舞踏会(1)
舞踏会当日。ウルティオから届けられたドレスは、学園からの貸し出しとはとても思えない素晴らしい物だった。
春の晴れ渡る空のように優しい空色の生地に、白い繊細なレースが上品に使われている。胸元や裾には真珠の装飾が施され、腰にはオフホワイトのシルクのリボンが付けられており全体を引き締めている。まるで誂えたかのようにリリティアの美しさを引き出す可憐なドレス姿に、別室で待機していたウルティオは満足気に頷いた。
そしてリリティアの前にやって来ると、芝居がかった調子でお辞儀をして、するりとリリティアの手をとった。
「とても綺麗だよ、お嬢さん。
でも、これじゃあ騒ぎを起こす前に、全ての人間の注目を浴びてしまうな。
まあ、こんなに美しいお嬢さんを放置して男爵令嬢をエスコートしてる時点で、あの馬鹿男は頭がおかしいと思われるだろうからいい事かもしれないけどね」
ウルティオの褒め言葉に、リリティアは微かに頬を赤らめる。
「そ、そんな事…。でも、ドレスはとても素敵です。私にはもったいないくらい。
本当に、こんな高価なドレスお借りして良いのですか?」
「もちろん!君が気に入ったなら良かった。
それにしても、自己評価が低いのも困りものだな。
この俺が自信が出るおまじないをしてあげよう。そこに座って?」
言われた通り鏡台の前の椅子に座ると、ウルティオがいくつものメイク道具を取り出した。
「これでも変装の達人と言われているからね。化粧の腕も一流だから安心して任せてくれ」
「は、はい」
リリティアが目を瞑れば、ウルティオの大きな手が優しく頬を撫でてゆく。まるでガラス細工のように優しく丁寧に化粧を施され、最後に唇に紅を引かれたところでそっと目を開けた。
鏡台に映るのは、ラベンダー色の瞳を見開いた、まるで妖精のように儚く可憐な美しい少女だった。
「怪盗さん、凄いです。魔法使いみたい…」
「はは、そうさ!俺は君だけの魔法使いだよ。
……まあ、今回は技術がというより素が良いから当たり前だけど。化粧もかなり薄めだしね」
リリティアの感嘆に満足そうに笑うと、ウルティオはリリティアの肩に手を乗せて鏡越しに目を合わせた。
「俺も情報収集のために何度も変装して侵入してきたけど、大事なのは役になりきることだ。
君は今日、誰もがため息をつくほど美しい最高の淑女だよ」
鏡の中の美しく飾られた少女を見つめながら、リリティアはウルティオの言葉を心の中で反芻する。
初めての舞踏会。怪盗さんのお陰で咎めるような視線はだいぶ減ってきたけれど、それでも今日は全校生徒が揃う場。いつもよりずっと多くの視線に晒され、ジェイコブからは罵倒が飛ばされる事になるだろう。それでも、怪盗さんが隣にいてくれるのならば、怖くはないと思えるのだ。
鏡越しに目を合わせてコクリと頷いたリリティアに笑みを深め、ウルティオは小さな箱を取り出した。
「最後に仕上げだ。これをつけてくれるかい?」
「これ……」
差し出されたのは、見覚えのある美しいネックレスだった。最高級のブルーダイヤをつけた可愛らしいユリの意匠のネックレス。それはウルティオの手でそっとリリティアの首元につけられた。
「大丈夫。侯爵家やあの馬鹿男たちに取られる事を気にしていたんだろう?本当は君に貰ってほしいんだけど、今日のところは終わりに俺が持ち帰ろう。あいつらには、学園で借りただけだからもう返したとでも言っておけばいい」
「……はい。怪盗さん、ありがとうございます」
リリティアは、大事そうに胸元のネックレスをそっとなぞる。
「気に入ったかい?」
「はい。とても綺麗……」
嬉しそうに淡く微笑んだリリティアに、ウルティオはなぜかとても幸せそうな笑みを浮かべた。
「ではお嬢さん、お手をどうぞ?」
差し出されたウルティオの手に、リリティアはそっと手を重ねた。
***
学園の夏の舞踏会の会場は、思い思いのドレスを着た生徒達で溢れている。夏の鮮やかな花々が飾られ、友人同士で楽しげに笑い合う声もそこかしこで聞こえてきて、社交界とは違う若い熱気であふれていた。
その会場の入り口付近で、どよめきが起こる。
そこでは、ちょうど美しい二人の男女が入場して来たところだった。
ウルティオの手を取り舞踏会の会場に入ったリリティアは、多くの生徒たちの目を奪った。
普段は着飾ることのないリリティアの美しさに、見た者全てが息をのむ。いつものカスティオン侯爵家で用意される濃い色の服装とは違う淡く清楚な装いと美しいネックレスは、リリティアの美しさをこれ以上なく際立たせていた。
完璧なエスコートの紳士とドレスの裾捌きさえ優雅な歩みを見せる少女。騒めく生徒たちが開けた道を堂々と歩く、これ以上ないほどお似合いの美しい二人の姿に感嘆のため息をつく声も聞こえる。
しかし当然、それを良しとしない者が存在した。
二人の歩みを止めるように、怒鳴り声が舞踏会の会場に響いた。
「おい!なぜお前は婚約者でもない奴にエスコートされているんだ⁈見目の良い男なら節操なく媚を売るようだな。自分の振る舞いが恥ずかしいとは思わないのか⁈」
生徒たちが作った道をドスドスと歩き、ジェイコブは自らエスコートするビアンカと共に目の前までやってきた。鬼の首でも取ったかのように皆の中心で堂々と婚約者を罵倒するジェイコブに、賛同するような声がいくつか周りから聞こえてくる。
周りの声や蔑みの視線に、無意識にいつものように俯きそうになったリリティアの手を、ウルティオの大きな手が守るようにギュッと握った。その事で顔を上げたリリティアの目には、守るように立ってくれている頼もしい背中が映る。
――もしも私が何も言い返せなければ、きっと怪盗さんが前に出てくれるのでしょう。でも、平民である怪盗さんが公爵家嫡男に楯突くのは、婚約者である私とは危険度が全く違う。
『これ以上俺に楯突けばお前の母親がどうなるか分かってるんだろうな⁈』
耳の奥にこだまする怒鳴り声を振り払い、リリティアは顔を上げてジェイコブの前に立った。
――そう、私はどうせ悪役令嬢。あなたが望んだ通り演じてみせましょう。
何も間違った事は言わない。つけ入られる隙は作らない。
怪盗さんのくれた機会を、無駄にはしない。
「……何が問題なのか、分かりかねます」
リリティアの静かな言葉に、周りがシンと静まり返る。
今までのネックレスやマリアンヌの件を実際に見ていない者たちにとっては、目を見開いて驚く程には、リリティアが反論を口にすることは衝撃だった。
「な、何だと⁈図星をさされて、開き直る気か⁈」
「まさか、そのような。
ただ、私やウォーレン先生にはなんの落ち度もないという事実だけをお伝えしたかっただけですわ」
「どこがだ!婚約者がありながら他の男にエスコートされておいて何の言い訳が出来ると思っている⁈」
「その婚約者がパートナーとなってくださらないため、一度も私は舞踏会に参加出来ませんでした。しかしこれは舞踏会の運営や対応を生徒が学ぶための場です。一度も学ぶ事が出来ずに卒業するのは良くないだろうと、教師としてウォーレン先生がお声をかけてくださったのです。その事に、何か問題がありましたか?」
リリティアが淑やかに小首を傾げるのに合わせ、ミルクティーブラウンの美しい髪が肩を滑る。ピンと背筋を伸ばして立つ美しい淑女の姿に、嘲りの声はピタリと止まった。
「その通りです。ここは貴族の方々がこれから社交界へ出ていくための学びの場ですからね。私はただその学習の機会をお作りしただけですよ?」
ウルティオが紳士的な笑みを浮かべながら援護する。そして注目を浴びているのを分かりながら、ゆっくりとジェイコブとビアンカを見比べて首を傾げてみせた。
「そもそも、なぜブランザ様は婚約者をエスコートしていないのですか?」
さも純粋に疑問を口にしたとでもいう表情で、ウルティオは穏やかな笑みでジェイコブに問いかける。
「……そ、それは、ビアンカをエスコートするためだ!彼女はその女に虐められ被害を被っている。俺はそいつの婚約者だから、代わりに償いとしてビアンカのフォローをしてやる必要があるからな」
「おや、リリティア嬢が虐めを?」
「虐めだなんて、そんな……。でも、婚約者であるリリティア様が、私とジェイコブ様が親しくしているのにお怒りになるのは当然のことですから……」
ジェイコブの胸元で儚げに涙を流すビアンカに、周囲は同情の視線を送るが、冷静な声がその雰囲気をぶち壊す。
「それの何が問題なのですか?」
「……は?」
「いえ、お話を聞かせてもらった所、侯爵令嬢の婚約者に男爵令嬢が手を出した。だから侯爵令嬢がそれを咎めた。それだけの話ですよね?」
ウルティオの言葉に、周りが静まり返った。
皆見目の良いジェイコブとビアンカに流行っている演劇の物語を重ねていたけれど、冷静に考えればそれだけの事なのだ。――ただ、公爵令息にそんな事を言える人がいなかっただけで。
「お、お前、平民のくせに無礼な‼︎」
自分に都合の悪い事になるといつも当たり散らすジェイコブは乱暴にウォーレン講師の襟元を掴んだが、ジェイコブよりも背が高いウルティオはピクリとも揺るがなかった。
「おや、ブランザ様はそのような身分差には寛容でいらっしゃるのでしょう?流石は次期筆頭公爵様ですね。自らの婚約者のために、男爵令嬢にかなりの額の償いをされているようですから。
不思議な事に、ご自分の婚約者にドレスを贈ったことは無いようですが」
皆の視線が誘導されるように、フリルと宝石がふんだんに使われたビアンカのドレスに注目する。どう考えても男爵家に用意できるドレスではない。そして婚約者以外の異性に贈るような物でもなかった。その違和感に、皆が目を向ける。
話の流れが自分に不利になってしまった事を悟ったのか、ビアンカがリリティアを睨みつけてきた。ジェイコブも、怒りで周りが見えなくなっているのか、ウォーレン講師に手を振り上げようとする。
しかしその時、舞台の入り口で使用人が声を張り上げた。
「王太子殿下のご入場です!」




