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最果ての辺獄

作者: NARIAYA

 これはとあるふたりの旅路を綴った物語。

 の、更にその一部。

 短いながらに、奇妙な出来事に巻き込まれたその一幕を、ここに抜粋し記そう。

 3つの月がそれぞれ欠けて、不足した反射で森の木々を照らし、草葉の隙間から土の大地に明るさを送り届けている。


「どうかされたんですか?」


「あ、ああいや、なんでもないんだ」


 丁寧な口調で男は女性に問いかけたが、適当な答えが返ってきただけ。

 女性はただ夜空を見上げていただけなのだが、いつもよりも月明かりが眩しく感じられたのだろう。

 事実、今日の夜はとても明るい。


「あ、パンドラさん、早く食べないとスープ冷めちゃいますよ?」


「ん……」


 パンドラと呼ばれた女性は、両手で器を覆うように持ち、膝上にそれを置いている。

 確かに弱い暖かさを放っている程度になっていた。熱々では食べ辛いかもしれないが、これはこれで美味しいかは疑問だ。


「交換しますか?」


「いや、いい……。これくらいがいいんだ」


 掌から伝わる熱を感じていたようだ。

 片手を器から離し、中で傾いている木製のスプーンに細く長い指を付け……ようとして、その食指はツイっと器を撫でて止まる。


「レディン……」


 女性が下に目を向けたまま、表情ひとつ変えず口にしたのは男性の名だった。

 呼ばれた男性は、慌てて食器類と旅道具を抱きしめる。焚火の上に置かれた鍋はそのままだ。


「いひぃッ!?」


 穏やかだった夜天の食卓にひとつの獣臭が混ざり込み、男が短い悲鳴を漏らす。

 体毛が長く、体躯の大きい四足獣。

 スープの匂いを嗅ぎ付けたのか、狼のような風貌のそれは、吠える事なく静かに鼻を鳴らしている。

 視線は男性と女性を交互に見つめ、火に掛けられた鍋には興味がないようだ。


「…………」


 女性は一瞥だけくべると、無視してスープを口に運び始める。勿論スプーンを使ってだ。


「ぱ、パンドラさん……あの、それ……」


「なんだ?」


「や、やっつけては、もらえないんでしょうか……」


「スープくらい分けてやればいいだろう」


「でも、そんな大きいのが食べたら全部無くなっちゃいますよ……?」


 と男性が言うのも、それが普通の狼とはあきらかに異なるサイズだったからだ。

 体長は5メートルほどだが、体毛が長いせいでもう少し大きく見える。四足獣である事に間違いはないが、尾が3本。目も4つで全て血のように赤い。


 野生の獣というカテゴリーには、どう譲っても入らないだろう。


「……大丈夫だ、お前の作ったスープには全くと言っていいほど興味は無いらしい。それにこれ、お前が言うほど美味しくない」


「えッ!?」


 このスープは男性の得意料理のひとつ。

 味付けも具材も本人が吟味した自慢の一品。

 これさえ出しておけば大丈夫くらいの勢いで毎日決まって食事に顔を出す。


「お、美味しく……ないの? 嘘やん……」


 などとやっているとだ。

 舞台の主役級ばりに存在感を撒き散らしていたそれが、無視するなとでも言わんばかりに吠え立てる。

 空気を震わせるほどの強い咆哮は、衝撃を孕んで拡散する。


「おわッ」


 男は堪えきれず転がり離れ、焚火の上の鍋も吹き飛び、篝火は消えた。

 女性は無視して、振動で震えるスープを口に運んでいる。

 左腰には緩いカーブを描く珍しい形の剣が携えられているが、抜く気配はない。


「まぁ、不味いわけではないが……」


 そんな状況でも味の感想をボソっと呟く女性に、獣臭を強く発するそれは牙を剥いた。

 だがその牙が届くことはなく、獣はその場で静止したまま動かなくなる。

 鼻を鳴らすこともせず、()()動きを止めた。


「……レディン。私はもう寝るよ」


 ガサっと音を立てて草むらから顔を出し、男は「ええ!?」と驚きの声を上げた。


 散らばった食器だのなんだのを拾い集めながら、男は元々座っていた場所まで戻ってくると小言を言う。


「いや、この臭いの中で眠れ……」


 と女性を見つめたが、既に座ったまま寝息を立てている。

 軽く溜息を吐いてから座り込むと、男は消えた篝火を再度付け直し、焚火に明るさを取り戻させた。


「う……」


 今度は獣に視線を向けた。

 その狼はまだ生きている。

 微動だにしないが、目を強く見開き、視点だけが慌ただしい。逃げる素振りもないどころか、襲おうとした瞬間のままだ。


「せめて移動したい……」


 だが移動しない。何故ならここが安全だからだ。

 魔性化性の類が徘徊する名のある巨大な森。

 この森の中で今、最も安全な場所と言えばそれは間違いなくここ、パンドラという名の女性の傍で相違ない。

 それが分かっている彼は、荷物を纏めると臭いを遮断するように布地を被り瞼を閉じた。

 危険な森で見張りも付けず、彼らはふたりともが眠りに付いた。


 ――翌朝。


「くっっっっさ!」


 あまりの激臭に目を覚ましたレディンは、飛び跳ねるように体を起こす。

 それと同時に周囲の異常さに気付いて「ひぃぇッ」と情けない悲鳴を上げた。


「朝から騒がしいな、お前はいつも」


 先に目覚めていた女性に、おはようのひと言もなく軽い罵声を浴びせられるレディン。

 その表情は多少苦々しい。


「いやだって、これ……」


 鼻を抑えて指を差す。

 周囲には昨日ご相伴に預かろうとやってきた狼以外に、6体の狼がいた。

 それぞれ動かず、目を見開き、全て同じように獣臭を放ちつつ生きている。


「に、臭いが酷いんですけど!」


「いつものことだろ」


「そうですけど……」


 文句を言いながら男は気付く。

 彼女が両手に器を持ち、恐らくは昨日食べ残したスープを口にしている事に。

 冷め切っているのは容易に想像できる。


「あ、パンドラさんそれ」


「なんだ?」


「あ、いえ……」


 作り直すとなると時間が掛かる。

 ふたりはいつも朝食を食べないため、目覚めれば基本的にそのまま移動を開始する。

 そもそも、7体分の獣臭に囲まれての食事などレディンにとっては避けたいものだった。


「……ほら、これを頼む」


 空になった器を男に渡し、女性は「行くぞ」とひと言。美味しくないと言いつつも食べ切ってくれた事に嬉しくなった男は、笑顔でそれを受け取った。


 そしてふたりは、スープに付いて談義しながらその場を後にする。


「ねぇパンドラさん、本当は美味しかったんでしょう?」


「いや、美味しくない」


「またまたぁ、全部食べてくれたじゃないですかぁ」


「不味いわけじゃないからな」


「じゃあ何がダメなんですか?」


「味が薄い」


「濃いのがお好きでしたか!」


 そんな少し喧しいふたりがいなくなった夜営跡地。

 7匹の狼は未だに動かない。

 しかし流石に限界がきたのか、昨夜の最初の1匹が一瞬だけ顎を動かした。するとだ。


 ヌトっと、顎は上顎と別れを告げることも無く切り離され、ボトリと落ちる。

 そのせいで比重がズレた狼の体に、ゆっくりと綺麗な切れ込みが現れる。

 そしてそれもズレた。滑るように肉が分離していく。水気を多分に含んでいるせいかネチャリと音を立てて。

 しかしなんと驚くことに体毛には一切変化が無い。

 長めのその体毛を避け、肉体部分だけを斬り裂かれていたようだ。

 ワサワサと風に靡く体毛は、細切れになった肉片から伸びて揺らめいている。


 その残骸を見た残りの6匹は、自らに訪れるであろう未来を予感し、恐怖に喉を鳴らした。鳴らしてしまった。

 まぁどちらにせよ、いずれそうなるのだ。

 大した違いはない。

 

 暫くして、そこには7つの無残な死骸が新鮮さを訴えながら転がり、強烈な獣臭と蒸せ返るような血臭を漂わせた。


 ここは人が立ち入ることの無い死出の森。

 獣や魔物、化物の類が跋扈する危険な場所。

 ならばこんな光景は日常茶飯事である。

 いつもと変わらぬ死臭に覆われ、森は静寂を取り戻し、嘲笑のような風の囁きを聴きながらゆっくりと時を刻む。


 それだけが、今も昔も変わらぬ運びであった……。




 ◆◆◆



 

「こ、これが……アーカムバスティオン!」

 

 あれから森を抜けたふたりは、石造りの巨大な建造物の前で足を止めていた。

 レディンは目を輝かせながらそれを見上げて口を開く。

 

「この国の最南端で、外敵や他国の侵攻を幾度となく阻んだという不落の砦――」


 砦領域全長4km、建造物最大全高120メートル。

 要所要所には固定孥がいくつも並べられ、専用の投擲槍が整然と並べられている。

 迎撃用に魔導術式を組み込んだ大砲、攻城兵器さながらの物理砲弾射出機。

 防衛用に奇跡と呼ばれる力を利用した障壁展開装置、原始的な柵防護展開機能。

 その他戦時における有用性を追い求めた兵器が配備され、砦でありながら攻めるも守るも自由自在。

 実に全体の約7割がそれらを運用するために作られている。

 残りの3割は、駐屯する兵のために用意された宿舎、食堂、訓練場などが用意されており、補給が立たれても半年戦い続けられると謳われたことすらある。

 

 過去、ただの一度たりとも外敵の通過を許さなかった、国と国を隔てる()()最大の壁。

 

「――だったもの!」


 そう、だったもの。これは既に過去の遺物。

 固定された兵器類は放置され、雨風で錆びれ、埃すらこびり付き汚らしい。

 半年戦えるという備蓄も、とうの昔に持ち去られて何も残っていないだろう。仮にあったとしても腐りきっているのは間違いない。

 兵は無く、砦を守る者はどこにもいない。

 いくら設備の整った砦と言えど、それを運用する人間がいなければ機能しない。

 この砦は、国を守るための動力を失っている。

 

「パンドラさん……」


「なんだ」


「この砦、眠っているように見えませんか? まるで役目を終えた老兵みたいに……無念に(むせ)び泣き、嗚咽の末に主の跡を追った。そんな想いが感じられませんか?」


「分からん。そんなのが分かるのはお前だけだ」


 レディンはひとり、砦の壁に手を触れ「お疲れ様でした」と呟いた。

 仮にこの砦が今も十全に機能していたとしても、もはや何の意味もない。

 守るべき国は既にない。

 役目を終えた、とはそういう意味だ。


「……ほら、さっさと行くぞ」


「あ、待ってくださいよ」


 砦の中へと足を進めるパンドラと、それを慌てて追いかけるレディン。

 ふたりは、砦の後方側にある巨大な門扉からアーカムバスティオンに足を踏み入れた。

 

「ほわ~、すごいですね……。砦っていうより、なんか入り組んだ迷路っぽい街って感じ……」


「……レディン。あまり離れるな」


 キョロキョロと見上げるレディンはひと言お叱りを受け、トコトコとパンドラの傍に寄った。

 まぁ物珍しく見てしまうのも無理はないだろう。

 長い年月による風化か、はたまた住み着いた何かが加えたリフォームか。

 進めば進むほどに樹木と同化した要塞が顔を覗かせてくる。


 持ち上げられたどこかの階段は、蔓に巻き付かれて空中を伝う道となっていて用途が行方不明。

 灰色の花が束となって傘を形作り、日光を遮って地面に丸く淡い影絵を描いていて、そこから伸びた石柱は斜めに傾き、白い輪郭だけを持つ透明な植物の寝床となっていた。

 その植物は扇状に重なって広がり、歪ませた太陽の光を降ろし、屈折するライトアップで僅かに幻想的な印象すら振りまいている。


「ほわぁ~……」

 

 侵食された人里とは得てしてこういう光景になるものだが、そこには高確率でそれがいる。

 

「あわわ……ぱ、パンドラさん……」


「なんだ」


「あ、あの、あれって……」


 パンドラの服の裾を掴み、怯えるようにそれを見つめるレディンは半泣きだ。


「無視しろ、答えるなよ。それよりちゃんと前を見て歩け。でないと……」


 忠告は間に合わず、レディンは「ぎゃんッ」と悲鳴を上げて顔から突っ伏して盛大に転んだ。

 ちなみに握っていた裾は躓いた拍子に離してしまっている。

 

「あ、あたた……」


 鼻を打つほど運動下手なレディンは顔を上げて固まった。


「……!?」


 地べたから30cmほどの高さ。

 レディンの顔の真正面に、もうひとつ別の顔がある。

 それは目がバッチリ合うと言葉を発してきた。


『おかえり……』


 それは頭髪の無い老人の顔を模した花弁。

 植物の類、つまりは花だ。

 口元を動かし、その奥の奥から絞り出すような歓迎を音にしている。


「……さっさと起きろ」


 固まったまま動かないレディンを片手で持ち上げ、トスンと地面に立たせると小言を続ける。


「ちゃんと前を見ないからそうなる」


「は、はい……」


 気を取り直し、ふたりは再び歩き始めた。

 進めば進むほどに、あの花は数を増やしふたりに囁いてくる。

 おかえり、おかえり、と根気強く返事を待っている。


 人面花ブルーム・ゲズィルン。

 人に限らず、あらゆる動物に擬態する植物系の魔物。

 鳴き声を真似、意志の返答を待ち続ける不思議な花で、答えた生物に襲いかかる。

 何故襲う前に返答を待つのかは不明。

 一説では待っているのではなく、生きているかどうかを確かめるために鳴いているのではないかとされているが、根拠が薄く信憑性は低い。それ故の不明。

 その脅威度は決して高くなく、特定の返事をしないことを心がけるのならば銅級以下。


 脅威度は大きく3種類。

 銅という言葉から分かるように金銀銅の3種類だ。つまり驚異としては最低クラスということになる。

 その3種以上の驚異となるとまた別のカテゴリーが存在するが、それはいいだろう。

 この3種も含め、今となっては大した意味を持たない。

 

「……流石に暗いな」


「気味が悪いですね……」


 砦の外通路を通り抜け、遂に要塞内部に踏み込んだふたり。

 いくつか光を取り込むための窓も存在するが、風化の影響か崩落の跡が目立ち、十分な光源は確保できていない。

 代わりに人面花の姿は無くなった。植物であるならば、日の差し込まない場所に自生できないのは当然のことなのかもしれない。


「何がいるか分からない、あまり離れるなよ」


「はい! 離れません!」


 レディンはパンドラの体に背中から遠慮なく抱きついた。両腕でその細い体を包み、両足も地面から離し絡めている。

 おぶさるのとは少し違うが、概ねそんな状態と思って差し支えない。


「……」


 パンドラは特に気にする様子もなく、そのまま歩き始めた。この方が警戒するにも都合がいいからなのだろうが、女性的な恥じらいはないらしい。

 そして数分後、大広間のような広い空間に入ってすぐだ。


(いた)ぁッ」


 レディンが力尽きて地面に尻を突いた。 


「あたたた……うぇえ!? ホコリまみれ!」


 ひとり騒がしい彼を尻目に、ちょうどそのタイミングでパンドラが足を止める。


「……レディン」


「え? はい、なんです?」


「あれに反応するなよ」


 その視線の先、大広間の中央ほどに、座り込むひとりの男の姿があった。

 ボロボロの衣服を纏い、埃まみれの床に尻を付けているが、崩れた天井から差し込む光で少しだけ神々しさがある。

 左肩は少し不自然だ、そこから先が無いかのように厚みが見当たらない。


「……!」


 レディンは埃を払うと口元を手で強く抑え、パンドラの傍に駆け寄る。

 先に進むにはこの道以外にもルートはあるだろう。

 だがふたりはそこを行く。

 パンドラには迂回するという考えがない。


『おお、珍しい……こんなところに客人か……』


 座り込んでいたその男は流暢に話しかけてきた。

 俯いたまま顔を上げず、動く気配はない。


『しかし僥倖……頼みを聞いてくれないか。この通りワシは動くことが出来ない』


 確かに動けないのだろう。体には大量の埃が付着し、長い時間そうしていたのだというのが窺える。


『置いていくのか? 随分と薄情じゃないか』


 気味悪がって視線を送るレディンと、全く興味を示さないパンドラが一切の返答をせず横を通り過ぎ――。


『耳がついていないのか? こっちだ、そっちじゃない……』


 ――離れてからも、それは喋り続けた。


『どこへ行く、瞳も付いていないというのか? ならばどうやってここへ来た……』


 結局ふたりは最後までひと言も返さず、広間の扉の先へと進む。

 扉を閉ざす寸前で、男の元から『なんと薄情な……』という(しわが)れた声が響いた。


「……な、なんか随分言葉が達者でしたね今の」


「まだ続きがあるぞ。合図するまで口を開くなよ」


「え……」


 扉を抜けた先は陽の光がいくつも差し込む広めの大聖堂。恐らくは敬虔な駐屯兵のために作られた祈りの場。

 現在進んでいる大きな通路を、途中から左に行けば大きな女神像への礼拝が叶うだろう。

 祈る者のいなくなったそれに、幾許(いくばく)かの信仰を捧げて行くのも一興かもしれない。

 日に照らされた宣教者たちも共に祈ってくれるはずだ。

 蔓に巻かれた哀れな骸は、皆例外なくボロボロの礼拝装束を身に纏っているのだから。


「ヒィェ……」


 小さく悲鳴を上げたレディンは再び口元を両手で覆い隠した。

 反応した骸たちが、頭部から咲かせた花に失った顔を作り歓待の声を上げる。


『おかえり……』

『おかえり……』

『おかえり……』


 無言で歩き出すパンドラに、レディンは泣き出したい衝動を堪えて付いていった。



 ◆



「さて、どうしたものか」


 道中大量の人面花に勧誘を受けはしたが、特に戦闘というものには遭遇せずふたりは無事到着した。

 アーカムバスティオンの巨大な正面砦門に。


「開いているんだとばかり思ってました……。人がいなくなった今も、外敵の侵入を拒んでいたんですかね……」


「さぁ、どうだろうな」


 高さは100メートルを超え、巨大な落とし格子が先の世界へと続く道を硬く閉ざしている。

 

「で、あったのか?」


「うーん……ここにあるのは間違いないと思うんですけど、どうも位置がハッキリしないんですよね……」


「大体の位置は分かるんだろう?」


「その大体の位置が、殆ど丸々この砦内って感じなんです。バラけてるような……ぼやっとして輪郭が見えてきません」


「ふむ……」


 薄目で人差し指の第一関節を下唇につけ、パンドラは思考を巡らせる。

 同様にレディンも腕を汲んで頭を捻らせた。


「なんにせよ、ここにあるのが間違いないのならば探す以外にはない。二手に別れれば効率もいいが……」


 そこまで聞いてレディンが涙ぐんでパンドラに縋る。


「そ、それは無理ぃ……僕死んじゃいますよぉ……!」


 元よりパンドラにはレディンの傍を離れるつもりなどない。

 表情は微塵にも変えないが、すり寄ってくる相方を見て面白がっているだけだ。


「ほら、行くぞレディン」


 ふたりは砦内へと戻り、探し求める何かを見つけるため探索を開始した。


 ――各兵器の設置地点。

 巨大な孥、大袈裟が過ぎる砲、槍の連射機構付きの射出機。

 使われなくなった兵器たちが、哀愁漂う廃れたその姿を風に晒している。そのせいかどこか形状がおかしい。錆で擦り減っているのか、鉄が膨張しているのかよく分からない。

 だが正常な稼働は不可能だろうというのは分かる。


 人面花数匹を確認したが、成果なし。


 ――火薬類貯蔵庫、兼武器庫。

 火薬の詰まった砲弾がいくつも置いてある。

 衝撃で炸裂する仕組みなのだろうが、長い年月で風化してしまっており、その効果を発揮することは二度とないだろう。

 そして更に、剣や槍、その他に斧や弓。駐屯兵が白兵戦を行うための装備が所狭しと並べられている。

 鎧や盾も十全だが、どれこれも錆びれて使い物にならない。

 持ち去られたような形跡はない。


 人面花数匹を確認したが、成果なし。


 ――作戦司令室。

 幾人かの白骨化した骸が散乱している。

 衣服は風化しボロボロで、触れると霞のように崩れて消えてしまった。

 アーカムバスティオンで最も高い位置に存在するここは非常に見晴らしがいい。代わりに窓から入り込む風を遮るものがないため、他所よりも空気が冷たい。

 手記なども複数個落ちていたが、どれも読めるような状態ではなかった。

 彼らの無念が綴られていたのかもしれないが、それは誰に届くこともなく無用の紙片へと姿を変えている。


 人面花数匹を確認したが、成果なし。


 ――食料備蓄庫。

 驚くことに、予想に反して食料は手つかずで残っていた。しかしそれは持ち出されていないというだけの話。

 腐るという現象を通り越して水気のないゴミになっている。

 臭いも発しておらず、灰化していることもあって見た目にも怖気は走らないが、元がなんだったのかは分からない。

 ただ、食べられないことだけは確かだ。

 いったいどれだけの月日が経過しているのだろう。

 

 人面花数匹を確認したが、成果なし。


 ――駐屯兵宿舎及び食堂。

 多くの亡骸が乱雑に転がっている。完全な屋内であることもあってか、衣服はかなり痛んでいるが形は保っている。

 戦闘があったという印象を受けないここで、どうして死に至ったのかは不明だ。普通に生活している最中に死んだという感じはしない。

 ここまで調査した状況を考慮すれば、”襲撃を察知する間もなく一斉に死んだ”という見立てが最も有力な仮説となるだろう。

 その仮説が正しい場合、それがどういう状況なのかは気になるところではあるが、真実はもう確かめようもない。


 人面花相当数確認、しかし成果なし。


「……どうだ?」


「ダメですね、どこも似たような感じです……」


「なら、やはりあそこに戻ってみる以外にないか」


「あの、言葉の達者な人がいるところですね」


「人かどうかは怪しいがな」


 大した成果を得られなかったふたりが向かったの大聖堂。の手前にあった大広間。

 用があるのは、そこにいた男だ。

 ちなみに大聖堂でも成果はなかった。

 瞳を布地か何かで覆われた女神像と、それを囲う熱心な信者たちだったものがいるだけで他にはなにもなかった。


「さて、会話してみるか」


「大丈夫でしょうか……」


「他に手掛かりがないんだ。それに見たところ、人面花ではなさそうだしな」


 レディンを大広間の入り口付近で待機させ、パンドラはカツカツと足音を立ててそれに近づいていく。


『戻ってきたか、薄情者よ……』


 まるで先刻のことを覚えているかのような言動。

 そもそも、この男だけ骸かどうかの確認が出来ておらず、且つ『おかえり』以外の言葉を話す。

 それは明らかに特別であることを示唆している。

 いや、人面花でないのなら、それは当然なのだが。


『頼みを聞いてくれる気になったか?』


 言葉を無視し、パンドラはまず男の状態を目視で確認した。


『どうした、戻ってきたということは目と耳はあるのだろう? 何故答えない』


 男は見られていることを認識しているようだ。

 ボロボロの衣服ではあるが幾重にも重ね着しているようで皮膚が確認出来ない。

 首裏すら布地に隠れて不明。帽子のようなものを被り、俯いているせいで顔も見えない。

 ただ、髪の毛があるのは辛うじて分かる。

 これまでに発見した骸は全て植物の蔦に絡まれ白骨化していた。当然、髪の毛などただの1本も残っていなかった。


『薄情者よ、口が無いとでも言うつもりか?』


(……答えてみるか)


 半日ほど費やしてなんの成果もない。ならば、とパンドラは遂にそれに向かって口を開く。


「お前はなんだ?」


『なんだ、と言われてもなぁ……そう言うお前はなんだ』


「……探し物をしている」


『ああ、そうだろうとも。(みな)何かを探しているものだ……』


「……」


『ん……ああ、お前は……そうか。お前が……』


「なんだ」


『……お前の探し物と、ワシの頼み事は一致しているようだ。今世の際で、()()を欲する者はお前のような者だけだろう』


 男だと思っていたそれは、正中線に沿って割れ、()()()を露出させた。

 植物を緩く詰め込んだような内側にはまばらな隙間がある。その中で何かの虫がワサワサと無駄に多い脚を動かしていた。

 骨と肉も少なからず見える。人としての肉体の内側を植物に浸食された成れの果てだろうか。


 いや、それはどうでもいい。

 重要なのは割れた男の中心に、黒く淀んだ光を滞留させる丸い玉が鎮座しているということ。


『受け取れ、ちょうどワシの望みも叶う……』


 どこから発せられる声なのかが不明だが、その声は尚も轟いた。


「……なんだこれは」


『お前の……探し物だ……』


 パンドラは罠を警戒しながら手を伸ばす。

 特に何事もなく手に収まったそれは、探し求めていた物とは似て非なるもの。

 不気味で不穏なその玉は、中で黒と白が渦巻いている。


「こんなもの知らんぞ」


『……それは”嘆きの残滓”……。悲哀を司る彼方の想い……』


「私が探しているものではないが」


『いいや、お前が探していたものだ。想いは記憶であり、記憶は想いの塊だ……。残滓とは、王の記憶に他ならない』


「他人の記憶に興味はない」


『それは全てを内包する……ならば当然、お前の求めも紐解かれよう……』


「……どういう、意味だ?」


『灰は灰に、塵は塵に……。想いを原初の形に返せば、隠れた想いも姿を見せる……。そうしろ、灰色(はいじき)の騎士……。それは、それなのだから……』


 要領を得ない回答ばかりで、パンドラは欲しい答えがひとつも得られない。


「意味が分からん……それに私は灰色ではない」


『……灰と塵に近しい者ほど、色味を失うものだ。勿論、中身のな……。さぁ、ワシはもう役目を終えた。眠らせてくれ……』


「……殺してほしいのか?」


『いいや、勝手に死ぬさ。ああいや、とうに死んでいたか。ともあれ、過ぎた役割を終え、穏やかに勝手に眠る……。そう、まるで植物のそれを真似た隠れんぼ。楽しげな記憶はもうないからな……。せめて、静かに夢を見ることだけが、ワシの慰めとなろう……。見れるのならば、だが……』


「そうか……」


『……』


「……おやすみ」


『……………………』


 男だったそれは反応を返さなくなった。

 役目を終えたということだろう。

 パンドラはレディンの元へ戻ると、それがなんなのか分かりやすい回答を求めた。


「レディン、これが何か分かるか?」


「え、いや分かりませんけど」


「いつものあれで何か分からないのか?」


「え、いや、うーん……それちょっと借りてもいいですか?」


「やる」


 ポイっと投げられたそれを慌ててキャッチし、レディンの観察が始まった。


「え、なにこれすご……中どうなってんの。ずっと動いているのに何も感じない……。強い殻に包まれているような状態なのか? いやでもこんな透明度の高い殻なんてある? いやいやそんなもの見たことも聞いたこともないし、仮にそうだとして何を入れてるんだろう。守ってるのか隠しているのか、持ち運びしやすいようにコンパクトにしただけだったり?」


 ぶつくさと煩く熱中する彼を無視し、パンドラは玉をくれた男だったあれに視線を向けた。

 すると、その体中から花がいくつも咲き、老若男女様々なジャンルを取り揃えた顔面が一斉に問いかけた。

 おかえり、おかえり、と。


(人面花はあれの何かに反応したのか……。なんでもいいんだなあの花は)


 と、ここでそれは答えてしまった。

 反応のなくなったはずのそれが、夢見の中で主に答えた。


『ああ…………このカノッサ……()()()()戻りましてございます……』


 突如、激しい地鳴りが砦全体を揺らし、不穏な音が響き広がっていく。


「レディン!」


「あわわわ!」


 脆くなっていた砦は容易く崩れ、その形を失っていく。ガラガラと悲鳴を上げ、保っていた輪郭を忘却していく。


 舞い降る瓦礫を躱し、パンドラはレディンを抱えて屋外へと向かい走り出した。

 取り残された男だったそれは、周囲を囲む花たちに向かい入れられながら、もはや言葉なく沈んで行った。

 代わりに鳴くは灰色の花。

 同じ言葉を轟音の中に混ぜ、何度も何度も歓迎する。


『おかえりなさい……』

『おかえりなさい……』

『おかえりなさい……』



 ◆◆



「パパパパンドラさんんんん!」


「黙ってろ、舌を噛むぞ」

 

 飛来する瓦礫を華麗に避けるも、砦全体が崩れ始めているようで切りがない。

 壁は激しい揺れで剥がれ、天井は笑いながら落ちてくる。

 場所によって異なるが、基本的に砦は8階層からなる背の高い建造物。

 最下層である1階にいたふたりが下敷きになるのは時間の問題だろう。


(……面倒だな)


 それまで回避に専念していたパンドラは飽いた。

 逃げ、躱すことに。

 右脇に抱えた相方をそのままに、左腰に携えたそれに左手をしゃなりと置いた。

 それはひとつの刀剣。刀と呼ばれる片刃の玉鋼。

 パンドラの膂力に耐えうる、今世(いまよ)唯一の一振り。


 ――泉慶(せんけい)霧断(きりだ)ち。


 周囲の空気を一切震わせぬ無音の剣閃。

 上に向かって放たれたそれは、極大の円を描いて天を穿ち、崩壊と地鳴りの収束までなにものをも近づけない。


「うわぁ……」

 

 暫くして水を打ったような静寂が訪れる。

 乱雑に重なった瓦礫が数十メートルの高さで積み上がり、ただの瓦礫の山へと砦はその風貌を変えた。

 そんな中、不自然に何もない場所にふたりは立っている。

 粉末状に破砕された建材が綺麗な円を形作り、その境界から内側には埃ひとつない。

 

「……無事か?」


「あ、はい……」


 と、ひと息ついたのも束の間、再び激しい地鳴りが大地をケタケタと笑わせ、静寂に水を差した。

 その振動は円形の境界を形作った粉末を崩し、その完全さを台無しにする。


「レディン、捕まってろ」


「え、わ、わああ!」


 周囲の瓦礫が崩れてくるのを嫌がったパンドラは跳び上がった。

 瓦礫の山の上にあがり、揺れる足場に対応しながらそれを目にする。


『お……かえ……り……なさい……おかえ……り……なさ……い……ぁぁぁぁ……』


 響くは花の声。伝うは花の唄。


『ァァァァァァァァァァァァ……』


 嘆きを謳う、寂しがり屋の骸の叫び。


『アアアアアアアアアアアアアッッ!!』


 怒号と共に瓦礫の山を下から弾き、幾重にも混じり合った骸が(たい)を為し、日の光を求めて空の元に這い上がる。


「……珍しいな」


「でかッ! なんか合体してませんかあれ!?」


 瓦礫の上から根を張り、這いずるそれは、巨大な植物の体を持ちウネウネといやらしく動いている。

 植物の頂点位置で(こうべ)を垂れているのは、徐々に大きさを増していく大きな花弁。

 それとは対象的に根の部分は太さを失っていく。

 まるで養分を吸い上げているように、その大きな植物はアンバランスな状態に拍車を掛けつつも、質量を増す花弁を上に向け始める。


「な、なんですかね。あれ」


「さぁな、マッチ売りじゃないことは確かだ」


 その様子を見ているだけのふたりを余所に、花弁の中心から何かがズニュっと水分たっぷりの体を露出させる。

 胸辺りまでが出てくると、体を揺らし脱出を加速させた。

 ズニュルズニュルと、完全に這い出てきたそれは花弁の上で自身の灰色の体を見回してから、今度は周囲を見回した。

 景色を見ているのか、居場所を確認しているのか。

 何を見ているのかすら分からないそれは、不意にフワリと跳ぶ。


 いやに長い滞空時間を終え、それは瓦礫の上に着地する。

 直後、砦を構成していた瓦礫が全て、降誕に相応しくないと退場させられた。


「……!?」


 水平に飛んでくる無数の瓦礫。

 視界を覆い尽くすほどの波となって向かってくるそれらを、パンドラはレディンを抱え、再びの剣閃で塵に変える。足場の瓦礫が飛んでいったため、落下しながら。


 やがて訪れた再びの静寂に、ふたつの着地音が短く鳴り響く。周囲1km圏内から瓦礫は廃され、巨大な円形を描く地べたが顔を見せた。

 その大地に足を付け、残っているのはふたりの旅人と灰色のそれ。

 強烈な悪意を振りまく、輪郭のおぼつかない人型の脅威。

 それは浮き出てきた鎧を纏い、左腕を右腕で自ら千切る。その左腕だったものは大きな直剣に形を変え、握る右手の中に強く結び付いた。

 赤く染まる眼光で殺気を発する、止まった時の中に置き去りにされた老騎士――。


 ――隻腕のカノッサ。

 それは主にために捨てた腕。

 それは主にために得た役目。

 それは主のために流した嘆き。


 それは、主のために背負った(くさび)


『オオォォォァアアアアアアッッ!!』


 幾人かの声が混じる叫びは、衝撃を伴って広がっていく。聞く者の魂を怯えさせる激しい憎悪を乗せて。


「離れてろレディン」


「は、はい!」


 腰の刀に手首を置き、パンドラは真っ直ぐ駆け抜けた。

 隻腕の灰騎士は、天に向けていた咆哮の口元を接近するそれに向け、剣を後ろ手に振りかぶる。

 数瞬の間を置き、甲高い金属の衝突音と共に上がった火花が、日が傾き始めた黄金色の空に溶け込んだ。



 ◆◆



『かえして……かえして……』


 “隻腕”の身体中、鎧の上やボヤけた皮膚の上に、人の顔が浮かび上がっては声を上げる。

 取り返そうと、消え入りそうな声で所有権を訴えている。


(何をだ……?)


 疑問を浮かべながらパンドラはそれの斬撃を躱して刃を向ける。

 互いに様子見をしているような緩い斬り結びは、しかしてその衝撃の強大さを(うそぶ)(ごう)足り得た。


 それらの斬撃はそれぞれ致命となるに想像難くない。

 逆握(ぎゃくあく)霧断(きりだ)ちと打ち合うはカノッサの大剣。

 銘は無く、刀匠の名すら分からない(なまく)らなれど、想いから形作られたそれは神秘的で奇跡的な、まるで夢物語の神剣を思わせる。


(随分と斬れる……)

 

 その幻想じみた馬鹿げた斬れ味は、(から)ぶって尚、地面を斬り裂き、虚空をグニャリと波立たせる。

 受けが可能なのは研ぎ澄まされた霧断(きりだ)ちの片刃のみ。

 パンドラは躱す度に空間を歪ませる“隻腕”の剣撃に感動しつつ、その斬撃をいなし、受け、隙間を縫うように斬り付ける。


 豪快な動きの“隻腕”とは対象的に、パンドラの動作は小さく無駄がない。

 確実にそれへと刃を返し続けた。

 彼女の膂力も相まって、その攻撃力は小さな一撃とて想像を絶するはずだ。

 だがカノッサの体に残る傷はなく、その動作にはひとつの淀みも追加されていない。

 その体に浮かんだ顔が(のたま)う声も、変わらず聞こえてくる。


(威力が足りない……?)


 本来右利きであるパンドラは、左逆手でずっとそれを操っている。

 いまだ、右でその一振りに触れてすらいない。


(いや、浅いだけか……?)


 パンドラは逡巡する。

 威力を上げるか、手数を増やすか。

 2択だが勘違いしてもらっては困る。

 右手を使うという選択肢はその中に含まれない。


「ああ、速度で事足りたか……」


 瞬間、“隻腕”の体中に浮かんでいた顔面は十字に裂かれ、黒い血潮を吐き出した。

 その反動でよろめき動きを止め、不気味な花の歌も聞こえなくなる。


「ならこれで行こう」


 様子見をやめたふたりの間に、明確な差が突如として現れた。大掛かりな登場をしておきながら、“隻腕”はパンドラの相手にならない。

 何を依り代にしていようと、所詮は銅級植物の寄せ集めに過ぎない。地力が違いすぎるのだ、仕方のないこと。


 水平に向かってくる大剣を躱すと同時に刃で撫でる。いなすと同時に刃で撫でる。

 より深く、より速く、より精密に、より鮮烈に。

 精彩さを増し、防御すら必要としなくなったパンドラの剣閃は、“隻腕”の身を容赦なくズタズタに斬り裂いた。


『ォ……ァ……ァァ……』


 “隻腕”の動きは鈍く、後ろに倒れそうな身体を後ずさることで堪えた。

 なんとか保った立ち姿勢は、突如として吐き出したタールのようなドロドロ感満載の黒血で地面を濡らした拍子で崩れ、膝から落ちて倒れ込む。

 後を追うようにカノッサの大剣が、ガランと音を響かせて横になった。


「……ちゃんと寝てろ……灰色(はいじき)の騎士殿」


 パンドラなりの皮肉が飛び、後は止めの一撃を放つだけ。しかしそれを放る直前で、少し間の抜けた叫びが轟いた。


「うわあああッ!」


 声の主は離れてそれを見ていたレディン。

 彼の周りには、いつの間に人面花が無数に咲き乱れている。

 答えてもいないのに、何故か襲われている。


「あのバカ……ッ」


 慌てたパンドラは即座に救出に向かう。

 “隻腕”に注力するあまりレディン周囲の警戒を怠ってしまっていたようだ。


「たたたたすけてくださいー!」


 到着したパンドラはいやらしく伸びる蔦を華麗に斬り裂いた。迅速な救助。結果、レディンは特に外傷もなく五体満足、無事だ。

 だがあれがない。


「……お前、さっき渡した玉はどうした」


「え? どうしたって……あっ!? ない!?」


「……ふぅ」


 思い至ったパンドラは、小さな溜息と共に振り返る。

 倒れ込んでいる“隻腕”の元に、多くの人面花が咲いていた。

 そのうちのひとつが、黒と白の光を内包したその玉を、“隻腕”の胸元に置く。


 それは沈んでいった。

 用途はあっているのか不明だが、手放したはずのそれは、またしてもカノッサに託された。

 どこまで行ってもそういう運命なのかと、本人に意識があれば笑い飛ばしていることだろう。


 活動を停止したはずの“隻腕”は立ち上がる。

 片腕のまま、“隻腕”の胸には大きな穴が空き、上半身はひと回り大きく隆起した。

 幻想的だった大剣は、その質量すらも半身無くし、汚れて錆びれ風化する。

 鎧も例に漏れず錆びた。ところどころの防護が剥げ、抵抗力は乖離し、突如羽織られた灰色の外套は薄汚れて虫食いが目立つ。

 辛うじて人に見えていた顔は、黒い膿が溢れ覆い隠された。

 眼光は遮られ、もはや瞳が開いているのかすら分からない。


 ――託宣の灰騎士カノッサ。

 彼の者は彼方の声に従い、愚者となった。

 暗い航海になると分かっていながら、安らぎなど訪れないと分かっていながら。

 託された願いを紡ぐため、呪いの海をひた歩く。

 その身が焦がされようとも、その身が爛れようとも。

 どのような痛みが舞い降ろうとも、膿んだ沼地を戻り来る。


 失った主と最期に約した、最後の祈りを届けるために。


『………………ァ……』


 ガシャンと、足を前に出す灰騎士。

 呼応したパンドラも、足を前に出す。

 再び距離が出来た両者、仕切り直しの空気。

 ひりつく空気は喉を枯らし、瞳の水分を奪い去る。


 そんな見つめ合う両者の元に、ひとつの歌が届けられた。

 決まった言葉しか(のたま)えないはずの人面花が、愚者のための祈りを唄い出した。

 それは人の言葉ではなかったが、意味はパンドラとレディンの耳に、しかと届いた。


 ――最果てよ、最果てよ。

   我らは果てまで落ちてきた。

   輪墓(りんぼ)の先の更に奥。

   辺獄(りんぼ)の奥の更に先。

   学ばぬ愚者に祈りを込めて、願いを向けて空に請う。

   落ちて来たるは呪いの雨よ。

   落ちて来たるは愚かな夢よ。


   ああ、あなた。

   どうか我らの怨嗟を千切り、愚者の楔を解き放ってはくれないか。

   ああ、あなた。

   どうか我らの英雄を、呪縛の泥から救い上げてはくれないか。


   王への忠義に縛られた、愚かで優しい、我らの騎士を。

   愚直で儚い、我らの友を。

   脆くて愛しい、私の友を――。


 歌を聴き終えたパンドラが、静かに返答を風に乗せる。


「……他を当たってくれ」




 ◆◆




 パンドラは、信頼を寄せるその刀を左手で握りしめた。

 灰騎士も同様に、残った右腕で大剣を強く握る。


 元より言葉のない両者を繋げたのは、それぞれの持つ一振りの刃と悲痛な詩。

 それはすぐまた折り重なり、(たお)やかに交錯する。


「……ッ」


『……ッ』


 灰騎士の豪快な縦の斬撃は石造りの大地を割り、それを躱して懐に入ったパンドラが、前回同様に速度を上げた斬撃を浴びせる。

 が、今度はそれが届かない。

 灰騎士は膂力と体躯を増していて尚、その速力が大幅に強化されていてなんと躱しきった。

 先刻同様の手順では、手傷を負わせるに少々難儀するだろう。


「……ふむ」


 ならば、とパンドラは刀を鞘に収め、柄の先に小指を置く。その状態で灰騎士の攻撃を躱すことに専念し機を待った。

 動き回りながら重心をより体の中心に移動させ、左右の比重は左にやや重く、足音は鉄靴が響かぬほどに繊細に。

 

 瞬間、灰騎士の間隙を縫い、刹那的な縦の居合い抜きを放つ。

 変わらず左逆手ではあったが、それは彼女にとって必殺の一閃であることに違いはない。


『……!?』


 縦の居合は僅かに傾き、灰騎士の前面を確実に斬り裂いた。

 それは大きい爪痕を残し、次ぐ衝撃で吹き飛ばす。

 だが、灰騎士の傷は一瞬で埋まる。

 癒えるではなく、埋まった。


 傷口からは膿が吐き出されている。

 泡立っているのかモゴモゴしい見た目でそこにあるそれは、ジュクジュクと傷口を覆い隠した。

 更には失っている左腕の代わりに、黒い塊がグニョリグニョリと異形の腕を晒し始めた。

 それは滞留する呪いの膿み。

 灰色の身体に這いずる黒い祈り。

 

『……ォァ……』

 

 吹き飛ぶ灰騎士は、宙空にいる状態から反撃にその左の猛威をパンドラに向けた。

 それは無形のまま特定の形を模さず、波となって広がる。

 自らの膿みを植え付けようというのだろう。

 呪いは常に苗床を欲している。


「勘弁しろ」


 パンドラは迎撃しようと身構えた。

 しかし膿は斬撃では斬れない。しかも汚い。

 嫌がった彼女はそれを回避することにしたが、これは正しい判断だったと言えよう。

 衝撃で膿を飛ばすことくらいは出来ただろうが、そこから飛散した膿みが僅かにでも付着すればとても()()

 刀もそうだ、とても()()なる。

 あの汚れは、簡単に落ちるものではない。

 いや落ちるか、爛れた皮膚と共になら。


 ともあれ、回避に専念しているのならば問題はないだろう。それよりも、その膿がレディンに影響ないかのほうが心配である。


「……大丈夫そうだな」


 合間合間で相方の無事と安全を確認し、胸を撫で下ろすなどという情緒もなく彼女の意識は戦闘に引き戻る。

 目の前のそれを斬り崩す算段を立て始め、その間全ての攻撃を躱し続けた。


(…………うん、何も思いつかん)


 普段だったら、の話をしよう。

 彼女は、普段からあまり物を深く考えない。

 それが戦闘中であれ、食事中であれ、なんであれ、だ。


 こと戦闘に関して限って言えば、それで困ったことなどなかった。

 強者と言えるほどの敵と対峙した時も、上位種と呼ばれる敵と対峙した時も、どうやって倒そうかを考えている最中の斬り結びでいつの間にか斬り伏せてしまう。

 闘うためだけに存在している、と言っても差し支えないほどのナチュラルバトルボーン。


 それがパンドラという女性だ。


 だが、今日の相手は少し様子が違った。

 ぼんやりと策を練るパンドラが、次第にその余裕を無くし、思考に意識を割いている暇が消える。

 託宣の灰騎士カノッサは、時間の経過と共に呪いの膿みに内側を蝕まれ、その身体能力を急激に上昇させていった。


「……ッ!?」


 袈裟、大袈裟、逆袈裟。

 大剣が斬撃の軌跡。

 更に唐竹、太々。

 太刀筋は至って単純、いや愚直にして素直。

 故に美しい。力任せで在りながら、灰騎士の描く剣撃の軌跡は、空間を歪めていて尚、綺麗な直線を描く。


 その威力と速度は、パンドラが防御に全神経を使わなければならないほどだった。


(…………!)


 灰騎士の大剣を使った薙ぎ払い。

 もはやほぼ鈍器となっているそれを真っ向から受けるには、大業物と言える霧断(きりだ)ちと言えど少々心許ない。

 故にいなし、パンドラはそのまま反撃に刃を返そうとしたが、右から次いで飛んでくる呪いの膿みが迫るために踏み込めず下がるしかない。

 この防戦一方たる最大の要因。

 それは――呪いの膿を防御する手段が存在しないこと。

 もちろん、時が過ぎれば過ぎるほどに灰騎士の能力が上昇しており、これも手に負えない要因には違いない。

 だが、防ぐことの出来るそれらと違って、触れること自体が危険な武器はどうしようもないのだ。


 一介の騎士であれば、とうに膿みに呑まれているか、大剣に叩き潰されていることだろう。


「ぱ、パンドラさん……」


 遠目にそれを見ていたレディンが不安げな瞳を向ける。

 防戦一方で徐々に追い詰められていく彼女を見て、つい大声を張り上げた。

 それは、天啓と呼べる圧倒的な声援。


「パンドラさぁああん! なんで右手使わないんですかぁあああッッ!!」


 その声は彼女に届き、これまで感じたことのない激しい衝撃を生んだ。

 理由は簡単なものだった。これまでほぼ苦戦してこなかった彼女の、あまり深く考えない性質の作り出した悲劇。


「……忘れてた」 


 自身が右利きであることを思い出したパンドラは、どう扱っていたかを思い出すために戦闘中だというのに逡巡する。

 それは当然大きな隙を生み、灰騎士は見逃さず、両腕を閉じるように攻撃を繰り出した。


 パンドラから見て左上、大剣の圧力凄まじい鏖殺撃。

 パンドラから見て右上、畝るは悍ましき黒い呪い。 

 仕留めきれるだけの攻撃力を付与した、灰騎士渾身の一撃。


「……――」


 既に回避が間に合う距離ではないが、右の手でそれを掴むのは数瞬早く間に合った。

 泉慶(せんけい)霧断(きりだ)ちの、その握り慣れた柄を。

 握ってしまえばもう大丈夫だ。

 後は愛刀が教えてくれる。


「――シィッッ!!」


 噛み締められた歯と歯の隙間から、無理やり吐き出された吐息は湿り気を持つ。

 そして逆巻くは力の滞留。

 流れは方向性に従い、渦となった衝撃は螺旋を描き駆け巡る。 

 軌跡を歪め、擬似的な真空を作るそれは、後からやってきて無遠慮に触れたふたつの驚異を容易く弾き返した。


『……!?』

 

 右の大剣は大きく飛び退き、左の呪いは粉々に四散する。

 そして両腕が同時に弾かれたのならば、当然、(たい)が開く。


 それを逃すパンドラではない。

 逆鞘走りにて抜身を収め、右の小指を柄へ置く。

 すぅっとひと息、呼吸を刻み、それをしおらしく吐き散らす。


「ふぅー……」


 たったひと息で放たれたるは、幾重にも糸を折り重ねた極厚な斬撃。 

 灰騎士の腹を裂き、喉を裂き、風穴の空いた胸すら裂き開く。

 膿みが噴出されるが塞ぎ切れず、そのダメージは甚大。だが少し遅かった。


 もう少し早くこうしていれば、或いは今ので終わっていたかもしれない。

 しかし既に灰騎士の膂力はパンドラと肉薄し、その鋭敏さも引けを取らない位置まで到達。

 今し方受けた傷を足りないまでも修復し終え、呪いの膿みは品切れとなったようだが、これで漸くのイーブン。

 勝負はここからだ。


「……ッ」


『……ッ』


 霧断(きりだ)ちの出鱈目な軌跡。

 それはひと息で放つ剣閃が、瞬きの間も無く斬り返しが入ることで起きる(いびつ)さ。

 対して、カノッサの大剣は(ゆが)みすら穿つ軌跡。

 それは小細工など不要と豪語するかのような愚直な剣閃。

 ふたつの剣閃は火花を作り、折り重なりながら互いを否定する。


『オオオオオッッ!!』


 大剣の振り下ろし。

 いなし、灰騎士の体を薙ぐ。

 大剣の薙ぎ払い。

 これもギリギリで受けては力を流し、新たな傷を灰騎士に負わせる。


 ここまでが、パンドラの時間だった。

 傷を負いながらも速度を増す灰騎士のそれは、やがては彼女を凌駕した。


「ぐ……ッ!?」


 とうに躱すこと叶わず、更に流すこと能わず。

 パンドラは受けるもそのまま弾かれ、反撃に移れなくなった。

 呪いの腕無しでも防戦に回る事になる。

 だがそれも、長くは続かない。

 数合の斬り結びは終結し、パンドラの胸は刃毀れの酷い大剣に――。


「あ、が……ッ」


 ――深々と貫かれた。


「…………ふむ。まぁ……これは、仕方ないか……」


 直立するパンドラは、喀血しながら自身を抉るそれと灰騎士を見つめた。

 そしてすぐ、事切れたようにパンドラの頭部はカクんと垂れ、その全身からは力が抜けていく。

 その重みに逆らう事なく、大剣は彼女を貫いたまま傾き、地面へと斜めに突き刺さる。


『…………』


 暫しの間それを眺めていた灰騎士は、ゆっくりとそれを引き抜こうとした。

 が、抜けなかった。


 何故ならその大剣を掴んでいたからだ。

 パンドラの細い腕が。


「……悪いな灰色(はいじき)――」


 顔を上げ、口からは赤い血液を垂らし、パンドラは言葉を送る。


「――お前が今こじ開けた箱に、希望はひとつも詰まっていないんだ」


 状況を飲み込めない灰騎士が、呆然とそれを見つめている間に、パンドラは右腕を振りかぶる。

 その手に握られたるは泉慶(せんけい)霧断(きりだ)ち。

 一度()()()尚手放さなかった、この世界では少し風変わりな剣。

 それはゾブリと縦に振り下ろされた。

 虚空と真空が灰騎士の左半身を大きくなぞり、その部分を完全に奪い去った。

 胸の風穴を円として形作る輪郭は消え去り、そこから横に向けて黒い影が猛烈な勢いで抜け出ていく。

 怨嗟の声を無数に叫び、呪いと祈りを吐き出して、膿みの温床たる願いは排出される。

 その影は空気中に溶け込み、やがては霧散し消えてしまった。


『……ぐ、お…………』


 膝を着き、倒れ込んだ体を右腕で支え、灰騎士は人の言葉を紡ぎ出す。

 正気を取り戻したのか、今カノッサとして定着したのか。なんにせよ、人としての意識を表面化させた。


『ふ、ふふ……其方は、()()()に縁ある者であったか……。なるほどどうして……惹かれるものよ……』


 その顔にもはや膿みはなく、青い瞳で俯く男は黒い涙を流し出した。

 いつから意識があったのか、その言葉からはパンドラを理解したという意味合いが窺い知れる。


『すまんが、その剣を返してもらえんか……。大切な友でな……失くしたと思っていたが、ずっとワシと共にあったようだ……』

 

 パンドラは胸からそれを引き抜くと、無言のまま男の前に突き刺した。


『はは、すまんな……。眠るだけのはずが、世話を掛けた……灰色の騎士よ……』


「それはお前だろう」


『いいや、其方で間違いない。ワシは色味を失ってはおらぬ……其方と、違って……染まってしまっただけ故……』


 今際の際か。狂人の戯言か。

 なんにしても、掛ける言葉などパンドラには思いつきもしない。


『ああ、そうだ。これを、もう一度受け取ってくれ……。必ずや、其方の役に立つ……』


 手渡されたのは、黒と白が渦巻く球体。

 だが心なしか、白い光は弱く見える。


『もう、ここには何もない。去るがいい、灰色の……』


「そうしよう、もう会うこともないだろうな」


『それはそうだ……。ここは最果ての辺獄(りんぼ)……。繋がる道を失った、戻ることの叶わぬ最果てなのだから……』


「……おやすみ、黒寄り(はいじき)の騎士殿」


『ああ、おやすみ……白寄り(はいじき)の騎士殿……』


 パンドラの胸の穴は次第に塞がり、破けた衣服をそのままにしているため肌を晒している。

 だが特に気にする様子もなく、相方の待つ場所へと歩み出しその場から立ち去った。


 残されたカノッサは片手片足で這いずり、そこに突き立った愛剣へと擦り寄る。


『長いこと……待たせてしまった……。すまぬな……』


 背中から身を預け、カノッサは瞼を閉じて哀愁を語る。


『主との誓いを果たした今……後は、お主と添い遂げるだけじゃて、のう……豪寂(ごうせき)よ……』


 託宣の灰騎士、隻腕のカノッサは静かに呼吸を止め、事切れた。

 それに呼応するように突き立つ剣は折れ、鍔から柄に掛けてが分離し、ガランガランと音を立てて地面を転がる。

 やがて超過した時間を精算するためか、その身を塵へと変え、空に舞い上がり消えていく。

 だが残ったボロボロの刀身だけは、その身を保ち続けた。

 生涯を寄り添った、友の重みを支えるために。



 

 ◆◆



 ――数時間後……。

 もうじき日の出が訪れる頃合いの大地。


「さて、もうここに用はないな」


「はい! 反応もどうやらこの玉だったみたいですし、次に行きましょう!」


「なら、これをどうする……?」


 パンドラが見上げてそう言ったのは、アーカムバスティオンを象徴する巨大な落とし格子の正面砦門。

 残っているのは落とし格子とその枠組だけではあるが、崩壊の中にあって唯一、これだけは原型を留めたままそこに聳え立っていた。 


「このまま残していきましょうか。これはひとつの象徴ですし、全部失くなっちゃったら寂しい気がします」


「まぁお前がそういうのなら……」


 ふたりが閉ざされた門の横を抜けようと、足を進めた時。

 小さく、何かが擦れる音がした。


「パンドラさんなにか言いました?」


「……いいや、私じゃない」


 否定し、パンドラは顎でそれであることをレディンに示す。


「え、あ、わぁ……」


 ギャラギャラギャラ、と。

 それは巻き上げられ昇っていく。

 世界を隔て続けた最大の壁が、恐らく数千年規模で今の今まで閉じていた扉が、激しく擦れる金切り音を叫びに開いていく。

 アーカムバスティオンの象徴が、自らその口を大きく開放する。


「すご……ッ」


 まるで異界へでも続く門。

 門から覗く光景は、門外から見える景色とそう変わりはないはずだが、まるで全く別の世界へ続いているかのよう。

 

「パンドラさん! 折角ですし(くぐ)って行きましょうよ!」


「ん、ああ……」


 ふたりは闇の中、横を通り抜けるのをやめ真っ直ぐと砦門に向かう。

 そして目の前で躊躇うように数秒止まってから、同時に足を踏み出した。


「ははは! なんかすごい不思議な気分です!」


「……そうだな」


 何故開いたのか、どうやって開いたのかは謎だが、確かにそれは開いた。

 まるでふたりを送り出すかのように。


「なんか応援してくれてるみたいですね! この調子なら次の目的地もす、ぐに……」


 先を行くレディンは、ハシャギながら振り返った瞬間に言葉を失った。

 それに釣られてパンドラも足を止め、今過ぎ去った砦へと振り向いた。


 陽の光がアーカムバスティオンの足元を照らし始めている。

 なんのことはない。ただの朝日だ。

 だがそれは、門という無愛想な額縁を得て、紛れもなく絵となった。

 砦が健在であれば絶対に見ることの叶わぬ、太陽を中心に据えた少し寂しい絵画。


「は、はは、なんだか、向こうに行きたくなりますね……絵の中に飛び込みたくなります……」


 その言葉に反応したのか、ギャリギャリギャリ、と金属の擦れる音がし始める。

 高く上がっていた鉄格子が、旅人を送り出したことに満足しその口を閉じる。

 激しい轟音を伴って、苛烈に落ちたそれは大地に刺さり、深く深く刺さり、もう抜けることはない。

 だがこれで、砦門が最期に通した客人は、永劫このふたりということになったのだろう。


「び、びっくりしたぁ!」


「戻ってくるなってことじゃないのか?」


「……それは、愚者の二の舞になるなって、意味ですかね」


 あの唄のことを言っているのだろう。

 決め顔でそう言葉にしたレディンに、パンドラは若干引き気味に否定した。


「いや、知らないが……」


「えー! だって戻ったことで呪われたって詩でしょうあれ!」


「呪いを持って帰ってくるなって詩だろう?」


「それは悲しすぎますよ!」


「ふふ、そうか」


「ええ! そうです!」


 ワヤワヤと、先刻聞いた詩の内容を考察し始めた。

 寄り添い歩き、意見をぶつけ、笑い合いながら……。

 ふたりは新たな大地を目指す。 


 彼らの旅の終着点はどこになるかは分からない。

 だが終わりが来るその時まで、ふたりは歩き続けるだろう。

 そこに用意された悲劇的な結末を否定するために。

 

 パンドラ・ルビィアイズとレディン・クロドビクの旅は、まだ始まったばかり……。

 ではないが、半ばを過ぎていないことは確かだ。


 せめてその過程たる旅路に、幸多からんことをここに願い、手記を納めよう――。





 ◆◆◆ 重要物一覧 ◆◆◆


 “カノッサの大剣:豪寂(ごうせき)

 人面花たちの中で唯一肉が残っていた男の大剣。

 銘はないが、カノッサが自ら名を付けた無二の相棒。

 幾度と軋み、刃は溢れ、斬ることが出来なくなろうとも、決して折れることのなかった(なまく)ら。

 カノッサが忠義を貫いた騎士ならば、この剣もまた友を生涯支え続けた騎士であろう。

 役目を終えたその時、友と共に砕けたのだから。

 互いの寄る辺と共に朽ちたるは、なんとも気高き最期であろうか。

  

 “灰騎士の黒涙”

 生者の涙は死者のために。死者の涙は生者のために。

 なれど、その水には多分に嘆きが含まれる。

 悲しみを孕むその液体は、誰かの記憶を紐解く鍵となろう。

 だが使うのならば早いほうがいい。

 涙は淀めば鍵の役目を失い、呪いの苗床となるだろう。

 そうなってしまえばもう遅い。

 過って使えば、紐解かれるはずの記憶は溶け腐り、二度とその手に還ることはない。


 “人面花の膿種”

 帰ること叶わぬ哀れな亡者は、死に至ったその場を動けない。そこを寝床とし、自らを苗床とするしかなかった。

 なればこそ悼む者を誘い、共にあろうと音を絞り出す。

 区別をつけれぬその偽りの眼では、悼むる者の是非が測れぬ故に、残った声で呼びかける。

 答えた者こそ、自らに(ゆかり)ある者に違いないと。

 そう信じて、泣き続けるしかなかった。

 声という悲痛な涙を、流し続けるしかなかった。

 そんな花の根本に稀に出来上がる種。

 流し続けた祈りが、呪いとなって詰まっている。


 “嘆きの残滓”

 黒と白の光が内部で渦巻く不思議な球体。それはまるでひとつの宇宙のようで、ひとつの真理を表しているようだ。

 概念種たる彼方らの、その一柱たる『嘆きの王』の極少ない残滓。

 果たして人の手に在って良いものか疑問が残るこれは、全てを内包するという。

 嘘か真か。

 真偽を確かめるには、解き放つ以外にないだろう。

 灰と塵の始まりにこれを焚べよ、さすれば頂きの光景が垣間見えよう。

 仮にそれが叶ったならば、探しものなど瞬きの間に終わるに違いない。

 世界もまた、瞬きの間に終わってしまうかもしれないが……。


 ◆◆◆◆◆◆
















 ……。


 …………。


 ………………。


 ――アーカムバスティオン中央、戦闘跡地。


 そこにはもうない。

 折れた剣も、事切れた老騎士も。

 だがその中心に、ひとつの種が撒かれている。

 黒くゴワつく、丸い種。

 地中に潜ることもなく、風に攫われコロコロと転がり続ける。


 不意に、それは根を張り出した。

 

 茎を伸ばし、成長し、ものの数秒で花弁は出来上がる。その花びらは、花弁と花弁の隙間を埋めるように中心に集まり、女性の顔を模した。

 瞳を布地か何かで覆われた、そんな窪みを持つ女性の顔に。


 そして嗤う。


 明らかに他の花とは違う深みある表情で、不気味にいやらしく、生気ある人間らしいその顔で。

 それはゆっくり呟いた。

 いくつの声が混じっているのか分からぬ、聴くものの奥底に強制的に淀みを鬱積させる重苦しい音を、ネチャリと嗤ったその口で紡いだ。

 

『……おかぁぇりぃ……』



ここまで読了頂き、誠にありがとうございます。

私の性癖が多分に含まれた拙作でしたが、如何でしたでしょうか。

個人的に、謎を解明する場は相応しい場とタイミングが無ければ極力出さないというのが好きで、「何も解決してねぇ!」と思われるかもしれません。

そこについては、そういうくどい書き方をする奴なのだと思って頂けると幸いです。


この話は一本の映画を意識したのですが、合間のイベントをもう少し書こうか悩んだ末、薄味になりそうでやめました。

結果として短い話になり、少し厚みを失ったかもしれません。


それでも、ひとまずの満足を得られた我が子になりますので、読み終えても読者様方の片隅に残っていただければ嬉しい限りです。


それでは、また別の作品で。


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