epilogue
もしまだ『私』というものがいて、意識を取り戻すのなら、見慣れた自分の世界でだろうと思っていた。
その時は、トザムの召喚した『サカタ トワコ』は消えていると思っていた。
正解も、半分だけでした。
「……えっと。これ、どう解釈すればいいのかな」
いわゆるひとつの思念体、というやつだろうか。
意識だけがふわふわと空中を漂っている。目はないけど、見下ろす、という概念は残っているので、とりあえずベッドの上の人物を見下ろすことにした。
気持ちよさそうに丸まって寝息を立てている『もうひとりの私』の手には、最新型の携帯ゲーム機。直前まで見ていたのであろう攻略本には、すでにびっしりと書き込みがされている。
真人間になったはずだと思い込んでいた『本体』は、すっかり完全体に戻ってしまっていた。二次元妄想の強制力、恐るべし! 一度浸かってしまったが最後、いずれは深淵へと引き戻される仕組みか。
カレンダーに意識を移して、日付を確認。私が神殿に拉致されてから、ちょうど一年が経っている。
――よかった、巻き戻しはされてない。
まっさきに思ったのがそんなことで、我ながら自分のチョロさに呆れてしまった。あーあ。ほだされちゃって。異世界で死んだせいで、私は今、とっても中途半端な存在に成り果てている。
駄目でもともと。そう言い聞かせながら、果敢に本体にダイビングを試みる。上手くいけば、統合してもらえるかもしれない。
ところが、現実は残酷だった。
見えない結界が張られたかのように、本体は私を受け入れずに跳ね返す。
それもそのはず。半分になった「もうひとりの私」は、欠損した部分をすでに取り戻してしまっている。クズ女子が異世界でそれなりに頑張ってる間に、自力で。勝手に。
「こんの、ダメ女がっ!」
腹いせに新型ゲーム機のセーブデータを消してやろうと手を伸ばしたが、やはり何も掴めなかった。手という概念だけでは、三次元のものには文字通り手も足も出ない。
本当に二次元な女になっちまったのか――。
ふとよぎった『浮遊霊』という言葉を打ち消し、私は途方に暮れた。
半分だけでも、成仏ってさせてもらえるのかな。このまま何十年もたった一人で、本体の私が寿命を迎えるのを待つしかなかったりして。うっわ、それなんて地獄!
ショックを受け、その場でぐるぐると回っていたその時。
部屋の片隅に放り投げられていた古いゲーム機が光り始めた。
眩しく強い光じゃなくて、まるで蛍が発してるみたいな優しい光。ふわん、ふわん、と灯るゲーム機に私の意識は吸い寄せられた。誘蛾灯のようなそれが、ディ・ルーチェのカセットがささったままの例のぶつだってことに気づいた時には、もう遅かった。
◇◇◇◇◇◇◇
「おお。ついに。……ついにやりましたぞおおおっ!!」
懐かしい、と呼ぶにはあまりにも馴染み深い声が、耳のすぐ傍で聞こえた。
「トワコさま。トワコさまっ!!」
この声は、フェルナンドか。またぐずぐず泣いてやがるな。うっとおしい。
ゆっくりと目を開けると、案の定、爺さんとボッチ王子が2人並んで私を覗き込んでいるのが見えた。
「どうやって、身体作ったの?」
さっきまでの浮遊体経験が鮮烈な印象を残しているせいか、気になって仕方ない。私の第一声に、トザムはグッと喉を詰まらせる。
「言えませぬ。秘術でございますれば」
誰かの死体を引っ張ってきてたりして。トザムならやりかねない。それだけの力を持ってることはもう分かってるし、目的を達成する為の手段の選ばなさは折り紙付きだ。
「前と、同じ身体?」
「はい、そのように造り……い、いえ。何でもございません」
私とトザムの問答に痺れを切らしたのか、フェルナンドが「あの」と口を挟んでくる。
「本当に、本当のトワコさまですか?」
「なに、その頭悪い質問。ここで私がなんて答えたって、信じられるかどうかはフェルナンドの心一つでしょ」
「僕の名前を覚えてくれてる!」と再び感涙にむせび始めた王子は、ほっといて、と。
起き上がり、一番最初に調べたのは、自分のお腹まわりだった。……ああ~。お肉が戻ってる! 私の58センチ!!
「なんで、終盤の私のスタイルにしてくれなかったのよ?」
寝台から飛び降り、トザムに詰め寄る。
「殿下方お二人をはじめ、討伐隊メンバー全員の総意でございますれば。あの時のサカタさまは、あまりにも細すぎました。女性の魅力とは、柔らかな曲線美ですぞ、サカタさま」
「ジジイの価値観なんて知るか!」
髭を引っ張ってやろうと伸ばした手は、しわくちゃな手に阻まれた。
ひし、と私の瑞々しい右手をトザムは両手で握り締め、声を震わせた。
「なぜ、あの時私を庇われたのです。この術が成功せねば、あなた様は永劫、どこにも辿り着くことの出来ない半端な魂として、時空を彷徨う羽目になったのですぞ! それに、召喚魔法によって生成された身体ではないこの器。トワコさまはもう、この世界の人間になってしまわれた。二度と元の世界に戻ることは叶わなくなったのです」
「……マジっすか」
物事を深く考えたりしない私も、あまりの事実にそれ以上の言葉が出ない。
そうか。そんな目に合うところだったのか。
元の世界云々は、もういいや。もう一人の私よ。どうか、今までと変わらない感じで楽しく生きていって下さい。
「アルベルト王子はその事実を知り、半死人のようになってしまわれました。私は連日連夜、皆に何としてでもサカタさまを取り戻せ、と詰め寄られる始末。あ、あなたという人は、どこまでこの爺を、追い込めば気が済むのですっ」
ぽたり、ぽたり、と血色の悪い頬を涙がしたたり落ちていく。
「ごめん。悪かったよ、トザム」
それしか言えなかった。
トザムは、それを聞くとおいおい号泣し始めてしまった。何が悲しくて、爺さんの痩せた背中なんか撫でなきゃいけないの。不満は次から次へと湧いてくるのに、なぜか手は止まらない。
ふと、自分が寝ていたベッドの枕元に目をやる。
そこには立派な祭壇が設えられていて、思わず二度見してしまった。
祭壇の上には、山盛りの茄子が祀られていた。
私の視線に気づいたフェルナンドが、はにかんだ笑みを浮かべる。
「生前のトワコさまの好物だということで、皆がそれぞれ供えたのです。これ食べたさに戻ってくるかもしれないから、とレザが言い始めて」
あんなに気持ち悪がってたのに、無理しちゃって。
知らないうちに私の頬にも笑みが浮かんでしまう。
「そうそう、手に持った時の感触をなくす魔法布をミシェルが開発したんですよ! その手袋と、実そのものを違う物体に置き換える幻視眼鏡のおかげで、収穫はだいぶ楽になりました」
「そこまでして!?」
まあ、いいか。
私の半分の欠損は、これからこの世界で埋めていけばいい。願わくば、まともな部分が補填されますように。100%二次元脳はさすがに勘弁して下さい。
~ 後日談 ~
ようやく平和になった世界へと戻ってきた元・天才軍師サカタトワコは、トザムの養女として籍を持った。
「父様、と呼んでくれていいのですぞ」
生涯独身を貫いてきた偉大な魔法使いは、それは嬉しそうに笑ったが、少女は「年を考えろ、クソじじい」と吐き捨て、怒ったトザムに追い掛け回されていた。
二人はそれからも、何か事が起こる度に大喧嘩をしながら、結局は仲睦まじく暮らした。無詠唱でどんな魔法も自由に操ることの出来たトザムは、養女の前では何故か必ず、朗々と詠唱を唱えてみせた。
トザムが老衰の為、床についた晩年。その傍らには、常に娘がいたという。
本気でコメディのつもりで書きました。
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
【追記】
10/6の活動報告に、リクエスト小話を載せました。
蛇足でもどんとこい、な方だけご覧下さい。トワコがトザムの養女になるまでの話です。