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ロストアンデルス  作者: 忠犬
2/17

1.来訪の挨拶は鏡のように



暁が近づく薄暗い夜、空には雲一つなく、風もない。明るさを取り戻し始めた空に淘汰されそうな星の光が瞬き、森林の輪郭が影絵のように浮かび上がる。

岩肌が剥き出しの急峻な崖が連なり、崖上の森林やその陰に潜む動物は朝日を待ちわびて静寂に沈む。

何一つ、昨日と変化のない一日が始まろうとしている。

静かな空間を塗り潰すように、麓に敷かれたレールの上を装甲の厚い列車が煙を吹きながら走った。

七両編成の汽車で、後方の五列には長方形のコンテナが乗っている。

一両目後方の窓辺で外を眺める人影があった。

着崩しも皺の一つもない、明かりの少ない車内で目に付くドレスホワイトの軍服に身を包み、汚れの少ない革靴と白手袋を着用している。

胸に付けられた勲章が鈍く光を反射し、腰のベルトには厳めしい形の剣を佩用している。

短い枯茶色の髪に燃えるような紅い眼。長駆の青年は鬱屈そうに手元の懐中時計に目を落とした。

その状態で目の前にいる眠そうな部下に声を投げかける。


「帝都まであとどの位だ」

「はい…。四半時もかからないかと思われます」

間抜けな声を聞いた時、青年は懐中時計の蓋を閉じた。

ぎらりと紅い眼が部下に向けられる

「気持ちは分からんでもないが、名目上は見張り中だ。目を開けろ」

「はい、大佐…。」

部下はそんな視線も何処吹く風であくびを1つする。弛んでいると一喝してやりたい所だが、そこまで目くじらを立てるつもりはない。針は4時と15分を指していた。まだ列車が向かっている先の都市も寝ている時間帯だ。それに、ここ数日はまともに寝ていない。舟をこぐ部下の気持ちにも頷ける。それに窓の外で流れる東側の景色は、長く崖に面している為に空の明るさは伺えない。

だが、青年は気を張り詰めているせいか眠気を感じていなかった。警戒態勢という訳でもないが、これも貿易国から物資を運ぶ公務の一環という意識から来るものだ。

「此度は大総統の側近も同乗している。あの方は強かだが、華奢な女性だ。護衛も兼ねた帰還だと心得よ」

「そうですね…。お陰で南国の交易も早く終わったので、3日ぶりに家内の顔が拝めます…前に東国の遠征に出向いた時は7日は帰れませんでしたから」

「間抜けたツラを見せるのも身内の前だけにしておけ。その顔で連隊に並ぼうものなら、俺も黙っている訳にはいかん」

「勿論、そこは弁えています。…あぁでも、疲れているのは大佐も同じなのに、俺ばかりこんな顔をしてすみません」

「構わん。此度の働きは許容に値する。だが、連隊長として貴様一人横になるのは看過出来ん。ここはもういい。後は俺一人で見張りを続ける。貴様は風を浴びて来い」

「分かりました…。では、後はどうか、お願いします」

眠そうな部下は緩い敬礼の後にゆっくりとした動きで部屋を後にした。風に当たれば多少目も覚めよう。

青年は深い溜息をつく。万が一にもないとは思うが、大事を思うと寝付く事すら思考によぎらなかった。部下が去る前と同じように、ただ西に面した暗く流れる景色に目をやる。



澄んだ空間に煙突から立ち上った黒煙が一本の筋を引き、霧散する。

その上空で翡翠の光が閃き、落雷のように迅速に、歪みなく、一直線に汽車の屋根に落下した。


耳を劈く轟音を立て、汽車に不自然な、それでいて全身が揺さぶられるような大きな振動が走った。

青年は振動の余り椅子から宙に投げ出されたが、辛うじて受け身を取る。一瞬、頭が真っ白になる。落石事故か、汽車の脱線か、何にせよ、走行に支障が出るレベルの振動だった。

だが、幸か不幸か汽車は走っていた。

青年は部屋の隅にある伝声管の蓋を乱暴に開け放ち、それに向かって怒鳴りつけた。

「何事か!」

伝声管から伝わってくるのは物音だけだった。いや、ただの物音ではない。人為的に硬いものを打ち付けるような、微細で、それでいて確かな音。

先ほどの衝撃で管のどこかが曲がってしまったのかもしれない。伝わってくる音がいつもに比べて非常に小さく感じる。

伝声管に顔を近づけ、耳を澄ます。奥から聞こえたのは、乗員達の悲鳴と断末魔のような叫び声。

やがて、伝声管からハッキリと声が響いた。


「しゅ、襲撃!二両目にて敵襲あり!()()()です!敵は一人!至急人員を!て、天窓を突き破って…う、うわぁぁあぁあ!!」


鈍い音と金切り声が響いたのち、伝声管からは何も聞こえなくなった。

青年は絶句する。この声は先程の部下の声だ。

青年は振り向いて一両目前方の部屋に続く伝声管の蓋を開けた。

「バリケードを作って安全を確保しろ!被害を最小限に留める事だけを考えておけ!」

返事も待たずに青年は走り出す。

居ても立っても居られなかった。考えるよりも先に身体が動く。青年はベルトで吊っている剣を掴み、扉を開け放って二両目の車両に向かった。

声は確かに『闖入者』だと叫んでいた。それは敵襲に来たものがダスク等ではなく()()()をしているということだ。走る汽車の天窓を突き破って侵入など、とてもただの人間に出来る芸当ではない。不慮だった訳ではないが、事態に対して怒りに似た感情が湧き出してくる。正体が不明の闖入者に対し、同時に背を伝う汗を感じずにはいられなかった。


青年は勢いよく扉を開け放つ。

目に飛び込んで来たのは倒れ伏した数十名の乗員達に割れたランプ、薙ぎ倒された椅子と机だった。

辺りを見回す。血は見当たらない。呻き声が聞こえるところから、彼等は殺された訳ではないのだと察することができた。

薄暗い車内の奥で黒い影が蠢く、目を見張れば確かに人の形をしている。装甲とスーツが一体になったような装いに顔を覆う仮面。

だが、不自然なことにその者は右手で頭を押さえていた。背を向けている上に俯いているせいで顔までは伺えないが、手に柄の長い武器を持っている。恐らくはスキャバードを被った剣だ。この世界のものではない異様な佇まいから、彼がこの車両を襲った張本人だと理解するに考慮など不要だった。

青年は剣を引き抜き、その人物に向けた。

「貴様、何者だ!この列車をアルタマイルのものと知っての狼藉か!」

闖入者はゆっくりと振り向く。仮面を付けた者のバイザー部分は不可思議な色に反射するアイウェアに覆われていた。青年が身を引き締めた時、その者は仮面の奥でくぐもった溜息をついた。

まだ人がいたのか。と、そう言わんばかりの嘆息だった。

怒りが青年を支配する。青年は剣のグリップに設けられたトリガーに手を掛けた。

青年の持つ剣は単なる剣ではない。頭のネジが飛んだ鍛冶師が鋳造した、ガード部分にリボルバーを装着した、火薬を利用してものを切り裂く火器剣だ。


青年は敵との距離を詰めた。剣を振り上げると同時にトリガーを引くと、銃声と共にノックバックで加速した一撃を叩き込む。

敵は咄嗟に左手の得物で防御するも、勢いを相殺出来ずに吹き飛んだ。

暗い空間に火花が舞う。青年は再び距離を詰め、宙で体勢を立て直そうとする敵に斬りかかった。

一振り、二振りと剣を振るうと同時に銃声が響く。だが、敵はその剣筋を得物でいなしてみせた。

目が眩むような火花と衝撃音が連続した後に眼前の敵の息遣いが乱れた。音と火花が閃く度に、徐々に彼のくぐもった声に焦燥と苦痛が滲む。

「ォオオオ!!」

青年が一層の力を込めて剣を振り切る。その一撃は防御の遅れた敵の腕を掠めた。

身体の軸を崩された敵は衝撃のままに吹き飛ばされ、受け身も取れずに床に身体を打ち付けた。

青年は歯をむき出して倒れ伏した敵を睨みつける。

「俺はアルタマイル軍大佐、オズバーン・クロムウェル。この名を知らんとは言わせんぞ、痴れ者め」

青年―オズバーンが剣を振るうと、リボルバーから空の銃弾がバラバラと散らばった。慣れた動きで弾を充填し、トリガーに手を掛けずに剣を構えた。

だが、オズバーンは違和感を感じていた。目の前の敵は人間であれば紛うことなき猛者だ。どんな手段を使ったかは分からないが、たった一人で走る列車に強い衝撃を与えて侵入し、一端の軍人である部下達を殺すことなく卒倒させ、太刀筋が分かろうと決して躱す事も受け止める事も不可能な自らの火器剣の一撃を何度もいなしている。

まただ、また彼は頭を押さえている。先程倒れた際に顔面を打ったのか、頭痛にでも苛まれているのか、仮面の奥からはくぐもった呻き声まで聞こえた。恐らくは前者であり、後者なのだろう。黒い仮面とアイウェアには亀裂が入っている。

それに、これほどにまでこの世界とは離れた風貌と異様さを放っているというのに、敵意をまるで感じない。

ならば、この汽車に侵入した意味は、一体何だ?

―いや、油断してはならない。これも全て演技である可能性すらあるのだ。

「名乗れ。貴様は誰だ。目的は何だ」

視界の奥で敵がゆっくりと立ち上がった時、敵の被った仮面が硬度を失い、()()()()()()()()()()()()()


驚いて剣の切っ先が揺れた瞬間には、鼻先に敵の仮面が差し迫っていた。

オズバーンはその瞬間に見てしまう。()()()()()()()()()。その硬い仮面が自らの顔とでも言わんばかりに、溶けた仮面の下には真っ黒な闇が広がっていた。黒縁のアイウェアだけが不気味に光を反射する。

驚愕に弛緩した腕に力を込め、恐怖に似た感情を吹き飛ばすように雄叫びをあげながら火器剣を振るった。

そこで敵は目を見張る行動を取った。彼はあろうことか、左手に持った得物ではなく素手で火器剣を弾いたのだ。

強い力で弾かれた武器はオズバーンの手元を離れ、部屋の天井に突き刺さった。

「何だと…!?」

武器を失い、反射的に距離を取ろうとする。再び敵の顔面を見据えた時には、その頭は再び硬い仮面に覆われていた。先程の亀裂は綺麗になくなっていたが、アイウェアに入っている皹だけはそのままだった。

「人ならざる者か、貴様ッ!」

得体の知れぬ闖入者が胸倉を掴もうと右手を伸ばして来る。オズバーンはその手を両手で掴み、相手の掌を外側に向けて前のめりに体重を掛けた。

敵は怯まない。分かってはいたが、関節技は効かないらしい。そのまま体術で相手を捩じ伏せようと片手で胸倉を掴んだが、対して相手も体軸を崩されまいと重心を固定させる。

どうあっても得物を抜く気はないらしい。今なら手を振り払って抜刀する事も、部下を卒倒させたように鈍器の代わりにもできるだろうに、加減されているようで腹立たしく感じるが、今はそれを気にかけている場合ではない。

行動も思考も読めない。この敵と長く対峙していると、底の見えない穴を覗き込むような不気味さがある。

「うぐッ…ぉおお…!!」

力の限りを尽くしているが、全く相手は動じない。まるで、地に深く根を張った木を押し倒そうとしているかのように。

オズバーンは目の前の敵を睨み付ける。これだけの間近で見ているのに、アイウェアの奥の目は伺えない。いや、実際には顔が無いのかもしれない。火器剣を振るった際に息を乱した所を聞く限り呼吸はしているらしいが、それもどこまで本物かは計り知れない。人間ではないと言い切れる決定的な瞬間を目撃してしまったのだ。眼前の闖入者は無貌の怪物に他ならない。

と、その時だった。オズバーンの後方から甲高い女の声が響く。

「オズ!伏せなさい!」

聞き覚えのある力強い声。オズバーンは咄嗟に両手を離して伏せた。

敵が動揺に足を竦ませた瞬間、彼の二の腕に突如として氷の花が咲いた。

「……ッ!?」

驚き方は露骨だった。何が起こったのか理解できていないらしく、一歩、二歩と後ずさる。間髪入れずに左肩、右太腿、足首に頭部と、徐々に敵は氷花に覆われていく。

オズバーンが伏せた一両目に続く扉の奥には、華奢な少女のシルエットが見えた。遠方でこちらに手をかざし、もう片手には淡く発光する手に収まる大きさの本を握りながら凛と立っていた。

「それ以上近付かれるな!此奴は人間ではない」

オズバーンは敵から距離を取りながら少女に忠告する。彼女が我が身を省みない物怖じ知らずなのは遥か前から知っているが、得体の知れぬ敵を前に、彼女を守りながら戦うのは至難の技だ。

「私の『才能』を甘く見ないで」

少女のかざした掌から冷気が溢れる。冷気は敵の体表面で収束し、氷の花となって闖入者を拘束する。

氷に覆われた敵は、遂に耐えかねて膝をつき、俯いたまま動かなくなった。

一両目から武装した数十名の軍人達が次々と現れ、半分は卒倒した人々を抱えて運び、もう片方は洗練された動きで整列した後に銃器を構える。恐らくは一両目でバリケードを作っていた部下達だ。ここでオズバーンが敵を引き止めていると知り、大総統補佐官を筆頭に応援に駆け付けてきた、といった所だろう。


オズバーンは天井に突き刺さった剣を引き抜き、身動きが取れなくなった敵に歩み寄った。

糸の切れた傀儡のように、オズバーンが近付こうと指一本動かす気配はない。

「悍ましい化物め、消えるがいい!」

と、武器を振り上げた瞬間だった。

突如として西に面した車窓が、後方から次々と割れた。

オズバーンは咄嗟に左手で顔を覆った。

瞠目するよりも先に破片と強い強風が吹き付ける。それだけではない。割れた車窓から夥しい量の蝙蝠がなだれ込んできた。いや、蝙蝠ではない。これは…!

「くそ、ダスクか!」

形は生命ある有機体を模しているが、これは有機体ではない所が生命を持たない。

闇から現れ、世界を蝕むもの。

それが、長く人間を苦しめるダスクという脅威。

「撃て!撃てー!」

部下達の銃口が闖入者から車窓から現れたダスクの群れに切り替わり、一斉射撃を開始する。

オズバーンは汽車の走行する風と蝙蝠を模したダスクの出現により、一気に目も開けられない事態に陥ってしまう。

不快な音で喚き立てるダスクの群れと、刺突雨のようなけたたましい銃声。

オズバーンは剣の届く範囲に近づいてきたダスクを切り刻む。強い風圧のせいで目は薄くしか開けられない。ダスクは切っても切っても車窓から湧き出てくる。強風に耐え、牙を剥き出して襲いかかってくるダスクの対処をする。

「汽車を止めなさい!早く!」

視界の端で氷花が咲き乱れる。少女も車両奥で声を荒げながら応戦している。

はたとオズバーンは闖入者に目をやった。彼はおぼつかない足取りで立ち上がり、横倒しになった机を伝って車窓に向かっていた。

この混乱に乗じて逃げるつもりか。

「待て!貴様!」

近付こうにもダスクの群れが邪魔をする。道のみならず視界までもを阻む。

制止の声も虚しく、闖入者は振り返る事もないまま割れた車窓から飛び出した。

オズバーンは無理矢理車窓に駆け寄る。汽車は徐々に速度を落としたが、時既に遅く、仮面の怪物が汽車が走る橋の下へと落下していくのを目撃するだけが精一杯だった。


部下の銃撃が幸いし、汽車が完全に止まる頃には大半のダスクが汽車の中から逃げ出していた。奴らは非常に硬く、特別な装備が無ければ一匹退治するだけでもかなり困難だ。加えてあのような群れをなしていたのだ。今回は運良く逃げ出したようだが、あれが正面からこちらに敵意を向けていたらと考えるだけでも悍ましい。


銃撃が止み、嵐が過ぎ去った後のような静けさが残る。周囲の敵影が消えた事を確認すると、漸くオズバーンは剣を鞘に戻した。

「厄日ね」

立ち尽くすオズバーンに少女の声が掛けられる。

「あぁ。時間に遅れが出た上に非戦闘員の貴女にまで厄介を掛けてしまった」

「構わないわ。ダスクのみなら未だしも、あんな得体の知れない者の襲撃まであったんだもの。流石にあの小煩い少将も大目に見てくれる筈よ」

少女はそこで大きく伸びをする。

「貴方、あれを人間じゃないって叫んでたわね。どういう意味?」

「どうもこうもそのままの意味だ。アレには顔が無かった。この汽車に齎した被害を考えても、とてもタダの人間とは思えない」

「ふぅん」

声色からも分かる。如何にも興味がないといった返事だ。いや、実際に興味がないのだろう。

「物損は甚大だけど死傷者も出てないようだし、人的被害が無いのが不幸中の幸いね。帝国に戻ってからの面倒な始末は私が付けておくから、貴方はゆっくり休みなさい」

「感謝します、イヴ補佐官」

少女はその場を後にする。オズバーンは暫くあの化け物が消えた橋の下を眺めていたが、やがて踵を返し、車内へと戻っていった。





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