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夏祭りと小さな魔法

作者: 生ビール


 つい先程まで降り続いていた梅雨明け前の最後の雨が、校庭の赤土に染み入り、生暖かい蒸気となって、足元に纏わりついていた。

「啓一、お前さあ、最近元気ないじゃん。スランプ? あー、ひょっとして恋ワズライとかいうやつなんじゃねえの」

「バーカ、関係ねえよ」

 校庭のぬかるみを避けながら、啓一と良太は肩を並べて校門に向かっていた。明日からいよいよ夏休みに入る。

「でもよ、お前最近何かよくボーとしてるぜ。いっつも香澄に見とれてるからじゃねえの。ケッケ」

 良太の明るく変則的な笑い声が、曇天の空に響いた。

「うるせえよ」

 啓一は持っていた傘で、良太の腹を軽く突いた。

「おっ、このヤロー、やりやがったな。さあ来てみやがれ!」

 良太は自分の傘で啓一の傘を払い、チャンバラを挑むように構えた。

 子犬の兄弟がじゃれ合うような下校風景は、二人が小学校に入学してから六年生になった今まで、変わらず続いてきた。啓一と良太は幼稚園からの親友、いわゆる幼馴染だ。

 性格はむしろ真逆。慎重でどこか大人びた雰囲気を持つ啓一は、仲間内では一目を置かれながらも、少し敬遠される存在。他方、良太は天真爛漫を絵に描いたような性格のムードメーカーだ。

 背格好も、背が高くで痩せぎすと言えるほど細い啓一に対して、良太はコロコロと坂道を転がって行きそうな程全身が丸い。全く対照的だ。

 成績では、啓一は常にクラスでトップ。来春、県下随一の名門私立中学である明星中学合格を目指している。良太の方はと言えば、どう贔屓目に見ても中の下、だが授業中の発言回数だけは断突で一番を誇っている。もっとも、先生の質問に対する正解率は、プロ野球の横浜ベイスターズの勝率とトントンだ。


「お前さあ、もし魔法で一つだけ願いを叶えてもらえるとしたら、明星合格と香澄とのデートのどっちを選ぶ?」

 二人の自宅がある団地へと続く石の階段を下りながら、良太が啓一に訊いた。

 丸顔の鼻の頭には、大粒の汗がたくさん浮かんでいる。

「魔法? 何だ急に、くだらねえ。あ、お前、早速ハリポタに影響されたんじゃねえの? だっせー」

 二人が通う小学校では、終業式が終わると全校生徒が体育館に集まり、映画を鑑賞するということが慣習になっている。

 今日上映されたのは、ハリー・ポッターシリーズ第二作「ハリー・ポッターと秘密の部屋」だった。

 上映前に壇上に立った教頭先生が映画名を告げると、低学年の生徒を中心に大きな歓声が上がった。良太は、渋い顔で「くっだらねえな」と横に立つ啓一に同意を求めた。

 しかし、いざ映画が始まると、丸い瞳を爛々と輝かせて、誰よりも真剣に食い入るようにスクリーンを見つめていたのは、誰あろう良太だった。

 啓一は、そんな良太の無防備な横顔を盗み見しながら、笑いが漏れるのを堪えていた。

「バカ関係ねえよ。でもさ、魔法って便利だよな、何でもできちゃうんだもんな」

 そんな何の衒いもない、ストレートな心の呟きを声にできてしまうところが、半分からからかわれながらも、良太が皆から愛されている理由の一つだ。

「で、どっちだ? 明星か? 香澄か?」

「どっちも選ばねえよ、そんなもんに誰が頼るか。俺は実力で勝負するの」

 鋭角に切り立った横顔のまま、啓一が吐き捨てるように言った。

――でも……本当に、そう言えるだろうか。

 最近の模擬テストでは、二回続けて偏差値を下げている。明星合格のボーダーライン上まで落ちてきてしまった。

 スランプだ。だが、スランプは今まで何度も克服してきた。

 しかし、問題は……今浜香澄。

 同じクラスの香澄のことが急に気になり始めたのは、ほんの些細な偶然がきっかけだった。

 二カ月前のこと。強風によって舞い上がった砂塵が、校庭を横切ろうとしていた啓一の眼の中に入った。急いで水飲み場で眼を洗い、まばたきに支障がないことを確認した後、啓一はポケットからハンカチを取り出そうとして、家に忘れてきたことに気付いた。

 その時、目の前にさっと淡い水色のハンカチが差し出された。

「はい、これ」

 同じクラスの今浜香澄が、小さな微笑と共に立っていた。

 大人だったらきっと「一瞬で恋に落ちた」とか「惚れてもうた」とか言うのだろう。

 その日を境に、無意識に香澄を眼で追うようになってしまった啓一の異変に、良太が気付かないはずがなかった。厳しい追及の末、啓一は思わず胸の内を明かしてしまった。

「そうか、お前にしては上出来だ。だがな、香澄には隠れファンが多いぞ、うちのクラスでは間違いなくベスト3には入るからな。つまりお前のライバルはかなり多い。心してかかれ、ケッケ」

 啓一の尋問に成功した良太は、啓一の背中を勇気付けるように叩きながら、いかにも愉快そうに笑った。

――もし、香澄とデート……とは言わないまでも、二人きりで話すことができたら……。

 あの日以来、妙な意識が働いて、香澄の前では普段にも増して無口になってしまう自分自身を啓一は、歯痒く思っていた。

 しかし、啓一には成す術がなかった。というよりも、何を成せばよいのかすら全く検討がつかなかった。

 啓一は、階段の途中で足を止め、無意識に中空を見上げた。

――もしも、今浜と二人で話すことができたとしたら……。

 前を歩いていた良太もつられて立ち止まる。

 良太は振り返り、意識が空中散歩を始めてしまった啓一の様子を暫く見守った後、両肩を上げて、大きく一つ溜息を吐いた。



 夏休みに入って一週間、今日は夏祭りの日だ。梅雨はもうすっかり明けて、日中は本気モードの陽射しが、これでもかと降り注ぐ。

 やっと日が落ちて夕方になっても、暑気は尚地面にしがみ付いたまま、立ち去る気配を微塵も見せずにいた。       

 それでも子供達は、暑い暑いと汗を拭いながら、その表情は一様に朗らかに緩んでいる。夏はいつの時代も、子供が一番好きな季節だ。

 地元の町内会主催の<盆踊り大会>は、小学校の校庭を借りて、毎年この時期に開催される。

 啓一と良太は毎年この祭りで、ラムネを飲み、焼き鳥や焼きとうもろこしを食い、集まってきた学校の友達と共に、この日だけ許される夜更けまでの語らいに興じることを、楽しみにしている。

「良太、今年は焼き鳥早めに買おうぜ。去年はすぐ売り切れちゃったからさ」

「ああ」

「で、佐々木や相川とは、どこで落ち合うんだ? あいつらいつ来るって?」

「ああ……えっ?」

「何だよ、お前。早くも夏バテか? 全然気合入ってないじゃん」

 啓一が良太の頭を軽く小突く。普段は振り切れる程の高いテンションで盆踊りに臨む良太の様子が、どこかおかしい。

 子供会の父兄有志が運営する出店の前で、良太がデニムの半パンツのポケットからおもむろに小銭を取り出した。そして、啓一に向かい、やや早口気味に言った。

「啓一、悪いけど俺のラムネ買ってきてくれない? 俺、鉄棒のところで待ってるから」

「えっ、何で?」

 啓一の応えを待たずに、良太は校庭の隅に設置されている鉄棒の方へ、早足で遠ざかって行った。

 校庭の中央に設置された櫓の上から発せられる和太鼓の凛とした響きが、盆踊りの開始を告げた。

 啓一が二本のラムネを手に鉄棒まで歩いて行くと、良太は小さく「ありがとう」と言い、一本を受け取った。顔には、らしくない緊張の色が浮かんでいる。

「啓一さあ、目を瞑ってみな」

「はあ?」

「いいから、騙されたと思って」

「お前今日何かおかしいぞ、何を企んでる」

「いいから、目瞑ってみろ」

 良太の真面目な表情と、言葉の勢いに押されて思わず啓一は目を閉じた。

「そして、『今浜香澄に会えますように』って祈ってみな」

「何くだらねえこと言ってんだ」

 啓一は目を開けて、良太を軽く睨み、ラムネを咽の奥に流し込んだ。

「バカ、目を開けるな。しっかりと瞑って、祈ってみろ」

「何でだよ」

「何でもだ」

 良太の瞳が、普段の彼、特に授業中の良太からは想像出来ないほどの真剣な色を帯びている。

「うるせえな……わかったよ」

 そして、啓一は不承不承という態度を顕に、再び両瞼を合わせた。

「今浜香澄に……会えますように」

「よし、目を開けろ」

 瞼を開いた啓一の瞳に、札幌のクラーク博士像のように、右手を真っ直ぐに伸ばして颯爽と立つ良太の姿が映った。

 啓一は思わず良太の右手の先に視線を移した。校庭の奥にあるジャングルジムの右隣が、早朝の日溜りのように、薄く明るく浮かび上がっている。

「……香澄」

 白地に薄いピンクの花の柄が入った浴衣を着た少女がいた。俯きがちに恥ずかしそうに小さく微笑を浮かべ、胸の前で遠慮がちに掌を振っている。

「いいか啓一、魔法は一回きりだ」

 良太は真面目な顔でまっすぐに啓一の瞳を覗き込んだ。

「もう一つの夢はお前が実力で掴み取れ。わかったな」

 そして、破顔一笑した。

 底抜けに明るい笑顔だった。

 良太は、ポンと啓一の背中を押すと、出店の前の人込みに向かって転がるように走り出す。

「え? おい、良太」

 啓一は良太の黒いTシャツの後姿を呆然と見送った。

 チョロQのような小さく丸い背中が、色様々な浴衣の海に紛れて消えた。

「あいつ……余計なことしやがって」


 浴衣の海を暫く見つめた後、啓一はゆっくりと振り返った。

 良太がかけた小さな魔法は、まだ解けてはいなかった。日溜りは、まだそこに留まってくれていた。

 でも、足が痺れたように動かない。啓一は、右足を両腕で抱えるように持ち上げようとした。

 恥ずかし過ぎて前は向けない。

 しかし……。

――まずい、眼玉が急に重くなってきた。

 啓一は急いで、空を見上げるように、顔を上げた。霞む視界に、陽が完全に沈む直前の真夏の空の色が映った。白から濃紺まで連なる色に橙が幾重にも織り交ざっていてとてもきれいだ。

「……香澄みたい」

――あっ……言っちゃった。

 啓一をからかう良太の人懐っこい笑顔が、一瞬夜空の中に浮かんだ気がした。

 全身を覆っていた緊張が徐々に解れていく。

 啓一は、大きく深呼吸をすると、ジャングルジムに向かって、少し大きく足を踏み出した。

  

        <  了  >

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