6.擦れた記録、影さえも
協力するとは言ったものの、さて。まずは自分に何が出来るのか。
取り留めのない思案をする。何をしようにも自分の手には余る。
有耶無耶に自分一人で手を付けるだけでは拉致があかない事は明白だが、真実だと受け止めるならば、今は一言でも多く彼の話を聞く必要がある。
当のロハネは5分程前までは蹲ったまま微動だにしなかったが、うたた寝から覚めるように目を覚まし、ソファに座り直してから不自然なほどケロっとしている。こねれば人の形を失いそうな程不安定な泥人形状態だったのに。何事もなかったかのようにソファに座っている様は一周回って気持ち悪い。彼の正体については余りにも情報が無さすぎる。
ソファの向かいにある椅子を反対に向け、背凭れを抱えるようにして座りながら彼に聞いた。
「まず何が発端になってあんな顛末になるのかを貴方は知っているのでしょう?」
アラムの問いかけに対し、ロハネは眉をひそめてみせた。
未来から来た彼ならば全てを知っている筈だ。まさか何も知らないまま警告をしに来た筈はあるまい。
「知らん」
自分の頬が引きつったのが感覚で分かる。何?もう一度言ってみろ。
「アルバートはその理由について頑なに答えなかった」
理由を教えられる必要があったということは、彼が誕生したのはアルタマイルが消えた後なのだと察しがつく。それもそうか、彼は自称、アルバートに作られた人形だ。
とはいえ教えて不味い理由でもあったのかもしれない。だが、そんな無知な彼に過去を塗り替えろと命令したのもまたアルバートなのだという。
未来の大総統は何を考えているのかまるで分からない。いや、彼の言っている「アルバート」がこの国の大総統であるという確証があるわけではないが。
同名の別人だという線もある。寧ろそうである事を願いたい。
「だが、奴は自らこの結果を招いたのは自分だと懺悔していた。道理が不要だと判断した故に何も告げなかったのだろう」
「貴方の正体についても?」
「それも答えはなかった。ただ一つ、答えぬ理由なら」
彼は一つ間を開ける。
「私は無知である必要がある。自分に含まれるものの存在を知れば、消滅する可能性があると」
その表情には一切の感情が無かった。言い方も表情も、まるで他人事のように見えて、俄かにアラムは目を細めた。
ロハネは指を二つ、顔の前で立ててみせる。
「私が与えられたのは二つだ。一つは、未来を観せる『眼』」
彼の未来。破綻した世界と今を繋げ、観る事を可能とするアイウェア状の魔具。彼はその魔具を『アカシアの瞳』と呼んでいた。それがその眼鏡状の魔具の名称だと思われる。
「だが、これは無闇に使用できない」
「どういうこと?」
「過去に渡る際の影響で元より破損していたが、先程の酷使で回路が一部が焼き切れた。幸い記憶の損壊は少ないが、持ってあと一度が限度だ」
「あぁ、最後に聴こえた叫び声は貴方のものだったのね」
知ってたけど。
「厳密には魔具の劣化した模倣品だ。魔具は大気のエーテルや代償を利用して奇跡を生み出すものだが、これは人工的なバッテリーと記憶を直接接合して…」
「分かった分かった。そんなの聞いても分かんないから」
要するに今のような「体験」という形での圧倒的な魔術は、次に使うなら考えて使わねばならないということだ。
ロハネは話を続ける。
「そしてもう一つがこれだ」
彼は反対の手に持っていた黒く長い棒を差し出した。鈍く光を反射しているそれは無駄な装飾や飾り気が全くなく、出会った時から大事そうに持っているこれが何なのか、アラムは知らない。
「それは杖かしら」
ロハネは首を振った。
「否。これはカタナだ」
ふむ、と、アラムは顎に手をあてた。アルタマイルでは聞き慣れない名称だが、刀といえば見たことがある。だが、刀にしては柄が無い。全体的なフォルムも少し反りのある剣に近く、機能性だけを考え抜いた造形といった感じだ。一見するだけでは武器だと分かりにくいのは、故意のカモフラージュなのか。
「ニザンの武器ね。剣に似ているけど形状が違うって教えてもらった事がある。それも魔具の類い?」
「いいや」
ロハネは少し口の中で言葉を選んでから続けた。
「説明するより見た方が早い。これが如何なるものなのか、いずれ目にする機会があるだろう」
ふぅん、と、適当に相槌を打つ。
同時に気になる。何故形状がアルタマイルにある武器ではなく異国のものなのだろう。
彼は本当はニザンの出なのか?
「ニザンは…」
今迄話を聞くだけで押し黙っていたコゼットが言葉を発した。
見れば、色素の薄い彼女は顔を伏せていたが、視線に気付くとすぐに顔を上げた。
「今現在も門戸を閉ざして鎖国しています。彼がニザンのものを持っている事には何か意味があるのでしょう」
「そうだね。でも、ニザンに関わる事なんて尚更無理よ。国の外に出向いてる知り合いなんて父くらいだし、奴はミストに行ってて連絡もつかないし」
アラムは椅子の背もたれを抱えて考え込む。
アイウェアの奥から覗く瞳は、じっとアラムを凝視している。目の端に映る彼の視線は人の視線というよりカメラのレンズに近いものを覚える。まるでデッサンの被写体を見つめるような、人の形を観察する視線のように思えた。
やがてアラムははたと顔を上げた。
「よし、アイアスに話してみよう」
「中佐に?」
「うん。きな臭い情報なら何か知ってるかもしれない。なにより信頼出来るし、私より切れ者だからね」
アイアス中佐は、あちこちに手を回してアラムを軍に引き入れてくれた、恩人とは言わずともかなりのお人好しなのは確かだ。彼ならどんな話であれ、頭から他者を否定しない。
彼の協力を仰げるなら、きっと知恵を貸してくれるだろう。ただ、会議に行ったマークが彼に下手な事を言ってなければ良いのだが。
「そうと決まれば行動ね。貴方はコゼットとここで待ってて。顔が割れてたら厄介だし」
「分かった」
渋られると思ってたのに、案外あっさりと受け入れてくれるとは。存外に話が分かる異邦者で良かった。
その時、出窓の日差しの中に黒い何かが横切った。
窓辺に振り向き、その顔貌を青ざめさせるコゼット。
強く反応したのはアラムだった。彼女はすぐに立ち上がり、入口のドアを乱暴を開けて空を仰ぎ見た。黒い鳥が一羽、空を飛んでいる。だが、一番の異変は視覚ではなく、聴覚から入ってきた。
バザーの方向が騒がしい。賑やかで楽しげな声ではなく、叫び声や何かが倒壊するような音が反響している。
もう一度空を飛ぶ黒い鳥に目をやる。カラスのように見えるが、遠目からでもよく見えるぐらい大きい。恐らくは大鷲程のサイズだ。黒い塵が尾を引いている。遠くから同じような大鷲がもう二、三羽。いや、もっとやってくる。それらは一直線にバザーの方向に向かっている。
徐々に状況が想像出来てくる。最悪の状況が頭の中に浮かび上がる。
アラムは家に引き返し、ロハネの不思議そうな視線を受けながらリビングを横切った。階段を駆け上がると、急いで自室に向かう。
椅子にかかっている霞んだ白の軍服を羽織り、薬と応急手当の一式が入った鞄を肩に掛ける。デスクの隣にあるアタッシュケースを開け、中に入っているハンドガンを軍服の内ポケットにしまった。
滑るように階段を降り、玄関のドアノブに手をかけながら言う。
「バザーがダスクに襲われてる。家から出ないでね」
彼女は短く告げると、乱暴に扉をあけて弾かれたように走り出した。
「アラム!」
そんなコゼットの声も届かず、アラムは振り返ることもないまま叫声の谺すバザーへと向かっていった。
コゼットは大きな声を出したせいか、ゴホゴホと噎せ返る。ロハネの瞳にはぼんやりと消えていくアラムの背姿が映っていた




