第二話『不幸体質のパラメデス』
パラメデスさんは口から上を覆う面布と目深に被る外套のフードを絶対に外すことはなく。どんな表情を浮かべているのかわからない。
けれどもその代わりに身振り手振り。そして声音で思っていることをよく露にしてくれるのだが。
パラメデスさんの声はなんというか。耳で聴く媚薬だった。
優しく響くパラメデスさんの低音の声はチョコレートのように甘い。耳元で囁かれたらふにゃふゃになって人の形を保てなくなりそうなぐらい美声だから何時も心臓がどぎまぎしてしまう。
それから話をするときやふとしたことでパラメデスさんが笑ったとき。口元から覗く尖った八重歯とパラメデスさんの雰囲気があいまって。なんだか大きくて温厚なわんちゃんに見えて胸の辺りがキューっとすることは私だけの秘密だ。
私ばかりがパラメデスさんに会うことを楽しみにしているように思われるが。パラメデスさんも私との会話を楽しんでくれているらしく。
それが嬉しくて私はパラメデスさんに聞いて聞いてと。日常であったこと。巫術師の仕事。村の様子をよく聞いて貰うなかで巫術師であることに悩んでいると打ち明け。
パラメデスさんが抱えこんでいる苦悩の一端に触れたのだ。
『剣を誰かに降り下ろすとき。私は何時も逃げてくれと思っている。私は強い。とても。望もうと望むまいと私が剣を奮えば人が死ぬ。屍の山が出来ていく。』
それが恐ろしくて。忌まわしくて。なによりも痛いことが嫌で逃げ回った末にこの村に辿り着いた。だからブラン嬢が神託に憤る気持ちはよくわかるつもりだ。
『持って生まれたモノに振り回される気持ちは私も分かる。痛いほどに。何故、神はこんな定めを自分に背負わせるのだと私は嘆いたことがある。』
何故、こんな身体にしたのだと恨みもしてきた。だがこんな悍ましい私でも誰かを守れるのだと。私の剣は人を救えるのだとブラン嬢が思い出させてくれた。
それに私に与えられたこの可笑しな体質があればこそ私はブラン嬢にこうして会えたのだから。
『恨んでばかりだった神に感謝をしても良いと生まれて初めて心から思えた。ああ、私の人生もそう悪くはないのかもしれないとな。』
パラメデスさんでさえも持って生まれモノに。才に。振り回されて悩んできたことに驚き。そしてこの人はその苦悩さえも受け入れて。
力に変えてしまえる強い人なのだということを知った私は自分はどうだろうかとこれまでの自分を振り返って不意に理解した。
例え、あの日神託がアーサー君ではなく私を勇者だと告げたとしても。ならず者に簡単にやりこめられてしまうぐらい情けないほどに弱い私では到底アーサー君のように身体を鍛え。
剣術を身につけ。仲間を集めることなんて出来なかったと気づいた。才能が全てだとは思わない。けれども向き不向きがあることは確かで。
私は勇者よりも巫術師に向いていて。国お抱えの。生ける伝説だと謳われる師匠に認められる程に巫術師の才覚を持っていた。その才能を伸ばさない理由はない。
その上で神託が。持って生まれた才能がどうであれ。私は私なのだとそう割りきることが出来た。
『───ブラン嬢が巫術師であっても。そうでなくとも。それを理由にブラン嬢の価値が損なわれはしない。貴女は貴女であるというだけで価値があるのだ。この村の者たちや私にとっては。』
だって此処には私という人間を。神託で与えられた肩書きを取っ払って見てくれている人が居て。
ありのままの自分を。巫術師、白き手のブラングウェインという私を師匠や村の人たち。
そしてパラメデスさんが受け入れてくれていることにパラメデスさんは気づかせてくれた。
だから私にとってはパラメデスさんは恩人で。パラメデスさんが居たからこそ。巫術師、白い手のブラングウェインはいると言っても過言ではないだろう。
なので私はパラメデスさんを見ると拝む癖が出来てしまった。
ちなみに日本式に合掌である。ついでにパラメデスさんに厄よけのお呪いも掛けている。これまた日本式に。
というか。魂的なあれそれが関係しているのだろうか。私は日本式の呪術しか使えない。
ブランは巫術の才覚があるのにイマイチ既存の巫術を使いこなせていないねぇと師匠が頭を抱えた修行時代。
それなら日本式ならどうだと。小手調べでてるてる坊主の歌を歌ったら危うく大干魃を起こしかけた私はそれ以降日本式の巫術。呪術をするようになった。
前世、私が中学生だった頃に日本ではとある陰陽師と平安貴族がバディを組み。都に蔓延る怪異を祓っていく映画がヒットし。陰陽師ブームが起きていた。
陰陽師や呪術師を主人公にした映画や小説が多く作られたし陰陽師や呪術の関連書籍が各書店に並んでいて。
厨二を患い始めていた私は関連書籍を買い漁って日常生活で生かしようがない知識を蓄えたという過去が私にはあった。
前世では使いどころがなかった知識が生きる時が来たぞとあの頃の私に聞かせたらどんな顔をしただろう。
話は戻し。異世界で唯一の日本式の巫術を使う私は。ちょくちょく災難な目に遭うパラメデスさんにお呪いをせっせと掛けている。
なにせパラメデスさんは歩くと鳥がフンを落としてくるし(勘がよいので回避は出来る)。なにもないところで躓き(体幹が鍛えられているので転けたりはしない)。
酒場でお財布は必ず落とすし(あまりにもよく落とすので持ち主以外が触れないようお呪いを掛けた)。突然、雨に降られたり。
大人しい性格の犬にもなぜか吼えられ。黒猫に前を横切られ。
テーブルの脚に何時も足の小指をぶつけて無言でぷるぷる震えながら耐えていたりと。常になにかしらの小さな不幸に見舞われている。
それでも定期的に酒場に話をしに来てくれる不幸体質らしきパラメデスさんの姿を見掛ければ。今日はどんな不幸な目に遭ったのだと心配になってくるし。元気そうだと嬉しくなるもので。
酒場に顔を出してくれたなら腕によりを掛けて料理を作り甲斐甲斐しく世話も焼くし。厄よけのお呪いだってする。
そんな私を村の大人たちはやっぱり微笑ましくみている。最近はなんだかパラメデスさんに絡み酒していて。
特に私を自分の娘のように可愛いがってくれている兎の獣人で素敵なウサギの耳が頭から生えているウーサーおじさん(筋骨隆々のダンディな壮年男性)が。
何時、私を嫁に取るのかとぐでんぐでんに酔いながらパラメデスさんに聞いていたときは思わずお盆を叩き込んで強制的に眠らせた。
この世界。いや、村の結婚適齢期的に確かにそーいう年頃だけれども。パラメデスさんが人が良くて押しに弱そうだからといって押し売りよろしく私を売り込むのは切実に止めて貰いたい。
仮に押し売りが実ったところでクーリングオフされたら凹む。すごく凹むぞ。
「三種のハーブの腸詰めとエールひとつ。お待たせ、パラメデスさん。」
「ブラン嬢。酒場の雰囲気がやけに悪いようだがなにかあったのか。」
その日、何時ものように仕留めた猪を持って酒場に来たパラメデスさんが声を潜め。酒場の空気がピリピリしている理由を問われて。
パラメデスさんにお通し代わりにハーブを練り込んだ腸詰めと村で作っているエール。
ようは地ビールを出しながら私は酒場の雰囲気を悪くしている見るからに成金ですと語る格好をしている人と。いかにも荒くれ者ですと主張する破落戸たちをみた。
「パラメデスさんは商いの仕方が悪どいことで巷で結構有名なヒーラック商会っていうのがあることは知っていますか?」
「いや、初耳だな。私は滅多に森からは出ないしな。そういう世情には疎い。最低限、近隣の国の政情については耳に入れているが。」
「あー、パラメデスさんは案外出不精なとこありますもんね。」
取り合えず悪い意味で有名な商会があると理解して頂けたら大丈夫ですと付け足し、私は話を続けた。
「それでそのヒーラック商会のたちが固形シチューの素の製造権と販売権を自分の商会に売れって。執拗く交渉という名の恐喝をしていまして。」
「ああ、そこで村長たちと話をしているガラの悪い連中がその商会か。だが、ブラン嬢。なぜそんな話になったんだ?」
「固形シチューの素を売るに当たって三分の一の収益を差し出す代わりに残りの三分の二の収益を独占すること。そして固形シチューの素の製造権と販売権が村にあることをコーンウォールの王さまに認めて貰っているんです。」
コーンウォールの王さまとは訳あってちょくちょく顔を会わせる仲だし。固形シチューの素の開発に私も携わった一人なのでその交渉の席には私も居ました。
「それでまあ。固形シチューの素はうちの村で製造して信用のおける村と昔から交流のある堅実な商いをしているマルク商会に委託して販売している訳なんですが。」
勇者も夢中になる栄養満点シチューって売り出したらこれがすさまじく売れていると話すとパラメデスさんは話の全貌を掴んだ。
「成程。今後、更に莫大な利益を見込めると考えたヒーラック商会が製造権と販売権を売れと?」
「ええ。固形シチューの素はうちの村の貴重な財源。売れるはずがないと断ったら。ああして恐喝してる訳です。」
でもうちの村長。今でこそ下っ腹が目立って来ましたけれど。先代の村長の娘さんに惚れて傭兵稼業を辞めて婿入りした元傭兵なんで。
脅しても怖がりもしないんでヒーラック商会も攻めあぐねてるみたいですね。
「もういい加減諦めて帰ってくれたら良いのにって。····まさかアレは。ああ、ヒーラック商会は向こう見ずというか。随分と馬鹿なことをしでかしたなぁ。」
「ブラン嬢?」
村長が恐喝が通じないと見たヒーラック商会の商人たちが。我々にはコーンウォール王のお墨付きがあると掲げたのはコーンウォール王の印璽が捺された一枚の許可証。
だが、村長は慌てることなくその許可証を駆け寄った私に手渡し。本物かと問う。私は印璽に触れて偽物ですと首を振った。
「ッで、出鱈目なことを言うな!!これはコーンウォールの王が我がヒーラック商会に直々に出した正式な勅令書だ!!」
「···これはあまり知られていませんが本物のコーンウォール王の印璽には呪いが施されているんです。コーンウォール王の許しを得たと貴方がたのように偽造した勅令書で周囲を騙そうとする人がたまに居るので。」
コーンウォール王は先王の甥に当たり。元は騎士団の団長として先王に仕えていました。
しかし、偽造された証拠で王位簒奪を企む謀反人として国を追われたことがあり。一時期私たちの村にコーンウォール王は匿われていました。
「コーンウォール王の母君の侍女がこの村の人間だった縁からで。コーンウォール王。ウーサー王は今でもよくお忍びでこの村に。というか酒場によく来てますよ。」
そんな訳で身の潔白を明かした後に王座が空席になっていたので王になったウーサー王は不正を酷く嫌うようになって。
万が一にも自分の印璽を偽造した勅令書で不正が行われたりしないようにと考え。
「この私。白い手のブラングウェインを雇って印璽に呪いを掛けさせました。その呪いが施されたウーサー王の印璽が捺された紙は呪いの力で絶対に燃えることがない!」
「まさかコーンウォール王の勅令書に火をつけるつもりか!?お、王の印璽が捺された勅令書を燃やせば。そう、燃やせば不敬とされて死罪にだってなりかねないぞ!!」
殺気だって。いや、慌てたようにウーサー王の偽の勅令書を持つ私に掴みかかろうとしたヒーラック商会の破落戸からパラメデスさんが庇ってくれた。
まるで壁のように聳えるパラメデスさんの大きな背にほっとしながら私は村長を見る。
「真偽を確かめる為ならどんどん燃やしてよしってウーサー王本人がむしろ推奨してます。という訳で村長。火種を!!」
「やれやれ。かみさんに煙草は控えるよう言われているんだがねぇ。」
テーブルに座ったまま脚を組み。傭兵時代から愛飲している葉巻を口にくわえ。村長はテーブル端でマッチを擦って火を着ける。傭兵だった頃に負傷して。隻眼となった村長はニヒルに葉巻を味わうように吸い。
紫煙を吐き出し。私が差し出したウーサー王の勅令書だという羊皮紙の端を葉巻で炙ればジリジリと焦げつくのを見て。テーブルに置かれたままだったグラスに村長は羊皮紙を入れた。
グラスの中身はこの酒場で出せる一番度数の高いお酒で。羊皮紙の端を舐めていた火が揮発したアルコールで膨れ上がって羊皮紙をあっという間に青白い炎に包んで燃やし。
村長は葉巻をくわえたまま。ヒーラック商会の人たちに公文書偽造は重罪だと睨みを効かせる。
「····ブランの嬢ちゃん。悪いが村の役場の若いモンに憲兵を連れて来るよう伝えてきてくれるかね。」
「今の時間帯なら金庫番のニックさんがまだ居ますね。直ぐに役場に知らせてきます。」