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セレンディップの化学者たち  作者: 配線トルーパー
5/7

侵入者

 梅津のしのぶ会当日、研究室のメンバーは杉原の指示に従って午前中からホールで準備をしていた。私は外部の人間ということもあってその頭数には入れられなかったが、朝から大山とその会場を見張っている。ヘルメスもどこかで同じように見ているかもしれない。石花の危険を知っているのは我々しかおらず気合を入れ直した。

 「それじゃ、計画通りに」

 「高橋さんも気を付けてください。くれぐれも大勢の前で抜かないでくださいよ」

 昼過ぎになって出発の時刻となる。私は心配いらないと大山に伝えてホールに向かった。到着の早い来賓は既にバス停に姿を見せている。私はその集団を早歩きで追い抜いて自動ドアをくぐる。朝から日差しが強く、スーツを着ていると息が詰まりそうなほど暑い。また、装着している防弾チョッキのせいで服の中は蒸れていた。

 エントランスでは伊勢が受付を担当していて、そこで名札を貰ってから会場に入る。既に椅子の設置は完了している。私は端の方の席を陣取ると来賓を一人ずつ確認していく作業に入った。ホールに入る人物の顔写真は全て大山に撮影されて本部で解析される。ただ、自分の目でも怪しい人間がいないか調べておくべきだった。

 開会の五分前になって動き回っていた学生がようやく各々の持ち場につく。マイク係の北山はステージ脇に待機していて、石花は仕事が一段落したのか私の隣にやって来た。

 「おはようございます。大変だった」

 「お疲れ様です」

 「結構人来てるね。近い大学だと学生さんも来てるんだ」

 「みたいですね」

 「あ、あれ松山先生だ」

 石花が小声で伝えてくる。示された先には誰かと会話をしている初老の男性が立っていた。

 「あの先生も笹山研出身の人なんだ。杉原先生の幾つ上だっけな」

 「有名な先生も多く来られているんですか?」

 「そうだね。あれは北浦大学の高木先生でしょ。あっちは不斉反応の大御所の近江先生。向坂先生に千葉先生。たくさんいるね」

 私には一人も分からなかったが、ここには分野で一流の研究者が集まっているという。学生の姿も多く、知っている顔だと石花の同期の高橋や隣の研究室の面々が参加していた。

 杉原によって開会のあいさつが行われ、その後は一人一時間の講演が始まる。杉原が言っていた通り、学会の発表というよりはドキュメンタリー番組を見ているようだった。時代の流れと梅津との関係、そして研究を上手く絡ませたストーリー展開となっている。

 こうして聞いていると梅津が優れた化学者だったことが私にもよく分かった。素直に賞賛の拍手を送るべきだろうが、だからこそそんな男がヘルメスと関係を持ってしまった理由が気になる。知らない間に巻き込まれたという可能性もある。しかしそれでは石花の名前が出てきたことが説明できない。

 講演は何事もなく進んでいく。退屈だからといって前に座っている学生のようにうたた寝するわけにはいかず、途中からは石花がマイク係になったためより一層注意深く監視する。しかし、最後の講演者が壇上から降りてきても私が危惧していた事態は起こらなかった。

 休憩時間に入ると学生たちは椅子を大急ぎで片付けていき、立食形式の晩さん会の準備を行う。暇だった私も石花に指示を仰ぎながら協力した。ケータリングがやって来て来賓が戻ってくると、その中に新しい顔がないか調べる。そんな時、石花が紹介してくれた高木という男とまだ30代と思われる若い男の会話が耳に入ってきた。

 「服毒自殺だなんて」

 「前にお会いした時は研究に邁進されていたんですけど」

 「気苦労も多かったんだろう。成果を横取りされたり嫉みを持たれることも多かったそうだ」

 「そういうこともあるんですね」

 アカデミアの影の部分を話しているらしく、二人はそのままホールの中央に消えていく。誰が成果を横取り梅津を妬んでいたのか興味がある。しかし、石花から目を離してしまっていたことに気が付いてそれを調べる余裕はなかった。少しの間だったため遠くには行っていないはずで、ひとまず近くにいた北山に聞いてみることにした。

 「石花さんのこと見ませんでしたか?」

 「紅葉さん?見てないけど」

 「そうですか」

 見渡してみてもホールの中にはいないようで、思い当たる場所はトイレくらいとなる。そう思って通路に出たところ、大山から電話がかかってきた。

 「もしもし」

 「石花紅葉が一人でホールから出てきましたけど」

 「見失ったの。今どこ?」

 「バス停の前です。階段を上がって1号棟に向かってるので研究室に戻るつもりかもしれないです」

 「分かった」

 私は電話を切って小走りでホールを出る。慣れてない靴のせいで痛む足を酷使して階段を駆け上がり、1号棟への道に目を向ける。すぐに一人で歩く石花の後ろ姿を見つけることができた。

 「石花さん」

 「あれ、高橋さんどうしたの?」

 「研究室戻られるんですか?」

 「うん。今のうちに回してた反応止めようと思って」

 「ちょうど良かった。私も研究室に忘れものがあったので」

 「じゃあ一緒に行きましょうか」

 私は石花の横に並んで周囲を警戒する。太陽は山陰に隠れようとしていて、この調子だと2号館の裏手にある1号館はすでに暗くなっていることだろう。キャンパス内にはちらほらと歩く人の姿があり、これから帰宅する者や食堂に向かっている者などその行き先はまちまちだった。

 建物につくと石花が学生証で扉を開錠し、エレベーターを使って研究室のある四階まで移動する。その間、私は石花から講演の感想を聞き続けていた。石花の口から出てくるのは梅津を賞賛する言葉ばかりである。

 廊下は節電のために電灯が半分外されていて薄暗い。人のいない実験室は電気が消されていて、光っているのは常時動いている測定装置のランプだけだった。その奥にある居室も実験室越しに見ることができるが、天井の電気は消されている。しかし、どこかの卓上ランプが点灯しているのか部屋の一箇所だけが明るくなっていた。石花は気付いておらずなおも私に話を続けている。私も最初は誰かの消し忘れだろうと思った。

 扉の前まで来ると石花が鍵を鍵穴に差し込む。ガチャっという音がした瞬間、気にしていた部屋の中の灯りが消えた。

 「あれ?」

 「離れて」

 私は咄嗟に石花を扉から遠ざけ、勢いよくドアノブを引く。暗くて見にくかったものの部屋の中央に人影を捉えることができる。私は左腕を部屋の壁に這わせてスイッチを触る。蛍光灯がつくと上下真っ黒なジャージを着た覆面姿の不審者と目が合った。

 「誰だ!」

 私が声を張った矢先、不審者は居室の奥に走って窓から外に飛び出ていく。私は腰のホルスターに手を添えながらそれを追いかけた。窓の外には緊急シャワーに繋がる外通路があり、周囲には様々なダクトや配管が走っている。不審者はその内の一本のダクトを伝って下に逃げた。

 「高橋さん」

 「逃げられました。あれが誰かなんて、分かるわけないですよね」

 「うん。それよりこれ」

 石花が居室を見渡す。もともと小汚い部屋ではあったが、物色されて実験ノートや書類があちこちに散乱していた。確信はなかったが、それでも不審者の背景が浮かび上がってくる。

 「とにかく人を呼んだ方が良さそうです。杉原先生に電話をかけてください」

 「うん」

 石花は携帯を取り出して操作する。私も石花に背を向けて大山に電話をかけた。

 「居室に不審者。1号棟のダクトを伝って下に逃げた」

 「怪我は」

 「ない。ヘルメスの可能性がある。本部にもそう伝えて」

 「分かりました」

 連絡を済ませると荒らされた居室の調査に入る。卓上ランプを触っていき、表面の温度から点灯していたのが石花の席のものだと断定した。

 「先生には繋がらなくて、北山君に連絡入れました。そしたら先生呼んですぐに来ると」

 「分かりました。ここに散らばってるのは全部石花さんのものですか?」

 「うわあ。そうだね。私の物だ」

 石花は床に落ちている実験ノートを拾って埃を払う。北山や伊勢の机でも実験ノートが幾つか広げられている。しかし、石花の席に異常な執着があったことは間違いない。そこだけが鍵付きの引き出しも壊されていた。

 「ここには何が入ってましたか?」

 「大したものは。事務の書類とか成績表とか。あとはアイデアノートくらいかな」

 「なくなったものは?」

 「ううん。全部ここにある」

 「二人とも大丈夫ですか?」

 そんな時、北山が走って部屋に飛び込んでくる。ここまで全力疾走してきたらしく肩を大きく上下させていた。

 「先生は?」

 「それがもうお酒入っちゃってて。そっちは伊勢に任せて、ひとまずこっちに来ました。不審者は?」

 「窓から逃げていきました」

 「めちゃめちゃ荒らされてるじゃん。ってあれ、これ触らない方が良いのかな。現場の保存的な」

 「え!私、触っちゃった」

 北山と石花がそんなどうでも良いことで真剣に話し合う。携帯が震えたため確認してみると、それは大山から逃げられたという報告だった。これはヘルメスの仕業だ。これまでの経験から私はそう判断する。

 ヘルメスの狙いは石花本人ではなく石花の研究だった。そう言い切れるのは実験ノートを漁る目的が研究の進捗を確認する他にないからだ。しかし、ノートパソコンのようなより情報が詰まった備品を奪わなかったことは疑問点だった。

 いずれにしても、とうとうヘルメスが仕掛けてきたと見て間違いない。一体何が目的でここでどんな収穫を得たというのか。大学の警備員が来るまで私はそのことを考え続けた。

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