番外編『最果て荘のブランさん②』
本編の二人がイチャつくまで時間が掛かる。だったら番外編でイチャつかせれば良いじゃないってことで。番外編『最果て荘のブランさん②』
無情、あまりに無情。人見知りであがり症なだけで。パラメデスは別に人付き合いが苦手な訳じゃない。スマホの画面に表示されたバンドメンバーたちの。賑やかで楽しそうな食事風景を見ながら冷めたレンズ豆のスープを飲む。
最初にバンドが出した曲がミリオンヒットを記録したとき。パラメデスの家で祝おうとバンドメンバーはそう言った。
パラメデスの故郷の料理を食べてみたいとも言われ。中東の小さな街に暮らす祖父母や母に。料理のレシピを。料理の材料を送って貰って。その日が来るのを楽しみにしていた。
けれどもどれだけ曲がヒットしても。その日は来なかった。それでも惰性のようにパラメデスはレンズ豆のスープを多目に用意する。バンドメンバーが。友が。何時来ても良いようにと。
けれどもそんな日は来ないことをパラメデスが知ったのは。ボーカルを一人増やしたいとバンドメンバーが見つけてきたアーサーという青年を。バンドメンバーが弟や息子のように可愛がる姿。
そしてアーサーありきで楽曲が作られるのを見たときだった。
成る程、自分はもう用済みで。このバンドは自分が居らずとも回るのだと気づいたとき。
パラメデスはメンバーからは言い出し難かろうとバンドを辞める旨を自分からメンバーは勿論のこと。プロデューサーやバンドのマネージャーに伝え。
止める声を振りきって日本行きの航空券を買い。イギリスを飛び出し日本に向かっていた。
何故、日本だったのかと言えば一度だけトリスタンという大の日本好きだと豪語するバンドメンバーと日本に旅行に行ったことが理由だった。
あれはまだラウンズ・ナイトが本格的なデビューをする前。
二泊三日で有名どころの観光地を巡る途中。パラメデスたちは電車に乗ったのだけれども。
丁度、通勤ラッシュ。初めての満員電車にパラメデスが目を回している最中のこと。
臀部に違和感。鞄でも当たったのかと気をそらすと。明らかに明確な意図を持って撫でられ。パラメデスはぎこちなく首だけで後ろを振り返り。
息をハアハアと荒げ。ニタニタと笑うサラリーマンに声にならない悲鳴を全身で叫んだ。後にも先にも。あんなに鳥肌が立ったことはなかったとパラメデスは後に述懐する。
咄嗟に友であるトリスタンに助けを求めようとするも、トリスタンは通勤客に押し流され隣の車両まで離れていて。コミュ力の高い女子高校生たちに逆ナンされていた。
なにやら満更でもなさそうなトリスタンにパラメデスはイラッとする。目線でトリスタンに必死に窮状を訴えるがトリスタンは気付かない。
段々とサラリーマンの手つきが際どくなっていくなかで。最早耐えるしかないかとパラメデスが静かに目を伏せたとき。救いの手は差し出された。
「それ以上手を上に動かしたら股間を蹴りあげますよ。まあ、動かせるものならですが。私、握力は測定器をブチ壊すレベルで強いんですよー。」
懐かしい声がした。臀部を撫でる手が止まったことで。身体ごと振り返るとサラリーマンの手をギリギリと捻り上げる黒い柔毛の。どこか黒猫を思わせる女性が居た。
パンツスーツということは。どこかの企業に勤める会社員なのだろう。初めて会ったその女性であるのに。胸を締め付けるような懐かしさを覚えて戸惑い。まじまじとパラメデスは女性を見る。
目の下にベットリ張り付かせた濃い隈。何日、日に当たっていないのだろうか。白を通り越して青白い肌で。ニマリと笑う様は地獄の獄卒。というより悪鬼羅刹の如く。
セクハラ野郎は生かしておけねぇとばかりにサラリーマンの手首を粉砕でもする気か。ミシミシと軋ませながら。
次の駅で降りましょうかと。丁寧ながら平坦な言葉が凄まじく恐怖を煽るなか。電車の扉が開くと同時に降車したので。パラメデスはハッとして女性の後を追った。
「ッは、放せよ、俺は痴漢なんてしてない!!」
「私、一度も痴漢をしましたかなんて言っていませんよ。貴方が本当に潔白であるのなら。貴方のこの手がそれを証明してくれますよ。」
貴方がこの人に痴漢を働いていないなら付いていない筈のものがあるんです。この人の衣服。ズボンの細かな繊維が。
「その様子からしてたっぷり付着してるみたいですね。ズボンの繊維がこの手のひらに。」
慌てたように暴れだしたサラリーマンが女性の頬を殴った瞬間。パラメデスはサラリーマンを取り押さえ、組み伏せ。駅員に突き出し。
ややあって駆けつけた警察の調べでサラリーマンが十代から二十代の若い青年をターゲットにして電車内で痴漢を働いていたことが判明した。
嗅覚が働くのか。被害者はいずれも大人しい性格の。引っ込み思案な若者ばかりであった。
駅内の交番で事情聴取を受けた後。諸々の手続きを終えたパラメデスは。スマホ越しに凄まじい罵声を浴びているガーゼを頬に貼りつけた女性を見つけた。
片耳を押さえ、光のない真っ暗な目をして。苦し気な顔をする女性の腕を思わず掴んだ。
目をパチリと瞬かせ。パラメデスに振り返った女性になにか考えがあって腕を掴んだ訳ではなかった。
パラメデスは耐えがたかったのだ。なんの躊躇いもなく救いの手を差し伸べられる優しい人間が理由は定かではないが酷く詰られ。哀しい顔をしていることが。
なにか、言わねば。そう思うも初対面であるので引っ込み思案なパラメデスは上手く喋れない。はくりと。ただ口ばかりが動くだけ。こんなときでも自分は変わらないのかと俯くパラメデスに。
頬にガーゼを貼りつけた女性はまだがなり立てるスマホの電源を切り。へにゃりと眉を下げ。ありがとう。心配してくれたんですねと苦笑した。
「今日、本当は休日だったんです。それが残業も終わって始発でどーにか自宅に帰ったばかりなのに。上司から電話があって出勤になって。」
事情聴取でどうしても出勤が遅れるってことを言ったら上司に怒鳴られてしまいました。ええ、流石の私も怒りました。今日は休みです。たったいまそう決めました。
「というワケで嫌な思い出を楽しい思い出で上書きしちゃいませんか。この近くでお祭りがあるんですよ。私に案内させてください。ああ、自己紹介も必要ですね。私はブランです。」
日本語の聞き取りは出来るかと問われた頷いたパラメデスは肩に掛けていたリュックサックからスケッチブックを取りだした。
パラメデスの数少ない趣味が絵を描くことなので。日本の風景を描けたらと持ち込んでいたスケッチブックに鉛筆を走らせ。
筆談で自分は酷く引っ込み思案で初対面の相手とは上手く話せないと告げれば。ブランは会話自体は嫌ではないんですねと聞き返す。
「言葉を交わすことだけが会話じゃない。」
身振り手振り。それと視線でなにを思っているのか察しはつきます。こーいうことかなってこっちで補填しますから問題はないですよ。
「大丈夫、貴方の声は私が取り零さずに拾うから。あ、でも。私が見当違いなことを言っていたら指摘してね!!」
パラメデスは思わず戸惑う。大抵、パラメデスの困った癖を知ると。厭わしげにされることはあれど。受け止められたことはなかったから。
はぐれてしまわないように自然な動作で握り締められた手をパラメデスはそっと握り返す。先程まであった憂鬱な気分はもう何処かへ消えていた。
ひとつの通りを祭会場にしたそこは。独特の賑やかなざわめきに満ちていた。一列に立ち並ぶ屋台と祭囃子。夕暮れから夜へ移り変わる空の隙間を縫うように。頭上には赤い提灯が吊るされ。大勢の人々が活気に溢れた通りをそぞろ歩く。
音と色の坩堝だと隣を見れば。あ、良いものがありました。此処で待っててくださいと言い残してブランの姿が一瞬で消え。人混みを縫って戻ってきたと思えば手にはドリンクのカップが二つ。
「アルコールは平気ですか。あ、苦手かぁ。ならおにーさんはこっちのモクテルをどーぞ!!」
ブランの片手には透明なカップ。中身は細かな気泡を立ち上らせる淡い黄色。ブランはそれを小気味良く喉を鳴らして一気に飲み干し。おーいしーいと溌剌と笑った。
パラメデスの視線に気づくと。あそこの屋台で私の地元で造られてるビールが売ってたんですとカップの外側、桃のマークをパラメデスに見せる。
「二十五年間、クラフトビールを造り続けている醸造元が出しているくだもの王国と呼び声高い地元の誇る県産品種の桃を二種類使ったラガーなんですよ、これ。」
桃の甘く豊かな香りと味わいが最大の特徴。印象が近いのはネクターかな。
「あ、おにーさんのはこのラガーにも使われている県産品種の桃を二種類使ったノンアルコールのカクテルで。よく冷えているみたいだからこれもきっと抜群に美味しいですよ!」
なにせうちの地元で育てられた桃を使ってますからと。得意気に獲物を見せに来る飼い猫のようにむふーっと笑うブランから渡されたカップを眺める。
ピューレにされた桃がカップの底に敷き詰められ。その上に賽の目に切られ凍った桃の果肉が乗り。炭酸が注がれているらしい。
パチパチと弾ける気泡の音に促されて口にすれば。濃厚でありながら爽やかな甘さが口に広がる。
この時、季節は夏。汗ばむ程の酷暑。日は沈みこそすれ熱気は残り。自然と渇きを覚えた喉に染み渡るそれはまさに甘露だった。
「よし、お祭りの醍醐味は屋台メシ。目についた屋台を回って行こう!」
言葉がなくとも会話は出来る。ああ、その通りだと。パラメデスは隣で笑い転げるブランに教えられた。久しぶりに会話を楽しめたと。
祭り会場に用意された飲食用のブース。テントの下に設置されたテーブルに戦利品の屋台料理を肴に。ブランはビールを。パラメデスはソフトドリンクであれこれと会話を弾ませる。
そんなパラメデスの顔には屋台で買った黒い獅子を模したヒーローの面がある。
面をつければ恥ずかしがることなく話が出来ると気づいたのはこの時だった。
パラメデスの容姿や相貌は視線を集めやすい部類だ。なにをしても視線が集まるので引っ込み思案なパラメデスはそれに萎縮して。必要以上に緊張してしまうのだが。
面を被り。顔を隠せば人の視線を遮れ。緊張せずに会話が出来ると気付きを得たパラメデスはこの日以降からライブやコンサートで面を着けるようになり。
パラメデスを真似てラウンズ・ナイトのメンバーが次々と面を着け始めていき。顔を仮面で隠すというラウンズ・ナイトのスタイルが確立した。
「久しぶりに誰かと食事をしたなぁ。今の会社に入ってから。誰かと食事をする時間もとれなかったし。好きなお酒も楽しめてなかった。」
それこそ誰かとこんな風に会話を弾ませることも本当に久しぶりだったから楽しい時間を過ごせた。貴方を元気づけるつもりでいたのに。反対に私が元気づけられてしまった。
「ありがとう。貴方のお陰で私はもうちょっとだけ頑張れるような気がする。」
でも、まあ。今の会社に居たままじゃ身体壊しそうだし。いつか地元に戻ろうかとは思うけど。
ブランはそういってやはり地元で造られたという黄金色のクラフトビールを飲みながら苦笑する。パラメデスは静かに口を開いた。声は震えてはいまいかと慎重に言葉を紡ぐ。
「私も久しぶりに誰かと会話を弾ませた。誰かと会話をしながら食事をするのはこんなにも楽しいことだったのだと。」
貴女が、ブラン嬢が。私に思い出させてくれた。礼を言うべきはやはり私の方だろう。
「今宵のことをなにがあろうと私は忘れまい。貴女という友を得られた。実に喜ばしい日のことを───。」
目を丸くして。それから照れ混じりにはにかみながら。ブランは飲んでいたクラフトビールの入ったカップで口許を隠しながら。面と向かって感謝されると。なんだか気恥ずかしいデスと身体を小さくして口ごもる。
その少女のような仕草にパラメデスの胸はときめきを覚えた。
愛らしいなと和んでいると。人混みを掻き分けて来る見慣れた姿。
電車であったことを話して先に今日の宿泊先に向かって貰ったトリスタンが駆けてくる。
滅多にSNSを使わないパラメデスが珍しいことにSNSに祭りの会場の写真を投稿したうえ。友と共にと言葉が添えられていたのを見て。
パラメデスの友であると自負しているトリスタンはいってもたってもいられず。この近くで行われている祭りはないかと宿泊先のホテルマンに訊ねると。
祭り会場を探し当て道行く人々に目立つ部類の容姿をしているパラメデスについて何度か問えば直ぐに居所がわかったと。
パラメデスに詰め寄るトリスタンにブランはクラフトビールを飲み終え。スマホの電源を入れ。けたたましく着信を知らせる音に苦笑し。
おにーさんの友達も丁度来たみたいだし。私は酔いを冷まして会社に顔を出しに行くと座っていたパイプ椅子から立ち上がった。