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タイムマシンに乗って

日出処の死者の国

 父の遺品の中からその記事は出て来た。

 古い新聞記事だ。

 紙の。

 父のものとは思えなかった。

 紙で発行される新聞はオレが知らないほど昔に無くなった。

 2018年の日本人の出生率が最低を更新したという記事だった。記事に記された出生率は1.42。

『ズイブン高いな』

 素直にオレはそう思った。


 首都が大阪に移ってすでに随分経つ。

 第2関東大震災とそれに伴って起こった原子力発電所の爆発事故が直接の原因だが、遠因は出生率の低下にある。

 20XX年、日本の出生率が1を切った。

 日本の人口を支えていた老人たちが同じ頃に死に始め、日本の人口は目に見えて減っていった。

 文明は人口によって支えられる。

 工場を動かそうにも人手は足らず、地方では公共交通機関が崩壊し、全国的な物流網の維持さえ難しくなった。

 日本人にとって日本は広くなり過ぎたのである。

 だから政府は放射能に汚染された東京を捨て、大阪に首都を移した。

 日本の現在の人口は101万と91人。

 いや、いま85人になった。

 オレたち日本人ならみんな知っている。

 現在の日本人の人口を。

 オレが座っている喫茶店のテレビの右上に映された7桁の数字。刻々と減っていくその7桁の数字が、リアルタイムの日本の人口だ。


 30年以上前のことだ。国会はひとつの法律を成立させた。

 日本国維持基本法。

 減少する一方の人口を増やすことを狙いとした法律だ。結婚や出産の奨励。男女の出会いを増やすことの企業への義務づけ。独り身でいることが不利になる税制改正。そうした諸々の根拠となる法律だ。

 日本国維持基本法は内閣にも人口を増やす努力を求めており、そうして発布されたのが『日本国民に日本国人口を周知するための内閣府令』である。

 同内閣府令は、マスコミにリアルタイムでの日本の人口の表示を求めた。

 テレビだけではない。

 多くのスマホには人口表示用に別のスクリーンがある。日本人口カウンター。味気も何もない名称。だが、日本人の絶滅をカウントダウンするかのようなそのカウンターを、人々は古いアニメになぞらえてイスカンダルカウンターと呼んだ。


「いかがですか、かなりお得な売価だと思いますよ?」

 オレと向かい合って座った営業マンがとびっきりの笑顔でオレに訊く。

「そうですね……」

 煮え切らない返事をオレは営業マンに返した。こうして話している間にも、オレの視界の隅でイスカンダルカウンターが着実に減っていく。

「買い手は決まっているんですか?」

「具体的には決まっておりませんが、すぐにご成約がいただけそうなお客様は。はい。たくさんいらっしゃいます」

「やっぱり大陸の」

「近くの土地も買収して古代の皇帝にも負けないお墓を建てたいご意向と伺っております。はい」

 オレは苦笑した。

「墓じゃなくて陵墓って感じですね、それだと」

 営業マンは頷かない。黙って笑っている。おそらく陵墓という単語が咄嗟には判らなかったのだろう。

 人口が減り、税収が減った政府が積極的に推進している事業がある。空き家問題も解消できる一石二鳥の政策と、政府が自画自賛する事業だ。資源もない。人口が減り工業力もない日本には売るものが何もない。

 人口が減ったことで逆に美しく残った自然ぐらいしか。

 政府が推進しているのは、大国となった中国から死体を受け入れる、埋葬ビジネスだった。


 中国にだって土地はある。有り余っていると言ってもいい。しかし、急速な工業化によって、静かに眠れる土地が減っているのである。

 政府はそこに目をつけた。

 中国の富豪の間で中国本土とは別に海外に墓を造るのが流行ったのが始まりとも聞いている。

 オレが売ろうとしているのは、父が住んでいた田舎の実家だ。一番近い街でも車で30分はかかる静かな集落に実家はある。

 集落には20軒以上の家が建っている。ただし人が暮らしているのは、父の暮らす実家が最後だった。

「それにしても、お父様は何をお考えだったのでしょうね」

「ええ」

「集落の土地や家屋をそっくりご購入されるなんて。税金を払うだけでも大変だったでしょうに」

 正確に数えれば、実家も含めて27軒の家屋。耕作放棄地である畑、山林。それどころか集落にある墓山から神社まで、そのすべてを父は購入していたのである。

 一人息子であるオレに何の相談もなしで。

 元気だった父が突然倒れた。

 残されたのは一匹の犬とまるまるひとつの集落。

 遺言書はない。

 ないが、相続でモメる心配はない。

 人口が減った今、日本国民の戸籍はすべてデータ化されている。オレ以外に相続する人間がいないことは確認済みだ。

 つまり来年から、サラリーマンのオレにはとても払えそうもない税金が、オレの肩に圧し掛かってくるということだ。

「どうなさいますか?」

 オレは手元に視線を落とした。

 父が遺した新聞記事に。


「どうするか決めた?」

 おかえりなさいとオレを出迎えてくれた妻は、すぐに続けてそう訊いた。

「もう少し考えさせて欲しいって帰ってもらったよ」

「そう」

「うん」

「……ねえ。売らないで済ませることはできないのかな」

「君は売りたくないの?」

 オレは驚いて妻に尋ねた。てっきり彼女も売りたいのだと思っていた。売りさえすれば来年から税金を払う必要はない。売価にもよるが、子供をもうひとり育てることもできるかも知れない。

 そもそも土地を売らなければ相続税を払えるかどうかも判らない。そういうレベルの問題なのである。

「お父様はご実家を守ろうとしたと思うの。集落をそっくり購入したのもそのためじゃないかと思うし。

 それなのに売っちゃうのは、どうかなって思って。

 もちろんあなたの考えには賛成する。あなたがどう決めても文句は言わないわ。でも、わたしはそう思うの」

 オレは彼女に微笑みかけた。

「判った。参考にするよ」

「じゃあ、お風呂の前に夕食にする?子供たち、おなかをすかせて今にも倒れちゃいそうだから」

「うん。そうしよう」

 台所へと妻が向かい、オレは荷物を置くために書斎に向かった。サラリーマンでも書斎が持てる。これも人口が減ったおかげと言えなくもない。

 オレはカバンから取り出した新聞記事を机の上に置いた。

 父の遺した新聞記事。

 それは父の祈りのようにオレには思えた。

 いつかは日本がかつての姿を取り戻すことができますうにと。このまま日本という国が、日本人の存在そのものがが消えてなくなるなどということがありませんようにと。

 食事の支度ができたと妻が呼ぶ。

 ダイニングで子供たちの歓声に迎えられる。

 オレは子供たちに声をかけながら椅子に座ろうとして、ふとダイニングに置いたテレビに目を引かれた。

 テレビの右上には当然のようにイスカンダルカウンターが表示されている。そのイスカンダルカウンターが一瞬100万を切って6桁になり、すぐに7桁へと、表示が義務づけられてから初めて、増加へと転じた。

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