番外編『最果て荘のブランさん③』
本編の二人がイチャつくまで時間が掛かる。だったら番外編でイチャつかせれば良いじゃないってことで。番外編『最果て荘のブランさん③』
「···貴方を助けたのは理不尽に耐えようとした姿に自分を重ねたからで。正義感に突き動かされたというよりも同情からだった。だから褒められたり感謝されると座り心地が悪いんだ。」
なにせ自分の為にしたことだもの。私は自分の為に貴方を助けた。自分の境遇と重なる貴方を助けることで。私は自分も救われた気になろうとした。
「それは笑えるぐらいに自己満足の行動でしかない。」
「だが、その自己満足のお陰で私は救われた。貴女が手を差し伸べてくれたからこそ。私はいま憂いなく笑えている。」
後ろめたさを感じずに友の前にも立てる。だからどうか貴女は貴女を大事にし。丁寧に扱ってやってくれないか。
「貴女を貶して、貶める輩の為に。貴女が磨り減らされていくことなど私は到底看過出来ない。」
「自分を蔑ろにしているつもりはないけれど。それなら貴方が私を大事にしてくれませんか。」
そよぐ風に黒の柔毛を揺らし。とっておきの内緒話をする少女のようにブランは艶やかに笑い。はくりと息を飲んだパラメデスに。パッと朗らかな笑みに変え。
スマホに目線を移して。会社で。同僚や後輩が人の手が足りないって困ってるみたいなんだ。助けが欲しいって。上司のことはどうでも良くて。大事な仲間の為に。
「いえ、私がそうしたいから行くんです。自分の為に。」
そう麦酒のそれに良く似た黄金色の瞳を優しく伏せ。自己満足でも、それで誰かの助けになるなら。それで良いと。貴方が教えてくれたからと柔く笑う。
「もしも日本にまた来る機会があるなら私の地元がお勧めかな。山もあるし海もある。食べ物は美味しい。」
観光名所も沢山あるからきっと飽きることなく楽しめるって保証する。
「···名残惜しいけれどもそろそろ行かないとだ。すっかり聞きそびれた貴方の名前はまた会えたときの楽しみにとっておくことにするね。」
背中を覆う程の長さのある髪を高く結わえ。猫の尾のように揺らし。毅然とした眼差しで前を向いて、颯爽と人混みのなかに消えたブランを見送ったパラメデスの心臓は異様に跳ね回っていた。
その意味を。その理由をパラメデスに気づかせたのはトリスタンだった。日本を発ち。イギリスに帰る飛行機で。トリスタンが彼女の連絡先は聞いたのかと問い。
パラメデスが連絡先を聞きそびれたと愕然としているなか。一目惚れした相手だったのに。残念だったなとトリスタンに慰められ。パラメデスはブランに恋をしたことにようやく気付いたが連絡先も知らず。
次に日本に行けたとしてまた会える可能性はあまりに低いとパラメデスは悔やんだ。
それから数年間経ってなおも。パラメデスの心の片隅には。あのたった一度の出会いが焼き付いたままだった。
ラウンズ・ナイトのボーカルとして。作り上げられたイメージを崩さない為に。パラメデスは多くのやりたいことを見送ってきた。
だがラウンズ・ナイトを辞めたいま。パラメデスはやりたかったことを我慢する必要はない。探そう、彼女を。ブランを。
幸いにもブランの地元をパラメデスは知っているのだ。辿り着ける可能性は低いかもしれない。だが0ではない。
0.1%の可能性かもしれなくても。その僅かな可能性に賭けてみたい。そう、決意して。先ずは住むところを確保しなければと。パラメデスが不動産屋を回り。
幾つかの必須条件を満たしていたアパートの管理人としてブランを紹介されることなど。パラメデスは予想してはいなかった。
柄にもなくその再会を“運命”と呼びたくなった。
記憶にある姿より健康そうで。けれども溌剌とした笑みや。柔かな言葉はなにも変わることなく。けれどもパラメデスのことを覚えてはいなかったことに。ほんの少し凹みはしたが。
その程度でブランに向ける想いが掻き消えることはなかった。いや、前にも増して。ブランに抱く感情は強くなっていく。
主に私が彼女の防波堤にならねばマズイのではないかという危機感と共に。
腹になにかを抱えてる人間程、ブランの周囲に集まりやすく。またブランに尋常ならざる執着を見せ、固執する。アパートの住人、ほぼ全員。何故アパートに住んでるのかと言えば。
ブランと関わりを持つためであることを。アパートで暮らす内に知ったパラメデスは流石に恐怖を覚えた。それが親愛ならまだ良い。庇護欲を抱くのも分からなくもない。
だが、若干二名。様子が可笑しい者を前に。パラメデスはこの二人が実力行使に出る前にどうにかしなくてはと危機感を覚え。
自分が防波堤になれたならばと考えたのは心配半分。打算が半分。言ってしまえば他の誰かにブランを譲りたくないというパラメデスの子供のような我が儘だった。
「こんばんわ、パラメデスさん。お呼ばれしました。甘いものは好きだったよね。これ、ケーキなんだけど食後のデザートに食べよう。」
『この近くにある有名なパティスリーの箱のようだが。沢山あるな。』
夕方、パラメデスの部屋にブランが世界的なコンテストで何度も優勝した有名なパティシエの営むパティスリーの箱を幾つも抱えて訪ねてきた。
ブランは海外のセレブっぽい付き人が沢山ついた外国の青年がパティスリーに行こうとして道に迷っていたので目的地まで案内したところ。
お礼だと渡されたことを語り。パラメデスさん。私、そんなに挙動が可笑しいかなと口をへの字にした。
『愛らしいと思うことはあるが。可笑しさはまったく感じない。その道案内をしたという相手にからかわれでもしたか。』
「うーん。からかわれたのかなぁ?面白い女って言われたんだ。自分を見て。色めきたつこともないし。はしゃぐ様子もまるでないからって。」
パラメデスさんは知ってるかな。その人、ランスロットって名前のイギリスの人なんだけど。
「実は海外ではかなりの有名人だったりする?」
パラメデスは噎せた。なにせランスロットはラウンズ・ナイトのメンバーだったので。
パラメデスが脱退してからラウンズ・ナイトは顔出しをするようになったらしく次々とメンバーの素顔が明かされ。
ちょっとした騒ぎになっていることをパラメデスは知っている。
メンバー全員が系統こそ違うが顔が良いので。概ね、好意的な声が多く。ファンが増えたとか。特にトリスタンなどには熱狂的な女性ファンがついた。
そんなトリスタンと共にファンが多いのがランスロットというフランス生まれの青年なのだが。フランスの大企業の御曹司でもあるランスロットの女性遍歴はすごかった。
基本、交際を初めても直ぐに別れてしまうが。恋人が切れたことはない。
数多の浮き名を流しているが本気で恋をしたことはないらしく。恋に浮かれる人間をどこか冷めた目で眺めていた。
そもそも他者に興味関心を抱いたことなどないだろうランスロットが。ブランを面白い女と評したことに。
何故ランスロットが日本に来たのかという疑問も相俟って。パラメデスは嫌な予感がしてならない。
ブラン、貴女は。また厄介な輩を一本釣りしたのかとパラメデスは無言でブランの頬を左右に摘まんだ。そこはかとなく痛む胃を擦り。
一先ず、この話しは後回しにしようと。ブランを夕飯の席に誘った。レンズ豆のスープだけというのも味気ないだろうと。パラメデスの地元でよく出される幾つかの料理を用意したとテーブルに並べた料理を見せる。
『私の地元の料理はクミン、コリアンダー、パプリカやナツメグなど香辛料をよく効かせたモノが多い。豚肉は信仰上食卓には上がらない。』
その代わり、鶏肉や牛肉。それから羊肉が頻繁に食べられている。ああ、豆料理はそれこそ私の地元ではポピュラーな料理だ。
『この黄色いペーストはひよこ豆のフムスで。ひよこ豆のペーストにオリーブオイル、ニンニク、レモン汁を加えて練ったものだ。隣のがファラフェルというひよこ豆だけを使用したのコロッケで。真ん中の大皿がメインの肉詰め料理のドルマ。』
挽き肉、米、野菜を葡萄の葉で包んだもの。横のはカブサ。香辛料をふんだんに使った米料理。
『すまない、人を食事に招くのはこれが初めてだから浮かれたらしい。少し作りすぎてしまった自覚はあるから。無理に完食はしなくて良い。』
「安心して。パラメデスさんが作ってくれたんだもん。お残しする気はないし見るからに美味しそうだからお腹が鳴りっぱなしなんだ。それにしてもパラメデスさんは料理上手だったんだね!」
すごいなーっと目を輝かせながら。はしゃぐブランにパラメデスは口許を綻ばせて。もう食べても良い?とうずうずしている姿に小さく笑い。どうぞ召し上がれと笑って促した。
美味しいと態度に出して語るブランにパラメデスは。自分の手料理を誰かに食べて貰うのは家族を抜けばこれが初めてのことで。
自分の作った料理が。大切に想う相手の腹を満たすということに確かな喜びを感じながらパラメデスはこんなものもあると。冷蔵庫からよく冷えたラガーを取り出した。あの桃のラガーを。
レンズ豆のスーブを匙で掬い、口に含みぱやぱやと柔らかい陽気を放っていたブランは桃のラガーを見て固まった。何度かパラメデスと桃のラガーを行き来する視線。
ややあってもしかしてあのときのおにーさんと恐る恐る訊ねるブランに。パラメデスは。ああ、思い出して貰えたかと笑みで返した。
ブラン曰く。パラメデスと別れたあとに会社に顔を出し。納期が当日までの仕事を割り振られ。どうにか死に物狂いで片付けたあとに。懇親会という名の飲み会に強制連行され。
酒が飲めない後輩の代わりに上司から注がれるお酒をぐいぐい飲んだ結果。翌日、前後の記憶が飛んでいて。
警察から電車であったことについて。もう少し詳しい話が聞きたいと電話があったとき。
え、まさか自分は酔ってるときになにかやらかしたのかと怯えつつ。出頭気分で話を聞きに行き。
自分が海外からの観光客を助けたらしいということを把握してはいたけれども。
その観光客がパラメデスだと結びついていなかったと。ごめん、直ぐに思い出せなくてと悄気るブランにパラメデスは苦笑し。
相変わらず人と話すときは緊張する。けれどもブランには。自分の口で。自分の言葉で話がしたいとパラメデスは口を開く。
「いや、こうして思い出して貰えたのだから私としては文句はない。そう落ち込まず食事を続けよう。」
あの日の礼を兼ねて作った料理をどうか食べて欲しい。今日は私もこのラガーを飲もう。
「貴女が美味しそうに飲んでいたから気になっていたんだ。もっとも私は酒に弱いから直ぐに酔ってしまうかもしれないが。」
思えばそれはフラグというモノだったのだろうとパラメデスは後に回想した。翌日、早朝。微かに痛む頭を擦りながら倦怠感を訴える身体を起こしたパラメデス。
寝惚けているのか緩慢な思考のなか。枕元のスマホに手を伸ばし。時間を確認してまだ早いなとベッドに身を横たえ。抱き心地のよく、温かなものを腕に抱き直し。ダバッと汗を掻く。
いま、私はなにを引き寄せたと閉じていた目蓋を開き。腕のなかにちんまり収まり。すよすよと寝息を立てながら眠るブランに硬直した。
パラメデスが昨日着ていたシャツをブランが着ていることはまだ良いとして。露出した肌には噛み痕ばかり。加えて、色濃く残る情交の残滓にパラメデスは悟る。
記憶はないが酔った勢いでやらかしたことを。
パラメデスはそっとブランの肩を揺すると。ブランは目蓋を重たげに押し上げ。身体を起こそうとするも微動だにしないことに疑問符を大量に頭の上に浮かばせたあと。
パラメデスの名前を呼ぼうとしたのだろう。音を伴わず口ばかりが動くだけなことに。
喉に触れ、ブランはそこでじわじわとなにかを思い出し。目を泳がせて顔を真っ赤にして身悶え出す。
その姿にパラメデスは昨日の記憶がないことを真剣に惜しんだ。
「先ずはすまない。口惜しいことに昨日の記憶がスッパリないが貴女にかなり無茶をさせたことだけは把握した。」
本当に申し訳無い。だが酔っていたとは言え貴女を抱いたのは本気で好いているからだ。
「この一度きりで終わらせるつもりはない。執拗い男に捕まってしまった不運を嘆いても構わないが。貴女を逃がす気はないから諦めて捕まってくれないか。」
目を白黒させながら頷いたブランにパラメデスは微笑み。よし、後はこの場をどう乗りきるかだなと。
ホラーチックに絶え間無く聞こえてくるインターホンとリズミカルに叩かれる扉を前に頭をフル回転させながらブランを抱き締めて。まあ、譲ってやる気などさらさらないがとパラメデスはブランの旋毛に口づけた。