カスティオン侯爵家の庶子(2)
カスティオン侯爵家は、今まで住んでいた下町からは想像もできないほど広い豪邸だった。その中の一室に引き立てられるように連れて行かれた私は、私の父だという人と相見えた。
カスティオン侯爵は豪奢な刺繍の施されたコートを着て現れ、それと比べればまるでぼろ切れのような格好をした私を冷えた視線で見下ろした。
「ふん、これがあの卑しい使用人が生んだ子か。まあ、この容姿は使えるな」
そして使用人に指示を出し、私を床に押さえつけさせた。ナイフを手に近付いてくる侯爵に恐怖で逃げ出そうとしても、抑えつけられている体はバタバタと足を無様に暴れさせるだけでその手から逃れる事はできなかった。
侯爵は私の手をナイフで傷つけると、その血の流れる指を何か水晶のような物に押しつけた。
「……おお!まさか、これは光の魔力……⁉︎」
金色の光を発した水晶を見て、何故か興奮したように目の色を変えた侯爵は、私を見下ろしながら決定事項を告げた。
「おい、お前はこれから侯爵家の令嬢となれるのだ。この幸運に感謝して死ぬ気で学べ」
――お母さんが倒れたから迎えが来た訳ではなかった。たまたま血の繋がった娘を必要としていたのが今だっただけなのだ。
この時、母を救うために私に出来る選択肢は一つだけだった。
私は縋るように侯爵の足に掴まり懇願した。
「お、お母さんが病気なんです!お母さんの治療をしてくださるのなら、何でも言う事を聞きます!勉強もします!だから、お母さんを助けて下さい!もし治療をしてくれないなら、私は下町に帰ります!」
「平民が生意気な‼︎貴族にしてやる事を跪いて感謝するところを条件をつけるだと?ここで殺してやってもいいんだぞ!」
「っ!」
頭を靴で踏みつけられも、私は掴まる手を離さなかった。本当にただの平民なら躊躇いなく殺されていただろう。
しかし、私は娘を必要としていた侯爵に生かされる事となった。
「チッ、いいだろう。その代わり、教育が物にならなければお前の母の治療はすぐに中断させる」
後から知ったのは、その水晶は魔力の有無とその属性を判別できるものだったと言う事。そしてもしもその時に魔力が無かったとしたら、私はゴミのように処分されていたのだろう事だった。
魔力とは、貴族のみが持つ特権と考えられている。逆に言えば、魔力なき者は貴族とは名乗れない。
そして私は、侯爵が殺すには惜しいと考えるほど非常に稀有な光の魔力を持っていたのだ。
その後、名前も貴族風に改名させられ、リリィという少女はリリティアという侯爵令嬢となった。
今まで平民として暮らしていたリリティアには、貴族令嬢としての知識も、作法も、何もかもが未知のものだった。にもかかわらず、侯爵や侯爵夫人、侯爵夫人の子である腹違いの義兄、そして家庭教師や使用人にいたるまでリリティアの学のなさをあげつらい、間違うたびに鞭を振るわれた。
「こんな事も出来んのか!お前の母親がどうなってもいいのか⁈」
「そもそも、何故卑しい娼婦を我が家のお金で治療しなければなりませんの?」
「クスクス、もっと痛みを与えなくては理解出来ないんじゃないか?やっぱりこれの母親を鞭で打つのが一番効果的だろ」
「や、やめて下さい!申し訳ありませんでした。次は必ずご期待にそうように致します。
どうか、どうか母には手を出さないで下さい!お願いします!!」
侯爵邸では、朝起きてから眠るまで、常に緊張と恐怖にさらされ続けた。いつも必死に謝罪を繰り返し、頭を下げ続けた。そしていつの間にか、表情さえもほとんど浮かべられなくなっていった。
それでも、リリティアは必死に耐えてきた。侯爵にお母さんの治療を継続してもらえるよう、自分に価値があると思ってもらえるように睡眠時間を削って令嬢としての知識を詰め込んできた。
侯爵が娘を必要としていた理由が分かったのはその三年後、十二歳の時だった。
「こちらがブランザ公爵家のご嫡男であるジェイコブ様だ。お前は婚約者としてこの方に恥ずかしくないように学ばねばならない」
そうして引き合わされたのは、この王国でもかなりの勢力をもつブランザ公爵家の嫡男である同い年のジェイコブだった。
金髪の見目だけは良いジェイコブは初めからリリティアを虫でも見るかのような目で睨みつけた。
「ふざけるな!何でこの僕がこんな元平民と婚約しなければいけないんだ!お母様、なんで!」
「ああ、可哀想なジェイコブちゃん。でもね、この娘なら何も気を使う必要なんてないから、あなたの仕事をいくらだってさせれば良いし、好きな子が出来たならいくらでも妾として側に置いていいのよ?」
癇癪を起こして暴れるジェイコブと公爵夫人のやりとりを聞いて、リリティアは父の目論みを理解した。
見るからに勉学どころか礼儀作法の授業さえ進んでいないであろうこの公爵家嫡男に代わって将来その仕事の代行をさせる事ができ、かつ彼らに絶対に逆らえない、結婚に支障の無い侯爵以上の血筋を持つ令嬢をブランザ公爵家は必要としていたのだ。
そこに目をつけたのが父、カスティオン侯爵だった。
公爵家にリリティアを売る事で恩を売り、縁を得る。絵に描いたような政略結婚だった。
それからは、これ以上は無理だと思っていた勉学のスケジュールにさらに公爵家の、本来は嫡男が行わなければいけない勉強も追加された。
リリティアを罵倒する声に婚約者と公爵夫人の声も加わりながら、リリティアはひたすらに目の前の課題に取り組み続けた。