あきらめない
レッスンが始まってまず芽依が思ったのは、簡単なことなのに意外と身体にくる。
意識して腹式で呼吸をすることがこんなに腹筋にくるなんて、と驚いた。
肺活量、という観点で言えば息を長く吸って、長く吐けることが望ましい。
よって、1番遅く終われば1番肺活量がある、ということだ。
なのに、芽依は1番最初に終えることとなった。1回先に開始しているエリスよりも先に、終わった。
「初めてやるとけっこうキツイでしょ?」
「そう、ですね…。ちょっと腹筋が痛いかもです」
腹式呼吸のみ行った後、滑舌トレーニング、オーソドックスな発声練習をして一区切り。
全て腹式呼吸で行わなくてはならないため、芽依は普段使わない腹筋を使い続けることになった。
わずかに痛む腹をさすっていた芽依に、アイリスが何事もなかったかのように話しかける。
初めての基礎トレーニング。できないのは仕方ないとしてここまでできないとは…、と自分が嫌になりそうな芽依。それに気付いたのか、アイリスは優しく励ます。
「大丈夫。私達も最初は全然できなかった。下手すれば今の貴女よりも、ね」
「え、ホントですか?」
「ホントよ。ロスヴァイセができる前、オーディション合格後にやった初めてのレッスンなんかひどかったな~。歌もダンスもやったことない子達ばっかりだったから、当たり前なんだけどね。そこから毎日欠かさず今やったトレーニングとかをやり続けて、なんとかできてきたかな~、って。だから、今できなくても当たり前なの。大事なのは…」
「「「「「あきらめないこと」」」」」
5つの声が重なって聞こえる。
芽依がアイリスから視線をそらすと、再び近くに寄ってきていたロスヴァイセ。
「うわ~、ひっさしぶりに聞いたな。アイリスのこれ」
「前に聞いたのってあれよね。解散したくないから独立するためにみんなでお金集めよう、って話し合った時じゃない?」
笑いながらそう言うエリスとデイジー。
それに続いて、メリッサが芽依に声をかける。
「アイドルってすごく華やかに見えるんだけどね。実際はオタクで言う闇、みたいなことばっかりだし。そこに至るまでに色んなことやらないとダメなのよ」
「楽しいんだけど、上を目指すなら楽しんでばかりじゃいられない。辛いことが嫌なら、やらなくてもいけど。そしたらその時点でもう上には行けなくなっちゃう。でもね?」
メリッサのあと、少し芽依に近付いてこう言ったルナ。
一拍置いて、さらに続ける。
「あきらめずにやり続ければ、何か1つ形になるから。それが貴女の武器になるから。それを見つけるためにも最初の1歩はしっかりと踏み出そう」
できない自分を笑うのではなく、良い方向に導こうとしてくれるその姿に力をもらった気がした芽依。
ここでやらなきゃどうする、と自分を奮い立たせて元気に返事をした。
「はい!」
「お、元気出たじゃん。じゃあ、次は本格的に体動かしてくからな。できる範囲でしっかり動かせな?」
エリスのこの言葉に合わせるかのように、ぱっと離れて間隔を開けだすロスヴァイセ。
アイリスの手招きに応じて、今回もまた芽依はアイリスの近くで練習をすることになった。
その様子を見守っていた魁人は一安心、といった様子でそっとスタジオから出ていく。
「練習なんか普段絶対見ないもんな。あんな練習してたんだ」
1人呟いて、家へと戻っていく。すると玄関のところでちょうど父と鉢合わせる。
「お、どうした魁人。外に出て」
この時間はだいたい食事待ちでリビングにいることが多い息子が外にいることに驚いた父。
それに対して、呆れたように魁人は返事をする。
「藍那が友達連れて今スタジオにいるんだよ。それで鍵あけて、掃除して、ってやってたわけ。つかなんで藍那がスタジオ貸してほしいってこと言わなかったんだよ。昨日いきなり藍那から聞いてびっくりしたんだからな」
「おお、悪い悪い。前々から瑛二郎と愛依子さんに貸してほしい、って言われてたんだけどな。一昨日本格的に話が決まりそうになって、すぐお前に言おうと思ってたんだ。でもいきなり昼から隣の県に行くことになって帰りてっぺんよ。昨日は昨日で出張だから遅かったし、すまんな!」
はっはっは、と笑いながら言う父だが、少し真面目な顔になって魁人にこう尋ねる。
「で、お前どうだ。できそうか?お前も色々やってるのは知ってるから無理にとは言わんが、週1日だけでも付き合ってやってくれると嬉しいんだが」
「まぁ、あっちのスケジュールとこっちのスケジュール合わせりゃいいから立ち合いするのはしようかなとは思ってる。あとは料金とか話し合ってからかな?」
「そうかそうか、いやぁよかった。じゃあ、これ使え」
そう言ってカバンから封筒を取り出して魁人に渡す父。
中身を見るとそこには契約書が入っていた。
「これ、ガチな契約書じゃん。どうしたの」
「もし、魁人がやってくれるってなったらたぶん毎週何曜日の何時から~、って決め打ちになるだろうし。更に言えばうちのスタジオなんて俺と母さん以外にはたぶん藍那ちゃん達くらいしか使わないだろうから、普通に賃貸契約でいいんじゃねぇかなって思って。会社で暇な時にささっと作ってきた。お前未成年だから俺が貸して、立ち合いはお前。もう俺のところは名前書いてハンコ押してあるから。あとは日時と金額決めて、空いてるところに書いて、藍那ちゃん側で誰か大人の人がいればその人に名前とハンコ押してもらえば完璧よ」
「お、おう…」
意外と準備がいい父親なのであった。




