
「レーテ、おはよう。今、行くよ。」
レーテさんは、不思議そうな顔をした。
「おや、そちらの女性は、どちらの…。」
「稽古帰り、浜辺に倒れていたんだ。スズランっていう、魚人だ。」
「な、なんと、魚人を連れてきたのですか!?アイレス様が何と言うか…、お怒りになるのが目に見えます。」
レーテさんが、私をじっと見つめる。
「スズランさん、申し遅れました。私は、カイル様の執事、レーテと申します。実は、坊ちゃんは来月、国の王子に任命されるのですが、それに伴って次期にアイレス様との婚約が決まっているのです。アイレス様は、何と言うか、少々嫉妬深いところがありまして…。それに、魚人を嫌っているのです。」
アイレス様が、魚人を嫌っている。私は彼女に嫌われる、ということか。そして、カイルは王子様になって結婚しちゃうんだ…。
「僕は、アイレスが苦手だ。」
「坊ちゃん…、これは仕方ないことなのです。坊ちゃんのお父様のため、いや、国のため…。」
「…分かってるよ。」
カイルは、私の手を握った。
「スズラン、僕がアイレスにスズランのことを伝えてみる。スズランのことを隠していても、疑い深い彼女のことだ。すぐに、スズランを見つけ出すだろう。アイレスが魚人を認めなかった場合、申し訳ないがスズランには元の海へ帰ってもらうことになる。」
私が、海へ帰る…。
「…ごめん。」
カイルが私の手を強く握った。
「分かった…。」
そう言うしかなかった。
ゴホン、とレーテさんが咳払いをする。
「坊ちゃん、稽古場にアイレス様がお見えになっています。急いで参りましょう。」
「…分かった。帰りにアイレスを乗せるかもしれない、馬車を出してくれ。」
「承知しました。」
レーテさんと共に、カイルは険しい顔をして部屋を出て行った。
部屋に1人。綺麗に盛り付けられたフルーツが大きな鏡に映る。私のヒレも、映し出されている。
やっぱり、魚人なんだなぁ。
白髭の凛々しい顔をしたカイルの執事、レーテさん。次期にカイルと婚約が決まっている、アイレス様。
ってことは、私すごくお邪魔よね…。はぁ…、何を期待していたんだろう。藤井さんの依頼で過去世に来たっていうのにお客様を見失うし、恋しそうになるし…。
考えてみれば、私は40歳すぎて独り身の謎の女。カイルが22歳で結婚するようなこの国じゃ、私ってとんだおばあちゃんなのかしら。
足…、足さえあれば、自由に動けるのに。このままじゃきっと私、海送りだわ。
あぁ…、また眠くなってきた。外は明るいのに。夜型って本当に厄介ね…。
そのまま、私は何時間か眠っていた。
「…スズラン、スズラン!」
誰かが、私の体を揺らす。
「…ん、…、…カイ…。」
「しっ…、起こしてごめん、海に逃げるぞ。」
「え…?」
「僕にしっかり掴まって、離すなよ。」
カイルが、私をお姫様抱っこする。
「声、出さないように。」
そう言うと、何やら部屋の裏口らしき扉を開けた。宮殿の外へ、一気に駆け抜けた。
「ふぇ!?」
「しっ…!」
彼は私の口を塞ぐ素振りをすると、ニコッと笑ってまた走り出した。
皆んなが寝静まった夜。ほんの少しの街灯と美しい三日月が街を彩っていた。
ゴミ一つない静かな浜辺では、遠く月に照らされた海面が、きらきら輝いて見える。
「スズラン…、起こしてごめんね。もう、ここまでくれば大丈夫。」
彼は、どれくらい走っただろう。気がつくと、幾つもの見たことのない青い岩がある。海の上にぷかぷか浮かんでいるようだった。
「ここの岩の上にヒレをのせれば、いつでも月光浴ができるよ。」
そう言うと、彼はお姫様抱っこをやめて私のヒレを岩の上にのせた。
「…本当だ。すっごく温かい。」
「よかった。」
彼も、その岩の上に座った。
「どうして、私をここに連れてきたの?やっぱり、私お邪魔だったから…。」
「ごめん。実は、アイレスの父が魚人をどうしても受け入れてくれなくて、見つけたら…。」
「…海に戻される?」
「ううん、見つけたら…、見つかったら、命はない。」
「え…。」
「魚人が人間と同じところで生活することを許さない。でも、魚人が海で生活することは認めてくれた。今、敵対しているモンア国は、魚人が海で生活することすら許さない。」
「そんなに魚人って悪いものなの?」
「悪くない、悪いわけがない、絶対にだよ。」
彼は、私のヒレをじっと見る。
「僕は、魚人が好きだよ。」
「ありがとう。」
彼が、私のヒレを優しく撫でる。月の光に照らされたヒレは、次第に温かく潤っていった。
「カイル…、今は夜だよ、帰らなくていいの?」
「明日、久しぶりに休みなんだ。今日は僕も、海で過ごそうと思ってる。」
「え!?」
「ふふ。」
彼は、照れくさそうに笑った。
「僕もヒレが欲しかったな。」
「私は、人間の足が欲しかったよ。」
彼は、クスッと笑う。
「僕がスズランの足になる。だから、スズランは僕のヒレになって。」
「…どういうことなの?」
「こういうこと。」
彼はまたヒレを持ち上げ、お姫様抱っこをする。岩があるところから少し歩いた浜辺の横、生い茂った木々の近くには、たくさんのスズランが咲いていた。
「わぁ…、きれい…。」
「ここ、スズランにぴったりだと思って…、スズランがいっぱいいるよ。」
「私、お花じゃないよ、魚人だよ。」
彼はまた、クスッと笑う。しゃがみ込んで、美しく咲いている花々をじっと見る。
「僕は、魚人のスズランが好きだよ。」
そう言って、カイルは私の手にそっとキスをした。
キス…、何年ぶりだろう。そんなロマンチックなこと、ずっと忘れていた気がする。
さすが、王子様…。
「月が綺麗だね。」
私もロマンチックなことを言ってみた。
「うん、いきなり?」
「ううん、何でもない。」
優しい三日月に包まれ、スズランの花々に囲まれた私たちは、ゆっくりと朝を迎えた。