04.
いつの時代も、開き直る事が道を開く事もある。
* * *
「本当、スミカさんは運が良かったんですよ」
この世界の猫さんはおしゃべりです。いいえ、もしかすると彼女ともう一匹が特別なのかもしれません。
それに、アーシャさんの家の猫さんはとても器用です。さっきお茶を飲む時も、尻尾で薬缶を持ってきてくれました。触らせてもらいましたが、別段普通の猫と同じ尻尾です。
毛足は短くスマートな猫さん達は、アーシャさんの使い魔なんだそうです。彼が二匹の猫を「下僕」と紹介した時のブーイングは、結構見物でした。
アーシャさんはこの森を住処とする偉大な魔女さんです。男の人でも魔女って言葉を使うのかは疑問ですが、とりあえずそれは胸のうちにとどめました。
アーシャさんの所で生活を始めてから、三週間ぐらいが過ぎました。
正確な日数ではなく、大体ですが。日々覚えることがいっぱいで、加えて食事や洗濯や掃除におわれ、あっという間に時間は過ぎていきました。
寧ろやる事がいっぱいあったので、細かく色々考えることはありませんでした。
私の日常は概ね良好です。最初の頃は、パンを焦がして怒られましたが、今では窯のくせも把握して綺麗なパンが焼けます。
料理の味付けも、少し濃い目になりました。私自身は薄味が好きなんですが、私基準だとアーシャさん曰く「味がない」そうです。
材料は、知らないものあれば良く知るものもありました。調味料も同じような感じです。やっぱりオーブンや電子レンジ。ガスコンロはありません。
なくなってみて初めてありがたみを知るとは、よく言ったものです。
でもない状態に慣れてしまうと、それほど不便も感じなくなりました。
アーシャさんは大体自室か書庫に篭っています。食事の時に扉の外から呼びかけると、すぐに出てきてくれるので中がどんな風になってるのかは知りません。
最初の頃は機嫌を損ねればすぐにリアルに首が飛ぶと思っていましたが、そんな事はありませんでした。失敗するともちろん怒られますが、特に暴力を振るわれるわけでもなく、大概すぐに許してもらえます。最近では怖いというよりも、何だか不思議な人だと思います。
今は食事が終ってお皿洗い中です。
二匹いるうちの一匹、女の子のティナちゃんが手伝ってくれてます。
最初のうちは、手伝うと言われても猫がどうやってと思ったものですが、今ではすっかり慣れてしまいました。
使い魔である彼女達は人の姿になれるんだそうです。いつもは猫の姿のままですが、洗い物の時だけ人型になって食器を拭いてくれます。
人の姿になったティナちゃんは銀髪に青い瞳の、お人形さんみたいに可愛い女の子です。
彼女と過ごすこのひと時は、私の中で密かに癒しの時間です。
この世界に引っ張り込まれた時の痛みに比べれば、猫が喋ったり人になったりするのは可愛い事だと思います。私があまりにも現状になじみすぎてるので、アーシャさんに「もう少し取り乱すもんよ、こういう時は」と諭されたほどです。
でも、取り乱したら取り乱したでアーシャさんに殺されてしまいそうな気がするのですが、その辺どうなんでしょう?
そう聞いてみて返ってきたのが、先ほどのティナちゃんの言葉です。
「まあ、運がいいとは自分でも思ってますけど」
「マスターが人間を館に招き入れるなんて、今までほんとになかったんですよ! マスター人間嫌いですから、侵入者は問答無用で排除するし」
「……そうみたいですね」
実際それを目の当りにはしていませんが、この森に入る人間は、問答無用でアーシャさんが【狩る】そうです。
森と言っても、外に一番近い場所程度なら彼は何もしないそうです。狩の対象になるのは、アーシャさんが定めた線を越えてしまった人達。
「どうしてその人達は、危険だと分かってる領域を侵すんですかね?」
「領域内には、人間達の間で高く取引されてる薬草がたくさん生えてますし、中央にある遺跡には古代の人間の宝が埋まっているとという話ですから。マスターの怖さを知らない他所の国の人間が後を絶たないですよ」
「………遺跡って、あの壊れた石壁ばかりが点在するあそこですか? 何にもなさそうでしたけど…」
「ええ。宝なんてでたらめですよ。あそこには何にもありません」
だったらどうして教えてあげないんですかと言おうとして、止めました。新参者の私が口を出す話ではないと思ったからです。彼らがそれを外の人間に教えないのなら、それなりの理由があるのかもしれませんし、逆に教えても入ってこようとするなら、それはもう仕方ありません。
「スミカさん、明日一緒にお散歩しませんか?」
「え?」
急な話の転換についていけず、そう問い返すと隣でティナちゃんがにこりと笑いました。
「リーネという花が、丁度見ごろなんです。群生してる場所なんてため息ものですよ! 行きませんか?」
「え、でも、アーシャさんが森から出てはいけないって」
「リーネの花畑は森の中です。それに森から出てはいけないだけで、家から出るなとはマスターも言ってませんし。私が一緒に行くんですから大丈夫ですよ」
「そう、ですか?」
そう言われてみれば、確かにそうだったような気もします。
いつの間にか私は、森の中どころかこの家から離れたら命がないと思っていたようです。
それに加えて、外にあまり興味が湧かなかったのもあったのでしょう
「……あの、じゃあ行きたいです。お願いします」
「ええ! お弁当もって行きましょうね」
お皿を抱えてそう言ったティナちゃんに、私は笑顔で「はい」と答えました。
ピクニックなんて久しぶりです。
それにこんな可愛い子と一緒にお散歩なんて、人生初です。もしかしたら一生なかったかもしれないと思うと、明日がものすごく楽しみになってきました。
ああ、でもやっぱり一応、アーシャさんに許可を取ったほうがいいかもしれないので、食器が全て片付いたら、彼の私室にいってみたいと思います。




