第九話『騎士の名はトリスタン①』
誰も彼もが虚構の僕を愛した。叔父マルク。我が王アーサー。円卓の騎士たち。そして愛しい恋人イゾルデでさえも。僕の被った嘘の張りぼてに気づくことはなかった。
高潔にして聡明。勇猛果敢。騎士のなかの騎士トリスタン。···馬鹿らしい。そんな出来すぎた人間。居る訳がない。物語の読みすぎだ。本当の俺は騎士なんて柄じゃあないし。俺、個人の言い分を言って良いなら正々堂々なんて言葉。俺は好きじゃない。
それが戦であれ。馬上槍試合であれ。勝たなきゃ大事なモンは守れない。命も誇りも愛さえも敗けてしまえば奪われる。だから俺は何時だって卑怯卑劣と言われようと勝つことに拘った。
そんな俺に騎士というモノは己が正しいと信じたものを追い求める求道者であると叔父は言った。騎士であろうとするならばお前はお前の正しいと思ったことに殉じろと。
だから俺は力のない人間の代わりに戦い。力あるものに虐げられる人間の叫びを代弁し。友の為ならば命を賭け。友を救う騎士であろうとした。
それが俺の理想。俺が信じた正しいこと。そうあらねばと決めたあるべき姿だった。
···そう、振る舞えていたかと言われてしまえば。情けないが首を振るしかないが。そんなどうしようもない俺を。お前はそれで良いとそう言ってくれた友が二人も居た。
その二人はこの余計な揉め事ばかり運んでくる貴公子みてぇなツラに似合わねぇ。がさつでずぼらな性格をした俺をそれでも見放さなかった人間だった。
「嗚呼、ならばその二人と同じ魂を持つアンタらを俺が守るのは道理ってヤツだ。我が名はトリスタン。アーサー王の配下にして円卓の騎士。友愛を以って汝らの道を切り拓く一助となろう!」
ブラングウェインは率直に思った。濃い。なにもかもが濃過ぎると。キラキラエフェクト(如何なる理由からか生憎と分からないのだが可視化された輝き)を自動発生していた貴公子が。
スンと三白眼になって古いタイプのヤンキーを彷彿とさせる柄の悪い青年にチェンジした。なんなら顔の作画も変わっているような気がする。
具体的に言うとヴェルサイユで薔薇な作画から急に北斗な神拳の登場人物を思わせる顔になった。
もう、それだけでも十分に(顔が)濃いというのにこの青年はなんとアーサー王伝説のなかで有名な悲劇の恋人としてよく知られるトリスタンとイゾルデの。あのトリスタンだというのだから。
濃い。色々と視界と情報が濃いとブラングウェインはそろっと傍らのパラメデスを見る。
五百年、生きて。初めて出逢った人種。(ステレオタイプの古い)ヤンキーを前にしてパラメデスはたぶん初めての処理落ちを経験していた。南無三。
宿屋、唸る獣亭一階の酒場にて。突如現れたパラメデスさんの自称親友を前に。フシャーッと威嚇し。パラメデスさんを背に隠そうとした私に。
何故かパラメデスさんの自称親友。トリスタンと名乗る青年は余計に目を輝かせ(キラキラエフェクトも舞わせ)。
嗚呼、ブラングウェイン殿も居られたかと。私を抱き上げその場でくるくると回って喜び。
サーっと青ざめて硬直したトリスタンさんに不穏な気配を察知したパラメデスさんが私を引っ付かんで退避すると同時に。おろおろと吐いた。トリスタンさんが。
見れば先程までトリスタンさんが座っていた酒場のカウンターには飲み干したであろう酒瓶、酒樽の山。
まー、それだけ飲んで急にくるくると回ったりしたら。来るよね、吐き気が。
艶やかな黒髪に柘榴色の瞳を持ち。この世のものと思えない凄絶な美貌の持ち主なトリスタンさん。
吐いても様になる(血を吐いてるように見えるが実際は吐瀉物という世界一酷いギャップ)とか。どーなってんだ。
うぷっとまだまだ吐きそうな様子のトリスタンさんは徐に口を開いた。
「あ゛ー。酒に弱ぇ癖に飲みすぎた。クソ。吐き気で胸がムカつく。待てよ。ブラングウェインの姐さんが居るなら。イゾルデ様も居るってことだよな?姐さん、イゾルデ様に幻滅されるからこの醜態は内密に頼む!!」
「作画が変わった。というかイゾルデ?うちの師匠の知り合いなの。なんだろう。師匠がなにかやらかした気配がする!」
「前々から思っていたがブラン嬢の師匠は。」
「間違うことなく問題児デスヨ。」
「あぁ、そうだ。思い出した。イゾルデ様ソックリの美人に俺は大事なモンを奪われ、て?すまない、イゾルデ様!!俺はアンタ一筋だって心に決めてた筈なのにッ!もう俺はイゾルデ様に顔向けが出来ねぇ──ッ!!」
「パラメデスさん。うちの師匠の被害者だよ。この人。ふ、ふふ。またなんかやらかしやがりましたねイゾルデ師匠!!」
「やはり魔族の生き残りなのではないか。ブラン嬢の師匠は。貴女の安寧の為に処そう。塵も残さずに焼き捨てたくはないか?私は許可が降りるのならば焼き捨てたい。」
「否定しなきゃなのに否定が出来ないニャ!!」
興奮し、ぽひゅっと生えた猫の耳がへちょりと萎れるなか。叫んだところで完全に酔いが回って倒れたトリスタンさんにパラメデスさんと顔を見合わせた。
あら、その人と知り合いだったのかい。なら部屋まで運ぶの手伝ってあげるよと。宿屋の女将さんの完全なる善意でトリスタンさんは私たちが借りた部屋のベッドに運び込まれてしまってパラメデスさんは嘆息し。トリスタンさんに手を翳す。
幾重にも重なった幾何学模様に似たそれは魔術式だと。パラメデスさんの袖を引っ張ると。
ああ、回復を早める魔術だ。五百年間、生きているからな。時間だけはあるとあれこれ手を出して習得した技術のひとつだとパラメデスは語り。
魔術師と呼べる程の腕前ではないが。小手先の便利な魔術が使えると。トリスタンさんが小さく呻いた。早速効果が出たなと窓辺に置かれた水差しから。カップに水を注いで頭を押さえながら身体を起こした彼に渡すと。
中身の水を一気に飲み干したあと。とても気まずげにしながら。パラメデスとブラングウェイン殿には酷い醜態を晒してしまいましたとヴェルサイユな画風で謝罪し。
ややあってガシガシと頭を掻き。いや、二人に張りぼてのツラを今さら被る必要はないなと。
ガラリと纏う雰囲気を(顔の作画と一緒に)一変させたかと思えば手をパシリとあわせ。悪ぃ、手間かけさせたと頭を下げた。
「えーっと。先ず私たちは貴方とはまったくの初対面なんだ。本当に。」
「重ねて言うが私はお前のことを知らない。確かに私はパラメデスと今は名乗っているが。元の名は違う。そして誰かに仕官したこともない。」
お前の言葉に騙りはないからこそ私たちも偽りなく言うのだが。私たちはお前の知人とは同じ容姿と名を持つ別人だ。
「···その上で問わねばならないことがある。お前が何者でありブラングウェインの師とは一体なにがあったのかということを。」
トリスタンさんは目を見開き。耳が良いんだ、俺はとポツリと呟く。人間はそれぞれ異なる歌を奏でてる。
呼吸とか脈拍。身動きを俺は歌として認識している。綺麗な人間はその奏でる歌も綺麗で。だけど心を病んだり後ろぐらいことをしでかしたヤツの歌は聴くに耐えない雑音で耳を塞ぎたくなる。
「いや、それは今は関係ないな。俺は耳が良いから。嘘をついてるかどうかは。その人間の声や鼓動を聴くことで自然と分かる。だからアンタらが嘘をついてないことも確かに理解した。」
それでも俺が知る二人とアンタらはまったく同じだ。双子でさえもこうも同じ歌を奏ではしないってぐらいに。いや、悪い。わかってる。アンタらは俺が知る二人じゃない。
「あのイゾルデ様ソックリの美人が絶っっ対にイゾルデ様じゃないようにな!俺の知るイゾルデ様は出逢って早々ベッドに引きずり込んだりしねぇもん!」
「パラメデスさん。なにか、いま。うちの師匠のせいで。いや、お陰で知り合いの方と別人判定が下りたみたいだけどなぜか腑に落ちないんだ。」
「奇遇だな。私もだ。」
北斗な神拳の作画とヴェルサイユな作画をいったり来たりしながらなにかを思い出してプルプル震えるトリスタンさんに私とパラメデスさんは
何時か、絶対。師匠を殴るという共通の目標を抱いたところで。それでトリスタンさんは何者なんですかと。改めて訊ねた。まだ赤くなったままの顔でトリスタンさんは頬を掻き。アーサー王を知っているかと私たちに問う。
「アーサーって名前の勇者のことなら。ちなみに私の幼馴染みなんだ。今は無貌の魔王を倒す為に大陸の果てを目指して旅をしてる。でもその顔を見る限りトリスタンさんの知っているアーサーさんとは別人なんだね。」
「嗚呼、別人だ。我が王アーサーは聖剣エクスカリバーに選ばれしブリテンの王。少なくともアーサー王が魔王を倒す為に旅をしていたという話を聞いたことはないな。」
少なくとも玉座に着く前は己を王とは認めない十一人の諸公と戦い。次に蛮族を倒し。
そして圧政に苦しむ民の為にローマに遠征して皇帝“ルキウス”を討ち取りはしたが。
「ああ、彼の人物は。皇帝ルキウスはそれこそ魔神のように恐ろしく手強い男だったとサー・ランスロットはよく言ってたが。皇帝ルキウスは確かに人間だった筈だ。」
そのときほんの僅かにパラメデスさんの指先が跳ねた気がした。袖口を掴む。どうかしたのかと無言で問う。パラメデスさんは考え込むような素振りのあと。
緩く首を振ってなんでもないのだと私の頭を撫で。話の続きをトリスタンさんに促したのだけど。
トリスタンさんの話に私の頭にはある物語が浮かんでいた。世界一有名な騎士たちの物語が。
「あー、まだきちんと自己紹介をしていなかったな。俺はトリスタン。円卓に列席された騎士の一人。父はリヴァリン。母はブランシュフール。そして叔父にコーンウォール王マルクが居る。」
こう言えば。まあまあ名が通ってる騎士だった。良い意味で。
「いや、殆んど悪い意味でだったな。」
身の上話を人にするのは片手にあまるぐらいしかしたことがない。だから上手く話せるかわからないが。
まあ、よければ俺の話にちょっと付き合ってくれないかとトリスタンさんは苦笑した。
俺は両親の顔をろくに知らない。父親は産まれる前に死んでいたし。母親は俺を産んですぐに死んだ。だから俺は家臣に育てられる筈だった。
父親に恨みがあったらしくてな。その家臣は乳母が目を離したときに何者かによって誘拐されたことにして俺を遠く離れた場所にある森に捨てた。
そんな俺を憐れみ。拾い育てたのがやむにやまれない事情で森のなかで生活していた世捨て人の集団だった。
森のなかって言うのは領主以外は立ち入れない場所だった。
だけどな。暗黙の了解でなんらかの事情で集団に属せない人間が森のなかで生活していた。そうしたハグれ者たちが俺の育ての親たちだ。
老いたもの。病を患ったもの。魔術師に娼婦。傭兵に占い師。元は誰かに仕える騎士も居た。その全員が俺の育ての親であり。師だった。役に立つ知識から役に立ちそうにない知識まで。
育ての親たちは俺に与えてくれた。生きる術を俺に教えてくれた。十四歳の時にこの見た目のせいで奴隷商に拐われて。逃げ出した先が偶々コーンウォールで。
慣れ親しむ森のなかに潜んでいたら。狩猟に来ていた叔父マルクに保護され。手元に引き取られることになる。だがそれまで俺は沢山の育ての親にのびのびと森のなかで育てられた訳だ。
そんな野生児が堅苦しい宮廷生活に馴染めるかといったら。まぁ、無理だな。育ての親たちのお陰で宮廷作法も狩猟もチェスも出来るし。楽器なんて玄人同然だった。
唄えば宮廷に集うすべての人間を感涙させる。傍目から見れば完璧な貴公子。叔父のマルクが望む俺の姿がそれならば。俺はその期待に応えなくてはいけない。
何故だと言われたならば我が子同然に俺を愛し。将来を案じるその想いが本物だったからだ。俺は耳が良い。声を聴くだけで容易く嘘か真か判別することが出来た。
その耳の良さが異常なことを知ったのは叔父に引き取られたあとだった。
人はそれぞれに固有の音を。歌をその身体から奏でる。性根が美しければその歌は聞き惚れる程に極上で。
反対に性根がひん曲がっていれば歌だって捻ねくれている上に嫌な雑音が混ざっていて到底聴けたものじゃないが。その歌を認識しているのは俺だけだった。
人に話さない方が良いことは直ぐに察したし。他人には理解されない感覚であることは。このことを打ち明けたときの叔父の当惑する顔で把握してもいた。
どこまでも人がよく。王としては優しすぎる叔父を。妹の子が見つかるまでは妻帯しないと誓い。誰になにを言われようとも独り身を通し続けた叔父を。これ以上俺は困らせたくはなかった。
だが、俺は。叔父の愛と信頼を最悪の形で裏切ってしまった。叔父の妻となるべき人に。イゾルデ様に俺は恋をしたのだから。