02.
幸運の影に不運があり、
不幸の影に幸せがある。
* * *
異変を、異変として受け取るのには数秒時間が必要でした。
拝借した灰皿を元の位置に戻しに一階に降りた時、それは突然起こったのです。
始めは地震だと思いました。
床が小さく揺れる感覚がしばらく続き、そして大きな揺れが襲ったからです。どん、という音が聞こえるような気がするほど、大きな揺れでした。立っていることもできません。
転ばないようにしゃがんで、じっと揺れが収まるのを待ちました。そう、私は床をじっと睨んで、その瞬間を待っていたのです。
だからでしょう。異変を目の当たりにする事になったのです。
フローリングの床が、最初は発光するように白くなりました。光というよりは、温度が高すぎて色のないマグマのような印象でした。
それが履いていたスリッパを飲み込むのを、思わず息を止めて見つめました。
侵食される。その言葉が一番その光景にあっていたと思います。
白いそれは急激に体を上っていき、ぐるりと包み込むように私の体を襲いました。
何が起こっているのかは、その時になってもまだ理解できませんでした。
白い何かに包まれた私は、動けないまましゃがんでいました。やがて熱いこてを押し付けられたような激痛が足を襲って、その場に転がるまでずっとです。
痛みが一瞬ならば冷静になれたでしょうが、足を襲った痛みは白い何かと同じように体を這い上がりました。当然の結果として、私は悲鳴をあげて辺りを転がりましたが、それから逃れる事はできないようでした。
外から感じる火傷した様な熱さと共に、体の内側も酷く痛みました。
僅かな間目に映った手の甲は、何かが這いずり回った後のように血管が浮き出て、破裂しそうなほど膨れていました。
痛いっ。助けて。
頭にはその言葉しか浮かんできません。
どうして自分がこんな目にあわなければならないのか、まったく理解できないのです。抵抗する術も浮かばない私には、転げまわって少しでもその場から逃げる事しか考え付きませんでした。
大抵の人間は痛みに弱い生き物です。訓練をした人ならまだしも、私には耐えられるものではありません。気を失えればもっと楽だったのでしょうが、不幸にも私の意識ははっきりしていました。
痛みが突然終ったのは、それから少ししてからでした。
気が狂わなかったのは、正直運が良かったとしか言いようがありません。
しばらくはその場で蹲って、ただ呼吸を繰り返していました。
冷たい風が体を撫でていると理解してから、顔をようやく上げました。まだ震える手を地面に押し付けて、その場にゆっくり起き上がります。
そう、手の下にあったのは、フローリングの床ではなく草が生えた地面でした。辺りには崩れた石壁のようなものがいくつか散らばるようにあり、それらを隠すように緑が侵食しています。
何かの遺跡のようにも見えるその場所に、私はぽつんと一人でいます。見慣れた家の中ではない事ぐらいはすぐに分かりました。
分かりましたが納得はできません。
こんな酷い目にあう様な事を、した覚えがないのですから。
いつもどおり同じように続くはずだった日常が、あっさりと崩されたその日。
思考が通常通りに復活した私は、まず真っ先に茜色の空に向かって叫びました。
思いつく限りの罵詈雑言を、喉がかれるまで何度も何度も繰り返して、ちょっと泣いて。
迫り来る夜のために木に登った私の判断は、間違ってなかったと胸を張って言おうと思います。