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03.


 順応力、それも或いは幸運と呼ぶべきだろう。






 * * *






 木の上で寝たというのに、夢の中は妙にふわふわしていました。


 綿飴のような雲は、しかしべとべとではなくさらりとした感触。思わず飛び込んでしまいたくなるほど魅力的です。

 夢の中なのだから迷わず飛び込んでしまえばいいのに、私は現実と同じように少しだけ迷って、結局雲の上にダイブしました。


 ふうわり。私の体を受け止める雲の柔らかく優しいこと。

 夢である事は分かっていましたから、このまま永遠に覚めなければいいのにと思いました。


 けれど、神さまと言うのは意地悪なものです。


 そう思った途端、目の前の雲は薄れて消えてしまいました。そして目を開けた私の目の前には――見知らぬ男の人の顔。


 私は数回、瞬きを繰り返しました。男の人はなんだか楽しそうな顔で私の顔を見ています。

 それから少しして、目が覚めた事に気がつきました。そして自分が木の上ではなくベッドに横になっているという事実にも。


「目が覚めた?」


 男の人は瞬きを繰り返す私にそう言いました。

「はい」と答えると、「じゃあ起き上がりなさい」と言われ、手を差し出されました。

 何故手を差し出されたのか良く分からなくて、私はまた数回瞬きました。


「寝ぼけてないで早くしなさい」

「あ、はい」


 男の人の口調は、まるで子供を叱る親のようです。

 咄嗟に返事を返して、その場に起き上がると彼はさらに怒りました。


「せっかくあたしが手を貸したのに、使わないで起き上がらないでよ!」

「すいません。ありがとうございました」


 謝ってお礼を言って、そして男の人には不似合いな口調にまた瞬いてしまいました。

 低い声に「あたし」という一人称は似合いません。まあ、でも世の中には「ぼく」や「おれ」という一人称を使う女性もいます。本人の自由意志による事に、わざわざ口を出す野暮な人間にはなりたくありません。


「まあいいわ。貴女、ここがどこだか分かる?」

「知らない方の家の中です」

「………じゃあこの家がある場所が、どこだかは?」

「寝る前の記憶が正しければ、知らない森の中でしょうか」

「どうして森の中にいたかは?」

「自宅で正体不明の光に襲われて、激痛にのたうちまわってる内に森の中に移動させられた感じでした」

「もうちょっと詳しく話しなさい」


 男の人の言葉に従うまま、私はその時の状況を思い出しながら、できるだけ細かく説明しました。

 地面が揺れたこと。光が体を包んだ事。足から頭のてっぺんまで、余すことなく激痛に襲われた事。血管が膨れ上がって浮き出ていた事。

 話し終わると、男の人は呆れたような目で私を見ました。

 普通に考えるとありえない話なので、嘘をついてると思われたのかと思いましたが、どうやら違うようでした。


「………それ、血を媒介にした、界をこえる為の召喚魔法ね」

「召喚魔法?」


 魔法なんて、本の中だけでしか見ないような単語です。


「異世界の人間を召喚する方法の一つよ。確実に個人を特定して召喚できるけど、そのためには召喚したい異世界人の名前と血、もしくはその血族の血が必要で、使う魔力も半端ないはずよ」

「血族の、血」


 御伽噺を聞いてるような気分でしたが、その単語だけははっきりと頭に入ってきました。

 血族。その言葉を聞いた途端、浮かんだのは何故か姉の顔。


「それに、この術式は召喚対象者と術者の間に、呼応と呼ばれる前儀式が必要なの。それを無視して術を行った場合、召喚対象者は激痛に襲われるわけ」

「………」

「そうなった対象者はたいてい気がふれるから、人間達は禁呪とか言って大分前に使わなくなったはずだけど。まだ使えるやつが残ってたのねえ」


 気が触れなくて良かったなと、男の人の解説をききつつしみじみ思いました。それにしても何故、私はそんなもののターゲットにされたのでしょう?異世界なんて存在する事すら知らなかった所に、知り合いなんているわけがありません。

 それに名前と、血族の血。

 それらを踏まえると、何度考えても犯人は姉の顔になりました。ですが姉は魔法なんて使える人種ではなかったはずです。それに、そんな酷い事をされるほど姉と仲が悪かった記憶はありません。


「寝てる間に殺してもつまんないから、起きるまで待ってたけど」


 考えにふけるわたしの前で、男の人はさらりと物騒な事を言いました。

 寝てる間に殺してもつまらない?

 それは………それはどういう事ですかと、問おうとしても声が出ませんでした。召喚術とやらを丁寧に解説してくれた人ですから、なんとなくいい人なんだなと思っていた自分を殴りたい気分です。


 世間話をするような軽い口調に背筋が寒くなりました。

 つまり、殺すと言う言葉を軽く言えるほど、目の前の人物は危険な人種なのです。

 一難去ってまた一難。なんて世知辛い世の中でしょう。


 男の人は何かを考えるようにじっと私の顔を見つめました。


「貴女、ちょっと特異体質みたいだし、切り替えしが結構面白いし、頭悪そうにも見えないし」


 気分はまるで蛇に睨まれた蛙です。

 もしも結論が「やっぱり殺すわね」になった場合、せめて苦しまないように殺してくださいと頼むべきか迷う所です。


「名前は?」

「澄香です」

「スミカ? 可愛くないわね」

「そ、そうですか?」


 男の人の感性なのか、はたまた住む世界が違うからなのか。二十四年付き合ってきたものをすっぱりと切られ、思わず顔が引きつりました。

 面と向かって可愛くないと言われたのは生まれて初めてです。なんだかちょびっとショックでした。


「私はアルシアよ。アーシャと呼びなさい」

「アーシャ、さん」

「料理はどのぐらいできるの?」

「…こちらの料理は知りませんが、元いた場所の料理なら人並みには作れます」

「パンは焼ける?」

「はい」


 趣味程度になら、休日に何回か焼いた記憶があります。…ただし良く知る材料がそろっていれば、の話ですが。

 この世界にはオーブンはなさそうな予感がします。窯で焼いた事はありませんが、人生当たって砕ければ何とかなるかもしれません。


「いいわ。殺さないでいてあげる。今日からここに住みなさい。家事をしてもらうわ。そのかわり、森の外に出る事は許さない。逃げようとしたら首をはねるからそのつもりでいなさい」

「は、はいっ」

「早速食事を作ってもらおうかしら。台所と器具を説明するからついてきて。必要な材料は揃えてあげるから、貴女の作れる料理を作りなさい」

「はい」

「いい返事ね」


 ベッドから立ち上がろうとした私に、男の人はにこりと綺麗に笑いました。それから幼い子供にするように頭を軽く撫でられました。


「順応力のある子は好きよ」


 頭を撫でられるなんて久しぶりで、少しだけ涙が出ました。



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