第六話『昔語り①』
さて、それは唸る獣亭一階。酒場でのこと。
「サー・パラメデス。貴公はお忘れか。このトリスタンを!!僕と貴公は共にアーサー王の騎士であり。同じ女性に恋をした者同士!時に剣を交えた仲であろうにッ!!」
「····それは誰の話をしている。確かに私はパラメデスを名乗っているが。私はお前など知らん。」
「そんな筈はない。貴公は間違いなくサー・パラメデス!僕が親友である貴公を間違うものか。」
なにやらパラメデスさんを親友と呼ぶ見知らぬ美形を前に。
ちょーっと待った!いまの発言は聞き流せないぞと声を張り上げることになった話をする前に。少し昔の話をしよう。
宿の窓を叩く雨粒の音にふと目を覚ます。耳を澄ませていれば次第に雨音は静かになっていき外で雪だとはしゃぐ子供の声がした。
ああ、道理で冷え込む筈だなぁと身震いし。うちの村。雪深い土地柄だから。はしゃぐよりも雪掻きを嫌がる子供が多いのに珍しいなと考えたところで。そーいえば最果てにある村を出て旅をしていること。
鳥の国、サマセットで宿を取って。夕飯まで時間があるからベッドで休んでたんだったと重たい目蓋を抉じ開け。目の前にある暖かいと知っているナニカに抱き着き。パチリ、あんなに重たかった目蓋が軽やかに瞬いた。
思わず仰け反ってしまうと身体が大きなその人は出来た隙間に冷えた空気が入ったのが嫌だったのだろうか。私の背に回していた腕を狭めるようにして私を引き寄せ。
これでよしとばかりにちょうど良い位置にあったのか私の頭に顎を乗せた。私を抱き枕にしているこの人はパラメデスさん。無貌の魔王という。とんでもなくこわーいヒトなんだけど。
実際はちょっと不幸体質なだけな優しい気性の穏やかな人であり。私の友達。親友だ。
とは言っても男女が同じベッドで休むのは流石に問題があったかもだと。
抱き締められていることもあって明確に体格差が浮き彫りになって。パラメデスさんの鍛えられた体躯にどぎまぎしてしまう。でもそれ以上に抱き締められていると落ち着くというか。
筋肉は温かいと。寒さに弱いせいか思いもかけずポカポカになったとへにゃりと溶けて。パラメデスさんの胸元に。何時かのようにぐりぐりと頭を埋める。
男女で抱き締めあったところで。私とパラメデスさんに関して言えばなにも問題は起きないという確信がある。パラメデスさんはそう簡単に女性に手を出す人じゃない。それに友情を壊すようなことは絶対にしないと信頼している。
パラメデスさんはよく何故そこまで私が信頼を寄せるのか不思議がる。
パラメデスさんは覚えてないかもだけど。私がパラメデスさんを信頼しているのにはちゃんと理由がある。
私、パラメデスさんに助けられたのはならず者に襲われた時と森で罠に掛かった時の二回だけではなかったんだ。
私がパラメデスさんに助けられたのは三回。へまをして呪いを貰って猫になった時にパラメデスさんに助けて貰ったことがある。
白き手のブラングウェイン。一生の不覚。出来ればあの日のことは思い出したくないけれども。
私がパラメデスさんと友達になると決めた大事な出来事なものだから。
私は時おり身悶えながらあの日のことを思い出して。その度にパラメデスさんと友達になれたことが堪らなく嬉しくなる。
それは今から四年前のこと。巫術師、白き手のブラングウェインの噂を聞き付けて。遠方から私の呪いを求めてやって来た人がいた。
そういう人は案外多いもので。巫術師を頼る人はあまりそのことを知られたくない人が多く。遠方の巫術師の許に足を運ぶのだ。
また私の師匠である癒し手のイゾルデに仕事を依頼しようにも師匠は気紛れで。気に入らない依頼は幾らお金を積まれても受けない主義だ。
結果、師匠に仕事の依頼を断られた人たちが弟子の私のところによくやって来るのだ。腕利きらしいし。あのイゾルデの弟子ならばと。
その日、私の許に来た人は珍しいことにイゾルデ師匠がこれは私向けの依頼だからと斡旋してきた人だった。落ち着いた所作。柔らかい物腰。艶のある真珠色の髪に琥珀色の瞳を持ち。頭には絹織の布を巻いて。
気品ある佇まいが華のような雰囲気を持ったその人はコーンウォールでは珍しいことに彫りの浅い顔立ちで。日本人の「わたし」には馴染み深い顔の造形だ。
白蓮と名乗ったその人は。父が此方の出なので日常会話程度は出来ると思っていますが。聞き取り難くはありませんかと訊ねたあと。
私が小柄で。しかもまだ子供と呼べる年齢であると分かっていても決して侮ることなく。静かな語り口で話始めた。
「私は東の大陸にある絹の国の商人。主な交易品は絹糸。それから青磁などの陶器なのですが。」
航海の途中でコーンウォールの港に立ち寄りましたところ。イゾルデ殿にお会いする機会があり。私の抱える呪いをブラングウェイン殿ならば解けるかもしれないと窺ったのです。
「私は幼少期から呪いに侵されています。身体が徐々に獣に。猫になるという呪いに──。」
そういって白蓮さんは頭に巻いていた絹の布を外し。ひょこんと白蓮さんの頭髪にあわせた白毛の猫の耳が露になった。周囲の音を拾うようにピクピク動き。
忙しなく動く猫の耳は秀麗な相貌であり。ともすれば取っ付きにくい雰囲気の白蓮さんに愛嬌を添えていて。
大変、愛らしいのだけれども本人は困り顔。動物の耳が生えているのは獣人のウーサーおじ様と同じだが。白蓮さんのそれは呪いが原因で生えている。ペソリと猫の耳を倒して。すがる思いで私のところに来たのだと白蓮さんは切々と語った。
「ちょっと詳しく頭の耳を見せて頂いても構いませんか?」
「ええ。どうにも神経が通っているのか。あまり強く掴まれると痛みがあるので。そこに気を付けて頂ければ幾らでも。」
それじゃあ場所を移しましょうかと宿屋の一階から三階。自室兼工房に白蓮さんを案内して。
硝子のポッドでカモミールティーを淹れて飲むように勧める。
あ、特に深い意味はなくて。今日は肌寒いですから温まってくださいと付け足すと白蓮さんは小さく頷き。
ハーブ。薬草ですか。嗚呼、私には馴染み深い味だと小さな頃は病弱でよく薬膳茶を口にしていたと懐かしげに話す。
緊張がほぐれたところで触診。背が高い白蓮さんには椅子に座って貰うとテーブルに置いていた金縁の丸眼鏡を掛けてから後ろから頭に生えている耳に触る。
この眼鏡自体に細工はない。度が入っていない硝子を丸く切り出し。金属のフレームに嵌めただけのそれは意識の切り替えの為に使っている。巫術師は誰でも呪いを感じ取ることが出来る。
言わば呪いに対する独自のセンサーがあるのだ。これがあるかないかで巫術師の力量も変わってくる。巫術師として優れていればいるほど。このセンサーは鋭く。また高感度だ。
イゾルデ師匠の場合だと呪いを匂いで嗅ぎ取るのだが。私は目で呪いの姿形を捉える。
ただセンサーを四六時中張っていると疲れてしまうので。
イゾルデ師匠なら煙草を吸うことでセンサーのスイッチのONとOFFを切り替え。私の場合は眼鏡の取り外しで呪いを感じ取るセンサーのスイッチを切り替えている。
さて、なにが出るかなと眼鏡を掛け。白蓮さんの頭に生えている耳を見ると。そこには黒い靄がある。靄は次第に猫の形に変わり。両目。そして鋭利な刃物で斬られた首から血を流しながら哭いた。
「···白蓮さん。貴方か。或いは親族が飼っていた猫を餓えさせて殺したことがあるのでは。」
眼鏡を外し。白蓮さんの向かいにある椅子に座って。真っ直ぐにその琥珀色の瞳を見る。
白蓮さんは肩を僅かに跳ねらせ。額を覆い。項垂れ。それを言い当てたのは貴女で二人目だと声を震わせた。
「イゾルデ殿と貴女だけが。私の。我が一族の罪業を言い当てた。ブラングウェイン殿。私は呪いを解かれることよりもそのことを誰かに打ち明けられる時を待っていました。····聞いて頂きたい。我が曾祖父が手を出してしまった邪法を。」
東の大陸。それは私たちが居る西の大陸から遠く海を隔てた先にある大小十五の国がある場所を指す。
そのなかで絹の国と呼ばれる大国があった。古くから絹糸を主とした貿易を様々な国で行い。陸路と海路を制した絹の国は東西の文化の集約地でもあったという。
皇帝を国の頂点として多くの官吏が政に関わり。数多の商家が盛んに経済を回し。農家が。市井の民がその下地を支える。
東方大陸のなかでは豊かな国である絹の国。けれども光があれば影があるもの。側近に傀儡にされて、後宮に入り浸っている皇帝。汚職に手を染める官吏たち。
商家は互いを潰しあうことに余念がなく。農家は。市井の民たちは重たい重税で疲弊し。農村部では土地を捨て流民になる者が大勢居る。
栄華を誇りながらも絹の国は衰退の兆しが現れていた。それでも白蓮さんの生家は揺らぐことはなく。莫大な富を築き。皇帝とも直接会い。言葉を交わすことすらも出来る絹の国、随一の大商家として栄えていく。
その栄華を誰もが妬むと同時に不思議がる。何故あの家だけが栄えるのだと。なにか邪法に手を染めているに違いないと。
実際のところ。その疑いは正しいかったと白蓮さんは語る。
白蓮さんの曾祖父の代の話だ。白蓮さんの曾祖父は元は養蚕家だった。向上心が強く。出世力も強いその男は養蚕家で一生を終えるつもりはなかった。
自分には才がある。それを生かす機会が巡ってくれば。必ず絹の国で名を轟かせる大商人になるだろう。だがその機会を得るには金が必要だと。なにをするにしても金が入るが。
ただの養蚕家が用立てられるお金などあるはずもない。そんなときに男は知った。金が湯水のように湧き出るという呪いを。
男にその呪いを教えたのは風変わりな風体をしていた若者だった。大学生を自称する。やけに頭髪が明るく。奇抜な服装をした若者は人に騙されでもしたのか。
無一文でさ迷って男の家の前で倒れていたところを男の家人が助けてやったのだ。話をしてみれば奇抜な身形の割りには頭がよく回るし、造詣もある。ほんの気紛れで男は金が湯水のように湧き出る呪いはあるかと訊ねた。
男の子供が庭の樹に登って足を折ったときに。若者が呪いを男の子供に掛け。治してみせたことを知っていたからだ。若者は男にあるにはあるが邪法だと答えた。
手を出せば子々孫々に渡って呪われることになる。教える訳にはいかないと拒んだ若者に。男は一度引き下がったが。
酒宴を開き若者に酒を飲ませに飲ませて。その邪法。金養蚕の呪いを聞き出した。
曰く蛇やムカゲといった毒虫を集めて。壷のなかで食い合わせて生き残った蟲を神霊として祀るのだと。男は似た話を聞いたことがあった。
五月五日に百種の蟲を集めて器のなかに入れ、互いに喰らわせ。最後に残った一匹を用いて人を殺すという話があると語れば。若者は自分の国ではその呪いを蠱毒と呼び。
法律で禁じたことがあり。蠱毒を執り行った罪で流刑になった人間もいるし。皇帝、帝の子が蠱毒を行ったとして廃嫡されたこともあると。
法で禁じるほどに蠱毒は恐ろしく。そして効果化があるのかと男は若者に酒を更に飲ませて詳しい話を聞き出せば。蠱毒には種類があり。蟲以外にも犬や猫を用いる場合があり。
これを犬神、猫鬼と言い。その遣り方を若者から聞き出した男はその呪いを。蠱毒に手を出したのだそうだ。
若者を蠱毒に使おうとしたが。逃げられ。ならばと蚕を百匹。壷で喰らいあわせて。次に鼠避けに飼っていた年老いた猫を頭だけを土から出し。埋め。酷く餓えさせてから壷で生き残った一匹を喰わせて首を跳ね。
その骨を壷に入れて己が一族の守り神として祀った。
若者から教えられた蠱毒を組み合わせて独自の呪いを作り上げた男は目論見通り富みに恵まれ出した。文字通り金が湯水のように湧き出る。
その金を使って瞬く間に男はただの養蚕家から絹の国では名を知らない大商人になっていった。
すべてが順調に運んでいるかに見えた。男の子供が獣に。猫の姿になるまでは。なにもかもが男の目論見通りだったのだ。
「私の国では猫は尊い生き物なのです。養蚕家にとって猫は大事な蚕を鼠から守ってくれることから。例え借金をして女房を手放すことになっても猫は手放すなと諺があるほど。」
猫は尊い敬られ。同時に猫は賢い生き物であり。執念深く。祟るモノであるのだから決して疎んじても。侮ってもならないと恐れられてもいました。
「そんな猫を。惨い仕打ちで殺した挙げ句に邪法に用いたとあれば若者が言うように子々孫々に渡って呪われるは必定だったのでしょう。」
曾祖父の血を引く男児だけにこの猫の徴が顕れると分かったのは曾祖父が猫の姿に変じた己が子に喉笛を咬み千切られで死んだあとのことでした。
「そして“徴を身体に顕した子供”の代はより家が栄えることがわかったことも。」