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ロストアンデルス  作者: 忠犬
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2.先ず信頼は僅かな優しさから

 古来より人々は、ダスクと呼ばれる不変の脅威に脅かされ続けている。

だが、人々はかつてこの世界のエーテルを利用した魔術によってその脅威を退ける手段を見出す。やがて長き時を経て、人々は世界に四つの灯火を創り出した。

一つは、より魔術を発展させ、観測によってこの世界の真理を見据える事を選択した北国、「タラスト」

二つは、魔術を失い、ダスクに敗走した人々が寄り集まって栄えた、砂塵と蒸気の南国、「ミストオーナル」

三つは、海を挟んだ先にある。完全に外海から門戸を閉ざす事によって生存する道を選んだ東国、「二ザン」

そして西国に当たる国が舞台となる国。其の城塞都市は石と鉄で造られている。橋にはダスクの侵入を防ぐ門が設けられ、これらを討伐する魔術諸機関を中心に栄えた歴史を持つ軍事国家こそ、アルタマイルである。

百年前にタラストとの巨大な戦争が勃発し、そこから生まれた巨大なダスクによって二国は壊滅的な被害を受けた。以降、アルタマイルではエーテルや魔具の使用全面撤廃を宣言する革命が行われ、日夜壁の外より現れるダスクをより効率的に捌く為に魔術よりも『才能』と『技術』を選択し、より強固な団結を求めて軍事国家を築き上げた。現在は科学が発展し、親睦のあるミストオーナルとの交易や交流が行われている。

復興後、四国の中で最も人間が繁栄している国。それが、規律と秩序の城塞交易都市アルタマイルである。



汽車が襲撃された暁が明けた朝。時刻は午前の7時を過ぎている。

空は快晴。雲一つない青空に陽気な太陽の光が降り注ぎ、街のバザーは既に賑わいを見せていた。

街の一角にある煉瓦造の白い一軒家。出窓のカーテンと窓が開けられる。

窓辺から晴れた空を見上げる少女の姿があった。彼女は日を浴びてゆっくりと深呼吸をした。

鴇色の髪を後ろで纏め、まだあどけなさが残る顔貌をしている。飾り気のないシャツと七分丈スカートを身に纏い、瞳は琥珀のように、美しい柑子色をしていた。

彼女はくるりと振り返り、後ろのベッドにいる白い女性に微笑む。

「おはよう、コゼット」

対して白い女性も、ベッドから上体を起こして少女に向かって微笑んだ。

「えぇ、おはようございます、アラム」

コゼットと呼ばれた女性は、ベッド脇にある夏には不釣り合いなニットを羽織った。

歳は30前後。髪は真っ白で肌も透き通るように白い。伏せた眼は眼球の奥に流れる血の色を映していた。嫋やかで、整った顔立ちに憂いを帯びた表情は、まるで人形のように美しい。

アラムは開けたカーテンをタッセルで纏めながら言う。

「調子はどう?」

「とてもとても、絶好調です」

「そう、良かった。朝食は何が良い?毎日お粥じゃ飽きてくるでしょ」

「ううん…そういえば、今日は隣国の品がバザーに並ぶ日ですね。ミストの野菜や果物は美味しいんです」

「じゃあ今日はフルーツにしよっか。すぐ買ってくる」

アラムは鞄を手に取り、財布が入っている事を確かめる。鞄を肩にをかけると、ベッド脇にあるポータブルラジオを手に取る。外に出るのが稀なコゼットの、唯一の情報源だ。

ただ、最近は使っているのをあまり見ない。

「これ貸してくれる?」

アリシアは頷く。

「勿論。気を付けて行ってらっしゃいね」

「ありがとう。行ってくる」

アラムは短く答えると、背後でゆったりと手を振っているコゼットを尻目に家を出た。



この家からバザーまではあまり遠くない。路地を一つ越えた先だ。まだ最も賑わう時間帯ではないが、外に出ただけで幾許か声が聞こえてくる。

アラムは歩きながらラジオのスイッチを入れた。ざらざらとした声がラジオから流れる。

『本日の天気は晴れ後曇り。比較的穏やかな気候ですが、熱くなるので水分をしっかりと…』

いつものキャスターの声がいつもの口調で喋る。早朝のラジオは天気予報から始まる。当たり障りのない内容を聞き流すと、ボタンを操作して周波数を変えた。今度は堅い男性の声が耳に届く。

『本日午前4時より交易汽車が何者かの襲撃に遭いました。死傷者はゼロですが、流通に遅れが出ています。汽車に居合わせた補佐官の『才能(センテンス)』により、逃亡した犯人は凍傷状態で都市内部に侵入した可能性が高いとみられます。発見次第迅速な通告をお願いします。繰り返します。本日午前…』

ほぉ、と少し感嘆する。凍傷を負わせる補佐官と言えば、あの大総統補佐官の事だ。アラムはアルタマイル軍の関係者だからこそ分かるが、あの非常に奥手な補佐官が手を出す状況というのは、恐らくその侵入者に追い込まれたのではないかと察する。いくらアルタマイルが平和な国だとしても、人が集まる以上、こういった軋轢は避けようがない。随分市民向けに情報を絞ったものだ。死傷者を出さなかった結果はどうあれ、これで階級持ちがその場にいたのなら今頃は上の不評を買っているに違いない。


「やぁ!おはようアラムちゃん!」

バザーの通りに出た瞬間、唐突に声を掛けられる。顔見知りの魚売りのおじさんだ。ふくよかな身体に薄汚れたエプロンを纏い、立派な顎髭をたくわえている。家が近く、よくバザーに顔を見せるアラムは、店を開いている商人の殆どと知り合いだ。

アラムはラジオのスイッチを切ると、魚売りのおじさんに手を振った。

「おはようボガートおじさん。今日は残念ね」

「おや、輸入品がバザーに出回ってない事を知ってるのかい?まぁ、ちょいと遅れてるだけさ。あと2、3時間もすれば香辛料が届くだろうけどね」

「香辛料だけ?」

「あぁ。生鮮モノは多かれ少なかれダメになったらしい。届くとしても、もっと遅くなるそうだ」

「なら、待つよりいつものお店を回った方が方が良さそうだね。おじさん、そのマーチェスの瓶詰を貰える?」

「お!いつもありがとね。大丈夫さ、輸入品がなくてもここは賑やかなんだから。マーク中尉にもよろしく頼むよ」

「分かった。どの道今日は否が応でもアイツと顔を合わせなきゃならないから、ちゃんと伝えておくよ」

塩漬けの瓶詰を受け取り、財布から取り出した硬貨を渡す。ボガートがニッと口角を上げると、同時に髭も吊り上がった。

「まいどあり。また来てくれよ」

アラムは短く応え、その場を後にする。このマーチェスの塩漬けは、相棒のマークの好物だ。今日も午前中に彼がコゼットの家を訪ねてくる予定になっている。

だが、恐らくラジオで流れていたように、今朝の一件からいつもの10時より早く訪ねてくる筈だ。緊急集会の話を聞けだの何だの、そんな面倒なものを引っさげて。

分かってはいるが、だからと言って自分のペースを乱すつもりはない。勿論、このマイペースが彼の胃にダメージを与えていることは知っている。これを何度煩いオズバーン大佐に咎められたかも覚えてすらいない。

だが、自分はこれでいい。自分が階級が高いだとか、従わなくても良い位にいるだとか、そんなことは一切ないのだけど

アラムは彼らや都市の人間にとって必要不可欠な存在なのだから。


「おはようダリィ。今日は一人で店番?」

露店で一人不安げな表情を浮かべていた少年は、アラムの方を見るとぱっと蕾が花開くような笑顔を見せた。

歳は十歳程。真っ白のシャツに金髪、彼の母を思わせる優しい目をしている。

「あ!アラムお姉ちゃん!そうだよ、今日はお母さん風邪で寝込んじゃってて」

「そうだったの。朝早くに一人で偉いね」

「えへへ、ぼくはお兄ちゃんだからね。この桃もぼくが採ったんだ!おひとついかがー?」

小さな少年は籠いっぱいに入った桃を一つ取りアラムに差し出した。少々小ぶりだが赤く熟れていて、丁度食べ頃だ。

アラムは露店に並んだ商品を見渡す。輸入品が届いていないにも関わらず、少年の屋台は新鮮な果物に溢れていた。きっとダリィが市が開く前から母に代わって収穫したのだろう。ダリィの家族は母子家庭で、彼は幼いながらも責任感のある子だ。

「丁度、朝食をフルーツにしようと思ってたんだ。その桃を4つと、サワーチェリーと、あとこのメロンを貰える?」

「はーい!」

ダリィは小さな両手でオーダーした果物を掴み、丁寧に紙袋に入れてくれた。流石にメロンは彼に持たせるには大きいので手伝ったが、

彼は後ろを向き、値段を指折で計算し始める。3つも頼んだので値段の足し算が出来ず、少々戸惑っているようだ。アラムは難しい顔をした彼の肩をトントンと叩き、紙幣を一枚差し出した。最も価値ある紙幣を差し出された事に対して、ダリィは少々狼狽をあらわにした。

「そ、そんなに高くないよ。待ってね。今数えるから」

「いいの。後でお母さんに元気が出るもの買ってあげて。あっちにお料理を出してるお店があるんだけど、あそこのスープは栄養満点だし食べやすいから、きっとお母さん喜んでくれるよ」

アラムはそう言って彼の両手に紙幣を握らせる。ダリィは戸惑っていたが、やがてアラムの顔を見て弾けるように笑った。

「ありがとう!お姉ちゃんの為に早起きして、本当に良かった」

「うん。私こそありがとう。もしお母さんが元気にならなかったら私の家を訪ねておいで。それじゃ、店番頑張ってね」

「はぁいありがとう!頑張るよ!」

ダリィの露店を後にする頃には、既にバザーの人通りは来た時の倍以上にまで膨らんでいた。ミストオーナルからの輸入品が入る日は特に人が犇く。まだ店に品々は並んでいないが、輸入品などなくとも、常にこのバザーは売り物で満ちている。店からは食べ物の良い匂いが漂ってきて、思わず立ち止りそうになる。アラムは人々の賑わいを眺めつつ、真っ直ぐに家路についた。魚売りのおじさんが店を構えている隣にある路地だ。既にボガートの店は人々に囲まれ、店主は声を張って商売に勤しんでいた。


路地に入ると、両隣の建物に低い位置にある陽の光が遮られ、一気に道は暗くなる。昼間は日が昇るので明るいが、朝は特別光が差すのが遅い。

バザーの人の賑わいも、歩くうちに徐々に遠のいていく。アラムは再びスイッチを入れようと、ポータブルラジオに手をかけた。

その時、通りがかった道の視界端で何か鋭い光を放つものが蠢いた気がして、思わず脇道の奥を見る。この奥は袋小路になっていて、バザーの近くとはいえ人が通る事はない。日の光が遮られた道の奥から吹いてくる冷たい風を肌で感じる。風だけではない。何やら唸り声のような音が耳を掠めた。

「……。」

アラムは袋小路に繋がる道に一歩踏み出した。もしかしたらスラムの少年かもしれないし、バザーに行こうとして道に迷った人かもしれない。特に前者は捨て置けない。彼らの保護はアラムが仕事としている事の一環だ。


だが、そこに気配を消すように蹲っていたのは全身を花のような氷で覆われた青年だった。

装甲が一体になったようなスーツと、鮮やかに色を放つアイウェア、後ろに流した青い髪に不健康そうな肌の色。左手に柄の長い光沢を放つ杖のようなものを待っていた。とてもここの人間とは思えない風貌をしているが、乱れている上にボロボロで、鋭利なもので深く腕を切り裂かれている。氷を溶かす体温もないのか、衰弱しきっているのが目に見えて分かった。

日中の気温が高い今の時期、雪の降る時期でもあるまいに、路上で凍え死にかけている人の姿はなんともおかしな光景だ。

そういえば一つ、心当たりがある。

『才能』を受け、街に逃げ込んでいるとされている暁の襲撃者。

確かにあれは補佐官の才能で作られた氷華だ。

彼はアラムに気付いた時、俯いていた顔を上げて彼女を睨み付けた。


「来るな…!」

アイウェアの奥の目を強張らせ、低く唸るような声で言う。構えようとしているのか、ガクガクと震える右手で杖のグリップを握る。

彼の目から感じたのは純粋な敵愾心。これだけ衰弱していながらも、怯えなど微塵も映っていない。ロクに動かぬ身体で、まだ戦おうとしているのだ。

「大丈夫。私は敵じゃない」

彼の警戒を解くために持っているものを全てその場に置いた。

鞄を置き、持っていた紙袋も、ラジオも置いた。それを見た彼が得物を握る力を少し弱めたのが分かった。異邦者である事は間違いないが、言葉は通じるらしい。距離を詰めて蹲った彼の前に座り込んだが、彼は身を固くするだけで動こうとはしなかった。

「私は医者の端くれよ。その腕を見せて」

「……」

彼の瞳から敵意は消えない。丸腰状態のこちらを警戒している。痺れを切らしたアラムは彼の右腕を引いて患部に注視する。その時に彼は呻き声を上げたが、気にも留めなかった。

恐ろしく冷たい腕だった。もしやと思い、彼の頸部に触れた。若干嫌がる素振りを見せたが、彼は逃げなかった。

やはり、冷たいのは腕だけではなく全身だ。氷花を纏って死人のように冷え切っている。生きているのが不思議な程に。

そこで違和感を覚える。傷口からの流血が黒い。時間が経って黒く変色した血であってもここまで黒くはならない。

間近で彼の顔を見た。ひび割れたアイウェアの奥の目は敵意と苦痛に歪んでいる。傷付いた腕に見向きもせず、杖を持つ左腕で頭を抑えている所を見るに、頭痛か何かに苛まれているのかもしれない。

生きているのが不思議な程の体温と黒い流血。

分からない。彼が何者なのか、

人に対する知識との齟齬に対し、アラムは懐疑心を感じずにはいられなかった。見た目は人の形をしているが、少なくとも人間ではないものが目の前にいるという現実。

今朝の一件からしても断定出来るし、この都市に牙を剥かんとする危険な犯罪者かもしれないが、彼は苦しんでいる。苦しんでいるものを捨て置けはしない。例えそれが暁に軍の汽車を襲撃した犯人であっても。


このアルタマイル軍の一員であれど、裁くのは私の仕事じゃない。

私の仕事は、『救う』事だ。


アラムはスカートの裾を千切って彼の腕に巻き付けた。そもそも彼に必要な応急処置なのかも分からないが、何もしないよりはマシだろう。

「私はアラム。貴方、名前は?」

「……。」

返事はない。だが、徐々にこちらを見る瞳から敵愾心は消えている。

悪い人間ではない、と、直感的に思う。言葉は通じるし、話も分かる。武器に手を掛けたとはいえ、威嚇するつもりだったのか抜こうとはしなかった。

彼は恐らく、目に映るもの全てに警戒しているだけだ。

「立てる?こんな日陰に居座ってたら治るものも治らないよ」

「…痛い」

「何?」

「頭が、痛くて、割れた」

それを言うなら『割れるように頭が痛い』ではないのか。

喉まで出かかった言葉を押しとどめる。

低体温が原因の頭痛とも考えづらい。そもそもこんな体温、生きた人間ならなら幻覚症状を見ているはずだ。

対して彼は意識がハッキリしている所か、焦点の合った目でこちらを睨み付けてきた。体温はさして問題ではないのだろう。

「まずはその氷をなんとかしよう」

アラムは立ち上がり、置いた荷物をもう一度持ち直す。

振り返って、彼の腕を肩にかけて立ち上がらせた。

「ここから近いの。頑張って歩いて」

一歩、また一歩と、おぼつかない足取りで歩き始める。

担いだ冷たい腕から、よたつく足元で懸命に歩こうとしていることが伝わってきた。






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