命題:同時多発的告白
プロローグです。
思ったより長くなりました。
俺は日常というものを愛していて、日常の方も俺から離れようとしない。これは実質相思相愛であり、彼女がいるといっても過言ではないのではないだろうか。
そんなくだらない事を考えながら、通学電車に揺られていた。
普通の男子高校生である俺、草間仁史にとっての日常というのは退屈なものだが、退屈でない人生は苦難の連続だ。退屈は俺を守ってくれているのだ。頼もしい限りである。
これからも日常という彼女を大切にしようと胸に誓う。まさか、今日が破局の日になるとは夢にも思わなかったのだ。
その時の俺は、呑気にも日常を擬人化することしか考えていなかった。
学校に着く頃には、結構かわいく仕上がっていた。日常ちゃん、と名づけた。安直。
友人たちに挨拶してから席につくと、まもなく授業が始まる。真面目な高校生たる俺は、絶対に授業中に寝たりしない、という気構えで授業を受けることにしている。ノートやプリントをひたすら埋め、テスト前に見返して覚えるのが高校生の仕事だ。
職務を忠実にこなすべく、俺は黒板をにらんだ。
聞くともなく授業を聞いていると、あっという間に昼休みになった。チャイムの音で目を覚まし、号令に合わせて礼をする。気構えではどうにもならないこともある。意思は簡単に欲に負けてしまうのだ。
人間の業に思いを馳せつつ、昼食をとろうと友人のところに向かう俺に、クラスメイトの細谷香菜美が声をかけてきた。
「あ、草間。今日委員会の仕事あるよ」
細谷は俺と同じ美化委員だ。俺も真面目な生徒なのだがいかんせん適当なのに対し、彼女は真面目かつきっちりした生徒である。俺が忘れていた予定を思い出させてくれることも多い。しかし、今回は本当に覚えがなかった。
「え、マジ?」
「マジマジ。30分からだから、あんまり長くはならないと思うけど。体育館裏集合だってさ」
そう言うと、彼女は去っていった。大方、隣のクラスの辰巳と昼食をとるのだろう。来たるべき仕事への憂鬱さを抱えながら、俺も待たせてしまっている友人の方へ向かった。
少々急いで昼食をとった俺は、体育館裏に向かっていた。この調子なら5分前には着きそうだ。しかし、なんだってそんな場所なのだろう。ポイ捨てでも多かったのだろうか。
目的地に着いてみると、まだ細谷しか来ていなかった。
「あれ? まだ誰も来てないの?」
尋ねると、彼女は首を振る。
「ううん、誰も来ないの」
「は?」
細谷はそれ以上答えずに、少し強張った面持ちでこちらに近づいて来た。妙な気迫に、思わず後ずさる。
「怖がんないでよ。ちょっと話があるだけだから」
困ったように彼女は笑って、そして言った。
「私、草間が好き。私と付き合ってください」
心臓が止まった気がした。血の気が引いて、得体のしれない汗がにじみ出てくる。
なんだかよくわからない感情の奔流に圧倒され、俺は母音を単発で発音する機械になる。
「あ……え? う……」
「返事は明日でいいよ。ゆっくり考えて。……じゃあね!」
一方的に告げると、細谷は去っていってしまった。
俺はしばらくその場に突っ立っていた。
渦を巻いた感情が一応の落ち着きを取り戻したのは、5分程経った後だった。
とりあえず、教室に戻らなくてはならない。俺はふらつきながらその場を後にした。
校舎に入ると、近くの階段の下に、辰巳優がいた。
辰巳は細谷の、おそらく一番仲のいい友人だ。そこそこ威圧的な見た目をしているが、話してみると悪いやつではない。細谷経由で俺とも親交があって、何度か漫画の貸し借りをしたり、感想を交換したりしている。
「おっかしいなー。小川の方には終わったって連絡いってたのになー」
どうも何かを探しているようだ。いつもなら手伝うところなのだが、今はそんな余裕がない。会釈だけして通り過ぎようとすると、
「あ、いた。草間、ちょっとこっち来い」
捕まって、階段裏に連行された。
これはまさか噂に聞く、友人からの圧力というやつだろうか。○○ちゃんを振ったら許さない! みたいな。
辰巳が俺を壁に押しつける。いわゆる壁ドンの体勢だ。黙ったまま、鋭い眼光でこちらをにらみつける辰巳。漫画で見たときから思っていたが、このシチュエーションはやっぱり普通に怖い。
数秒して、彼女が口を開いた。
「あの……さ……」
そう言って、また黙ってしまう。
どんな剣幕で迫られるかびくびくしていたのだが、意外なことに、辰巳の語気は弱かった。彼女の雰囲気からは、どちらかというと緊張が見てとれた。
「辰巳……?」
声をかけると、彼女は意を決したように俺の目を見て、そして、
「草間が好きだ。あたしと付き合ってくれ」
今日二度目の告白を、俺は受けた。
先程にもまして混乱する。わけのわからない感情の波はそのままに複雑化した状況が、俺の言語能力を奪った。
「返事は明日でいいから。じゃ」
絶句している俺にそう言い残して、辰巳は行ってしまった。
授業開始の合図が鳴るまで、俺はその場を動けなかった。
午後の授業中は、眠気などまったく襲ってこなかった。いいことのようだが、逆である。授業はまるで耳に入らず、シャーペンは微動だにしない。細谷が俺より後ろの席だったのは幸いだった。彼女の姿が視界に入り続けていたら、俺は奇声をあげて教室からとびだしていたかもしれない。
授業が終わり、ホームルームが終わると掃除の時間である。週毎に割り振りが決まっていて、今週の俺の掃除場所は理科室だ。細谷と顔を合わせるのが気まずくて、俺は速やかに移動した。
俺の掃除班運は悪く、監視体制が整っていない場合はサボる人間だけで構成されている。だから俺一人で掃除する場合が多い。今日も誰も来る気配がなかった。いつもなら班員への呪詛を吐いているところだが、今回ばかりはありがたい。今の俺には一人になれる時間が必要だった。一体俺になにが起こっているのだろう。一度冷静に考えるべきだ。
あっという間に掃除の時間は終わり、理科室を出る。グッバイ憩いの場。あまり考えはまとまらなかったけど。
ドアを開けると、向かいの壁に寄りかかるようにして、潮見雛が立っていた。潮見は中学時代からの、俺の後輩だ。親の方針で運動部にしか入れなかった俺は、中学では野球部に所属しており、彼女はそこのマネージャーだった。その縁で何度か話していたら、猫好きな彼女に猫を飼っていることがばれ、ことあるごとに猫画像を要求されるようになった。卒業して縁が切れたと思っていたのだが、今年入学してきた彼女に発見され、また猫画像を共有する関係になっている。
「あ! せんぱいこんにちはー」
彼女は俺に気づくと挨拶をし、すぐに訝しげな顔になる。
「一人ですか?」
「まあな。メンバーがサボり魔しかいなくてさ」
答えながらも、俺は少し身構えていた。今日起きた異常事態のせいで、潮見ももしかして……と思ってしまう。
「大変ですねー。それはそうと、またクロくんの写真見せてくださいよ」
クロ、というのは飼い猫の名前である。俺の安直さは遺伝だろう。
潮見はいつも通りの態度だった。どうやら自意識過剰だったらしい。安心して俺もいつも通りの態度で返す。
「いいけど一枚二百円な」
「けちー。金にがめつい男はモテませんよー。だからせんぱいは彼女できないんです」
「う……」
タイムリーな話題に、思わず動揺してしまう。
「ん? もしかして彼女いるんですかー?」
「……今はいない」
迷った末に答える。できるだけ正確に答えようとしたのだが、モテない人間の誤魔化しみたいな返答になった。
からかわれるかもしれない、と警戒するが、彼女の反応は違った。
「ふーん、なら大丈夫ですね」
その言葉を境に雰囲気が変わる。俺の脳内でけたたましく警鐘が鳴り始めた。しかし、もう遅い。潮見は正面から俺の腕を掴み、
「私、せんぱいが好きです。付き合ってください」
俺の目を見て、そう告げた。
無警戒だった俺は、出し抜けに打たれたような衝撃を受ける。呆然とする俺を見て、彼女は少し笑った。
「返事は明日まで待ってあげます。それでは今日はこのへんで」
そう言うと彼女は、ぱっと腕を離して行ってしまう。追いかけるべきだろうか。しかし、追いかけて何を言えばいいだろう。今の状況を彼女にうちあけても仕方がない。
考えている間に、潮見は見えなくなった。
しばらくして再起動した俺は、所属している文芸部に向かうことにした。精神は疲弊しきっていたが、休もうとは思えなかった。もはや完膚なきまでに破壊された日常を、少しでも取り返したかったのかもしれない。
とぼとぼと歩きながら、俺は多少冷静になった頭で考え始める。何かがおかしい。同日に3人から告白され、全員が明日を返事の期日に設定するなど、ありえることだろうか。
疑問を抱えたまま、部室についた。今日は蔵書かバックナンバーでも読んで過ごそう。何も書ける気がしない。そう思いながらドアを開ける。
部室では、部長が一人で文庫本を読んでいた。名を森野仁美という彼女は、一言で言うとかっこいい人だ。興味だけで入部し、なんの知識も持っていなかった俺に、いろいろ丁寧に教えてくれた。初めて書いた小説を面白いと言ってくれた人で、俺の部活動の支えになっている。謎の雑学を豊富に持っていて、よく部員に披露している。
だが、そんなことは今はどうでもいい。重要なのは、俺を除いていつもは最低3人はいる部室に、部長一人しかいないことだ。
「『ユートピア』という言葉の語源を知っているかい?」
唐突に、部長が尋ねてきた。
「いえ、知りません」
「『どこにもない場所』という意味のギリシャ語が語源なんだ。こういう皮肉、私は好きだな」
個人的な話だ、と彼女は微笑む。その表情はどこか寂しそうだった。
「部長……他のみんなは?」
俺は確信に近い予感を抱きながらも尋ねた。みっともなく声が震えた。
「来ないよ、今日の部活は休みだ。君には連絡していないけどね。……ふむ、察しがいいな。話が早い」
部長は文庫本を置き、ゆっくりと瞬きをして、言った。
「君が好きだ。私と付き合って欲しい」
予感は的中した。変わらない衝撃が俺をつらぬく。しかし、さすがに衝撃よりも疑念が上回った。こんなの偶然ではありえない。
「あの、部長……。これはドッキリかなにかですか?」
尋ねると部長は一瞬、ひどく傷ついたような顔をした。すぐに元の微笑を浮かべ直したが、その一瞬の表情は、嘘には見えなかった。
「ドッキリではないよ。君とは悪くない関係を築けているとは思うが、それはドッキリをするような類のものではない。そうだろう?」
「……はい」
頷く。俺と部長は良き先輩と後輩であって、その関係にドッキリは似つかわしくない。部長は荷物をまとめてこちらに歩いてきた。
「混乱させてしまったようだな。返事は明日でいい。幸い今日は部活も休みだ。ゆっくり考えてくれ。……ごめんな」
部長はそう言うと、俺の脇を通って部室を出ていった。最後に、ドア越しに部長の声が聞こえた。
「小川に連絡しなくては。まだ校内にいるだろうか」
俺は帰りの電車に揺られていた。朝のようなのんびりとした感覚はもはやない。行きは普通の高校生だったのに、帰りには四人の女子に告白された高校生になってしまった。日常ちゃんは粉々になり、見るも無惨な有り様だ。
今日の出来事は明らかにおかしい。何かが俺の日常を破壊しようとしている。そんな考えがぐるぐると頭を巡っていた。
いつの間にか家にたどり着いていた。改札を通った記憶がない。現状に対応しようとした俺の脳は、オーバーヒートしようとしていた。リビングにいた母親に、疲れたから寝ると告げる。相当ひどい声色だったらしく、心配されてしまった。
自室に入り、ベッドにうつ伏せになる。着替える気力も起きないほど疲れていたが、眠気はやってこなかった。
突然、携帯が通知音を鳴らした。確認すると、チャット形式のメッセージアプリに着信があったようだ。送信者はハンゾウとある。服部沙耶だ。
服部は図書室でよく会う同学年の女子で、俺とは小説をすすめあう仲である。かなり無口で、感想はチャットで送られてくる。長い文章を話そうとすると、途中で混乱してしまうのだそうだ。アカウント名は名字にちなんだとのこと。防犯のために女子だとわかりにくい名前にしているらしい。
開いてみると、
『今、大丈夫ですか?』
とあった。彼女はいつもこの文句から話を始める。確認しないと落ち着かないのだそうだ。あと、文章だと彼女は敬語になる。
大丈夫だという旨を返した。日常の空気を感じたかった。いつもの丁寧な感想が送られてくるのを、俺は待った。
しかし、しばらくして返ってきたのは、いつもとは違う文章だった。
『文面では伝わりにくいかもしれないので、電話をしてもいいですか?』
これは明らかにおかしい。話すのが苦手な彼女が電話を使いたがるのは、よっぽどのことだ。そして今日の俺の非日常は、その「よっぽどのこと」を予想するには十分だった。
怖い。逃げだしたい。そんな思いが頭をよぎるも、俺は最初のメッセージに返信してしまっている。今更やっぱり無理とは言えない。俺の予想が当たっているのならなおさらだ。
俺は震える指で申し出を了承した。「既読」というマークが出て、一拍おき、電話がかかってくる。
「あ、ごめんなさい。突然電話してしまって……」
「いや……別に突然じゃないだろ。アポ取ってたし」
乾いた声で答えると、それもそうだね、と彼女が笑った。
「えっと、なんで電話したかっていうと、気持ちを伝えるんだったら、文章よりも電話かなって思ったからで、つまり……」
彼女は一度深く息をついて、常よりもしっかりとした声で、俺に告げた。
「草間くんが、好き、です。私と付き合ってください」
さすがに五回目ともなると、意識もはっきり保てる。偶然ではないという感覚が、一層強くなる。
「なあ、服部? これはどういう……」
「ヘ、返事は明日会ったときでいいから! 今はちょっと、私の心の準備もできてないから! じ、じゃあ切るね! おやすみ!」
問ただそうとしたのだが、服部は遮るように言葉を重ねると、通話を切ってしまった。
まただ。今日行われた全ての告白は、返事を明日に定め、俺が何も言わないうちに去っていくというパターンになっている。偶然とは思えない。間違いなく裏がある。
俺は体勢を仰向けに変え、考えることにした。俺の身に降りかかった同時多発的告白。実質日常ちゃん殺人事件とも言えるそれは、いかにして起こったのか。
おそらく手がかりは、五人の言動の中にある。
シリアスにはなりません。
ミステリーでもありません。