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05.


 予想に反してその部屋は、とても綺麗に掃除されていました。

 物語に出てくる魔女は魔法使いの塔のように、怪しい実験道具やら本やらが散乱しているのを密かに想像していた私は、アーシャさんに気づかれないようにそっと息をはきました。


「戸口で立ち尽くしてないで、早く中に入んなさいよ」

「あ、はい」


 慌てて扉を閉めて、アーシャさんがいる机まで歩きました。

 部屋の壁には本棚がいくつも並んでいます。隙間なく並んでいる本全てが、辞書並みの厚さです。

 本は机の上にも幾つか並んでいました。こちらはやや薄く、雑誌ぐらいの大きさです。

 部屋の中は蝋燭が点いていません。それなのにとても明るいです。天井近くで光る球体は、電灯に良く似ていますが魔法なんだそうです。


 机の近くまで行くと、椅子に座ったままのアーシャさんが「で、用は何?」と聞いてきました。

 座っているせいで顔の位置が近い事に違和感を覚えつつ、私は本題をきりだします。


「明日、ティナちゃんとお花見してきていいですか?」

「花見? ああ、そういえば今リーネが開花してるわね。ティナが誘ったの?」

「はい」

「懐かれたわね」

「はい?」

「いいわ。たまには洗濯以外で日の光を浴びてらっしゃい。じゃないとそのうちカビ生えるわよ貴女」

「生えませんよ。……でもこの世界のカビってそんなに強力なんですか?」


 ここは異世界です。私の常識を覆すものがあってもおかしくありません。少し不安になって聞いてみたら、アーシャさんは答えの変わりに拳を頭にくれました。


 ………痛いです。


「昼食はどうするの?」

「あ、お弁当作って持ってくつもりです」

「貴女達じゃなくて、あたしの」

「…ですよね。ええと、私がお世話になる前はどなたがご飯作ってたんですか?」

「ティナか、レインね」


 レインというのは、もう一匹の猫さんです。この子は男の子で、ティナちゃんと同じように人型になれるそうですが、私はその姿を見た事はありません。


「アーシャさんはお料理は」

「ゆでるのと焼くぐらいならやるわよ。消し炭にするのと粉々にするのは得意ね」


 ……後半が物凄く料理に関わらない事のように思えたのですが、とりあえず笑って誤魔化します。 


「…お掃除と裁縫はお上手ですよね」


 実際、私が頂いた服は全てアーシャさんの手作りで、怖いぐらいサイズがぴったりです。

 お掃除も隅から隅までの徹底派なので、私がするといつもお小言を貰います。

 

「貴女よりはねぇ」


 ……はい、すいません。

 お裁縫、物凄く苦手です。初めて五秒で針を手に刺す粗忽者です。

 もう一度笑って誤魔化しつつ、何とか話を本題に戻します。


「…昼食は作り置きして置いておきますので、時間になったら用意だけレインくんにしてもらってください」

「ん、わかったわ」


 これで明日はピクニックです。でもお弁当と朝食、昼食分を作らないといけないので、いつもより早く起きなきゃまずそうです。


「じゃ、失礼しました」

「ああ、ちょっと待ちなさいスミカ」


 無事用件も話し終え、さあ部屋を出ようとした矢先、アーシャさんに何故か呼び止められました。

「何ですか?」と聞いてみましたが、彼は何も言わずに私の全身をじっと眺めています。別段おかしなとこもないはずなのに、どうしたんでしょうか?

 

「アーシャさん?」

「ちょっと黙って。今どこが一番いいのか考えてるんだから」

「は、はい」


 条件反射的に返事をしても、「どこが一番いいのか」が何を指してるのかさっぱり分かりません。ただ、考え事をしている時のアーシャさんは、邪魔しないほうがいいそうです。これはティナちゃん情報なので間違いないと思います。


 アーシャさんはしばらく私の全身を眺めた後、結論が出たのか手招きをしました。その顔はとてもいい笑顔です。あまり良い予感がしないのは私の気のせいでしょうか。


 恐る恐る近づくと、アーシャさんは私の右手を急につかんで引っ張りました。

 当然私はバランスを崩し、もたついた足を立て直せないまま前のめりに傾いて彼にぶつかりそうになりました。――――その時です。


「きゅあっ?!!」


 がぶり。現実としてそんな音はしませんでしたが、聞こえたような気がしました。

 アーシャさんが支えてくれたため、結果的に私は激突を免れましたが、そのかわりに首に噛みつかれました。いきなりです。予告なしです。口が開いて歯が見える瞬間がやけにスロー再生でした。

 犬歯がとても尖っていたように見えたのは幻覚だと思いますが、とにかくホラーです。


 アーシャさんはまるで吸血鬼のように私の首筋に歯を立てると、その場所をぺろりと舐めてから唇を離しました。時間にして凡そ数秒の出来事です。

同時に支えてくれていた手も離れたので、私はその場に滑るようにしゃがみこんで――――椅子の角に鼻をぶつけました。


「っ!!」


 とても、いたいです。低い鼻が更に低くなったような気がします。


「………七十点」


 頭上でアーシャさんの謎の呟きが聞こえました。

 ななじゅってん。それって何の点数ですか。


「貴女ねえ、もう少しいい反応を見せないさいよ、いい反応を……何、どうかしたの?」

「………はにゃ、ぶつきゅえまひた…」

「………」


 顔を上げたら、すごく痛い子を見るような目とガッチリあってしまいました。今のは断じて私がどんくさいわけではなく、急に手を離したアーシャさんに非があるはずです。

 でもそんな事を言えるわけがありません。彼は家主であり、私はお情けでお世話になってる異世界人です。


「………えっと、いい反応って、何のこと、ですか?」


 ようやく鼻の痛みがひいてきた私は、その場に立ち上がりました。ああそういえば、さっき首筋に噛みつかれたんだっけと思い出すと、急に噛まれた場所が痛むような気がします。


 正直鼻をぶつけた痛みで、殆ど噛みつかれた事実がとんでました。


「………もういいわ。今のはね、貴女に印をつけたのよ」

「………印、ですか?」

「そう。はい、鏡」

「あ、どうも」


 差し出された手鏡を反射的に受け取って、噛まれた場所を見ると、あら不思議。

 そこにはどうみても歯形にみえない変なマーク……トランプのダイヤのマークを少し複雑にしたような感じのものが、ペイントしたようにぺったり張り付いていました。

 噛み付いただけなのに、なんと早業なことでしょう。


「貴女は特異体質だって、この間話したでしょ?」

「はい」

「この森の中にいて、あたしが把握できない個体が唯一貴女だけなの。原因は不明だけど、異世界人には特異な傾向がみられがちだから、そのせいでしょうね」

「………へえ。そうなんですか?」

「その印は、貴女を見失わないようにする目印と同時に、この森にすむ獣達に対する警告でもあるわ。その印がある限り、スミカは捕食対象にはならないって事ね」


恐ろしい事をさらりと言うので、危うく聞き逃してしまう所でした。


 そう、獣の存在がありました。

 この森は人間が立ち入らないために弱肉強食のピラミッドが実にバランスよく保たれてるそうです。一番上にいるのはもちろんアーシャさんですが、その次が肉食の獣達で、彼らの獲物に人間も入ってしまうのです。

 いえ、更に言うなら人間は全て侵入者として、狩りの最優先事項になるんだそうです。

 この話を聞いた時、はじめの時によく出くわさなかったなと、自分の運のよさに胸をなでおろしました。


 マークがあれば平気と言う事で、安心してピクニックにいけます。アーシャさんには感謝です。でも噛み付く必要性があったのは激しく疑問です。


「ありがとうございます」

「別に。言ったでしょう。目印なのよ、貴女が逃げ出した時すぐにわかるように」


 お礼を言うとアーシャさんは片眉だけあげて居心地悪そうに言いました。その表情は私がお礼を口にするたびにみられるので、きっとお礼を言われ慣れてないせいだと思います。

 そんなアーシャさんは少し可愛いと思います。が、もちろんそんな事言いません。私も命は惜しいです。



「貴女、元の世界に戻りたくないの?」

「え?」


 その急な質問に、思考が対応するまで少しかかりました。

 元の世界に戻りたくはないか。もちろん、戻れるものなら戻りたいです。


「戻る方法あるんですか?」


 逆に聞き返すとアーシャさんは一瞬だけ口ごもりました。でも、本当に一瞬です。


「あるわよ。召喚術があるんだから、送還術だってもちろんね」

「へええ。すごいですね、考えた人」

「一番最初は術式間違いの事故で、偶然できた術だったらしいけどね。しばらくは一方的に呼び出す術ばかり研究されて、犠牲になった異世界人も何人かいるはずよ。そのうちの一人が元に戻る方法を探して、知識の賢者から送還術を貰った、って言う話」

「御伽噺みたいですね」

「まあ実際御伽噺になってるわね」


 話が一旦途切れました。

 アーシャさんは心の中まで覗き込むように、私の目をじっと見つめます。


「元の世界に、戻りたいです。方法があるなら」

「あたしが今すぐ戻してあげるって言ったら?」

「………即答で返事したいですけど、今すぐは駄目ですよ。明日ティナちゃんと約束がありますから」

「今すぐ。この機会を逃したら二度と戻してあげない、と言ったら?」

「……約束は破りたくないです」


 戻りたいのは本当です。急にいなくなった私に、両親はきっと心配してると思いますし、仕事だってほったらかしのままです。まあ、既に三週間無断欠勤なので、今ごろ席がなくなってるかもしれませんが。

 でもティナちゃんとの約束を破りたくありません。せっかく誘ってくれた彼女を、裏切るようなまねはしたくないのです。

 例え、帰ってしまえば二度と会わないと言っても。


「冗談よ。今すぐは無理ね。準備もしてないし」


 重くなりかけていた空気が、その一言で軽くなった気がしました。知らずほっと息をはくと、アーシャさんは私の頭を数回撫でました。


「それに、あたしも貴女の事結構気に入ってるの。タダでなんか帰してあげないから。良く覚えておきなさい」


 この言葉には、お礼を言うべきかどうか迷いました。

 気に入ってると言う言葉は嬉しかったのですが、何を要求されるのかが激しく気になる所です。

 当面は今までどおり、この生活が続くんだと言う事はわかりました。そして私が、それを嫌だと思ってない事も。


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