第十三話『騎士の名はトリスタン⑤』
イゾルデ様の怒りはあまりにも激しかった。翠眼に烈火の如く燃え盛る憎悪をたぎらせ。イゾルデ様は刃こぼれした剣を俺の喉に突きつけて苦し気に顔を歪めて叔父であるマロースを殺したのは俺かと訊ねた。
今後のことを思えば嘘をつくべきだ。けれども嘘をつくことは出来なかった。叔父であるマロースの死を悼むイゾルデ様の嘆きは本物だった。なによりもイゾルデ様は叔父のマロースを慕っていたことを俺はブラングウェインの姐さんから聞かされていた。
幼少期、イゾルデ様のお身体は弱く床に伏せていることが多く。部屋から出ることすら出来ずにいたイゾルデ様に叔父のマロースはよく外で見聞きしたことや己の冒険譚を面白おかしく語って笑わせていたと。
身弱な姪をマロースは気にかけ。何時も、案じていたと。イゾルデ様からすれば叔父のマロースは欠くことの出来ない存在だった。俺にとっての叔父マルクのや森の養い親たちのように大事な家族だった。
ならば俺はイゾルデ様の怒りを受け止めるべきだろう。なぜ、逃げないとイゾルデ様は顔を苦し気に歪めて問う。俺はその怒りは正しいものだからだとイゾルデ様に答えたよ。叔父を殺され。怒りを抱くことは。なにも間違ってはいないと。
俺の言葉にイゾルデ様は剣を取り落として泣き崩れ。物音に気づき。部屋の外にいたブラングウェインの姐さんが部屋に踏み入り。
泣き叫ぶイゾルデ様を抱き締めると幼い子供のようにイゾルデ様はブラングウェインの姐さんにしがみつきわあわあと泣きじゃくった。
ややしてイゾルデ様が泣き止んだのを見てブラングウェインの姐さんが退室し。目尻を痛ましく赤らめたまま。イゾルデ様は口を開いた。
「皆、誰も彼もが。叔父の死を立派な最期だったと言う。騎士として立派に務めを果たしたのだから悔いはないだろう。叔父を。マロースを倒した騎士は騎士のなかの騎士で。そんな騎士に殺されたなら本望だろうと。」
叔父の死は誇らしいものだと。誰も彼もがその死を嘆くのはおかしいと言う。騎士として立派に死んだのだから。嘆くのは却って。叔父の死を汚すことになると───!!
「騎士として立派だったと。最期まで騎士らしくあった。だから叔父の死を嘆いてはいけないと責められるのです。人が死んだというのに!!家族を。叔父を喪ったのに嘆くことはおかしいと奇異の目で見られる!!叔父が騎士であるというだけで死を悼むことさえ私には許されなかった···!!」
騎士はそんなにも高尚なものですか。騎士であるから。騎士ならばと皆が皆、口にする騎士道はそれほどまでに尊いものですか。叔父は。マロースは騎士であったから死んだというのに。
「騎士だったからマロースは貴方に。コーンウォール王の甥であるトリスタンに殺された!!皆もそれを知っているのに竜を退治し。貴方が叔父マルク王の妻に私を迎えたいと申し出たとき皆は私になんと言ったかわかりますか?」
マロースの死は仕方がないことだった。だからもう恨むなと実の兄を殺された母でさえも私にそう諌めてきた!!
「私は騎士が憎い。騎士であろうとするすべての人間が。それを褒めそやす人間はもっと憎い。だけど、私が大事に思う人たちは。マロースも貴方も。ブランさえも。騎士というものを肯定している。···私だけが皆が等しく持つ価値観に染まれない。騎士という存在を認められないッ!!」
ねぇ、トリスタン様。そんな私は間違っていますかと。イゾルデ様は涙で濡れた目のまま自分を嘲笑っていた。
俺は緩く首を振り。貴女はなにも間違ってはいないと断言した。
俺は騎士だ。マロースと一騎討ちをする為に叔父マルクに叙勲され。騎士となったときから騎士であり続けると決めた以上。騎士というものを否定することは出来ないが。
叔父マルクは俺を叙勲するとき。騎士というのは常に自分は正しい存在であれているか問わねばならないと言った。
どんなに傍目から見て愚かしくとも。騎士というものは己の信じた正しさに殉じるのだと。騎士とは。正しいと信じるモノを追い求める求道者だと叔父マルクは語る。
だから、俺は。正しいモノを求道する騎士として叔父のマロースの死を悼むイゾルデ様を否定はしない。
身内を。家族を喪って嘆くその心は正しいことだと。騎士である俺は思ったからだ。そう答えた俺にイゾルデ様は目を見開いて。
ああ、やっぱり騎士なんて嫌いよと笑った。何時か、その正しさ故に。貴方も私も死ぬことになるでしょうねと。
竜の毒が身体からようやく抜けて。いよいよ明日にはコーンウォールに向けて旅立つ。その夜のこと。アングイッシュ王が引き留めるのを固辞して旅に出るというパラメデスを見送ることになる。
元々、パラメデスがアングイッシュ王に仕えていたのはイゾルデ様が居たからだ。ならばイゾルデ様がコーンウォールに行くなら。もうパラメデスが蔑みに耐えながらアイルランドに居る必要はなくなる。
気儘に旅をするつもりだと。ブランの義兄弟である黒猫を肩に乗せ。憑き物が落ちたように穏やかな顔をしたパラメデスは笑う。
未練はないのかと問うと。お前がそれを言うのかとパラメデスに指摘され。思わず押し黙ると。元より叶わないことを承知の上で。いずれイゾルデ様が輿入れされるまでの間。お側にいようと決めていたとパラメデスは語った。
「だったらパラメデスもコーンウォールに来れば良いじゃないか。ブラングウェインの姐さんだって。コーンウォールに来るんだし。パラメデス程の騎士なら叔父のマルクも喜んで迎えるぞ!?」
「私はイゾルデ様に未練がある。だからこそ私はイゾルデ様の側に居るわけにはいかない。トリスタン、お前は私をコーンウォール王の王妃を拐かす悪人にさせる気か。」
パラメデスの言葉に目を瞬かせると。それぐらい未練があるのだ。コーンウォールには行けぬとパラメデスは苦笑し。イゾルデ様を。そしてブラングウェインを気にかけて欲しいと言い。
パラメデスは旅立つ自分の為に携帯食を拵え。息咳を切りながら。出立に間に合ったと駆けてきたブラングウェインの姐さんに私の目がないからといって無茶や無謀な真似はするなと言い聞かせるとブラングウェインの姐さんはそのお言葉。そっくり貴方に返しますと眉を跳ねあげた。
その仔と一緒なら妖精たちが貴方に味方して危ないことがあっても。きっと切り抜けられるでしょうが。
それでも心配なものは心配なのですと。パラメデスの肩に乗った猫によく見張っておいてねと声を掛ければ。猫は任せておけというように鳴いた。
「サー・パラメデス。何処に居ようとも私は友である貴方を思わない日はありません。もしも、何時か。その想いに区切りがついたときにはコーンウォールにいらしてください。貴方が来る日を私は待っていますから。」
「···ああ。必ず。その日が来たら貴女が待つコーンウォールを訪ねよう。トリスタン。友としてお前に重ねて頼むがブランを気にかけてくれるか。彼女はたまに無茶な真似を仕出かすから私は心配でならないんだ。」
「わかった。イゾルデ様も。ブラングウェインの姐さんも。俺がよく見ておく。だから心配はいらないぜ、パラメデス。」
そう、言ったのに。俺は茨の繁るようなイゾルデ様との恋路に。ブラングウェインの姐さんを巻き込んでしまった。パラメデスの信頼を最悪の形で裏切ったんだ。
コーンウォールに向かう旅路の途中。イゾルデ様はずっと虎視眈々と叔父マロースを死に追いやった俺を殺す機会を窺っていた。イゾルデ様の怒りは消えてなんていなかったんだ。
殺意を研ぎ。俺を殺せる絶好の機会を待ち。その時が訪れた。イゾルデ様はブラングウェインの姐さんが。アングイッシュ王の王妃からなにかの小瓶を渡されていたのを知っていた。
ブラングウェインの姐さんに問うと。これは毒薬だから。決して触れてはいけないと。常に肌身離さず持ち歩き。ブラングウェインの姐さんはイゾルデ様の手に小瓶が渡らないようにしていた。だからイゾルデ様はその小瓶の中身が毒薬だと思い。
コーンウォールに向かう船上、チェスをしている最中に。ブラングウェインの姐さんが持つ小瓶を自分の気付け薬と入れ換え。イゾルデ様は俺に小瓶の中身を飲ませた。
怪しまれないように自分も小瓶の中身を飲み干して。叔父のマロースを死に追いやった俺を憎みながら。愛しく想う自分をイゾルデ様は許せなかった。だから俺を殺し。自分も死のうとした。
だが俺もイゾルデ様も死ななかった。イゾルデ様に言いつけられた用事を済ませ、俺たちが居る部屋に戻ってきたブラングウェインの姐さんが見つけたのは。
互いに惚けたように見詰めあい。抱き合う俺とイゾルデ様。ブラングウェインの姐さんは小瓶が入れ替わってることにそこで気づいて苦し気に叫んだ。
「それは王妃様から渡された秘薬。含めばたちどころに恋に落とし。良識を取り払い相手を求めずにはいられなくする呪いの掛かったもの。あなた方が口にしたものは死そのものなのです!」
イゾルデ様の母親は娘の恋心に気づいていた。だから、婚礼の席で俺の叔父のマルクとイゾルデ様にこの秘薬を飲ませよとブラングウェインの姐さんに命じていた。
飲んだ二人が死ぬまで愛し合うという魔法の薬。それを飲めばイゾルデ様は俺に対する恋心を忘れ。マルク王の貞節な妻になる筈だった。ブラングウェインの姐さんは心を弄くるこの薬をイゾルデ様に盛ることを嫌がり。
しかし自分をこれまで養育してくれた王妃の命に背くことも出来ず。今日まで手元に置いたまま。どうすることも出来ずにいたらしい。
もっと早くに捨てていればよかったとブラングウェインの姐さんは自分を責めて。責め抜いた末に。イゾルデ様と俺を死なせない為に味方として協力することを決断した。
「きっと御二人を逃がしてあげるべきなのでしょう。国も忠義も捨て何処か遠くに。いえ、今からでも遅くはない。トリスタン殿。イゾルデ様を連れて何処かへ───!」
「すまないブラングウェインの姐さん。それだけは出来ないんだ。ようやく、コーンウォールとアイルランドは和解したばかりだ。俺たちが出奔すれば両国はまた揉めることになる。」
顔に泥を塗られたと。それが分かっていながらイゾルデ様を抱いた俺は騎士である資格はないかもしれない。
「だからこそ。これ以上俺は間違いを重ねることは出来ない。どの口でと罵られても仕方がないが。」
「いえ、そもそもが叔父のマロースの死を嘆き続けた私のせいです。憎しみを。怒りを手放せていればこうなることはなく。きっと母が望んだようにマルク王の貞淑な妻になれていた。」
それでも私はいま不思議なほどに心が晴れているの。ずっとトリスタン様への愛情と憎悪が心のなかでせめぎあい。この身体が砕けるのではないかと思うほどに苦しかったとイゾルデ様は語る。
「けれども今はトリスタン様への愛情だけが残って。酷く穏やかな心持ちでいられている。例え私たちに破滅する未来しかないと分かっていても───。」
俺とイゾルデ様に逃げるという選択肢がないと知り。ブラングウェインの姐さんは嘆息し。騙すからには騙し通さなくてはいけませんと俺とイゾルデ様に告げた。それは容易ではありません。それでも、お二方はマルク王を欺きますかと。
頷いた俺たちにブラングウェインの姐さんはならば私は。私だけは。お二方の味方となりましょうと。
それから程無くしてコーンウォールに着き。叔父のマルクとイゾルデ様は華々しい婚礼を挙げることになったが。この婚礼が終われば初夜だ。イゾルデ様が処女ではないことが明らかになってしまう。
叔父のマルクは処女ではなくとも。恐らく咎めも。追求もしない。だが叔父の側近たちは違う。必ずイゾルデ様を責め立てるだろう。汝、貞淑であらずと。
王の妃は貞淑でなくてはならい。ただでさえ。異国の。かつての敵国から嫁いできたイゾルデ様の立場は苦しいものとなる。
そこでブラングウェインの姐さんはイゾルデ様と入れ替わったんだ。元から背格好は似ていたけれど。
妖精の国で学んだ魔術で容姿をイゾルデ様とそっくりにして床入りしたことを俺が知ったのは婚礼の翌日。初夜が済んだあとのことだった。叔父のマルクが寝室を出てから。身支度を済ませ。
人目のない場所でイゾルデ様と入れ替わったブラングウェインの姐さんは疲れを滲ませ。身体も強張っている様子で。俺はイゾルデ様から入れ替わって叔父のマルクに抱かれたのだと知らされて血の気が引いた。