01.
それは全ての始まり、または原因。
* * *
ある日、姉から手紙が届きました。
外国に転勤になったという話を最期に、連絡が途絶えて二年。
最初の三ヶ月でおかしいと思い、会社に問い合わせた結果は、「向井静香は辞職しました」という言葉。
住んでいた部屋は引き払われた後で、手がかりになるようなものは何も残っていませんでした。
有体に言うなら、姉は行方不明になったのです。
姉は当時二十七歳。
もう親があれこれ口を出す年齢ではなかった事と、勝手気ままなところがある姉の性格を良く知る両親は、あまり心配はしませんでした。
実は、姉が行方不明になったのはこれが初めてではありませんでした。
小学生の時に二回。中学生に一回。そして高校、大学の時には有に六回も行方知れずになったのです。
小学生の時は、お小遣いだけでどこまで遠くに行けるか試したかったと、電車を乗り継いで4時間はかかる遠い街まで学校をさぼって行き、その日の夜にパトカーで帰宅しました。
「帰りの電車賃がもったいなかった」パトカーから降りた姉の言葉です。
姉は両親に、休日一日かけてこってりと絞られたのですが、本人は至ってけろっとしていたそうです。
二回目の時はお小遣いカットの上、一週間は部屋に缶詰状態。それでも反省しない姉に、両親は早々匙を投げました。
中学生の時には、もう探し回る事もありませんでした。
ですが、その時は三日間行方しれずだったものですから、匙を投げたと言えどやっぱりまだ心配だったのでしょう、両親は警察に姉が帰ってこないことを相談しに行きました。
姉は結局、六日間行方知れずになりました。事件の可能性があることを四日目で示唆された両親は、目の下にクマをつくりながら姉を捜しました。
当の姉と言えば、七日目の朝に、何事もなかったかのように家に帰ってきました。
「とても素敵な所を見つけたから、親切なお婆さんに泊めてもらってしばらく過ごした」迷惑をかけた人達に謝るため、、両親に引っ張られ連れまわされた後の、姉の言葉です。
私と姉は五つ違いで、六日間の行方不明事件当時私は小学生。
思えば、あの人の笑った顔以外の表情を私は見た事がありません。
幼い私から見ても、姉は変わった人でした。いつも一人でいる印象が強く、同年代の親しい友人を作ると言う観念が存在していないようにも思えました。
外見的には聞き分けの良さそうな、知的な人に見えます。顔も悪くない方で、高校時代にはそれなりの数の告白も受けていたようです。
高校は地元から少し離れた私立を選んだので、姉の奇行を知る人があまりいなかったと言うのも、告白が増えた原因でしょう。
化粧をした姉は、正直美人でした。
姉は高校、大学と誰かと付き合っていたようです。ですが、それが誰で、どんな人なのかは知りません。
ただ言える事は、行方をくらます姉の悪い癖を知っても、許容できるほど心が広い人のようでした。
高校、大学と年をとるにつれ、行方知れずになる期間はだんだん長くなっているようでした。ですが両親はもう気にもしませんでした。
「結婚すると思うよ」海外転勤云々で行方不明になる直前の、姉の言葉です。
私は何故か、この言葉が二年間の行方不明と関わっているような気がしてなりませんでした。
会社を辞職し、部屋を引き払い行方をくらました姉。そして結婚を示唆する言葉。
姉は誰かと結婚するために、行方不明になった。そして多分もう帰ってこない。その仮定は、もうずっと私の中にあります。
私と姉の姉妹仲は、悪くないものでしたがこれと言って良くもありませんでした。私たちは互いに興味がもてませんでした。姉の事に関しては私はほぼ無関心で、時々気まぐれのように姉が語るのを、黙って聞いているだけでした。
さて、話を手紙に戻しましょう。
今私の机の上には一枚の手紙があります。真っ白い封筒の手紙です。住所と宛名は私のもので、差出人は静香、とだけ書いてあります。
すかしてみる限りでは、中に入ってる便箋は一枚だけのようです。
仕事から帰ってきたら、郵便受けにこの手紙が広告に挟まれるように入っていました。
宛名も見ないうちに、何故かそれが姉からだと思いました。何故かは説明できません。
ただ白い封筒から感じたのは、秘密めいた何かでした。姉が私にだけ教えようとしている何か。あければ、多分答えがあるのでしょう。
私は一階から持ってきた父の灰皿の上に手紙をかざし、同じく持ってきたライターで火をつけました。
炎はあっという間に白い封筒を中身ごと焼き、そして灰にかわりました。
手紙に何が書いてあったのか、もう答えは分からずじまいです。
ですが、 それが姉が私に何かを教えるために送ってきたと悟った時点で、中身を見るという選択肢は私の中から消えたのです。
何故か? ええ、何故でしょう。
私にもわかりません。
結果として残ったのは、灰皿の上の手紙のなれの果て。そして姉から手紙が届いたという事実。その二つのみ。
それをのぞけば、私の日常は昨日と変わりなく、そして明日も変わりないでしょう。
姉は行方しれずのまま、その原因も思惑も謎のまま。
彼女の日常と私の日常は、そうして永遠に交わらないまま。
それでいいと思うのです。