お願いだから、嘘だと言って。
唐突に、それはやって来た。
本当に唐突に。
私にはもうやって来ないものだと思っていたのに。
ただの優男、それも頼りにならないナヨナヨのヤツだと思ってた。ヤツ、って、まぁ、先生なんだけど。
初めて会った時は、本気で「何コイツ」って思った。でも、何なんだろう。この気持ち。
東京の空には、星はほとんど浮かんでいない。時間帯の問題かも知れないけど。夜と呼ぶにはまだ早い。
幸せが私の爪先から頭のてっぺんまでを充たしている。
あぁ、どうして?
偶然会った廊下での会話、エレベーターに乗る時や降りる時に「先にどうぞ」って手を差し出すその仕草、私を見詰める優しい目――そのひとつひとつが、私を完璧なまでに満たしていく。
全てをさらけ出したくなる。何もかも話してしまいたくなる。聞いて欲しくなる。
駅までの道のりは、そんなに長くない。
火照った頬に、何年ぶりかにときめいた心に、ひんやりとした夜風が心地好い。
あぁ、歌い出したいくらいだ。
道端に咲いているツツジがこんなにも愛しいなんて。
「あれ」
「へっ? あっ、先生、お、お疲れ様ですっ」
「お疲れ様。どうしたの? もう暗いから……気を付けてね」
笑顔と共に渡された言葉たちが、いつまでも心に温い。
「はい、ありがとうございます!」
「じゃあね!」
「はーい」
小さく手を振りながら歩いて行く先生は、やっぱり、私を幸せにする。
あぁ、どうして? どうしてなの? 先生。
私をこんなに苦しめるなんて……本当、先生失格だよ。
あぁ、ほら、ツツジはこんなにも哀しい。
空はあまりに暗くって、でもその深みが妙に私に優しくて、涙が滲んだ。
ほら、だから恋は嫌いなんだ――。
苦しくて、辛くて、でも、ちょっとの幸せを得る為になら、どんな辛苦も我慢出来ちゃう。
でも、相手が先生ならきっと、得られる幸せなんて、どんどん深くなっていく私の欲には付いて来れない。
だから、
無責任に優しくしないで。
私にそんな顔を向けないでよ。
あぁもう、これは恋じゃないと思いたいのに。
涙で滲んだ夜は、私を優しく包む。
大丈夫、大丈夫。
こんなの、慣れてるでしょ?
きっと、先生はまた来週もあの笑顔で私を見てくれる。
それだけで、十分幸せ――そうだよね?