6.さよならは言わない
私が黙りこくったまま何も言わないので、かわいそうに半分の頭じゃ理解できなかったのか、と心配になったらしい。第一王子とトザムはせっせと話の補足を始めた。
「姿変え、の魔法が分からぬのかもしれませぬな。ある人物にそっくりの姿に魔法で変身させる、という意味ですぞ、サカタさま。MAHOU、というのはですな」
「いや、魔王が混じった、という部分が分からないのかも。完全に乗っ取られたわけではなく、元の僕という人格を底に沈め、魔王の人格が表面化するという意味です。ええと、JINKAKU、というのは――」
「そんくらい知ってるわ! しかもなんでカタコト!?」
私は腰を浮かせ、力任せにテーブルを叩いた。
ところが石造りのテーブルは、トスッという間抜けな音を立てただけ。
漫画やアニメでこういうシーンが出てくるから真似してやってみたけど、手の平のひりつき具合が尋常じゃない。ジンジン痛みを訴えてくる両手を、そっと摺り合わせる。
二人はすぐさま口を噤み、気の毒そうな表情で私を見てきた。……この空気、どうしてくれよう。
「と、とにかく、今までの事情は分かった。巻き戻しは、どうして起こるのか。その調子じゃ、原因にも心当たりがあるんじゃない?」
「……はい。おそらく、王家の聖剣が原因か、と」
トザムは重々しく頷いた。
「建国王がお残しになった聖剣は、普段王城の地下に厳重に保管されております。陽の目をみるのは、王族の子が成人の儀を行う時だけ。そこで剣を抜くことが出来れば、男女に関係なく王位継承権が与えられるというわけです」
トザムの説明を受け、第一王子が自嘲の笑みを浮かべる。
「僕には抜けなかった。弟のアルベルトには抜けた。だから、この国を継ぐのはアルベルトの方だと誰もが知っている」
なるほど。
王道パターンだけど、アルベルトがいつも使ってるあの剣に、不思議な力が宿ってるというのは納得だ。じゃなきゃ剣をヒョイと掲げただけで、晴れた空から雷が落ちてくるなんて有り得ない。今は味方だからいいものの、敵に回したら私なんて黒焦げの死体になるまで5秒もかかるまい。
「これは、代々の王と大賢者にのみ伝えられてきた秘密なのですが『聖剣たばかる者あらわれし時、厳正な裁きが下り、始まりの刻へ連れ戻す』という伝承があるのです」
「口、かるっ」
「非常時ゆえ、王にも許しを頂いております!」
珍しくトザムがむきになった。爺さんのくせに、ほっぺ真っ赤にしちゃってさ。
元凶はあの聖剣か。
折っちゃえ。そんな危ない剣、もう折っちゃえよ。雷なしでも戦えるよ。アルベルト王子はやれば出来る子。
「それはなりませぬ。魔王に止めを刺せる、唯一の武器なのですから」
トザムの言葉が、私のなけなしの策に止めを刺してきた。
「――やはり、僕が死ぬしか」
「こうなったら、乗っとられないように心を強く持つしかないんじゃない?」
第一王子と私の声が、同時に発せられる。声は丸かぶりしたけど、発言内容は真逆だった。
小刻みに震える唇を歪め、第一王子は私に向き直った。
「何度も、死のうとしたのです。でも、出来なかった。あれほどの犠牲を出しておきながら、僕は空っぽのまま死んでいくのが怖かった。何度も何度も、血を分けた弟を殺しておきながら僕はっ」
「それの何が悪いの」
とうとう涙を流し始めた第一王子の頭を、スパーンと叩いてやる。弾みで、キラキラと涙の粒が宙に舞った。あら、綺麗。
「誰でも怖いわ! 当たり前だろ。死ぬのは怖くない、なんて台詞、自分の人生やりきったリア充だけに許された特権じゃねえか。寂しい、苦しい、ばっかの人生で終わるなんて糞だろ!」
「――サカタさ、ま」
「もう泣くな。うっとおしい」
ボロボロ泣きながら縋り付いてくる第一王子の背中を撫でながら、本音を口にする。
ふと隣をみると、なんとトザムも泣き始めていた。なんなんですか、この愁嘆場。私の今の台詞、ちゃんと聞いてた? この人たちの涙腺のツボが分かりません。
トザムと第一王子は、異世界の人間ならばこの巻き戻しから抜け出す為の斬新なヒントを与えてくれるのではないか、と期待していたらしい。
そんな大層なものは与えられそうにないが、最後まで一緒にあがいてやる、と約束した。
「魔族の実が怖いってことは、今は魔王は混じってないんだね」
「ええ。それはない、と思うのですが……」
今ひとつ自信がもてない、というように第一王子が目を伏せる。
「実は、私、あなたの名前が聞き取れないんだ。それも、魔王が関係してるのかな」
私の告白に、トザムは大きく息を飲んだ。
「な、なんと! それはいつから!」
「一番最初に会った時から」
ケロリとした顔の私とは対照的に、2人の顔色はみるみるうちに悪くなる。リトマス試験紙もびっくりの鮮やかな反応だ。
「それは今も、でしょうか?」
「分かんない。みんな殿下、って呼んでるし、あれっきり名前を聞いたことがないもん」
第一王子は、きつく両の拳を握り締め、私を見据えた。
「ではもう一度、名乗ります。僕の名前は――フェルナンドです」
「おお。今度は聞こえた!」
どうせまた、〇▽*#〇△% でしょ。たかを括っていたので、素で驚いた。
「本当ですか!?」
「うん。フェルナンド、でしょ?」
「……はい。そう、です」
感極まったのか、フェルナンドがぐずぐずとまた泣き始める。
「なんで急に聞こえるようになったんだろう」
「愛の力、ですかな」
トザムが髭を撫でながら、しんみりと言った。その得意げなドヤ顔にかなり苛ついた。
推測でしかないけど、魔王の器としての資格がなくなったのかもね。長年の悩みを打ち明けた挙句、美少女軍師に背中をよしよし撫でてもらえるなんて、ぼっち王子には過分の喜びであったことでしょうよ。リア充への道の第一歩を、彼は踏み出したのだ。
「僕は、今度こそ魔王に、弱い自分に打ち克ってみせます!」
「その調子で頑張って。いざとなったら、トザムが身代わりになるから」
「ふぉっ!?」
あ、バラしちゃった。
「最初からそのつもりで、この爺を連れて来られた、というわけですか」
トザムの目がすっかり座ってる。私も負けじと睨み返した。
「とーぜん。もう十分長生きしたでしょ。後進に道を譲れば?」
「ふぉっふぉっふぉ。グリュンゼンの至宝とまで謳われたこのトザム、ただでは死にませぬぞ!」
開き直ったのか、ついにどこか切れちゃったのか。
そこからトザム無双が始まった。
◇◇◇◇◇◇◇
「甦れ、炎神イフェルート。今こそ我と結びし誓約を果たせ。我に仇なすもの全てを焼き滅ぼせ!」
太い杖を素早く動かし、空中に煌々と輝く魔法陣を描き出す。
トザムの声に合わせ、今まで何もなかったところから水晶柱が次々と立ち上がってきた。
まだ魔王城に入ったばかりの大階段前なんですけど!?
「サカタさまっ。僕につかまって下さい!」
突きあがる数十のどでかい水晶柱が、瓦礫の山を築き、石煙を噴き上げさせる。アルベルト王子たちも、ミシェルさんが必死で張っている防衛魔法の球体に慌てて駆け込んでる。私もフェルナンドの張った結界で守られた。味方がこんなに慌てふためいているというのに、トザムはちらとも振り返らない。
なにあれ。めっちゃかっこよく詠唱しちゃってんじゃん!
ここにきてようやく味わえる興奮が、トザムによってもたらされてることには涙を禁じえないけどなっ。
「まさか禁呪まで持ち出すとは……」「これが、トザム様の真価か」
ブレダさんと騎士団長さんがそんなことを呟いている。
いつの間にか大きな城を包むように立ち上がっていた水晶柱のてっぺんを、細かな金糸が渡り始めた。複雑なレース編みのように築かれた美しい天蓋は、よく見れば金色の炎を纏っている。
「包め、燃やせ、灼熱炎華っ!」
トザムが一際高く杖を振り上げ、叫んだ次の瞬間。
結界越しにも鼓膜が破れそうなほどの爆音が轟いた。ビリビリと空間自体が震え、視界一面が真っ赤に染まる。目まで焼けてしまいそうで、思わずきつくまぶたを閉じた。
どのくらい振動は続いただろう。
ようやく静かになったので、恐る恐る目を開く。
そこには、ギラギラと光る眼をしたトザムだけが立っていた。魔王を除く全ての敵は、灰燼に帰されていた。
――最初から本気だせよ、爺さん。
廃墟と化した魔王城。
たった一人で豪奢な玉座に腰掛け、私たちを待ち構えていた魔王の声は震えていた。
「なぜ、お前がここにいる!」
「ここにおられる軍師殿に、無理やり引っ張り出されましてのう。王都の守りが薄くなってしまったのが心配ですので、すぐにでも戻りたいのですが」
のんびりしたトザムの声を受け、魔王がキッと私を睨む。
羊さんのような角を持つ魔王は、全身真紫色の肌をしていた。フェルナンドの話は、喩えじゃなかったんだ、と私は妙に感心してしまった。
「小娘が……。余計な真似をしおって! 我の次の器をたらし込んだのも、貴様か」
凛とした眼差しで魔王を見つめ返すフェルナンドに、もはや隙はない。
「勝ったらサカタさまと接吻、勝ったらサカタさまと接吻」
小声でぶつぶつ唱えてなかったら、完璧に絵になったんだけどね。どうやら、魔王への恐怖を煩悩で追い払うことに決めたらしい。ちなみに、そんな約束はしていない。妄想って怖い。
「そうだ。私だ、茄子王よ」
「ナスオ? 珍妙な名で我を呼ぶでない!」
「かくなる上は、問答無用! 最初は目新しくて旅も面白かったけど、私ももう家に帰りたいし、とっとと滅びちゃえ!」
大声で叫んで、アルベルト王子の背中を突き飛ばす。
「うおおおおおおおっ」
最初はポカンとした顔をしたアルベルト王子だったけど、転びそうになるのを踏みとどまってそのまま聖剣を構え、魔王へと走っていった。
「援護しますっ」
魔道士2人がアルベルト王子を守護する為の詠唱に入り、レザの弓が魔王から放たれる暗黒弾を次々と打ち落としていく。騎士団長とダール、そしてリックも一斉に地を蹴った。
「人間風情が! 小癪なああああっ!!」
魔王も負けじと暗黒パワーで対抗してきたが、今の器がすでに限界にきていたのだろう、砂のように体が崩れ落ちていく。
あと少しで、倒せる。
その場にいた誰もが、勝利を確信したその時。トザムがよろめき、膝をついた。
長旅でやせ細った枯れ木のような身体に、使った魔法は重すぎたらしい。
「トーザームーッ!」
怨嗟に満ちた気色の悪い断末魔を響かせ魔王の体が消えたのと、黒い影がトザムを襲ったのは同時だった。
身代わりにしようと思ってた。
こっちの事情なんてお構いなしに、とんでもない世界に、しかも半分だけ呼び出してくれやがったクソジジイなんて、死んでもどうってことないと思ってた。
でも、そうじゃない、と気づいてしまった。
消えるのなら、私。
半分だけの私だ。
元の世界には、真人間になった私がいる。親不孝もせず、彼氏とか作って、勉強も頑張って、十年後には子供とか産んでるかもしれない。羨ましい、とは思わなかった。こっちの私だって、やりきった感でいっぱいだ。
「しつこいんだよ、このクソ魔王っ!!」
思い切りジャンプして、トザムを突き飛ばす。
床をみっともなくゴロゴロ転がっていくトザムと、ほんの一瞬目があった。
しょぼくれた細い目が、驚愕のあまり全開になっていた。
全身を焼け付くような痛みと不快感が襲う。
黒い影に覆われ、ドロドロとしたヘドロのような汚いものが私の心にも流れ込んでくるのが分かった。
「アルベルト、今だ! 私ごと聖剣で魔王を封じて!!」
「――――――うそ、だ。こんなの、嘘だ」
「ほうけてないで、剣を握れ、アルベルトッ!! 殺すわけじゃない、私は元の世界に帰るだけだからっ!!」
時間がない。
もう、時間が。
「――うわああああああああっ!!!!」
ドスッ。
熱くて燃えてしまいそうだった体の一部、そう胸のあたりにひんやりした金属を感じた。薄荷のような爽やかな感触に、目を細める。ボタボタとこぼれる血の音さえ、音楽のように響いた。
「トワコさまあああああっ」
泣き叫ぶフェルナンドとトザムの二重唱。それが、なんちゃって軍師だった私が最後に耳にしたものだった。