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ロストアンデルス  作者: 忠犬
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3.その目的は遥か遠く

「ただいま」

ドアが開き、見慣れた少女の顔が帰ってくる。

「おかえりなさい…あら?」

アラムの影がいつもより大きかった。見れば、アラムは満身創痍の青年に肩を貸していた。アラムは青年をドカリとリビングのソファに座らせると、持っていた荷物をカウンターに置いて水場で手をすすぎ始める。青年は見るからに薄汚れ、ボロボロの様子だった。ソファに座らされた体勢のまま項垂れ、動こうとしない。彼はこの暑い時期に不釣り合いな氷を纏い、窓からの光をキラキラと乱反射させていた。

「また困ってる方を連れて来られたのですね。今回の方は随分と、弱ったご様子で」

アラムは曖昧に「うーん」と応える。

拾った犬や猫ならまだしも、アラムは困っている人までよく連れ込んでくる。迷子の少年から老人に至るまで、老若男女関係なく。

コゼットは特にそれを咎めようとは思っていない。これは彼女の仕事病みたいなものだ。

何が物珍しいのか、やってきた青年はソファを触っている。異邦人のような格好と屋内に入ろうと決して手放そうとしない黒い杖のようなものが多少気になりはするが、アラムが家に入れる位だ。無害だというのは間違いない。

「ごめんね、輸入品まだ売ってなかったから、ダリィの摘んでくれたフルーツ買ってきたよ」

「ダリィが?ふふ、あの子は本当にしっかり者ですね」

「それよりマークは来た?」

「えぇ。今アラムの部屋にいますよ」

「入るなってあれほど…!」

アラムは目の色を変えて階段下に行き、上階に向かって怒鳴りつけた

「マーク!マーク!降りてこい!」

上階から本が傾れるような物音が聞こえた後に、バタバタと忙しなく足を動かす音が聞こえる。音が響きやすい狭い部屋という訳ではないが、上階にいる彼は物音を隠すのが苦手だ。

やがて階段奥から顔を出したのは遠目からでもハッキリと分かる大柄な男だった。


「やっと帰ったか、アラム」

言いながら彼は階段をバタバタと降りた。突如現れた大男に対して、青年は肩を弾ませた。

天井に届きそうな高身長に、短く刈り込んだ黄土の髪。人種によるものとは思えない、煤けたように黒い肌の色。汚れ一つない真っ白なスーツの上からこれでもかと主張しする隆々と盛り上がった筋肉。いっそスーツが可哀想に思えて来るレベルだ。

そして何より、顔の半分を覆う傷跡が特徴的だった。

コゼットは怒ったアラムを見て微笑ましく笑顔を浮かべた。

「殆ど貴方と入れ違いだったんです。この人ったら、ふふ、出掛けたと伝えたらアラムの部屋を掃除すると聞かなくて」

「何能天気な事言ってんの。マークを部屋に入れるなって貴女にも言ったでしょ?コイツは分からない癖に触るから私の薬を滅茶苦茶な位置に仕舞うのよ!?」

見兼ねた大男が口を挟む

「整頓してるだけだ。あんな空気が淀んで足の踏み場もない部屋、息がつまるだろ。まず足の踏み場を確保して換気をだな…」

「それが余計だって言ってんのよ!あぁもうまた探す所から始めなきゃいけなくなる…!」

吠えるように言葉を遮るアラム。怒りのあまりか、彼女は髪型も御構い無しに自分の頭をぐしゃぐしゃと掻き毟った。

そこでふと、大男に向けられる刺々しい視線に気付いた。大男を挑発するように敵意の目を向ける青年に対し、諭すように向き直る。

「紹介が遅れたわね。大丈夫。このでっかい男はマーク。私の護衛であり、相棒よ」

大柄な男…もとい、マークは、青年に軽く会釈した後に眉をひそめた。

アラムは次にコゼットを指差す。

「そしてこっちは…」

「アラムの母のコゼットです」

「嘘はやめて」

コゼットは再び無邪気に笑った。

「元孤児院シスターよ。血の繋がりはないけど、私の親であり、患者」


「……。」

青年は硬くなっている。コゼットはまだしも、マークの事を警戒しているのだろう。

対してマークも顔面の傷を歪ませ、眉間に深くシワを刻む。両者の間に氷よりも冷ややかな空気が流れた。

「アラム、もしかしてこいつは…」

「そう、恐らく襲撃犯其の人よ」

「ばっ…!?」

余りにもあっさりと認めたアラムに対し、マークは表情を一転させて狼狽した。

「君は馬鹿か!?今俺達の上層部が血眼になって探してる奴を連れ込むなんて!」

「どうせアンタが家に来ると知ってるから連れて来たのよ。マーク、彼の氷をアンタの『才能(センテンス)』で溶かしてあげて」

マークは驚きを通り越したのか深い嘆息を漏らした。眦を人差し指で抑えて感情を落ち付けようとする。

彼は見た目にそぐわず理知的な男だ。アラムがどれだけ驚天動地な事を持ち込んでこようと、一度は考えて頭の中を整理しようとする。

ただ、今回の件はいつもより程度が重い。いや、それどころか上層の信頼にも関わるかもしれない。マークは俯いて眉間に深いシワを刻んだ。

「待ってくれ。その男を助けるつもりか?まずは話をしないかアラム。君の言い分を聞かせてくれ」

「そうね。まず私には彼がどこかの使者には見えない。彼に触れて分かったけど、異邦から来た事は確実よ」

マークは何かを突っ込もうとしてやめた。彼に触れたことについて物申したかったのだろうが、そんな所を追求しても意味はない。咳払いのちに言葉を続ける。

「まぁ…そうだな。どこの所属とも取りづらく、武装とも制服とも取れない面妖なものを纏っているのは事実だ。だが同時に帝都に損害を出したのも事実だぞ。早く出頭させないと罪が重くなる」

「引き渡しちゃ駄目よ。こんな怪物を根城に入れてみなさい。どんな被害が出るかも知れたものじゃない」

「ううむ…確かに彼は一人でとんでもない打撃を与えた事は確実だが…どう見ても人間だし、何より俺達の知らない『才覚者』かもしれないだろう?」

「いいえ、彼は人間じゃない。腕や首に触れても脈が見つからなければ質感や体温も死後硬直した人間のそれとほぼ同じなの。なのに動いているし、呼吸もしているし、苦しんでいる。アンタはこれをどう説明付けるつもり?」

「う…」

額に汗が滲む。マークはこれまでにも散々彼女の無茶振りに振り回され続けてきたが、ここまで嫌な予感のするのは初めてだ。

「だ、だがアラム。君はその怪物を癒すつもりか!?彼は何を隠してるか分からないんだぞ。弱っているうちに引き渡すべきだ!でないと…!」

そこで、マークは言葉に詰まった。別段言葉を遮られたわけではない。アラムの態度が彼の言葉を詰まらせたのだ。

アラムは反駁するでもなく、静かに目を閉じていた。彼女の横顔には焦りも欺瞞も、疑いすら映っていなかった。

至極落ち着いた口調で彼女は言う。


「話をしたいの」

ゆっくりと目を開け、弱った様子の青年に視線を送る。

アイウェアの奥の敵意に満ちていた瞳が、アラムの視線を受けて少し和らいだのが伺えた。

「私は彼と話してみたいの。悪い奴じゃないのは目を見れば分かる。もしかしたら走る汽車に飛び込んだのも、何かの事故だったのかもしれない。アンタも今朝のラジオを聴いたでしょう?彼は誰も殺さなかった。なら話くらい聞いてやるべきじゃない」

悪い奴じゃない。

得体の知れぬ怪物を前に何を思い、そう結論したのかは分からない。

だが今更何を言って説得しようとしても無駄なように思えた。こうなってしまえばアラムの意思は梃子でも動かない

「…分かったよ、君には敵わない、アラム」

マークはスーツの袖を捲り上げ、青年を覆う氷に触れた。

煤けたように黒い腕が、内側から発光すると同時に熱を持ち、陽炎を纏いながら青年の氷を溶かし始める。

青年は目を見開いた。何が起こっているのか理解出来ていないらしい。それもそうだ。常温に晒すだけでは中々溶けない氷華が瞬く間に溶けているのだから。

「何が起きてるのか分からないって顔ね」

余程顔に出ていたのか、アラムが口を挟む。

「ここアルタマイルの人は皆、魔法を捨てたとはいえ魔術によって発展してきたルーツを持つ。その影響なのか、稀にエーテルに依存せず、限られた魔術のみを特異な能力として開花させる人間がいる。私達はこれを”才能(センテンス)”、これに目覚めた人を才覚者(センテンサー)と呼んでいるのよ」

言葉を紡いでる間に、青年の氷はすっかり溶けてなくなっていた。

瞠目する青年の視線を受けて、マークは言う。

「俺からの自己紹介がまだだったな。俺は『熱の才能(センテンス)』を持つ、アルタマイル軍中尉のマーク・グリム。才能だなんて大袈裟だが、自在に体温以上の体表温度を操作出来る」

青年は聞いてか聞かずしてか相変わらずなにも言わなかったが、手を握ったり開いたりと、腕の調子を確かめている。

アラムは御構い無しに青年の怪我をした腕を引いた。

「さぁ、次は腕を見せて。手当しなくちゃ」

青年は腕を引かれたのに痛がる素振りもなく、小さく首を振った。

「必要ない」

彼が短く告げた時、アラムは青年の傷付いた腕周辺から細く黒い糸のようなものが出てきている事に気づいた。

黒い糸は開いた傷口を縫合するようにひとりでに動き、傷口を覆ったかと思えば、青年の肌の色に変色し、怪我をする前の腕へと()()()()

それだけではない。彼が纏うスーツの破れた箇所までもが、黒い靄によって傷付く前の姿に戻ったのだ。

コゼットがアラムの背後で小さく感嘆の声を上げる。

そう、これはどう見ても人間の才能の為せる事に見えない。

能力は人によって多種多様とはいえ、才能の多くは『自然』や『感情』、『概念』に依存するものが多く、今彼の見せた芸当は、到底感情を伴う何かではないし、ましては自然に存在するものですらない。

巻きつけていた白い布も靄に覆われて消えてしまった。

いや、消えたのではない。彼自身が変容と同時に取り込んだのだろう。

これは『変容変化(メタモルフォーゼ)』だ。

「…本当に異形なのね。貴方は」

アラムは彼の腕を離した。

「尋問のようで悪いけど、まず教えて。名前は?貴方は何者?」

青年は暫く真っ直ぐにアイウェアの奥でアラムの目を伺うように見ていたが、やがて言葉を紡ぎ始めた。

「私はロハネ・アンデルス。自分が何者かについては答えられない」

「何故?」

「お前達の形をした何かである事は理解している。私自身、己に対し無知である」

黒を纏った青年---ロハネは、目を伏せて片眉を僅かに顰めた。彼の左手が頭部を抑えようと動かして、やめる。

アラムはその小さな動作を見逃さない。

「まだ頭が鈍く痛んでいるのね。頭痛の心当たりはあるのかしら」

顔を上げたロハネと目が合う。なぜ分かったのかと顔に書いてある。固い言葉遣いの割には露骨な態度だ。

見かねたマークが口を挟んだ。

「まず、君はどこから来たんだ。見た所アルタマイルの者でもないだろうし、どこぞの間者にしては無知が過ぎる」

「私は…」

ロハネは一呼吸置き、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める

「私は未来から来た。ある人間を殺す為に」

「未来…?」

突拍子もない単語に対し、徐にアラムとマークの顔は曇り始める。構わずにロハネは続けた。


「未来は生命の息吹が消えた砂塵の世界になる。未来に残ったのは、首謀となった人間、そして首謀に造られた『人形』の一人と一つ。首謀者の名は、アルバート。奴の息の根を止める事こそが、私が未来より帯びた使命」


時間が止まったかのような錯覚に陥った。

部屋の空気が凍り付くような、悍ましい感覚。

身体能力もその能力も、力も、全くも不透明な怪物。未来から来たという浮き足立った経緯。

彼が得体の知れぬ人の形をした何かであるからこそ、嫌に言葉の中に現実味があった。


この都市は滅びる。


そんな単語の鋼で頭を打たれたような気分だった。彼の発した言葉は、余りに衝撃的過ぎる。言葉をなくしてしまう程に。

「…待って、その名前って」

驚かされたのは、都市が滅びるなんて大それた単語だけではない。

顔から血の気が引くのを感じた。嫌に生々しく、空気が冷たく感じた。

「アルバートは、この帝都の大総統の名前よ」




あぁ、本当に

この得体の知れない怪物を軍の上層に引き渡さなくて良かったと思う。



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